#44 スカーレット☆ミルキーウェイ
自分で言うのも酷く情けない感じがしますが、私――――村時雨華炎はかなりお節介な性格をしています。
お節介というと、なにかと他人を気にかけてはうっとおしいほどに世話を焼く、お前は自分のお母さんか! と言われるような人を想像するかもしれません。そういった人物はオカン、クラス委員長、大世話焼き、などと呼ばれます。
私もその例に漏れず、かつては悪ふざけ半分に『焔お母さん』などと呼ばれることもたまにありました。もっとも、呼んだやつには相応の仕打ちを与えましたが。
正直なお話をすると、私自信もどうしてこんなことをするのかよく分かっていません。
計算づくで人を助けたことはありませんし、その人助けで見返りがあった訳でもありませんでした。
けれど、私の中でどうしても困っている人を見過ごしてはならないと、悲劇を見逃がしてはならないという思いが湧き上がってくるのです。
お粗末な理由ですが、私がお節介を焼くのはそんな理由があるからなのです。
そして村時雨華炎という偽りの身分を得た今も、私はお節介な真似をして人助けをし続けていました。
「わ……わわわぁっ!?」
「――――! 危ないっっ!!」
例えば荷物を抱えた人が、重さのあまりに階段で足を滑らせたら。
「間に合った……お怪我はありませんか?」
「た……助かったぁ……ありがとうございます村時雨さん!」
頭でどうするか考えるより先に救いの手を伸ばして。
「いったぁー……あ、歩けない……」
例えば足を捻ってしまい、保健室まで行こうにも歩けない人がいたのなら。
「大丈夫ですか? 保健室まで私が運びます」
「え!? あ、ありがとう……」
休み時間ギリギリであろうとも怪我した人を抱えて保健室まで搬送。
「どうしようどうしよう、昨日の宿題忘れてた! 先生に怒られる!」
例えば出題された日々の宿題を解き忘れ、早朝から絶望に打ちひしがれる人がいたのなら。
「私のでよければ、答案をお貸ししましょうか? 途中式もあるので参考にしてみてください」
「ありがとう村時雨さん! 助かった、本当に助かった! 絶対に授業まで間に合わせて返すから!」
自業自得と見放さず蜘蛛の糸を差し向けたり。
私は千春峰においてでも、身の回りに起こる悲劇の数々を見逃がすことができませんでした。
その結果、何が引き起こされたかというと……
「あ! おはようございます村時雨さん!」
「ごきげんようお姉さま!」
「おおはよう、今日も精が出ていいるわね村時雨さん」
「お姉さまー! こっち向いてー!」
「いたぞ! お姉さまだ!」
「お姉さまだろ、お前お姉さまだろ! 握手置いてけ!」
「おはようございます上杉さん! ごきげんよう烏丸さん! はようございます先輩、今日も気合那由多パーセントです! ごめんね、ちょっと急いでます! ああ、見つかった! 追いかけてこないでくださーーーーい!!」
どういう訳か、私は千春峰の中で時の人になってしまったようなんです……
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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
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「……最近やたらとあなたの周りが騒がしいと思ったら、そんなことがあったのね」
「はい、とんだご迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません……」
同じ日のお昼休み、3-C教室にて。
セレンさんが作ってくださったお弁当をつつきながら、呆れたような目を私に向けるお嬢様。どこか責めてくる視線が肌に食い込む錯覚がががが。
居心地が悪い……
目をお嬢様の顔から逸らして、ヒリヒリする感覚を誤魔化したのでした。
「まったく、一体どんなことをしたら人助けなんかで有名人になるのやら」
ごもっともなお言葉ですが、私の方が知りたいぐらいです。
「まぁいいわ。今はそんな事より大切なことがあるもの」
お嬢様が一旦箸を置き、会話に集中するように促してきました。私も同じように音をたてずに箸を置きます。そしてちょいちょい、と指を軽く曲げるサインを出しました。恐らく「耳を貸せ」という意味でしょう。
お嬢様は自分達の会話に聞き耳をたてる輩がいないことを再三に渡って確認すると、小さな声で内緒の話を切り出してきました。
「『学生理事長』就任の件だけれど、学園長が理事会に認めさせたわ。来月の全校集会で正式に就任を発表して、活動開始という流れになるでしょうね」
「…………マジですか」
私はお嬢様の宣告に、半ば地の出た言葉遣いで真偽を問うことしかできませんでした。間違っても淑女が出していい言葉ではありません。
そしてお嬢様の口にした宣告が嘘であろうはずもなく。
「嘘だと思うのならそうなんじゃないかしら。あなたの中では」
「いっそ殺して……」
頭が痛い……
「まぁ気にすることはないわ。あなたは私の指示通りに業務をこなせばそれでいいのだから」
「それってつまり事実上の傀儡理事長じゃないですか」
「そうよ? 何か問題でも?」
「……いや、もう何も言うまい」
学園長が私の就任を認めているというのであれば、お嬢様の傀儡となることも黙認するということなのでしょう。
誰も当事者である私の意見など聞いていないのですから、ここで独り異議を唱えてもそれこそ徒労というものです。所詮私はただの駒。駒は駒らしく、長いものに巻かれる他ありませんでした。
「世界は理不尽です」
「あら、そんなことはこの宇宙が一つの矮小な火種だった頃からのことじゃない」
「神様は万物を愛し、平等に愛を与えるそうですよ?」
「愛は与えるけど何もしないでしょう? 神はとうの昔に私たちを見捨ているわ。彼らは資本主義と共産主義の熱核戦争にも知らんぷりを決め込んで、ジャンヌ・ダルクを作らなかっただから」
「神様も冷淡ですね。自分で作った物には、きちんと責任をもって最期まで面倒を見なきゃいけないというのに」
「仕方ないでしょう。だって人間もまた犬や猫を平気で捨てるのよ? 神がそんなのだから、人間もペットを捨ててしまうのよ」
「なら、もしかすると神は息絶えているのかもしれませんね」
「【神は死んだ】。ニーチェはいい言葉を残したわね」
そんな理不尽談義はさておき。
「まぁ、伝えることは伝えたわ。昼食を続けましょう」
「はい……」
そして私たちは箸を持ち直して、中断していたお昼に手を付けました。
……が、その瞬間。私たちの座る席の隣を牛乳瓶を持った先輩が通りがかります。不運なことに、彼女は蓋の開いた牛乳の方に注視していたせいで足元がお留守になっていました。
更に不運なことに、その近くの床には誰かの置いた鞄が無造作に置かれていたのです。そのことに気付けない彼女は爪先を荷物に引っ掛けてしまい、バランスを崩してしまいます。
「あ、やばっ……」
「え?」
「お嬢様!」
先輩の手にしかと握られていたはずの牛乳瓶は、転んだ拍子にスルリと抜けて宙へ。その中身の白い液体を収めたままお嬢様の頭上に飛来してきました。
その後の光景がありありと想像できる頃には、もう手遅れでした。身を挺してお嬢様を守ろうにも、席に座っているせいで身動きが取れません。
私はどうすることもできないまま、お嬢様の頭に牛乳瓶が降ってくる様を見ることしかできませんでした。
そして――――
ばしゃ! びちゃびちゃびちゃ……
「…………ついてないわ」
「わーっ!? ごめんなさいごめんなさい! ごめんなさい豊葛さん!!」
「あ、セレンさんのお弁当が……」
お嬢様は牛乳を全身に浴びて、髪や制服がすっかり白色になってしまいました。お嬢様の体面に座っていた私も同様の被害を受けています。
それを見た先輩は顔面蒼白。半ば以上パニックになりながらタオルを取り出して牛乳を拭こうとしました。
おまけにセレンさんが作ってくれたお弁当が、大変なことに……
「気にしなくていいわ。今のは事故よ」
「すいませんすいません! 本当にすいません!」
「気にしなくていいと言っているでしょう、今回は許してあげるわ。今回は……ね」
お嬢様は軽く脅迫も織り交ぜて、同じクラスの先輩を無理矢理自分から引き離します。その声にはすごみがあって、私に向けた言葉ではないと分かっていてもすくみ上りそうなほどの恐怖を感じました。
先輩は今度こそ本気で怒られると思ったのか、お嬢様の仰る通りそそこさと尻尾を撒いてその場から逃げ去りました。
そんなことより……
「お嬢様、お怪我はございませんか?」
私が見た限り、お嬢様への被害は牛乳が降り注いだ程度ですが、見えていないだけでそれ以外にも怪我をしてしまったかもしれません。牛乳瓶が当たってしまったり、など。
私はお嬢様にその類のことが起きていないか確認しながら尋ねました。
「平気よ。服と髪以外は、だけれどね……」
「よかった……」
ほっ……ひとまず外傷もなく安心できました。
しかし、その代わりに見た目が壊滅的です。あんなに綺麗だった濡れ羽色の髪は、半透明な白い液体でグラデーションがかけられていて、美しさに陰りがかかってしまっています。制服も見るからにダメでしょう。
私が口にするのは憚られますが、お嬢様がこの状態で授業に出るなど言語道断です。早急に着替えなくてはなりません。
「こうなってしまっては仕方ないわね。次の授業は一旦休んで、今からシャワー室へ向かうわよ」
思うことはお嬢様も一緒です。席を立って学校内にあるシャワー室に向かうことになりました。
予備の制服はありませんが、体育用の運動着も隣の更衣室にあります。汚れてしまった制服は、帰った後でセレンさんにお願いしましょう。きっと綺麗にしてくれるはず。
……あれ? シャワー室? もしかして私もシャワー室に行くんですか?
「あのぉ、お嬢様? 私も行くんですか?」
「当たり前でしょう」
何を聞いてんだコイツ、という顔をされました。
「いや、さもそれが常識であるかのように言わないでくれません!?」
「ようにも何も、常識そのものじゃない。あなたも牛乳を浴びたでしょう?」
それはそうですけれど……
「この程度ならシャワーに行かずとも、着替えるだけで問題ありません。制服もちょっとドライヤーで乾かせば……」
「あなたは授業中に牛乳の匂いを教室に持ち込んで、主人である私に恥をかかせたいのかしら?」
「むぐっ……」
ぐうの音も出ない正論でした。
いやしかし、芳香剤などを用いれば牛乳の匂いぐらいは誤魔化せられます。シャワーを浴びて着替える手間を考えるとこちらの方が合理的のはず。
そう反論すべく口を開きますが……
「自分じゃ見えないのかもしれないけど、あなたも髪にかなり牛乳がかかってるわよ?」
「え!?」
慌ててポケットから出した手鏡で自分の頭部を見てみると、確かに真っ赤な緋色の上から白色のミルキーウェイがかかっていました。お嬢様の指摘通りです。
その勢いで制服も再確認しはじめる私を尻目に、お嬢様が牛乳塗れのお弁当に蓋をして出口に向かってしまいます。
「ぼやぼやしてないで行くわよ」
「え!? ま、待って下さい!」
そのまま本当に教室を出て行ってしまったお嬢様の後を追いかけに、私も席を立ちました。お弁当のことは残念ですが、後でセレンさんに頭を下げるほかありません。
教室を出る際に、先輩方へお騒がせして申し訳ないと深く腰を折り曲げてから廊下を小走りで掛けました。
競歩で廊下を急げば、お嬢様には案外簡単に合流することができました。早くさっぱりしたいようで早歩き気味でしたが、そこは運動が苦手なお嬢様。私の足であっという間に追い付いてみせた次第です。
私は従者らしくお嬢様の斜め後ろの距離を保ったまま、素直に思ったことを彼女にぶつけました。
「あの、お嬢様。やっぱり良くないと思います」
「何が? この期に及んでまだガタガタ言うのかしら?」
流石のしつこさにお嬢様の声には苛立ちの色が滲んでいます。
しかし、何度でも繰り返す所存でした。
「あのですね? お嬢様がシャワーを使うのは問題が無いんです。でも、私が使うのはおかしいと言わざるを得ないと思うんですよ」
「それはどうして?」
どうしてもなにも……だって、だって私は……
「お嬢様、私は男で――――」
「しゃらっぷ。それは禁句よ」
「痛い!」
しかし、振り向いたお嬢様からチョップを貰い、その先の言葉を紡げなくなってしまいました。
貧弱なお嬢様のくせに思った以上に痛いです。
「何するんですか!」
「あのねぇ、ここでそんなことを口にしたら誰かに聞こえてしまうでしょう? それで秘密がバレたらどうするのよ」
「うっ……申し訳ありません……」
廊下で不用意に性別のことを口走ってしまったのは、確かに良くないでしょう。それは素直に認めていますし、反省しています。
しかし、それとこれとは別問題。私が言いたいのは、性別的な問題があるということなんです。
「でも、シャワー室ですよ? シャワーに入っているところを見られたら、それこそお終いじゃないですか」
生憎と、私は女装用の水着など持っていないのです。というか着たくもない。器用に服を気ながら頭を流せる自信もありません。
すなわち、生まれたままの姿で入る以外に選択肢がないということ。
そんな恰好を第三者に見られた日には、私には社会的な死を与えられデッドエンドの道を辿ってしまうでしょう。
その懸念を伝えると、お嬢様はわずかに一考する素振りを見せるも、
「問題ないわ。わざわざ授業中に浴びに来る人なんて私たち以外にいないもの」
と、考えた末に切り捨てました。
「三年間この学校に通っているけれど、授業を欠席してまでシャワー室を使う生徒がいるだなんて話は聞いたことがないわ。それこそ、私たちのように不慮の事故があった生徒以外に、ね」
どうやら過去の情報と照らし合わせたエヴィデンスに基づく予測のようです。
お嬢様は問題ないと言いますが、イレギュラーは予測できないからこそイレギュラーなのであって……。杞憂といえばそれまでですが、どうしても私は不安でした。
それに、問題はそれだけではないのです。
それだけではないのですが……
「いい加減に愚図らないで行くわよ。私は早く汚れを落としたいの! ほら!」
「わっ!? 分かりましたから引っ張らないでください! こ、転んじゃいます!」
……その重大な問題を提起することすら許されず、私は手を引かれて連行されるほかありませんでした。