幕間の話 千春峰にて華炎の一日(弐)
語り手さん「……言い訳を聞いて差し上げます。なぜ遅れたんですか?」
たたろーさん「俺は悪くねぇ、俺は悪くねぇぞ! だって、先生が言ってなかったんだ!」
語り手さん「つまんない言い訳してるんじゃありません」
たたろーさん「言い訳しろって言ったのそっちジャン……」
「赤い髪の者が何の用ですか……。わざわざ冷やかしに来るなんて、随分暇そうですね」
「あーいえ、冷やかすとかそういうことじゃなくて……お困りのようですから、お手伝いできることはないかと思いまして」
「手を貸す……? ふざけたことを言わないでください。赤い髪の一族は、私たちの敵……! 敵が手を貸すなんて、天地がひっくり返っても信用できなません!」
「うーん、敵と言われましてもねぇ……」
青い髪の子は敵愾心と警戒心を剥き出しにして、私をいつだかのように睨み付けてきます。
しかし逃げないところを見ると、ひょっとして少しだけ心を開いて…………いや、迷子だからどこに逃げればいいかわからないだけみたいですね。期待した私が馬鹿でした。
「以前にも言いましたが、私は敵ではありませんよ。それに、同じ学校の生徒なんですから敵も味方もないでしょう?」
「……どうだか……」
あくまで青髪の子は私のことを信用するつもりはないそうです。これではいくら口先だけでとうにかしようとしても、どうにもなりません。ならば、信用させられる行動をとりましょう。
私は敵意を刺激しない笑みを浮かべて、にこやかに彼女へ微笑みかけました。
「私の名前は村時雨華炎と申します。クラスは2-A、好きなものは歌とお料理です。あなたのお名前は?」
「…………」
青髪の子は暫くの間訝しげにこちらの方を見つめてきましたが、一応名乗られた礼儀として彼女も名乗り返したのでした。
「天桐尉泉。クラスは言いません。勘違いしないでください、私はあなたを信用した訳じゃ……」
「尉泉ちゃんって言うんですね。私のことは華炎で構いませんから、尉泉ちゃんと呼んで構いませんか?」
「は、話を聞いていますか?」
「ええ、ちゃと聞いてます」
そうです、私は尉泉ちゃんの話を聞いた上で黙殺しているのです。新手の新入生いびり? 失礼な! これは(おそらく)人違いで私を敵視する彼女と仲良くなるための、高度な戦術と言っていただかなくては。
これぞ村雨家に伝わる村雨流処世術、『仲良しになろう(強制)』です。ネーミングが悪いのは先祖たちの責任なので悪しからず。
「それで尉泉ちゃん」
「…………私は下の名前で呼びませんからね」
「そうですか、残念です」
尉泉ちゃんのガードは堅かったものの、名前呼びを認めてもらうことはできました。まずは一歩前進です。
「それで、尉泉ちゃんはここで何をしていたんですか?」
「……言う必要があるんですか?」
それで早速本題を切り出してみましたが、不機嫌そうに眉を潜めた尉泉ちゃんに拒絶されてしまいました。少しだけ近づけたとはいえ、やはり彼女にとって私はまだ異物のままなのでしょう。
焦らずゆっくり外堀を埋めるのがいいのかもしれませんが……ここは一つ、ちょっと強引な手で信用を得ることにします。
「ありません。でも、困っているあなたを放っておいていい理由もありません」
「……それって逆に、私を助ける理由もありませんよね?」
「いいえ。私にはあなたを助ける理由があります」
「へ……?」
あくまでも助けを求めようとしない尉泉ちゃんと、彼女を手助けしてあげたい私。
どうして尉泉ちゃんが私の助けを拒むのかは分かりませんが、だからといって困っている人を見捨てていい理由にはなりません。
『目の前の悲劇を見逃してはならない』。
そんな呪縛じみた想いが、私を突き動かしていました。
「尉泉ちゃんは、迷子になってしまったのですね?」
「な、な!? べ、別に迷子なんかじゃないですし!」
直球に尉泉ちゃんが困っている理由を言ってみると、分かりやすいほどに狼狽して声律を乱していました。
思った通り迷子になっているようでした。斯く言う私も迷子になった経験者ですので、同類を見つけるのは用意なことです。ふふふ……隠しても私にはその所作だけでバレてしまうのですよ。
「な、なに笑ってるんですか! 気色悪い!」
すいません、今の言葉かなり心にグサッと来ました。
「……逆に考えるんです、心の本音を咄嗟に出してもらうことができる関係になったんだと……」
「何言ってるんですかこの人」
ともあれ、私が尉泉ちゃんを見捨てて実験室に行っていい理由はないのです。彼女の心を開かせるためにも、私がするべきことはただ一つ。私は顔を上げて、尉泉ちゃんの手を強引に取りました。
「え、ちょ、何するんですか!?」
「迷子なら案内して差し上げます。幸いにして私は二年生ですから、行きたいところを言って貰えればちゃんと連れていってあけれますよ」
まぁ、実は転入してきたばかりで言うほど熟知している訳ではないのは内緒ですが。
「け、結構です! 私は自力でなんとかするのがポリシーなんです!」
「そうですか? でも、私から見てあの様子では助けがないとずーっと迷ったままになる未来しか見えませんでしたよ?」
「あぅ、それは……」
頑なに私の手助けを拒む尉泉ちゃんでしたが、正論を一つぶつけてみれば逆ギレしたりムキになったりせず、反対に反論の余地がないことを悟って言葉に詰まってしまいました。
少々跳ねっ返りな反抗期の困ったちゃんかと思いましたが、存外そうでもないようですね。何でもかんでもちょっぴり噛みつこうとする性質には違いないものの、聡明で物分かりのいい子です。さっきの正論に対しても、反論できなかったのはちゃんと客観的に自分を見れているからでしょう。
素直でいい子、とはお世辞にも言うことはできませんが、それでもいい子であることはまず間違いありません。
私は内心、こっそり尉泉ちゃんの評価を初対面のときよりも引き上げたのでした。
「そんなに尉泉ちゃんの美学に反すると言うのなら、私のことはお節介好きな困った先輩と思ってください。それなら尉泉ちゃんが自分から助けを求めたのではなく、私の方から勝手に手助けをした、ということになるでしょう?」
「うっ、それは……」
おや? 気休め程度に言ってみたのですが思ったよりも脈がありますね。これはひょっとすると尉泉ちゃん本人のポリシーというよりも、彼女の後ろにいる人のポリシーなのかもしれません。だとするなら尉泉ちゃんの守ってるルールの穴を上手く突くようにやれば、尉泉ちゃんも納得する形でお手伝いをすることができるでしょう。
私はそんなことを頭の片隅で考えながら、ポリシーと蜘蛛の糸の間で揺らぐ尉泉ちゃんの答えを待ちました。しばらくの間「あうぅ」とか「で、でも……」だとか迷っていたようでしたが、やがて意を決したように顔を上げると小さな声でボソリと呟きます。
「……第二音楽室。次の授業の場所です……」
「音楽室ですね。分かりました、お任せください尉泉ちゃん」
「……か、勘違いしないでくださいね。私は助けなんか求めてませんし、そっちから勝手に私の手を取ってきただけなんですからね!」
「ふふふっ。ええ、お節介な私の勝手なお手伝いです。尉泉ちゃんは何も気にしなくていいですよ」
なるほど、どうしてもそこだけは譲ることができないと言うことですか。うんうん、しっかりと芯を持っているのは良い事です。彼女の前でやっていいことと悪い事の区別もしやすいですし。
ともあれ、頼まれたからには責任をもってやり遂げるのが村時雨華炎というもの。数日前に迷子になりながら校舎を探索したおかげで、ある程度の土地勘は掴めました。音楽室の場所も『だいたい』分かります。尉泉ちゃんを遅刻させてしまってもいけませんし、早く移動しましょう。
「じゃあ尉泉ちゃん、行きましょう」
短く告げて手を繋げたまま歩き出そうとすると……
「ま、待って下さい」
「どうしましたか?」
「えっと、その……」
と、尉泉ちゃんが急に手を引いて私を引き留めます。どうしたことかと彼女の方へ振り返ってみれば、泉ちゃんは真っ赤にした顔を伏せて何かを言いたそうに口ごもっていました。言いたいことがあるのは確かなようですが、何らかの理由で伝えることができないのでしょう。……お手洗いかもしれませんね。
私は尉泉ちゃんの意志を汲んで、こちらから彼女へ伝えたいことを聞きました。
「言いたいことがあるなら、遠慮せずに言ってください。暴言吐かれても笑って流せますから」
暴言の程度によりますが、とは空気を読んで言いませんでしたが。
尉泉ちゃんはその言葉を受けて、喉の奥から絞り出すように言葉を発しました。
「……ありがとう、ございます」
とても小さくて恥ずかしそうな声でした。顔も下を向いていて、耳まで真っ赤に染まっているのが分かります。しかし、きちんとありがとうと言えることができました。
私はそんな尉泉ちゃんへ、にっこりと笑いながら言葉を返します。
「どういたしまして」
そして私は尉泉ちゃんの手を引いて、尉泉ちゃんが授業に遅刻しないように音楽室へと向かうのでした。