#46 好奇心は炎を殺す
今回は無計画な執筆により、七千文字という長いものになってしまいました。
途中で区切ることも考えたのですが、流れが悪くなる上にいいタイミングがなかったのでこんなものになったそうです。
こんなものを書きやがった主は後で処すとして、シリアスの加速していくガリトラ☆をお楽しみください。
お嬢様の体には、数えきれないほどの古傷が刻まれていたのでした。
刃物によるのものと考えられる切り傷。
鈍器か何かで殴られたような大きい痣。
ライターで焼かれたらしき爛れた皮膚。
この三つだけではありません。
手足にお腹と胸部に、おそらく背中にも……。普段は服に隠れているだけで、全身という全身におびただしい量の古傷が、這いずった蛇の跡のように散りばめられていました。
「なんで……なんで!?」
そんな傷だらけのお嬢様の体を見たら、問わずにいられません。
「どうしてお嬢様の体には、そんなに傷があるんですか!?」
私はお嬢様が下着姿だということも忘れ、衝動的にその傷のことを半ば悲鳴のような声で問いただしてしまいました。
お嬢様が傷を負っていたという驚き。そしてお嬢様を傷つけた奴がいるという怒り。お嬢様もまた、悲劇の舞台の一人だという悲しみ。
そんな胸中に沸いた感情がぐちゃぐちゃに混ざり合い、思わず叫んでいたのです。
しかし、お嬢様は何も答えません。
「どうして……どうしてなんですか!?」
「……」
「答えてください!」
「……言えないわ」
「!?」
苦しげな表情を浮かべながら目を逸らすだけで、お嬢様は傷のことを話そうとませんでした。
それは話せないというよりかは、お嬢様の意志で話すことを拒んでいるように見えます。まるで秘密を知られることを恐れているように。
その理由が分からなくて、なおも食い下がります
「なぜですか!?」
「……それも、言えないの」
取り付く島もない、とはこのことでしょうか。
お嬢様はどこまでも訳を語るのを厭って口をつぐむだけだけです。
「そう……ですか……」
他ならぬお嬢様が断っているのですから、一介の使用人如きの私ではそれ以上どうしようもありませんでした。大人しく引き下がる事しかできません。
そこで会話がぷっつりと途切れ、重苦しい空気が漂ってきます。この気まずい雰囲気をどうしようかと悩んでいたら、お嬢様が恥ずかしそうに声を上げました。
「……わ、私は着替えるわ。あなたは外で待っていなさい」
「え? あっ、はい! 失礼しました!」
ようやく私はお嬢様の格好があられもない下着姿なのだということを思い出し、顔を九十度別方向に向けて返事をしました。
そしてお嬢様を視界に入れないよう必死で顔を背けたまま、蹴破った跡のついた扉を抜けて廊下に出ました。
「…………お嬢様…………」
扉を閉め切りお嬢様の姿が見えなくなった瞬間、膝から力が抜けていきました。
立つこともままらなくなって、扉を背にずるずると崩れ落ちていきます。こういうのを膝が笑うるというのでしたか。
激しいほどの虚脱感。何もできなかった自分に対する怒り。
痛々しい傷跡を思い返せば思い返すほど、負の感情が飽和していく感覚。
自分の心が制御不能になっていくかのよう。
そんな思いが私を横殴りに打ち据えたのです。
「……ああ言えば、私がそっとしておくと思ってるんですか?」
思い返されるお嬢様の顔。とても悲しそうで、苦しそうで、今にも泣き出しそうなほど辛そうな顔でした。
一体どれだけ悲しい過去を背負ったらあんな顔をするのでしょうか。
私には想像もつきません。私が想像できないほど、お嬢様は辛い過去を持っているのです。
そんな顔をして『放っておいて』なんか言われたって……
「そっとしておけるわけ……ないじゃないですか……」
絞り出すように私の口から出た言葉は、誰も居ない廊下へと吸い込まれていきました。
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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
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「お醤油とかつお節とお味噌に、今日に夕ご飯の食材……諸々合わせて数百キロ……重すぎる」
同じ日の夕刻。からすがかぁかぁと鳴く時間。
千春峰から帰ってきたら、セレンさんにお使いを頼まれてしまいました。曰く、お台所の調味料や食材が足りないらしく、急いで補充しなくてはならないそうです。
ちゃんと日頃から残りを確認しておいてほしいと思うとことですが、私が台所に立つようになってから食材の消費が増えたせいだ、と謎のお叱りを受けました。理不尽にもほどがある。
有無を言わさず必要なものを纏めたリストと代金を渡され、閉め出されるように近くのスーパーまで行かざるを得なくなったのがつい十分くらい前のこと。
立場の弱い付き人見習いである私は逆らうことができず、泣く泣くセレンさんに言われた通りに行動するしかなかったのでした。
今は一番近くのスーパーで、制服姿のままリストに纏められたものを次々とかごに放り込んでいます。
「働き方改革と叫ばれてはや幾年……未だ世界からパワハラは無くならず、ブラック企業は蔓延り、労働者は次々と倒れ伏していくばかり……資本主義の本懐は、斯くしてその牙を剝いたのであった」
まったく世知辛い世の中があったものです。
カリ・ユガの中にあって悪徳は栄えるばかり。ラグナロクによって大地が焼かれるのも近いでしょう。ああ、なんと末法の世でしょう。
人間が地球に刻む傷は深い……
傷、傷……傷かぁ。
「……お嬢様の、傷」
お昼に見たお嬢様の体の傷が、どうしても目に焼き付いて離れません。ふとした瞬間に脳裏に浮上してきては、堂々巡りの考えを繰り返すばかりです。
お嬢様は何も答えてくれませんでした。頑なに隠そうとするばかりで何一つとして話すことなく、学校は終わってしまいました。
あの様子では、お嬢様の傷のことを知っている人はごく一握りの人だけでしょう。
それを隠そうとする理由やどういった経緯であんな傷を負ったのかを知る人は、さらに限られてくることは想像に難くありません。
「……セレンさんなら、何か知っているかも」
長年メイド長をしているセレンさんなら、知らないなんてことはないはず。もしかしたら全容も知っているかもしれません。
聞いてみるならお嬢様ではなくセレンさんですね。折を見て伺いましょう。
「華炎さーん、そっち終わりましたー?」
「あ、上弦さん。こっちは粗方リストのものは揃いましたよー」
これからの算段を立てていると、一緒に買い物に駆り出された上弦さんが一杯になった籠を提げてこちらの方にに寄ってきました。
その量はやはり女性が持つにしてはやはり重いらしく、「うんしょ、よいしょ」とか「ぜぇー、ぜぇー」とか、時折休憩を混ぜながら歩いています。中を見れば缶詰めやビン・カンといった重めのものばかり。なるほど、それがかご一杯にあれば重くなりますね。
「それ、大丈夫ですか?」
「あ、あはははー。こんなのへっちゃらですよ! よゆ―です、よゆー」
口ではそう言っていますが、とてもそうは思えません。隠しているつもりのようでも顔には玉の汗が浮かんでいますし、かごを持つ――――というかだらんとぶら下げてる――――手はぷるぷると震えています。
誰がどう見ても上弦さんには重すぎるように見えました。
うっかり落とせば足の指を骨折してしまうかもしれません。それは同僚として、村時雨華炎として看過できない事です。
「……代金はセレンさんから貰っていますし、お会計は私がしておきますね」
「あっ、かえ――――」
上弦さんからかごをひったくるような形で無理矢理預かりました。
むぅ、これは確かに重い。腕に引っ掛けるのは私でも無理があるほどです。持ち手をしっかり握って落とさないようにしましょう。
「あの、華炎さん。流石にそれは悪いですよ。ちゃんと持っていけますから……」
「こんな重いものを持って屋敷まで十分も歩けますか?」
「あぅっ……」
上弦さんが荷物を肩代わりしたことに引け目を感じているようでしたが、それで怪我をしては元も子もありません。
お嬢様にもしたことですが、そもそも荷物持ちは男の甲斐性というもの。ここで男を見せなくてなんとしますか!
「私は平気ですよ上弦さん。それよりも、上弦さんに何かあった時の方が嫌ですから」
「はうわぁ…………」
「お会計を済ませてきますので、先に屋敷に戻っててください」
「え? あっ、分かりました!」
二つ合わせてかなり重いとはいえ、決して私が持てないレベルではない荷物です。後は私だけでもなんとかなるでしょう。
力仕事が本分ではない上弦さんだとちょっぴり不安ですし、先に戻ってもらった方が上弦さんとしてもいいと思います。
その意図を察してくれたのかどうかは疑問ですが、上弦さんはいつもの笑顔を見せると、一足先に帰るべくスーパーをとてとて出て行くのでした。
「……うーん、やっぱり上弦さんと一緒にいると癒されるなぁ」
やはり上弦さんは数少ない癒しです。貴重な癒し系キャラです。
日々の激務で疲れたとしても、上弦さんのような陽のオーラを纏う人といると疲れが吹き飛ぶというか……。とにかく元気になれますね。
一家に一台癒し系、なんていかがでしょうか。……いや、やっぱ遠慮しておきましょう。ダメ人間になってしまうかもしれない。
そんな馬鹿なことを考えながら、私は主婦たちの並ぶレジの列に並ぶのでした。
レジに並んでから十数分。割と長い時間待ちぼうけを喰らってしまいましたが、大した苦ではないので問題ありませんでした。無事にお使い完了です。
後は屋敷に帰るだけ。スーパーを出て遊歩道へ――――
「あっ……」
「おや……」
――――遊歩道へ出る前に、スーパーの駐車場で出会ってしまいました。
春にしては少し厚手のようなロングコートを着込んだ、実に見覚えのある壮年の男性。
現【豊葛グループ】を取り纏める『代表者総合会議』の議長。
そしてお嬢様のお父上である、豊葛朧さんに。
「…………」
「…………」
得も言われぬ沈黙が降りてきました。
ここは昨日ぶりですねとか、またお会いできて光栄ですとか、気の利いた台詞を言えればよかったのですが、あまりにも唐突なエンカウントのために反応が遅れてしまいました。
朧さんの方も声をかけるタイミングを逃したのか、気まずそうに視線を横に向けています。
いや、なんというか……確かに昨日「また会いましょう」とは言いましたが、あまりにも再会が早すぎるというか、想定していなかったからタイミングが悪すぎると言うか。
「えーっと、えっと、その…………こんばんわ?」
「あ、ああ。こんばんわ、赤髪のお嬢さん」
この空気をどうにかしようと頭を働かせ逆にアガった結果、実に当り障りのない使い古された挨拶が口を突いて出ました。
内心しまったと思いつつも、会話の糸口を掴めないでいた朧さんが挨拶を返してくれたおかげで、会話がつながります。
「昨日ぶりですね。朧さんはどうしてこちらに?」
「いや、なに。ちょっとした野暮用というものだよ。どんな歳になっても、ガス抜きは必要だからね」
「ふむふむ、なるほど」
つまり、朧さんはお仕事の息抜きにここへ来て、たまたま私と鉢合わせてしまったと。
それはまた数奇な数奇な巡り会わせがあったものですね。人生とは一日一日が分からないものだと、しみじみ思います。
見れば朧さんの手にはそこのスーパーで売っている市販の缶コーヒーという、世界で有数の大富豪とは思えないようなものが握られていました。
反対の手には安物の駄菓子らしきものの入ったビニール袋がぶら下げられていて、より一層その思いを強くさせます。
って、あの駄菓子は数年前に生産が三割に縮小された、普段はなかなかお目にかかれない貴重なやつ……!? な、なんてマニアックなものを買ってるんですか朧さん……
「そういう君は……なるほど、買い出しか」
「え? ああ、はい。ご明察の通りです」
朧さんは一目見て私がここにいる理由を見抜き、感心したように息を漏らします。
「いやしかし驚いたよ、君は見かけによらず力持ちなんだね」
「…………」
どきっ、と心臓が尋常じゃないほど飛び上がりました。
ば、バレてない……よね? 力のある女の子と認識されてるだけで、性別はバレてないよね……!?
気取られない程度に朧さんの顔を盗み見て、朧さんの意味深な言葉が額面通りの言葉であると確信が持てると、慌ててフォローに回ります。
「あはは、これでもフィジカルには自信がありますからねー。あははは……」
よしセーフ、問題なし。
思わぬところに落とし穴がありましたが、なんとか切り抜けることができたようです。
「あの子も君くらい運動できたら言うことはないんだが……やっぱり屋敷でも運動はしていないのかい?」
「そうですね。体型こそ黄金比率を保ってますが、運動不足気味かもしれません」
「それは困ったな。糖尿病にならなければいいが」
「従者として、私もちょっぴり不安です」
「どうにか運動するように差し向けられないものかな……」
「うーん。お嬢様をアメリカのブートキャンプに収容すれ無きにしも非ずかと……」
どうやら朧さんはお嬢様の運動嫌いの気を知っていらっしゃるようで、お嬢様が将来脂肪まみれにならないかと憂いているようです。
お嬢様のことですから、あの手この手で肥満にはならないよう手を尽くしているので大丈夫とは思いますが……どう足掻いても、少なくとも運動を嫌う悪癖は治らないと思います。
荒事なんかは全部メイドにやらせるお嬢様ですからね。その必要がないことも、運動しないことの理由に拍車をかけているのかもしれません。
親として心配する気持ちも分かりますが、どうにもならないことをそっとオブラートに包んで伝えました。南無三……
うん? 親として……? 親……お嬢様の親……?
そうか、親だ! お嬢様のお父上なら、傷のことを知っていてもおかしくないはずです!
もしかすると……という一縷の望みをかけて、私は思い切って朧さんにお嬢様の傷を知っているか尋ねてみました。
「…………あの、一つ伺ってもよろしいでしょうか」
「何かな?」
「お嬢様の体を、見たことはありますか?」
「………」
直後、背筋が凍るような感覚を覚えました。
「ぁ……」
間の抜けた悲鳴のような息漏れの音がします。
その出所は私の口でした。
言いようもないほどの恐怖が、蛇のように肌の上を這って体中に巻き付いてきます。勿論そんなものは錯覚ですが、それほどの錯覚がするほど、私は強烈な恐怖を感じたのです。
震える下あごを押さえつけ、必死で朧さんの方を見ました。
「……見たのかい?」
「――――ッッ!?」
朧さんが私を見下ろした瞬間、直前まで十全に機能していた呼吸器官が活動を停止しました。
「悪い事は言わない、君はそれを忘れた方がいい」
「……」
「それが一番幸せだ。あの子にとっても君にとっても、私にとってもね」
朧さんはそれだけ言い、私から視線をずらしました。
それだけで呼吸が正常に復活し、酸素を求めて過呼吸を引き起こします。
「はぁ、はぁっ、ハァッ!」
呼吸困難から回復した後にある独特の立ち眩み。耳が遠くなっていく感覚。視界の隅が暗く黒へ。
鈍くなった脳が、自分の身に起きている異常を診断していきます。
両手に提げたビニール袋を落とさないよう傾く体をなんとか支えて、身体機能の回復を待ちました。
今のは何だ? 朧さんは何をした? ただ睨まれただけで呼吸ができなくなったのか? という、オーバーヒート寸前の思考を抱えながら。
「あな、たは……」
「私は私だよ、赤髪のお嬢さん。何に出も首を突っ込むのは個人個人のプライバシー上よくないな」
朧さんは私に背を向けて答えます。その忠告が、いわば最後通牒であるということは私でも理解することができました。
これ以上踏み込むのなら、容赦はしないと。
朧さんから傷のことを聞きだすのは、どうやっても無理ということなのでしょう。
「さて、そろそろいい時間だ。私はもう戻らなくては」
朧さんは飲み切った缶コーヒーを近くのゴミ箱に捨てて、懐から車のキーと思しきものを取り出しました。
あの形状は……国内外でも有名な、高級ブランドの車の鍵でしょうか。テレビで見たことがあります。
「君もまだ仕事中だろう? 早く帰らないと怒られてしまうよ」
「そ、そうですね……」
そのまま朧さんは私に帰るよう促し、歩き出してしまいます。
話は終わりだ、ということでしょう。
「じゃあ、さようなら。今度こそゆっくり話をしたいものだね」
その別れの挨拶を最後に、朧さんは近くに泊まっていた高級外車に乗り込み、車を発進させて駐車場から出て行きます。
後に取り残された私は心に深く刻まれた恐怖をかみしめると共に、そのテールライトを見送ることしかできませんでした。
「……何も、聞けなかった」
結局、謎は謎を呼ぶばかり。分かったことといえば、やはりお嬢様の傷には仄暗い過去が絡んでいるということぐらい。
いえ、それでも分かったことがある分だけ収穫といえるのかもしれません。
……帰りましょう。お使いという目的は果たしたのですから、早く戻らないと。
私は後ろ髪を引かれる思いをしながら駐車場を抜け、今度こそ屋敷への帰路についたのでした。
最近の主は執筆に苦労していて、ストックが全く確保できていません。
次回以降の更新が遅れたり投稿できなかったりするかもしれませんが、何卒ご容赦くださいませ。