#37 慌てるとお目当ての道具が出せない青タヌキ
※ルナは接待担当のメイドたちによって借りてる家まで送られました
「今日のお昼は楽しかったですか?」
「ええ、とても有意義で楽しかったわ」
親友と二人で昼食を楽しんだお嬢様。ルナーシア様が屋敷を去った後、私はダイニングで紅茶を飲むお嬢様に今日のお昼のことを尋ねました。
お嬢様はティーカップを揺らし、形を変える水面を見つめながら微かな笑みを浮かべます。
「ルナはとても仲良くしてくれるし、ボケッとしているように見える割にしっかりしているわ。加えて金銭感覚が鋭いから、生徒会の会計を任せているのよ」
「へぇー、ルナーシア様も生徒会役員なんですねぇ」
「それに、ルナの家の【リドリーチェ家】と【豊葛グループ】は提携関係にあるの。あれでも革命より昔はいいところの家だったから、今ではちよっとした一大企業を経営しているわ」
なるほど、そこで【豊葛グループ】と絡んできますか。
「だからルナは私個人としても、【豊葛グループ】としてもいいパートナーと言えるわ」
「なるほど。ではルナーシア様は将来的にその会社を継ぐことになるんですね」
そこで発した私の何気ない一言はしかし、思い沈黙となって返ってきました。
「…………」
「……あれ」
お嬢様は黙りこくってしまい、何の反応も示さなくなってしまいます。ともすれば、それはどう事情を説明しようかと思慮しているようでもあり……
「……私、まーた地雷踏んだ?」
そう思わざるを得ないような状況になってしまいます。
私は内心やっちまったという思いを抱きながら、お嬢様の言葉を待ちました。
やがてお嬢様が口を開くと、ルナーシア様の想像以上の身の上の話をします。
「……リドリーチェ家にはある掟があるの」
「掟?」
「簡単に言えば『長子のみが家督を継ぎ、それ以外の弟妹は必ず自立しなくてはならない』というようなものよ」
「それってつまり……」
「ルナはリドリーチェ家の長子ではないわ。だから、いずれ彼女は会社を継ぐことなく……」
そういうことだったんですね……。
ルナーシア様は家督を継げず、いつか独り立ちして暮らすしかなということなんですか……
「まぁ、当のルナ本人は気にしていないようだけれど」
「え?」
「ルナは幼少から物分かりが良かったようだし、昔から独り立ちすることを前提に生活していたのだと思うわ」
「そうか、だからルナーシア様は単身で日本に留学しているのですね」
「そうなんじゃないかしら。あの子、どうにも自分でベンチャー企業を作りたそうにしているから」
「ベンチャー企業ですかぁ」
ふむふむ。お嬢様のお話を聞く限りでは、ルナーシア様は家の掟に従ってリドリーチェ家を出ていくことを受け入れているようですね。それも大分具体的な将来像も描いている様子。
ルナーシア様本人がそれを決めているのなら、自立することで部外者の私たちが口を挟むのは筋違いというものでしょう。余計な同情はしない、そう決めました。
「まぁ、いずれにせよ彼女は私の親友よ。例え野に下ったとしても、その縁を切るなんてことはしないわ」
お嬢様のその一言によって、ひとまずルナーシア様についてのお話は終わりを迎えることになりました。
「……ふぅ、やっぱりあなたの淹れてくれるお茶は美味しいわね」
話題転換とばかりにティーカップを傾けて紅茶の感想を口にするお嬢様。私はお礼を述べて、ソーサーに置かれた空のカップにお茶を注ぎました。
白い陶磁器のカップをとぷとぷと満たしていく透明な赤色の液体。香り立つ匂いにお嬢様が頬を緩めました。
「ありがとうございますお嬢様。おかわりをどうぞ」
「頂くわ」
「けれど、どうしてもセレンさんの淹れるお茶と比べると劣ってしまうんですよね」
思い返されるのは時折休憩中にセレンさんが振る舞ってくれる紅茶の味。メイド長を務めるだけあって、そのお味は再現困難なほどに高い完成度を誇っていました。お嬢様もそんなセレンさんの紅茶が一番好きですし、悔しいですが私も自分の淹れた紅茶よりセレンさんのものの方が好きです。
年期の差、というやつですかね。伊達にベテランメイドじゃないということでしょうか。
「私はまだ二十代になったばかりよ!」
……?
今、どこからかセレンさんの声が聞こえたような……生霊?
「まぁ、かれこれセレンとは長い付き合いだから。彼女は私の好みを把握しているし、どうしたらそれを美味しく作れるかも熟知しているの」
「長い付き合いですか。どのくらいなんです?」
「そうねぇ……私がこの屋敷に引っ越す前だから、もう五年近いわね」
「……私と同じくらいにメイドをなされていたんですね、セレンさんって」
「セレンにも色々のっぴきならない事情があってね……年下だった私が預かることになったのよ」
「それはどんな事情なんですか……というのは、デリカシーに欠ける野暮な質問ですね」
「ふふふっ。弁えているじゃない、流石よ」
「これでも付き人ですから」
お嬢様はコロコロと笑い、私はクスクスと笑います。
あぁ、穏やかな時間ですね。ルナーシア様が遊びにいらしてたときも愉快で楽しい一時でしたが、こうしてお嬢様と二人きりで緩やかな時間を共にするのも心地よく感じます。実に平和で、実に幸せな瞬間と言えるでしょう。着せ替え人形として無理矢理女装させられたり、変な命令をされたりするときよりも遥かに、より望められるささやかな幸福でした。
ああ、いつまでもこんな時間を過ごせたらいいのになぁ。
なんて、そんなありもしない幻想を抱いてしまうほどに、この平穏な静寂に身を浸していました。
…………その平和な静寂こそ、あらゆるものを吹き飛ばしていく大嵐の前触れだとも知らず。
「……ところで華炎、あなた最近学校で頑張っているそうじゃない」
ふと、お嬢様がなんとなしにそんなことを言いました。その声色には自分の従者の活躍に喜んでいるかのような、そんな喜の色が滲んでいます。
私はお嬢様に褒めていただいたことが嬉しくて、思わずにやけてしまいました。
「ありがとうございますお嬢様。お嬢様の付き人という立場に恥じぬよう、これからも精一杯頑張らせて頂く所存です」
「殊勝な心がけね。それを忘れないように」
「はい」
にこやかに微笑むお嬢様。吊られて私も笑みが溢れるようでした。
「だから――――」
「?」
お嬢様が不自然に言葉を途切らせて制服のポケットをまさぐりはじます。何をしているのでしょう。何かを取り出そうとしていらっしゃるようですが……
「……あの、何をされているのですか?」
「ちょっと待ってなさい。すぐに出せるから」
「はぁ……」
私の問いには答えず、やはりポケットの中に手を入れて何かを詐欺し続けています。やがてじれったくなったのか、お嬢様はポケットから物を放り投げて目当てのものが見つかるまで容量を少なくしようとしました。
「あれでもないこれでもない……」
「ありゃーこれどっかで見たことがあるやつだぁー」
一体そのちっちゃな制服のポケットにどうやって入っていたんだ、というものがホイホイ出てきます。ヤカンにポットに風呂敷に下駄にetc……なんでやたらと二十世紀チックなものが多いんですかね。
なんて思っていたら、お嬢様の放り投げたフライパンが放物線を描きながらヒュルルル~とこっちに向かって飛んできました。
「えっ、ちょっ。待ってくださ――!?」
回避も防御も間に合わず、私はまともに顔面から真っ黒なフライパンの底面とぶち当たるのでした。
「ぶっふぉぇ!」
衝撃を吸収できず後頭部から床へ倒れます。強かに頭を打ち付けたことによって脳震盪が引き起こされ、視界の隅に星が飛びました。物凄く痛い、一瞬意識が飛んだかもしれません。
しばらくの間立ち上がることができませんでした。
「う、うーん……酷い目に逢った……」
お嬢様が物を放り投げては地面にぶつかる音を十回近く聞き遂げたところで、ようやく私は足に力を込めて立ち上がることができるようになりました。
「お嬢様……どうかダイニングを散らかさないでください……」
(なぜか)ポケットに入っていた物がダイニングの床にめいめい散らばっています。後で片付ける身にもなってほしいものです。
っていうかなんでそんなものが制服のポケットに入っているんですか。スカートから色々なものを取り出すキャラクターは結構漫画で見てきましたが、制服の内ポケットからフライパンを出す人は始めて見ましたよ。
私はそんな思いを込めて恨みがましくポケットをまさぐり続けるお嬢様を半目で睨みましたが、お目当ての物を探すのに忙しいお嬢様はそんなこと露知らず物を放り投げまくっています。
ヌカに釘というか、のれんに腕押しというか……私にフライパンがクリーンヒットしたことにも気付いてない様子。人に物当てておいてそれはないでしょう……
「そろそろ……そろそろ出てくるはず……!」
「……お嬢様……」
私はいい加減お嬢様を叱るべきかどうか悩みました。しかしそこでお嬢様はついに目的を達成して、私はお説教のタイミングを失います。
「あったわ! これよこれこれ!」
「へ?」
お嬢様はいっそ誇らしそうな面持ちで、ポケットから取り出したそれを見せ付けるように掲げました。
「……ただの紙じゃないですか」
紙です。お嬢様が取り出したのはちょっとだけ高級っぽく見えるものの、さりとて特別なものには見えない一切れの紙だったのです。制服のポケットに入ってた癖にどうしてシワ一つもないのか不思議でなりませんが、間違いなくそれは百人中百人が「紙」と言うであろう物でした。
私はなぜそんなものを出したのかと言外に問いました。
「そうね、紙よ。でも何の値打ちもない紙切れではないのよ」
「ええっと……?」
まさかとは思いますが、アイドルの○○が触った紙~、とかそういうことを言うんじゃないでしょうね。
「まぁ、こっちは裏面だからあなたから見て白紙に見えるのも仕方ないわね」
「あー。そういうことですか」
そっか。紙じゃなくて、紙に書かれた物の方に価値があるということなんですね。何が書かれているのでしょう。
「それでお嬢様、その紙には一体何が?」
「気になる?」
「はい」
「欲しい?」
「正直どうでもいいです」
「…………まぁいいわ、これあげる。頑張っているご褒美よ」
お嬢様はつまらなそうに落胆しながらも掲げた紙を投げて私に寄越しました。いつぞやにもこうやって名刺を貰いましたっけ、懐かしいなぁ。そんなノスタルジーはさておいて、私は紙に印字された文字を丁寧に目で追って声に出します。
「えーっと……」
『就任承諾書
私は、令和○○年四月三日、貴法人の【学生理事長】に選出されたので、その就任を承諾します。
令和○○年四月五日
2-A 村時雨華炎
学校法人千春峰学院』
「へぇー、学生理事長就任ですかぁ。この村時雨華炎って人、どんな人なんですか?」
「……うふふ」
大変気分が良さそうににこやかな笑みを浮かべるお嬢様から目を逸らし、もう一度紙に目を落としました。
『村時雨華炎』
私の名前です。
「……」
『学生理事長』
読んで字の如く理事長です。
「…………」
『委任承諾書』
役員などが選出された際、選出された人がそれを了承した胸をしるしたものです。
「………………」
もう一度紙を穴が開くほどよーく見て、思いました。
「なんじゃあこりゃああああ!!!!」
さて、十六夜が劇中で見せたドラ○もんよろしい「なんかないか」でしたが、実はこれ初登場ではありません。
第一章のときに華炎が無理矢理女装させられたときなど、十六夜はどこからともなく衣装を取り出していたあのシーンでも、このよくわからない謎ポケットは登場していたのです。意外な伏線回収でしたね。
…………嘘です、完全な主の後付け設定です。ここの主は何も考えていませんでした。