#34 青との邂逅
十六夜との取引で、華炎のメイクの練習を見ることになったマグノリア。
練習風景を描写してなかったのでサボってると思われているかもしれないと思い、この話が出来上がったそうです。
それでは、幼馴染同士の何とも言えない距離感をお楽しみください。
千春峰女子学院の広い敷地の一角。歴代の学園長の意向で作られた中庭の庭園の中で、二人の女子生徒が向かい合っている。
片や赤髪の生徒は邪な心など何一つない笑みを浮かべて。
片や青髪の生徒は警戒心を剥き出しにした敵意ある表情を浮かべて。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
「……赤い、髪」
「赤い髪ですね。それがどうかしましたか?」
「……赤い髪の人は、私の敵です……」
「敵、ですか? 私はあなたに危害は加えませんよ?」
「私は敵の言葉を信用しません」
「私は敵じゃありません。それより、あなたのお名前は何と言うんですか?」
「……ふんっ!」
「あっ」
「私は赤い髪の人は信用しません。赤い髪は、私たちの敵……!」
「…………行ってしまいましたね」
赤い髪の女子生徒……村時雨華炎は青い髪の少女が走り去っていった方向を見ながら、警戒されちゃったなと残念そうな顔をするのだった。
◇ ◇ ◇
「と、いうことがあってさ……」
「ふーん。じゃあその子は変態女装ロリコンが来たことに身の危険を感じて、通報するべく逃走したってことなんだ」
「……今の説明をどう解釈すればそう考えられるの!?」
入学式があったその日の正午、つまるところの放課後にて。僕は化粧室の中でクラスメイトと会話しながら、メイクの腕を上げるべく練習を重ねていた。
クラスメイトとは言わずもがな、僕の幼馴染の木暮マグノリアである。
さて、僕たちが化粧室で何をしているのかというと、ズバリ【ネオスーパーギャルによるメイクアップ講座】である。
字面のシュールさはこの際置いとくとして、内容は読んで字の如くメイク初心者である僕へのスキルアップを目的とした、集中的なメイク講習だ。
「ねぇマグノリア。この化粧品の使い方って、こんなものでいいのかな?」
「んー、いいんじゃない? 大分手慣れてきたってことっしょ。あたしの指導がいいおかげかな」
「それ僕を誉めてるように見せかけて、自画自賛してるんでしょ」
「あ、バレた?」
通算で三~四回目の講座になるが、流れはこのように雑談を交えた非常に気楽なものである。マグノリア曰く「メイクは軽い気持ちでやるもの」らしく、常に雑談を交えながらメイクするように指示されているのである。
雑談しながらできるものなのかと最初は訝しんだものだが、慣れてしまえばなんてことはない。彼女の言う通り軽い気持ちでできてしまう。
とはいえ、これは雑談会ではない。
わざわざ十六夜さんがマグノリアに頼んで開かせたメイクのスキルアップ講座なのだ。例え肩肘張らずにやるものだとしても、真剣さと真面目さ勤勉さは必要である。
もしも不真面目にやってそれが十六夜さんにチクられでもしたら……一体どんな女装地獄が待っていることやら。
これは必要なことだから学んでいるのであり、遊び半分ではないことを肝に命じねばならないだろう。
「……まぁ、そんなことわざわざ口にしなくても分かってるんだけどね……」
「ん? どったの?」
「何でもない」
さて、真面目な話はここら辺で済ませるとして…………恐らく、みんなが気になっているであろうことを説明せねばなるまい。
すなわち、「なんでお前口調変わってんの?」ということである。
これには、別に深くもなんともない理由があった。マグノリアが僕の状態でやってくれないと調子が狂うと言い、僕が了承したというだけの話なのだ。
調子が狂ったせいでいい加減な指導をされるのも困る。だから僕は下ろしていた髪をヘアバンドで纏めて、村雨焔として振る舞っている次第だ。
当然ながらこれ、非常に危険な行為である。女子しかいない環境で髪を纏めるなど、「僕は男です」と公言しているようなものだ。いくら(認めたくないが)女装が似合うとはいえ、髪を上げた姿がそのまま女の子っぽく見える訳が――――
「いやぁ、それにしたって焔は髪を纏めても女の子そのものだよねぇ……って、なんでそんな床に手をついて落ち込んでんの?」
「言うな……皆まで言うな……僕は男だよ……」
「は?」
見えちゃうの? 僕女の子に見えちゃうの? 頑張って性別を男に戻そうとしたけど、結局女装は脱却できなかったということなの……?
「神は死んだ」
「神がいくら死のうとも知らないけど、そんな馬鹿やってないで手を動かす」
「は~い…………」
ま、まぁいいよ。逆に考えると言葉遣いさえ疑問に思われなければ、この状況で他人が入ってきても女装を気取られることはないということなんだ。
今この状況で役に立っていると思えば……役に立っていると思えば……
「やっぱり嬉しくない……」
はい、この話やめやめ! 解散! 切り替えていこう。
僕は現実から目を背けるようにして化粧品を手に取ったのだった。
「……あのさ、焔」
「なに?」
そのまま前回に教えられた通りに使用していると、不意に隣のマグノリアから声をかけられた。鏡に映る彼女を見てみると、おふざけの感じられない真剣な表情をしている。
緩めていた緊張感を少しだけ張り直し、僕はマグノリアの言葉の続きを待った。やがてマグノリアは口を開くと、鏡越しの僕に向けて素朴な問いをしてくる。
「焔はあたしのこと、可愛いと思う?」
「…………どうして?」
別に返答に困ったわけじゃない。けど、その意味がよく分からなかった。だから僕は問いに問いで返した。
正直に告白するなら、僕はマグノリアを可愛いと思ってる。ネオスーパーギャルを自称するだけあって自分磨きには余念がないし、一番可愛く見せる方法も心得ている。それに加えて、彼女の根は優しいことを僕は知っているからだ。
でも、僕はあえて答えを言わなかった。
「それは僕より、他の女の子たちの方がよく分かってるんじゃないかな。意見を求めるなら男じゃなくて女の子がいいと思うけど」
「違う、それじゃだめ。焔に言ってほしい」
しかしマグノリアは僕の言葉を否定し、他のクラスメイトたちではなく僕に意見を求めた。僕は知っている、こうなったマグノリアは結構頑固になる。色々代替案を言ってみても、絶対に首を縦に振らないのだ。諦めた僕は、素直に可愛いと伝えた。
「可愛いと思ってるよ。十六夜さんとも見劣りしないくらいに、ね」
「……そこで生徒会長の名前が出てくるのは不満だけど、まぁそれで今は満足しておいてあげる」
「なぜ上から目線……?」
気になることは色々あったが、それでマグノリアの気は済んだらしい。藪をつついて蛇が出るのも困るので、僕はそれ以上何も言わずメイクの練習に戻ったのだった。
「それじゃあ今日の授業はここまで。おしまい!」
「ありがとーございましたー」
ノルマを達成し、今日のメイク講座が終了した。この講座は大抵の場合はマグノリアが一定の成果を得たと判断したら、そこで終了する方式をとっている。大体いつも三十分程度で終わるが、今回もそのくらいの時間だ。
僕はメイクをその場で落とし、うっすらと淡い色のリップを塗っていつもの簡素な化粧を施した。
「えー、あんだけ練習したのにリップグロスだけ? ちょっと傷付くんですけどー」
折角色々教えたのにその程度しかしないことが不満なのか、マグノリアがそのメイクに愚痴を溢した。
確かに手取り足取り教えてもらっておきながらほとんどメイクしないのは些か失礼だとは思うが、これにはれっきとした理由があるのだ。
「メイドというのはあまりメイクをしない職業でさ。喫茶店のコスプレ嬢ならともかく、僕たちは控え目に、そして慎ましいメイクをしなきゃいけないんだ」
「ふーん職務上の制約かぁ……」
「それに素人が一日二日で上手くなる訳じゃないんだし、初心者の僕はこのぐらいが丁度いいよ」
まぁ、結局のところ二つ目の理由が偽らざる本音だったりする。できもしないメイクに挑戦して正体がバレるとか、笑い話にもならない。やっぱりほどほどが一番だよね、ほどほどが。
マグノリアはそれで一応納得してくれたのか、それ以上メイクのことで追求してくることはなかった。
「じゃあ、僕はもう帰るよ?」
「うん。あたしはここを片付けたら帰る」
僕は先に帰ることをマグノリアに伝えると、後頭部に手を伸ばしてヘアバンドを取り払った。纏めていた後ろ髪が鳥の翼のように広がり、重力に従って緋色の幕を作る。
鏡を見れば、そこにはいつもの赤髪メイド……村時雨華炎がいた。
「ふぅ――――」
肺から息を追い出す。深い深い深呼吸。頭の中を空っぽに。真っ白に思考を塗りつぶして。
村雨焔という人格を、村時雨華炎という擬似的な人格で上書きする。
「すぅ――――」
そして新しい空気で肺を満たした。靄がかっていた頭の中がクリアになっていく。思考が村雨焔焔のそれから村時雨華炎のものへと変化する。
僕の名前は村雨焔…………いや違う、私の名前は村時雨華炎だ。
深層に《僕》の意識が封じられていく。表層に《私》の意識が顕れる。
何度も何度も自分の名前を問続け、何度も何度も「村時雨華炎」と答える。感覚が麻痺してくるまでそれを繰り返せば、村時雨華炎は実態を持って現実へと顕現するのだ。
(私の名前は村時雨華炎……私の名前は村時雨華炎……)
やがてふとしたときに、パズルのピースが当て嵌まったかのような「カチリ」という感覚を覚える。あるべきものがそこに収まったみたいに――――あるいは『あるべきもの』を追い出してそこに『代替品』を置き換えたみたいな感覚。
その瞬間から、私は村時雨華炎になるのです。
暗示をかけてからおよそ二秒未満。それだけの時間で、私は村時雨華炎になりきることができます。本当はもう少し短縮できるのですが、それをすると華炎と焔の境界線が曖昧になって戻れなくなってしまいますから、短縮するつもりはありません。
さて、お嬢様が校門近くで待ってます。あまりお待たせしてはいけませんので早く合流しましょう。
「さようなら、マグノリアさん」
「うぃー。さいならー」
私はマグノリアさんに別れの挨拶をしてから化粧室を出ようとして――――
「また明日」
「ん、またね……」
その前にまた明日もこうして会うことを約束してから、今度こそ化粧室を出ていったのでした。
最後の方で華炎ちゃんが焔君から切り替わるときの、具体的なプロセスが描写されました。彼はいっつも画面外でこんなことをしていたのです。
そして最後の方で華炎と焔の境界線がどうのこうのと言いましたが、さて…………回収はどれほど先になることやら(遠い目)。