#39 村雨焔は休みたい(休めるとは言っていない)
セレンさんはものすっごくエッチなことに耐性がありません。華炎ちゃんにもほとんどありません。さぁ、この二人が事故を起こしたらどうなる!?
「はああああぁぁぁぁぁ!!」
ダンッ、と鋭い踏み込み。七メートルという長い距離を、ほんの少しの歩数であっという間に詰められます。
振りかぶられる脚。その踵が私の脳天めがけて落下してきました。落下といっても、自由落下のような緩やかな速度ではありません。武術の達人が振り下ろす、超速の踵落としです。
「――――っ!!」
受け止められないと判断して落ちてくる脚の反対の足の方へ飛び込みました。次の瞬間、さっきまで私の居た空間に強烈な踵落としが炸裂し、激しい轟音を鳴り響かせます。
反動で動きが取れなくなっている隙に、もう一度距離をとりました。
危なかった……あれを受け止めようと思ったら、自動車を生身で受け止めるほどのフィジカルが要求されることでしょう。回避を選択して正解でした。
その一撃必殺を放った当の本人は私の方を見て、感心したように言います。
「……今のを避けられるとは思ってなかったわ」
「鍛えてますから。でも、お誉めに預かり光栄です」
褒められて悪い気分ではありませんでしたが、油断や慢心は今の私に不要です。
思わず緩んでしまいそうになった頬を引き締め、彼女の次の一挙一動を見逃がすまいと集中力がギアを上げました。
「言うじゃない、とても余裕そうね。でも……まだまだこれからよ!」
「来る――――!」
そして次の瞬間、再び彼女は鋭い踏み込みで彼我の距離を零にします。
速い……これが俗に言う縮地というものでしょうか。武術に明るくない私にはよく分かりませんが、たしかフィクションでは瞬間移動じみた歩法をそう呼ぶはずです。
今度は飛び込んできた勢いをそのままに、鋭いハイキックが飛んできました。
それは音速を超えたほどではないかと錯覚するほどの勢いで、反射的に逸らした頭の近くを通過したときに空気との摩擦音がしたほどです。
あれをまとも喰らっていたら、私の顔面は無残なことになっていたかもしれません。
しかし私はその蹴撃を避けきりました。ハイキックはあたれば一発K.O.ですが、その分隙が大きいハイリスクハイリターンな業です。
隙だらけになった彼女に、私は反撃の一撃を叩きこもうとしました。
「ッッッ!」
頭の横に突き出された足を片手で掴み、もう反対の手で本体に拳を打ち込み…………!!
あっ、下着見えてる……
「ぶっふぉ!!」
え? ちょっ……えぇ? ええええええ!?
なんで!? なんで見えちゃってるの!? 普通こういうスパークリングのときはスパッツ履くなりズボン履くなりして見えないようにしますよね!? どうしてそれをしてないんだこの人は!?
どうして下着を隠さないんですかぁぁぁぁぁ~~~~~!!!
罠か!? これは私に対する新手のトラップか!? 稽古でも勝つためには手段を択ばないんですか!? 汚い。流石ニンジャ汚い!
……なんて私があり得ないことで頭がオーバーヒートしていると……
「隙ありッ!」
「にゅへっ!」
片足を掴まれた状況にもかかわらず、彼女は残された足で私の頭部に追撃を仕掛けてきます。
意識が別の方向にあって完全に反応が遅れた私は回避もできず、直撃を喰らってそのまま衝撃を逃がせず後頭部から倒れ込んでしまいました。
「ぐぇっ…………」
脳天に何度も衝撃が来たせいで脳震盪を起こしました。多分手足がぴくぴく痙攣してると思います。
「…………あら? ちょっと、どうしたの?」
その様子にさしもの彼女も何かまずい事が起こったと察し、倒れたままの姿勢の私に駆け寄ってきました。その目に浮かんでいるのは困惑、疑問、警戒、それからささやかな爽快感。
私の頭を蹴り飛ばせたのがそんなに良かったんですか。
「うっ……頭が……」
「大丈夫? まさか直撃するとは思ってなくて……」
そして私は脳みそシェイクから復帰し、ゆっくりと上体を起こして状況をもう一度確認します。
上から私を心配そうに見下ろしているのはさっきまで私と試合をしていた相手……屋敷で最も優秀な足技使いのセレンさん。ついさっきもその蹴りを受けてしまいました。
「いや、だって……その……セレンさんが……ぁぅぅ……」
「私? 私がどうしたの?」
い、言えない……セレンさんがいつものメイド服を着たままだったせいで翻ったスカートの中身が見えてしまいました、なんて本人に言えるわけがない……!
そんなことを言った日には恐ろしい仕打ちが待っているに決まってます。
私が何も言わなかったために、セレンさんは自力でその原因を突き止めようと考え込む仕草をします。
すると、しばらくもしないうちにふとこんなことを言いました。
「……そういえば今日、スポーツ用スパッツを履いてなかったような……あっ」
セレンさんがそこまで言ってのけてみせると、今度はフリーズして思考を停止してしまいます。
そのままギギギギ、とぎこちなく私の方を見て……
「…………見たの?」
「……!!」←全力で首を横にスイング
見てません。
見ていませんとも。
誓って私はセレンさんの下着を見てません。
「……そう、よかった。今水色のパンツだから子供っぽいと思われなくて済んだわ」
「あれ? セレンさんって無難に清楚な白のはずでは?」
「…………」←ゴミを見る目
……あっ。
「…………ねぇ華炎、私やっと体が温まってきた頃なの。そろそろ本気で行くわよ?」
「ひいぃぃぃぃ!?」
ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!
私のバカァァァァァァァァァァァァ!!!!!
なんでそこでカマかけに引っ掛かったんですか! あんなタイミングであんなことを言ったら疑いますよね普通! ばっかじゃないの!? ばっかじゃないの!?
「逃げるなああああああ!!」
「ごめんなさぁぁああい!!」
セレンさんが怒ってる! 烈火の如く怒ってる! 本当に冗談じゃないレベルで激怒してます!
まずいまずいまずい。今のセレンさんは加減が利かないから、あの蹴りが直撃したら骨折じゃ済まないですって!
「死に晒せッ!」
ひゅぅっ……
い、今ひゅうって! 今ひゅうって!
頭のすぐ隣を足が通過しました! あれ人間が叩き出せる速さじゃないです! ソニックブームっぽいの見えました!
「止まりなさい! 止まらないと蹴るわよ!!」
「もう蹴ってるじゃないですか! そもそも蹴られたら死ぬじゃないですか!」
「じゃあ死になさい!!」
「いいいいいいいいやあああああああああああ!!!!!」
死んじゃう!
死んじゃいます!
誰か助けてぇぇぇーーーー!!!
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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
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僕の名前は村雨焔。
首都圏の郊外に住む、ごく普通の高校二年生――――になるはずだった哀れな子羊だ。
今から一か月よりちょっと前、僕はひょんなことから【豊葛グループ】という財閥の令嬢である豊葛十六夜という人に拾われ、あまりにも普通とは言い難いアブノーマリティーな生活を送るようになった。
家が燃えて帰る場所を失くした僕は彼女の下に身を寄せて、その対価に使用人として働くことで恩を返している。
具体的に言うと、僕は日中メイド服を着ている。
…………
待ってほしい。「お前は何を言ってるんだ」と思うかもしれないが、思いとどまって事情を聴いてくれないか。僕も好きこのんで着ている訳じゃないんだ。
順を追って話すとこうだ。
使用人として働くにあたって、十六夜さんは一つの条件を提示してきたのである。それは『執事ではなく、メイドとして働け(意訳込み)』という内容だったのだ。
無論僕だってそのことには再三にわたって抗議したし、メイド服も拒否はした。でも無駄だった。十六夜さんは頑として女装を取り下げることはなかったし、なんなら無理矢理にそういう風に事を進められてしまったり……。
しかも羽陽曲折の果てに僕はチンピラに誘拐されてそれを十六夜さんに助けてもらい、結局そのお礼とかも兼ねて性別を偽りながら女装メイドにならざるを得なかったのである。
…………まぁ、何よりも最大の理由として十六夜さんのカリスマ性に惹かれてしまった、というのもあるにはあるんだけど…………うん、それはまた別の話だ。多分。
しかしこの話はそれでお終いではない。もっともっと続きがある。
僕を目論み通りに女装メイドにした十六夜さんは、今度はあろう事か自分の通う女子校に編入させようとしたのだ。
財閥令嬢が通うからには、当然そこは男子禁制の花の園のお嬢様学校。男子である僕は、やはり女装してこの学校に通うことになってしまった。
僕は既に使用人という立場の上、騙される形でその編入に頷いてしまったがために拒否することができず……嗚呼、無情。
挙句の果てにはその女子校で自分の権力を伸ばそうと画策した十六夜さんは、学園長と結託して僕をたまたま空席だった理事長に無理矢理就任(!?)させられたのである。踏んだり蹴ったりも良いところだ。
おまけにその女子校には僕の幼馴染も居たり、新入生総代として妹の柴炎ちゃんが入ってきたり!
それはもう散々な目に遭って、ようやく今に至る。
知ってるか……? この一連の出来事、ぜーんぶ一ヵ月以内に起きたことなんだぜ……? 信じられるか?
ちなみに今朝は事情を理解して手助けをしてくれているメイド長のセレンさんとスパークリングをしていたんだけど…………端的に言って事故で死ぬかと思った。
しばらくは運動したくないってぐらいに走り回った。本当に死にかけたし走馬灯も見た。
あの後はクールダウンしたセレンさんが何だかんだ許してくれて、今もこうして僕は朝の空気を吸うことができている。生きてるってほんと素晴らしいね。心からそう思えるよ。
「あ゛~゛死゛ぬ゛ぅ゛。ま゛ち゛て゛死゛ね゛る゛」
そんなこんなで僕はボロッボロになりながらも宛がわれた自室に戻り、今日もメイドとしての労働に備えるべく支度をするところだった。
だったが……
「いや無理、無理無理無理。全身が痛くて動けない。一ミリたりとも動きたくない。今日はもう一切の運動ができないくらい痛い」
早朝の超過剰な運動が祟り、僕は倒れ込んだベッドの上からちっとも動けなくなってしまった。
走り回った脚は当然のこと、走るために必死に振った腕も痛いし、走り過ぎて喉や内臓も痛い。痛くないところを探す方が簡単そうなほど全身が痛いのだ。
「……今日、休もっかな……」
僕は自分の体の健康状態やそこから導き出されるパフォーマンスを鑑みて、シャワー入って寝て休むべきだと結論付け上記の独り言を言った。
まぁ、こんな労基も真っ青になるほどドのつくブラックな環境で、そんなことが叶うはずもないのだが。資本主義は労働者に残酷。社会の世知辛さを思い知った気分だ。辛い。
「ハァ……とりあえず着替えるためにもシャワー入らないと……」
僕は悲鳴を上げる躯体に鞭打ってベッドから降り、特別に部屋に備え付けられているシャワールームへ入ったのだった。
ああ、今日もこうして僕の女装塗れの一日が始まる。社会的に死なないようにするために、今日も頑張って性別を隠していこう。
ちなみに、シャワーから出るといつの間にか筋肉痛は無くなっていた。
やっぱりお風呂&シャワーの力ってすげぇんやなって。




