♯52 Need to Know
【Need to Knowの原則】
知るべきことを知るべき人物のみが知らされるという、情報管理の法則の一つ。
映画とかで使われると、余計なことを知ったら消されちゃうゾ☆という意味になる。
つまり、『イレギュラーなんだよ。知りすぎたんだよお前はな!』ということ。スミカ・ユーティライネンです(´・ω・`)ノシ
――――View side:Kaen
「ここなら話を聞かれることはないわ。入りなさい」
「は、はい。失礼します……」
上弦さんに荷物を託して私たちが向かった場所は、物置として使われる空き部屋の一室でした。手入れが行き届いているのか埃臭くはありません。
ただ、空き部屋という生活感のない空間のせいで、どこか肌寒い空気を感じます。
……こんなところで秘密の話と言われると、とても嫌な予感がしてたまりません。
「さて、場も整ったところで……華炎、なんで私があなたを呼んだのか分かる?」
「え、えーっと……そのぉ……」
不快感にも似た肌を逆撫でするような感覚を覚えていると、ついにセレンさんから話を切り出してきました。
その話題の展開の仕方は、あたかも学校の先生が子供を叱りつけるときのようで……
私は滝のように流れる汗を隠しながら、しどろもどろと呻くことしかできませんでした。
意味を成さない言葉のような何かが口を衝いてホイホイと出ていきます。
「えーっと、えーっと、その、はい、あれですよね……ハイ……」
ごめんなさい嘘です。何も分かりません。というか心当たりが多すぎて分かりません。
私の記憶にないだけで、やらかしてるであろう失敗は多いと思うので、何の理由かまったくわからないんです。
「……もういいわ。こんな話し方をした私が悪かったのよ」
あ、あああ! セレンさんが頭を抱えてる……!
いよいよ本当にまずいことになっちゃっいましたよ!
どうしようどうしようどうしよう!?
きっとセレンさんは手の施しようがないくらい愚図な私に怒ってるんですよう! 始末書か!? それとも減俸か!?
「申し訳ありませんセレンさん! 人間失格を通告されるほど愚図で屑な私にはセレンさんが怒っている理由が皆目見当もつかず何も答えることができませんでした全身全霊で改善するよう死力を尽くしてまいりますので何にお怒りになられているのかご指摘ください来週までに必ずなんとかしてみせますので本当に申し訳ありません!」
「……よく一息で言えたわねそれ……」
ううう、誠心誠意平身低頭謝り倒しても許してもらえるかどうか……
こういうときお嬢様は罰を与えながらも許してはくれるけど、セレンさんは罰を与えない代わりに許さないかもしれませんし。
ああ、オワッタ……
「あのねぇ……誤解しているみたいだから言っておくけれど、別に私は怒ろうとしてあなたを呼んだ訳じゃないの」
「はい?」
え? 説教じゃなくて?
「いや、あの……この呼び出しって『屋上へ行こうぜ……キレちまったよ……』っていうことじゃないんですか? とんでもないことをやらかして怒られるっていうことじゃないんですか? 屋上ケジメ案件じゃないんですか?」
「違うわよ。だからそういう風に聞こえたのは私が悪かったって言ったじゃない。ちょっと聞きたいことがあったから呼んだだけよ。他意はないわ」
そ、そうだったんですか……セレンさん直々に【OHANASHI】するためのものかと思ってしまいました。
私の早とちりだったんですね、よかったよかった。
いやぁ、やっぱりセレンさんがそんなことするわけないですよね。いやはや失礼だなぁ私は。
「まぁ、返答の次第によっちゃあなたの思ってた通りになるんだけれど」
「えっ……」
そうやって安心したところへ、セレンさんの容赦ない不意打ちが突き刺さりました。上げて落とすとはこのことか。
そういうのは精神的にクるものがあるのでやめてください。
私が何か文句を言ってやろうかと口を開きかけた瞬間、真面目なトーンの声に機を潰されてしまいます。
「ねぇ華炎。お嬢様のことなのだけれど、学校で何があったの?」
セレンさんの言葉を聞いた瞬間、私の表情がぎこちないものになっていくのが分かりました。
「私は二年間も千春峰に通うお嬢様の姿を見てきたわ。あなたが来るまで私が彼女の身の回りの世話をしていたもの。ほかのメイドの誰よりも一番近くで見てきた自負がある。だけど、あんなにお嬢様が暗い顔をしていたのは今日が初めてよ」
「それは……私も初めて見ました」
セレンさんは険しい目をして私のことを見つめてきます。夜天の空の月を思わせる銀色の瞳が、とても冷たく感じられました。
言い逃れをすることも、はぐらかすことも許さないという意思が込められているように思えます。セレンさんは真剣でした。
「今朝のお嬢様はいつも通りだった。いつも通りの時間にあなたに起こされ、朝食は残さず食べて、電車に間に合う時間で屋敷を出たわ。だから、お嬢様に何かあったとしたらその後のこと、つまり千春峰で何かがあったということに他ならない」
……冷静な推理です。ちょっと考えれば分かることですが、セレンさんは聡明な人だ。私が関わっていると一目で見抜いたのは流石というべきでしょうか。メイド長の肩書は伊達ではありませんね。
お嬢様のこととなれば、誰よりも注意深く観察しています。
場違いな考えですが、ことお嬢様への想いに関してはセレンさんには勝てそうにないな、と思ってしまいました。
「学校で何があったの? ……いえ、聞き方を変えるわ。これじゃあ正しい答えは得られないもの」
呼吸を一つ挟んで、セレンさんは私を睨みつけました。
「お嬢様に何をした?」
……銀色の瞳が、薄闇の中に爛々と鈍く輝いていました。まるで喉元に短刀を突き付けられたような錯覚を覚え、背中に走る冷たい感覚を感じました。人はそれを『恐怖』と呼ぶのではないでしょうか。
セレンさんは怒っているわけではありません。憤っているわけでもありません。彼女は私がお嬢様に害をなす存在であるか否かを、その目と耳で確かめようとしているだけです。
もし私が害をなす存在であると判断すれば、セレンさんは持てるすべての力を使って私を排除することでしょう。お嬢様のために。
……選択を間違えるなよ私。この人は口先でごまかしたり取り繕うとした瞬間、私を危険分子として見るつもりだ。
丁度一ヶ月ほど前にも、こうしてセレンさんに問い詰められていたことをなんとなく思い出しました。
「……セレンさんは、お嬢様のことが大好きなのですね」
「ええ。お嬢様は私の家族で、私が守るべき人よ」
セレンさんは恥ずかしげもなく、むしろ誇らしそうにお嬢様への想いを語りました。嘘なんて微塵もない純真さそのものの言葉です。理想の主従……なんとなくそんな言葉が思い浮かぶ。
彼女は本当に、心の底からお嬢様を大切に思っているのですね。
「……分かりました。何一つ包み隠すことなく、学校で何があったのかをお話しします」
「いいわ。話なさい」
「ですが、代わりにお聞きしたいことがあります」
でもその前に、直接聞いて確かめなければならないことがあります。
セレンさんに知りたいことがあるように、私も知りたいことがあるのですから。
不思議そうな顔をするセレンさんの、光照り返す銀色の瞳を覗き込みました。
「セレンさん、あなたは知っていましたね?」
「……何かしら?」
何のことかわからない、という顔をするセレンさん。しらばっくれているのか、思い当たらないだけか……あるいは知らないだけか。
いや、絶対に知らないということはないはずだ。絶対にそれは違う。
「打撲、裂傷、火傷、切創、刺創、爆傷……その他無数の創痕が、体中の至る所にありました」
「あなた、それは――――」
「もう一度聞きます」
何かを言いたげなセレンさんの言葉を遮って、私は銀色の瞳を覗き込みながら問いました。
――――偽りなき告白を求めるなら、それと同じだけの告白をしてください。セレンさん。
「セレンさんはお嬢様の傷を知っていましたね?」
薄い暗がりの空き部屋の中で彼女は沈黙を貫きました。その口は何も答えず、その瞳は何も語らず、ただ口を噤むばかり。
一体どれくらいの時間、セレンさんは沈黙を守ったのでしょうか。五分? 十分? それとも三十分? 時間の感覚が狂って、今が何時なのかも分からなくなりました。
そうして眩暈がするほど密度の濃い時間が過ぎて、窒息してしまう空気に折れたのは……
「……ええ、よく知っているわ。他の誰よりも」
セレンさんは諦観したようにため息をつきました。秘密をこれ以上隠し通すことができないと悟ったのでしょうか。
「華炎、このことは……」
「まだ誰にも言っていません。言いふらすつもりもないです。他ならぬお嬢様が隠したがっていましたから」
「そう……それならよかった」
セレンさんはお嬢様の秘密が下手に拡散することを危惧していたらしい。他の先輩たちも知ってそうにないことから、事実を知る人たちの間で箝口令が敷かれていたのかもしれません。
……もっとも、そんな中で私は秘密を知ってしまったわけだけども……
それから話は戻って学校で何があったかの説明へ。
「それじゃあ、学校で何があったか教えて頂戴」
「はい、それが――――」
私はかいつまんでお昼のこととシャワーのことと、お嬢様の傷を見てしまったことを伝えました。
話を聞き終えると、セレンさんは同情するような目を向けてきました。
え、何ですかそんな憐れむような顔は。
「そう……大変だったわね。いろんな意味で」
「あの、怒らないんですか?」
「どうして? 何も怒るところなんてないでしょう?」
「だってその、私はお嬢様と……うぅぅぅ……シャ、シャワーに入っちゃったんですよ……?」
「ああそういうこと……別にいいわよ。というか今更だもの。あなただって下心があって入ったなんてこともないだろうし」
「……ハイキックの一発は貰うかと思ってました」
「そう思われるのは心外ね。不可抗力を見逃すぐらいの寛容さは持ち合わせているわよ」
髪を手櫛で梳かし、うっすら笑みを浮かべながら言い放ったセレンさん。ギザっぽい仕草ですが、それが似合うのは彼女の人徳によるものでしょうか。
クールでかっこいいなぁ、とても様になってる。私もあれが似合う人になりたいです。
……いや待てよ。
そう言ってるセレンさん、朝の鍛錬の最中に不可抗力でスカートの中を見ちゃったら、死ぬほど追い掛け回してきましたよね?
不可抗力が云々ってキメ顔してますけど、これっぽっちも信用できません……なまじ前科がある故に……
そんな考えが顔に浮かんでいたのか、私を見たセレンさんは一言、
「……何よその訝しげな顔は」
「ナンデモナイデス」
それ以上の思考を読み取られぬようそっぽを向いて顔を隠しました。
余計なことを考えて余計な体罰貰うのは嫌ですもの。
「……ともあれ、おかげでお嬢様の様子がおかしかった原因も分かったわ。あなたがやたらと暗い顔していたのも納得ね」
「そ、そんなに暗い顔してました?」
「してたわよ。屋敷の雰囲気も暗くなるところだったわ」
「ふぇ……申し訳ないです……」
セレンさんに揶揄われると、そこはかとなく心にガスガス言葉が突き刺さるような気がします。こう、メンタルという鎧の上からブスブスと鎧通しを刺されているような感覚。
言の葉は旧くから『言の刃』とも呼ばれるので、これも言語の持つ力の側面なのかもしれない。
それにしても、やっぱりセレンさんは傷のことを知っていましたね。
メイド長だから知っていてもおかしくないとは予想していましたが、思った通りでした。
でもどうしてそこまで秘密にするのでしょう。こうも情報統制が徹底されていると、むしろそこが気になってしまいます。
お嬢様に傷があることを知ったとて、この屋敷には軽蔑したりするような人は誰もいないというのに。
「……じゃあ、どうしてお嬢様は……」
それなのに傷を知られることを恐れているなら、きっとそこには理由がある。セレンさんたちが隠し通そうとするだけの深い理由が。
その理由を知るべきか、それとも知らないでおくべきか?
……そんなこと考えるまでもない。
そこに『悲劇』があるというのなら、見過ごすことなど私にはできません。それが恩人ならば見捨てない理由など。
「セレンさん」
「なに?」
覚悟を決めて、彼女の双眸を真正面から捉えました。
聞き出しましょう。セレンさんが隠した、がちょう番の娘の秘密を。
「教えてください、お嬢様の傷のことを。お嬢様の過去に何があったのかを」
「華炎……」
それを知ることでお嬢様を守ることができるのならば、自分の身など知ったことではありませんでした。
ごめんなさい朧さん。あなたの忠告は、聞き入れそうにもありません。