♯53 コワレタカコ
今回でついに華炎ちゃんが十六夜の過去に触れることになります。
ちょっとグロテスクな話も出てくるので、お気をつけください。
「教えてください、お嬢様の傷のことを。お嬢様の過去に何があったのかを」
「華炎……」
私はセレンさんと面と向かって自ら核心に迫る決断をしました。一歩踏み込んで、苦しみ続けるお嬢様を救うために。
そのためなら、私はお嬢様が引いた一線を踏み倒せます。
お嬢様が関わらないでほしいと言ったのなら、使用人はその指示に従わなければならないのかもしれない。でも、私はどうしても見捨てることなんてできません。
だって……あんな苦しそうなお嬢様を見てしまったら、放っておけるわけがないじゃないですか。
辛くて、堪えられなくて、今にも泣き崩れてしまいそうなお嬢様の顔……絶望に打ちひしがれた彼女の顔を、私は見たくありません。
叶うのなら、私はお嬢様を悲しませるその病巣を駆逐したい。そしてお嬢様に笑顔でいてもらいたい。
そんな分不相応な願いを抱くのは傲慢でしょうか。
「その秘密が易々と他人に知らせていいものでないのは知っています、知られてお嬢様が悲しむことも。でも、それでもどうかお願いします! 私は……お嬢様を助けたいんです!」
「あなたは……」
こんなことを言う私はきっとメイド失格です。お嬢様の命令を聞かず、それどころか反対に首を突っ込もうとしているのですから。お嬢様が聞いたら怒ってしまうでしょうか。
でも、それだとしても構いません。私の名誉と引き換えにお嬢様を守れるなら、いくらでも差し出せます。
「使命でもなく、役目でもなく、人道によるものでもなく、私自身の我儘で! 村時雨華炎という私個人の願いでお嬢様を助けたいんです!」
「……知ったらもう戻れないわ。最悪、この屋敷を立ち去ってもらうことになるのよ? それでもいいのかしら」
「覚悟の上です! お願いしますセレンさん!」
私は自分の覚悟を示すために、今一度深く腰を折ってセレンさんにお願いしました。
「それでも認めることができないというのであれば、この髪も差し出します」
「え?」
「それほどの覚悟があります! 今ここで切っても構いません!」
女性であるセレンさんなら、この覚悟も分かってくれるはず。
女性の命ともいえる髪を差し出すともなれば猶更に。
勿論私は本気です。もしセレンさんが疑うのであれば、言葉にした通り髪を切ることもためらいません。丁度この空き部屋には鋏が置かれています。
いつ髪を切り落としてもいいよう、鋏を手に取って後ろ髪に添えました。
私は本気ですよセレンさん。冗談でもはったりでもありません。これが私の覚悟です!
「そう、なのね。それがあなたの選択なのね……」
……! セレンさん!
「……分かったわ。その意志の強さと覚悟、見せてもらったわ」
「では……!」
「ええ。話してあげるわよ」
私の問いにセレンさんはゆっくりと首を縦に振りました。
「ありがとうございますセレンさん!」
精一杯の感謝を伝えようともう一度深く頭を下げました。
「誇りなさい華炎。一ヶ月の間私はあなたのことを見てきたわ。あなたはどんな時でも誠実で真剣で、そして人の為に在ろうとしていたわ。自分本位ではなく、他人本位で動いていたあなたを信用することにしたの。それを忘れないで。私を失望させないで」
……光栄な話だった。謙遜でもなんでもなくただ純粋に嬉しいものがあります。
屋敷中から『鬼のメイド』と畏敬されるセレンさんからそう言ってもらえると、一層輪をかけて嬉しくて仕方がありません。
屋敷に来た当初は最も私を嫌っていたのがセレンさんだったのですから、それだけの信用を勝ち取ることができたと実感できました。
「性別とか、正体のことなんて関係ない。私はあなたの人柄だけを信じるわ……裏切ったら承知しないわよ」
「私は絶対に裏切りません、途中で投げ出すこともしません。約束します」
「……その言葉は絶対に忘れないわよ」
「忘れないでください。そしてもしその約束を私が破ったら……あなたの手で私を罰してください」
「あなたがそう言うのなら、私もそうする。だからこれはもう必要ないでしょう?」
「あっ」
そう言うと、セレンさんは素早い動きで私の手から鋏を取り上げてしまいます。
結局その刃は緋色の髪を一本たりとも傷つけることなく、そのまま物置のすみっこという元の鞘に収まったのでした。
早い……! 不意を衝かれた一瞬の出来事でした。強いなぁ……流石セレンさん。とてもかっこいい。
足技が専門とは思えない見事な体捌き。改めて尊敬の念を抱かずにはいられません。
「あなたたちの一族は髪が命なんだから、今後髪を盾にしたりするようなことはしないように。分かった?」
「え? それってどういう……」
「分かった!?」
「は、はい! 以後気を付けます!」
一瞬セレンさんがよくわからないことを言ったような気がしますが、口ごたえをした瞬間に叱られてしまいました。
どういう意味だったのかな。それどころじゃないからもう聞けないですけど……
……分からないものは分からないから気にしても仕方がないか。
そんな益体もないことを考えているうちに、セレンさんの言葉はすっかり記憶から抜け落ちていきました。
「……さて、どこから話したものかしら」
深呼吸を一つ挟んで、セレンさんはぽつぽつと噛み締めるように語り始めました。
「……少し昔の話をしましょうか。そうね……八年くらい前のことよ」
「八年前、ですか?」
「そうよ。お嬢様がまだ小学生で、私がまだ大人じゃなかった頃になるわ」
……それはちょっとだけ歳の離れた二人の少女の、二人だけが知っている秘密のお話でした。
◇ ◇ ◇
私がお嬢様と初めて出会ったのは、豊葛本家の屋敷の中だったわ。
その時の私は今のように使用人ではなく……なんというか……言葉にしづらいけど敢えて日本語にするとしたら……『奴隷』みたいな立場だったの。
……まぁ、驚くわよね。現代日本でまさかそんな存在がいるだなんて、あなたは思ってもみなかったことだと思うわ。
でも、実際に私はそんな人間だったの。使用人よりもはるかに弱い奴隷だったのよ。それこそ理由なき暴力を振るわれても文句を言えないくらい。
知っての通り、私の血には外国系の血が混じっているわ。どこのものかは知らないけれど、母が外国人だったと聞いているわ。
でも、それがまたとんでもない女だったとか。
何人もの男とふしだらな関係を持ち、気に入った男の中には肉体関係を結んだ人もいたそうよ。
え? にくたいかんけい、ってなに?
……知らないのなら、あなたはそのまま知らなくていいのよ。あなたはどうかずっと奇麗なままでいて頂戴……
母は西洋のどこかの旧華族の令嬢で、この日本で会社を営んでいた父と結婚したみたい。まぁ、言わずもがな政略結婚よ。父は本気だったみたいだけれど、母は本当にいやいやだったって話ね。
で、そんな二人の間に生まれたのが私。一応、二人とは血縁上の繋がりはちゃんとあるわ。家族の縁は切れているけれど。
私が生まれてしばらくは仮初の蜜月ごっこに興じていた二人だったけれど、ある時を境に父の会社は業績が悪化。倒産まで行きつくのに時間はかからなかったわ。
そうなる直前に母は会社と家から目ぼしい金品を持ち去り夜逃げ。そしてそのまま蒸発し行方不明。まだ小さかった私を置いて、ね。
聞くところによれば関係のあった男の許を転々としていたそうじゃない。今どこで何をしてるかは知らないわ。私はどっかで野垂れ死んでると思ってる。その方が気が楽だもの。
そして全てを失った父は酒に溺れ、僅かに残ったなけなしのお金も使い果たしたわ。
会社を失い、生活を失い、お金を失い、一人娘だけが残った父は……僅かな小金を稼ぐために、残った娘すらも手放した。
より具体的に言えば、あの人は私を豊葛家に売ったのよ。要は子供の身売りね。
よく覚えているわ。
私が豊葛に売られていくことになった日、すっかり正気じゃなくなった父は忌々しいほどに嬉しそうな笑顔を浮かべていたわ。自分の娘が助けを求める中、娘を売って得たお金を見てこの上なく嬉しそうにしていたもの。
あの人は一応今も生きていることは分かったけど、借金に借金を重ねて碌なことになっていないみたい。
母と同じく家族の縁は切っているから、どうでもいいけれどね。
……そんな顔をしないで、華炎。昔のことよ。私はあの日々の出来事を許すつもりは一生ないけれど、もう今の私とは関係のないことだって割り切ったわ。あなたがそんな悲しそうな顔をする必要なんかないの。
……でも、その優しさは忘れないでいてね。きっとそれがお嬢様を……いいえ、この話はやめましょう。
とにかく、そういう経緯があって私は豊葛家とかかわりを持つようになったの。
ここまではいい?
……じゃあ、ここら先があなたが知りたがっていることよ。
覚悟はいい? この話を聞いたら、優しいあなたはきっとお嬢様の為に怒るでしょうね。でもその怒りに呑まれないで。冷静に話を聞いて。お願い。
豊葛家に引き渡された私はそれから屋敷の地下に閉じ込められた。敢えて言うなら拷問用の地下牢みたいなものよ。
空調は効いていたけど薄暗くて、いつも鉄臭くて、おまけに床の堅い最低のところだったわ。
……一応言っておくけれど、上流階級の家に地下牢があるなんて普通じゃないからね? この屋敷にだって当然ないし、なんなら日本全国探してもあの家だけだと思うわよ?
あんな基本的人権の尊重に真っ向から喧嘩売ってるものが幾つもあってたまるかっての。
そんな最低最悪の場所に幽閉された私だったけど、実はその地下室には先客がいたのよ。 同じように地下に繋がれて謂れのない暴力を振るわれていた、私よりも小さい女の子が。
引っ張ってもしょうがないから、まず話しちゃいましょう。
その女の子こそお嬢様……豊葛十六夜だったの。
……華炎! 落ち着いて! あなたの怒りも分かる。でも今はその時じゃない。だから落ち着いて。
私だって今でも悔しいし、腹が立つわ。でもお願い、今は抑えて……
……それで、私たちは屋敷の暗い地下室で初めて顔を合わせたの。
はじめは『ああ、彼女も両親に売り飛ばされたクチなんだろうな』と思っていたわ。豊葛家の令嬢で、本来はこんなところにいるべき人間じゃないと知ったのはもうちょっと後のことよ。
勝手に同じ境遇だと思った私は、お嬢様と仲良くなろうとしたわ。
お話ししたり、狭い地下牢の中の限られた遊具で一緒に遊んだり、暴力を振るわれたら慰めあったり。いろいろやった。
最初は何もすることができない地下牢での、せめてもの暇つぶしのようなものだったわ。
でも、時が経って私とお嬢様の仲が深まるにつれて、そんな「暇つぶし」なんて感覚はなくなっていったの。
頼れる家族のいない者同士で、私たちはある種の家族みたいな意識を抱いて、気が付いたら私とお嬢様は年の離れた姉と妹のような関係になっていたわ。
……あっ、ごめんなさい。関係ないことだったわね。あまり人に語ったことがない過去だから、つい余計なことも話してしまったわ。
一度、視点を私の主観からお嬢様に移しましょうか。
お嬢様は今から十年前、御父上である豊葛朧に自分の跡継ぎになるよう言われたの。
お嬢様は小さい頃からその才能の片鱗を見せていて、【豊葛グループ】関係者の誰もがお嬢様が後を継ぐことを望んでいたそうよ。
でも、それがいけなかったんだわ。
お嬢様には四人の兄姉……兄と姉が二人ずついたわ。彼らは自分を差し置いて小学生だった末っ子が跡継ぎに選ばれたことが気に食わなかったみたい。
本人の能力や重責に対するメンタルの強度から考えても、五人の中じゃお嬢様が最も適性があると判断したそうだけれど……まぁ、早い話がただの逆恨みよ。
十歳にもなってない子供に嫉妬して恥ずかしくなかったのかしら。みみっちい。
……後から聞いた話だけど、跡継ぎに選ばれたときお嬢様は嬉しくなかったと言っていたわ。
小さい頃のお嬢様にとっては、ただひたすら家族からの殺意と敵意が怖くて仕方なかったのね。あなただって、妹さんからそんなことをされたら傷つくでしょう?
ちょ、本当に傷ついてる! ……え? この前実際に敵意を向けられたことを思い出した?
……そ、そう。辛いことを思い出させてごめんなさい……
それから一年、【豊葛グループ】の跡継ぎになることが決定したお嬢様は、その地位に座る人物として相応しい器となるべく厳しい英才教育が施されるようになったわ。
一日の間ずっと勉強していたこともよくあったそうよ。
でもある日、お嬢様に対する負の感情を募らせていた兄姉は、ついに行動を起こした。四人揃ってお嬢様の部屋に雪崩れ込んで、そのままお嬢様捕まえてを地下に幽閉したの。
わざわざ屋敷の地下に拷問専用の地下牢を作ってまで、ね。
でも……でもそれだけじゃないわ。
あのクズたちは自ら身をケダモノに堕として、人として最低な行為をしたのよ!
地下に監禁するだけでは飽き足らず、奴らはお嬢様を……! お嬢様を……!
血を分けたお嬢様を! 自らの手で拷問したのよッッ!!
殴る蹴るなんてものじゃないわ! もっと、もっとおぞましい仕打ちをした!
ねぇ華炎、お嬢様の傷を見たのなら、それが何によって作られたものかも分かるでしょう!?
メスで皮膚を裂き! ライターで肌を炙り! 注射器の針で執拗に突き刺し! 酷いときには縛り上げたお嬢様を爆竹の中に放り込んだ!
それだけじゃない! 傷が残らないよう水で窒息させようともした!
私の目の前で! 妹分を何度も傷つけられたの!
許せない。私がされた仕打ちよりもずっと、ずっとお嬢様にしたことのほうが許せないわ!
…………
……
ごめんなさい。あなたに落ち着いてと言った本人がこんな有様じゃ、笑い話にもならないわね……
駄目ね、お嬢様が拷問にかけられる光景を思い出すたびに、私は冷静でいられなくなってしまうわ。
話を進めましょう。
結論から言えば、私とお嬢様は屋敷を抜け出したわ。
お嬢様の精神と体はもう限界で、これ以上は本当にもう耐えられないところまで来ていたの。
私はもう十五歳を超えていたからよかったものの、お嬢様はまだ小学校に通っているはずの年齢だったから。
詳しい説明は省くけれど、その過程にはいろんな人の協力があったわ。
脱走を手伝ってくれた一部の使用人。足取りを追われないよう海外を経由して私たちを運んでくれた仲介人。潜伏先としてこの屋敷を破格で譲渡してくれていた資産家。
それから何人もの協力者と、その先々で起こったトラブルなんかもあったけれど……
……今はこうして、私たちはこの場所で暮らしているの。
ごめんなさい、今話せるのはここまでよ。これ以上は私の方がちょっとね。
なんでかな、あなたの前だと余計なこともつい喋ってしまいそう。華炎が聞き上手だからかしら。
――――ともかく、これでお嬢様の過去のおおよそは語ったわ。
答える範囲のものは答えるけれど、何か聞きたいことはある?
……そう、ないのね。ならいいわ。
くれぐれもこのことは、他の誰にも言わないようにね。
頼んだわよ華炎。
ちなみにセレンさんのお母さんですが、梅毒で本当に亡くなってます。ふしだらすぎたのが悪かったんや……
もちろんセレンさんがそのことを知る日はずっと来ないでしょう。
でも十六夜は知ってるかも……?
(まぁ今適当に考えた後付けなんですけどね)