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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!  作者: 利中たたろー
第三章 豊葛十六夜と後継者たち
62/85

#50 狂わされる少女

最近はコロナコロナと大変ですね……

元から少ない外出の機会が更に少なくなり、今年は生で桜を見たのは片手で数えられる程度でした。

あまり世間での風流や流行からは縁遠い身ですが、皆さまもどうぞお気を付けてくださいませ。


それにしても、いつになったら過去編終わるんでしょうね……?



 人間と言う生き物(怪物)は、おおよそ二つの種類に分けられる。


 冷静に損得やメリットデメリットを推し量りながら、物事の道理や筋を大事にしながら生きていく理性的なタイプ。

 後のことを考えず勘で動き、一般常識や道理を蹴飛ばして感情の赴くままに直情的に生きる感情的なタイプ。


 世界は主にこの二種類の人間たちの手によって動かされてきたと言って過言ではない。


 例えば英雄の中の英雄、ナポレオン・ボナパルトはおよそ前者に部類されるであろう。

 彼は類まれなる戦略によって、一介のフランス軍人から皇帝にまでのし上がった人間だ。

 先を見通して采配を振るい、策略をもって障害を排してきた彼は理性的な人間であったと言える。


 同じくフランスの英雄、世界屈指の聖女(ラ・ピュセル)として有名なジャン・ヌ・ダルクはどうか。

 彼女は元々辺鄙な村に住んでいた村娘で、「神の神託を聞いた」と言ってオルレアンをイギリスから奪還した。

 その行動理由は至って単純で、神への信仰の他には何もない。その神託に従うことが正しいと考え、ただ真っ直ぐに生きて殉教した聖女(イケニエ)だ。

 自分の損得よりも正義や信仰を優先した彼女は、分類で言えば直情的な人間だろう。



「『……もちろん、これはあくまでその人物の性格や傾向を大雑把に分析したものであり、どちらの方が優れているか、という考え方はナンセンスである』か。なんとなく分かるような分からないような……」



 小学三年生に上がった十六夜は眉をひそめ、読んでいた本に栞を挟んでから閉じた。


 その本のタイトルは、『本能に呼び掛ける人間のココロ』。どこからどう見ても大人向け、というか医療関係者向けの専門書である。

 さしもの十六夜と言えど、幼い年頃では理解できないのもむべなるかな。高校生なって読めば内容の把握など造作もないことだが、それと同じことを小学生に求めるのも栓無きことだ。


 難しい勉強の合間にこれまた難しい専門書を読むという、休憩とは言い難い休憩のようなものが挟まれ、十六夜は課題の参考書を開く。

 少なくとも彼女にとって、今の読書は休憩でないことは確かだった。



「虚数変換式……? 難しそうな名前」



 十六夜が開いた教科は数学。

 高校生や大学生が習うような、とても小学生にできる物ではないレベルの問題の揃った参考書である。

 しかし、十六夜は豊葛家の後継者。「できない」「不可能」「やりたくない」という甘えた泣き言は許されない。


 できないならできるようになる。不可能なら可能に変える。やりたくなくても()()

 それが十六夜の今の立場だ。



「……お父様は、いつになったら褒めてくれるのかな……」



 こんな辛い勉強を始めてから一年。春夏秋冬をワンサイクル過ぎるだけの間、十六夜はずっと机に向かってきたのである

 兄姉たちとの溝は深まるばかりで、状況は去年から悪くなる一方だった。彼女の父も後継者宣告をしたあの一件以降、一度も顔を合わせていない。母も同様で屋敷には帰ってきていなかった。


 十六夜はまだ自分は『いい子』になれていないのだと思った。

 誰も自分を愛していないという事実から目を背けるために。


 ああ。


 一体いつになったらいい子になれるのだろうか。

 どんなことをすればいい子になれるのだろうか。

 このまま勉強してばかりで本当にいい子になれるのだろうか。


 ――――私は、いい子になんて慣れないのではないか。


 十六夜がそんな妄想をしてしまうのも無理からぬことだろう。子供にとっての一年間とは、大人や青年にとっての一年より遥かに永いものなのだ。

 一年間の間に精神が疲弊して、弱音が口を突いて出てしまうことを誰が責められよう。



 そんなときだった。



『い、十六夜お嬢様……』

「ん……?」



 難解な数式の計算に没頭していた十六夜の思考が、部屋の外で待機していた使用人(メイド)の声によって中断させられる。


 あと少しで解けそうだったのに――――

 散々手を焼かされた(設問)をもうすぐで突破できる、というタイミングでこれだ。魔が悪いと言う他無い。


 だからといって使用人に文句を垂れるのもお門違いである。彼女はただ職務に則って十六夜のことを読んだに過ぎないのだから。

 それに解式は途中まで書いて保存してある。いくらでも途中から再開は可能だった。


 それに……



「メイドさんを困らせたら、いい子じゃないよね」



 使用人をいつまでも待たせてしまうのは自分のポリシーに反する。それだけでも十六夜にとっては問題だ。


 十六夜は参考書を畳み、扉の外に向けて何用かと尋ねた。



「どうかしたの?」



 すると使用人は声を震わせながら手短に用件を伝える。



『ら、来客です……その、お嬢様のお兄様方たちが……ヒッ!』

「お兄様……? お兄様たちが来たの?」



 十六夜は珍しいことがあったものだと思うと同時に、突然の訪問に首をかしげる。

 元より自分を訪ねてくることなど滅多にない家族が一体何の用だろう。


 十年にも満たない期間の付き合いだが、少なくとも遊びに来たという理由ではないことは十六夜にも確信できた。

 なにせ、彼女は一度たりとも兄姉(きょうだい)と遊んだことは無いのだ。今までになかったのなら、これから先もあるはずがない。彼らがここに来たのも、もっと別の理由があるからなのだろう。

 故に、十六夜には彼らが来た理由を推し量りかねていた。


 だが、時は彼女に考える隙を与えてはくれない。



『あっ……! おやめください白夜様――――』

『うるせぇ! そこを開けろクソメイド!』

『ひぃ……!!』



 扉一枚隔てた廊下の方から、聞き慣れた一番上の兄の叫び声が響いた。

 兄の罵詈雑言や奇声恫喝、その手の粗暴な言葉は幾度となく聞いている。十六夜も暴言と共に拳を振るわれた覚えがあった。


 しかしどうやら、今日の彼はその矛先を十六夜に仕える使用人に向けているらしい。相変わらず弱者や格下に威張り散らす事に余念がない。とんでもない内弁慶がいたものだ。

 気が小さく脅しや暴力に弱い彼女(使用人)は、白夜から見ればカモもいいところだろう。



『あ、開けます!開けますから……! 何もしないでください!!』



 使用人は暴力から来る恐怖に耐えきれず、脅されるままに部屋のドアを開けてしまう。

 メイド服に備えられたポケットから鍵を取り出し、鍵穴に差し込んでロックを解除する。シリンダーが弾かれたことによる子気味良いガチャリ、という音が十六夜の耳朶を打った。

 十六夜を守る最後の壁が崩れてしまった。


 その行為が遠回しに十六夜を売ったも等しいことに、使用人の彼女が気付くことはないだろう。



「お、お兄様……?」



 その瞬間、十六夜はたまらなく不安な気持ちになった。


 背中を伝って首筋を這いまわる嫌な予感。それは蛇が自分の体に巻き付いて、決して逃がすまいと締め付けてくるような感覚にも近い。

 曰く、名称し難い勘のようなものであった。


 だが、世の中には虫の知らせという言葉もある。往々にして、そういった良くない予想というものは(あた)る傾向にあるのだ。

 十六夜もそのことをよく知っているし、だからこそたまらなく不安になったのである。



「お、お兄様……? 白夜お兄様なの?」



 十六夜はゆっくりと奥まで逃げるようにして扉から離れた。

 そもそも出入り口が一つしかない閉鎖空間では逃げるも何もあったものではないが、それでも何もしないよりかはマシのように思えたのだろう。



『どけクソメイド! 邪魔だ!』

『きゃっ!』



 扉の向こうから人が一人倒れる音が聞こえた。それから乱雑な足音が扉の前まで近づいて止まった。

 何があったか、など考えるまでもない。



「来るっ……」



 我知らず、十六夜は生唾を呑み込んだ。

 そしてそれから一泊遅れて、やはり乱暴に部屋の扉が開け放たれる。



「逃げても無駄だぞ」

「…………!」



 まず初めに部屋に踏み込んできたのは、豊葛家長男の白夜。

 名家の子息とは思えぬスカジャンというチンピラじみた出で立ちをする男は、この屋敷には彼一人しかいない。


 そんな彼が一体何の用だ。


 十六夜の警戒度が最大にまで引き上げられる。



「な、何用ですかお兄様……私はこの通り勉強の途中です……」



 十六夜は白夜の一挙一動を注意深く観察しながら、この部屋に足を運んだ用向きを尋ねた。できる限り刺激しないように、とても注意深く。

 変に癇に障って暴力を振るわれては大変だ。



「てめぇに用があんだよ十六夜。しかも俺だけじゃねぇ」



 白夜は短くぞんざいに答え、それから自分の背後を顎で示す。それに吊られて十六夜が彼の後ろを覗き込むと、新たに三人の人影を認めることができた。


一人の男と、二人の女の姿。その外見には見覚えがあった。



「お姉様たちも……!」

「久しぶりねぇ、十六夜」



 豊葛家長女の千夜。次男の雨夜。次女の十五夜(じゅうごや)


 彼らは何の遠慮も無しに白夜と共に十六夜の部屋へ侵入してきた。これで豊葛家の子供が十六夜の部屋に全員揃ったことになる。



「失せろクソメイド。邪魔だ、殺されてぇのか?」

「も、申し訳ありません!」



 扉の外には怯えたきりガタガタ震える使用人の姿もあるが、白夜に睨まれると情けない声をあげながら廊下の向こうに消えていった。守るべき十六夜を置いて。


 自分を守るものが何もなくなったところで、十六夜は改めて何用かと問いただした。



「……私に何かご用ですかお兄様、お姉様」



 逃げ場はどこにもない。隠れられる場所もない。

 部屋の奥に逃げ込んだ以上、彼女は毅然とした態度で兄姉たちと相対(あいたい)するほかなかった。

 自分よりも背の大きい兄姉たちと真正面から睨み合う恐怖は、小学生にしてみればとても恐ろしいものろう。野生の生物は自分の体を大きく見せることで縄張り争いをするが、体格差とはそれだけで恐怖と成り得るのだ。


 しかし十六夜はその恐怖を呑み込み、震える指先を体で隠して気丈に振る舞う。

 それは己が豊葛を継ぐ後継者であるという自覚の表れだろうか。それとも、いつまでも震えてばかりではいられないという想いからの態度であろうか。

 どちらにせよ、それは彼らからしてみれば面白く映らなかったのは確かだ。



「調子に乗るなよ貴様!」



 次男の雨夜が前に出て、十六夜に罵声を浴びせた。



「後継ぎに選ばれたからといって、私を見下すのか? どこまでも付け上がる愚妹が……!」

「お兄様!」



 雨夜はプライドの塊だ。偉業を成して後世に名を残さなければならないという妄執に取り憑かれた彼は、時に想像を絶する被害妄想を抱くことがある。

 『自分たちに動じない態度が、後継ぎに選ばれなかった自分を馬鹿にしていることの表れなのだ』と決めつけた雨夜は暴走を始めた。


 当時は精神が不安定な高校生という時期だったことも相まって、雨夜の見当違いな怒りは留まるところを知らない。



「笑ったな? 私を嗤ったな? 愚妹の分際で、何もできぬ癖にこの私を笑ったのか! 所詮父に認められなかった愚かな兄だと哀れんだな!? 聞こえるぞ。私を嗤うお前の心の嘲りが聞こえるぞ!」



 十六夜は知っている。このようにヒステリーを起こした兄を止める術はないということを。

 こうなった雨夜を止めることはできない。少なくとも、十六夜が何かを言って説得することはできないだろう。そもそも会話が成立しないのだから。



「落ち着きなさい、雨夜」



 しかしそこで、彼の姉である千夜が止めに入った。



「私の()()はあなたみたいに先走ったりしないわよ。あの子たちはちゃーんと『待て』も『お預け』もできるし、言われたことはしっかり守るわ。あなたはそんなこともできないのかしら」



 千夜は恍惚とした表情をしながら雨夜を罵る。

 人権の尊重される現代日本においてあまりにも場違いな『奴隷』という単語を耳にして、十六夜は耳を疑った。



「流石は弩級の変態、世界も呆れかえっているわ。『お前みたいなやつに後継ぎは任せられない、十五夜こそが後継ぎに最も相応しい』……だってさ」



 生粋の加虐性癖者である姉に対し、今度は次女の十五夜(じゅうごや)が口を挟んだ。

 彼女は十六夜の二~三歳上の姉で、このときは小学校六年生だった。しかし、十六夜(いざよい)同じ小学生でありながら十五夜(じゅうごや)は発育に恵まれ、中学生と同等の体格をしている。


 その口から紡がれる言葉は、おおよその人間には理解しがたいものである。

 なにせ彼女は豊葛家の看板が持つ重責に押し潰され、名実ともに精神病を患った本物の精神異常者(パラノイド)なのだ。


 自分に都合の良い幻聴を『世界の意志』といって憚らず、しかし豊葛家という立場故に精神病棟に押し込められない最も危険な子供。それが豊葛十五夜(じゅうごや)だった。



「けっ。イカれパラノイアが」

「……」



 平気な顔で喜色の悪い事を宣う十五夜(じゅうごや)に向けて、白夜が侮蔑を隠そうともせずに毒づく。しかし十五夜はそれを聞こえなかったかのように黙殺し、何も言うことはなかった。

 自分に都合の悪い事を根から無視することができるのも、ある意味彼女の強みなのかもしれない。



「な、何がどうなっているの……?」



 突然使用人を追い払って押しかけてきたかと思えば、今度は自分を余所に仲間割れを始める兄姉たち。

 あまりにもバラバラで無秩序な彼らを前にして、十六夜は恐怖を覚えた。



「チッ! いいからさっさとするぞ。話はそれからだ!」



 あまりにもの纏まりのなさに苛ついたのか、白夜の口から命令の言葉が飛び出た。

 別にこの愚連隊のリーダーという立場でもないのだが、長男だから弟妹に命令するのは当然のことだとでも思っているのだろう。



「そうねぇ、私も早く『お楽しみ』に入りたいわぁ」

「分かってますよ兄さん。言われるまでもない」

「とっくに世界もそうするべきと言ってる。そんなことで指図するな」



 そんな兄の傲慢な考えを見透かしながらも、弟妹たちは表立っては逆らわず打ち合わせ通りに行動を始めた。


 部屋の一番奥に逃げ込んだ十六夜を追い詰めるようにして両翼を塞ぐ雨夜と十五夜。

 十六夜の正面には千夜が立ち塞がって完全に退路を断った。

 白夜だけは部屋の入り口から高みの見物を決め込んでいる。下卑(げび)た笑みを浮かべながら。



「な、何……? 何をするの?」



 ただ一人、十六夜だけが事態を全く呑み込めていなかった。背中を壁に預けたまま、自分を取り囲む兄姉たちに怯えるばかりで何も分からなかった。

 なぜ彼らがこんな事をするのか。なぜ自分は追い詰められているのか。

 そもそも彼らが自分に何の用があるのかさえ、まだ答えてもらっていない。


 恐怖に震える十六夜に、白夜は隠し切れぬ愉悦を(あら)わにしながらその答えを叩きつけた。



「……何をするのか、だって? 決まってんだろ」



 嬉しそうに……心底愉しそうな笑みを浮かべていた彼の顔を、十六夜は一生忘れたことはなかった。



「お前の全部を滅茶苦茶にしてやんだよ!」



 豊葛十六夜の運命は、この日を境に変わっていくことになる。


自戒からテンポを上げるため、時々端折った怪文書になる恐れがあります。

悪しからず。

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