#31 ワルイユメ・ヌクモリ
済ました顔で不自由なく振る舞う豊葛のお嬢様。
しかし、このガリトラ☆のヒロインであるからには相応の業を背負っているのであります。
今回は、そんな月のお嬢様についてのお話でございます。
月の館の主人、豊葛十六夜お嬢様は自力で起きません。ただ一つ誤解しないで頂きたいのは、自分で起きることができないのではなく、起きる必要がない、ということです。
何故ならば、お嬢様を起こすのはメイドの役目だからです。身の回りをお世話する付き人は仕える主の起床時間まで管理するのだ――――と、前任であったセレンさんが言ってました。
そういうことで、私は自分の職務にのっとってお嬢様を叩き起こしに行っています。目的地はお嬢様のお部屋。目標は多少手荒な手を使ってもおじょうさまを起床させること。
この村時雨華炎、気合、那由多パーセントであります!
……まぁ、そんな力む作業でもないんですけれどね。
日々のルーティンに組み込まれた文字通りの『作業』ですから、別段難しいことでもありません。
さて、無駄な思考で時間を潰していたらお嬢様のお部屋の前につ着きました。
ちなみにここ、私が十六夜さんに拉致されてから初めて目覚めた部屋の前です。
懐かしいなぁ。あのときはこうやって女装してメイドになるなんて露程も考えてなかったのに……おっと、それは今度にしましょう。
「いつもはノックするだけで起きるんですが……今日はどうでしょう」
私はテレビで星座占いを見るかのような気分で呟き、寝室のドアを三回叩くのでした。
「お嬢様ー。おはようございます、今日もいい天気ですよー? 起きていらっしゃいますかー?」
防音扉越しでも聞こえるよう、少し間延びした大きい声で呼びかけます。
普段はここで何かしらの返事が返ってきて、起床を確認したらそのまま厨房へ向かうのですが……
「…………」
今朝は珍しくお部屋から何の返答もありませんでした。物音一つ聞こえてきません。
防音処置がされてるからとはいえ、ちょっと静かすぎます。寝ぼけている訳でもなさそうです。
ということは、もしかしたら完全に眠っているのかもしれませんね。
「……お嬢様? 起きていらっしゃらないのなら入っちゃいますよー?」
しーん……
最後通牒のつもりで呼びかけてみましたが、やはり返事は無し。うんともすんともないです。
お嬢様のお寝坊は珍しいですが、それはそれで付き人らしい仕事ができるというもの。
私は与えられていたキーでドアの鍵を開け、少し浮ついた足取りで寝室に入るのでした。
「失礼します」
踏み込んだ室内は薄暗く、朝の訪れが一足遅いように感じられました。開けた扉から飛び込んでくる光と、僅かにカーテンの隙間から差し込む光だけが光源です。
私は弱っちい太陽からの使者の導きを頼りに、足音を立てないようゆっくりお嬢様のベッドに近寄りました。
お嬢様は天蓋付きベッドの中でうずくまるようにして掛けシーツをかけています。
このぐらい近付けば足音なり気配なりで目を覚ますこともあるのですが、今日は私の存在には全く気が付かずぐっすりと眠っているようです。
昨日、遅くまで何かをしていらっしゃったのでしょうか。
…………と、思っていたのですが。
「うっ……うぅ…………」
「え?」
ベッドのすぐ脇まで来たところで、微かな呻き声に似た寝息が聞こえてきたのです。
それを発したのは当然私ではなく、
「……お嬢様?」
お嬢様でした。
お嬢様が悪夢にうなされて、苦しそうな声を出していたのです。
「お嬢様……」
「いや……たすけて……やめ、て…………」
「お嬢様…………!」
お嬢様が悪いユメの中で、怖い目に遭っている。
誰も助けてくれないユメの中で、ひとりぼっちになりながら恐怖に怯えている。
ベッドで震えるお嬢様を見て、私はせめてその苦痛が和らぐようにと、そっと手を握って差し上げることしかできませんでした。
「大丈夫です、お嬢様。私が……僕がついていますから」
昔お母さんが教えてくれました。
怖い夢を見ている人がいたら、そっと手を握ってあげるのがいいんだと。人の温もりが悪夢を打ち払うのだと。
お母さんがかつて私にそうしてくれたように、私もお嬢様の手を取って温もりを分け与えたのでした。
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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
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私、豊葛十六夜は悪夢を見ていた。
幼き頃の日常、私の人格を作り上げた地獄の日々、あの耐え難い記憶が夢として襲い掛かって来たのだ。
思い出される鉄の扉。
フラッシュバックする血溜まり。
そして――――私に暴力を加える兄姉たち。
私は夢の中で四人の兄と姉に囲まれ、足蹴にされたり殴られたりしていたのだ。
「オラッ! クソガキが! 俺様の力を思い知れ!」
兄弟姉妹の中で最も体の大きい長兄が、床に転がされた私の腹を何度も何度も蹴る。
私は必死にその痛みに耐えながら、すぐ傍で何もせずにこちらを見つめる長姉に助けを求めた。
「あう! 痛い! やだ! やめて白夜お兄様! 助けて千夜お姉様!」
しかし彼女は恍惚とした笑みを私に向けるだけで、何もせず傍観を続けた。
「うっふふふふ! い・や・よ。だって、今の十六夜はと~っても素敵な顔をしてるんだもの」
「どうして……あぐっ! やめて!」
「うるせぇな! お前ごときがやめろだなんて指示すんなよ!」
なぜ助けてくれないのか、どうして何にもしてくれないのか。
その理由を問おうと口を開いたところで、再び長兄の蹴りが私を襲った。
「兄さん、そろそろ代わってくれませんか? 丁度私も苛々してたところなんですよ」
続けて二~三回ほど蹴られると、今度は壁際でパソコンを操作していた次兄が声をあげた。
会社の経営が上手くいかなかったのか、その顔には分かりやすいほどの苛立ちが滲んでいる。
長兄は次兄にも一抹の目障りさを感じているが、相手にしたときの面倒くささは彼も知るところだ。長兄は私を無造作に蹴り転がすと、そのまま次兄に場所を譲った。
「あぁ? そんなにこいつをボコりてぇのか? 仕方ねぇなぁ……オラ、好きなだけ甚振れよ」
「感謝しますよ兄さん……クククク……」
次兄は体の調子を確かめるように関節を鳴らし、殴った拳が傷付くのを嫌ってグローブを嵌める。
私は冷たい床に這いつくばりながら、彼がわざとらしい靴音を立てて迫り来る光景を見ることしかできなかった。
「お兄様……? 雨夜お兄様? 何を……」
「何をって、決まってるだろう? お兄さんたちからの『躾』にも我慢できない愚妹に、お仕置きを与えるんだッ……よォ!」
「あうっ……! ぃ、ぁ……!!」
次兄は私を仰向けの状態にし、馬乗りになって上から私の首を締め上げた。
体外と肺までの気道が塞がれた私は悲鳴をあげることすらできなかった。
「――――!! ――――ッ!?」
「苦しいか? 苦しいよなあ! もっともがき苦しめよこの愚妹が! もっと私を楽しませろよ。なぁ!?」
首絞めを窒息しない程度に留めた次兄は両手を私の首から離し、馬乗りになったまま私の顔を殴打しはじめる。
長兄は暴力が発覚するのを恐れて顔を殴ることはしなかったが、次兄は恐れることなく私の顔を殴ってきた。
デスクワークばかりしているため元々長兄よりも力の弱い次兄だが、だからこそ傷が残らない程度に私を殴るのには適していたのだろう。
次兄は何度も何度も、私の顔を打ち据える。
「感謝しろよ役立たずの愚妹! クズ! 私のストレス解消サンドバッグとして働けることを光栄に思え! ヒハハハハ!!」
何度も何度も。
何度も何度も。
何度も何度も何度も何度も…………
私は耐えてもキリがない痛みから逃れるために、何も考えず、何も思わない、何も感じることのない人形になりきった。
やがて私が殴られるたびに反応を楽しんでいた長姉は不満げな表情をし、私をそこまで追い込んだ次兄に苦言を呈した。
「ちょっと雨夜、十六夜が何も喋らなくなっちゃったじゃない。詰まんないわ、彼女を鳴かせて頂戴」
「うるさいなぁ姉さん。私はただストレスの解消に『スポーツ』をしているだけですよ。あなたの倒錯趣味に付き合ってるわけじゃないんです」
「ごちゃごちゃ文句垂れてねぇでさっさとしろ。俺はまだまだボコし足りねぇんだ、早くしなきゃお前ごと殴り倒すぞ雨夜」
「はいはい分かりましたよ兄さん。あーあ、サンドバッグのせいで怒られちゃいました。この始末をどうするんだ……なあ!?」
兄弟姉妹で言い争っているその様は、何度見ても無様だし情けない。
ただ一つの椅子のために結託したり敵対したりする彼らに、いい加減うんざりする気分だった。私はああなりたくないとずっと思っていた。
やがて話の矛先は私から逸れていき、部屋の隅で我関せずとばかりに何かの予言書を読んでいた次姉に向かっていった。
「おい十五夜。お前はやらねぇのか?」
「あなたもこの素敵な催しに入らない? とても気持ちいいわよ?」
「どうでもいいけどさっ、私のっ、邪魔はっ、するなよっ!」
済ました顔で予言書をめくる次姉は彼らに対して冷たく機械的に、しかし確実に狂気を孕んだ言葉で言う。
そんな彼女に長兄は唾を吐いた。
「どうでもいいわ。だって、世界は私に対して何も言ってこないもの。世界が何も言わないのなら私には関係のないことよ」
「ケッ、イカレパラノイアが」
――――ここは地獄だ。
これは決して夢の中の妄想などではない。過去の体験を、夢として追体験しているのである。
そして私は、もうカウントをするのもバカらしいほどこんな夢を見てきた。
コンプレックスを抱く長兄には蹴られ、長姉には嗜虐心を満たすためになぶられ、次兄にストレスの捌け口とされ、次姉から『世界の意思』という妄想のもとに理不尽な仕打ちを受けてきた。
私はもうこんな夢を見たくない。
豊葛の本家から出て、自分だけの屋敷と地位を勝ち取り、それで地獄の日々から抜け出したというのにまだ苦しめられているのだ。
私の心は、いつまでたってもあの出来事を忘れられていない。真の意味で私は解放されない。
「いや……助けて……もう止めて……」
私は掠れそうな声で、誰も応えてくれない助けを呼ぶことしかできなかった。
――――大丈夫です、お嬢様。私が……僕がついていますから――――
誰も応えてくれない、はずだった。
誰も聞くことのないはずだった。
誰も助けてくれないはずだったのに……
なのに、それなのに私の声をしかと聞いた人がいたのだ。
「華炎……? 華炎なの……?」
その声を聞いた瞬間に、私は誰の声なのかをすぐに理解した。
雨のような優しさと、炎のような温もりを宿した少年の声だったのだ。
そして私はその温もりに包まれて、悪夢の中から浮かび上がっていった。
◇ ◇ ◇
「おはようございます、お嬢様。ご気分は如何ですか?」
悪夢を乗り越えて目を覚ませば、赤い髪をした従者が私のベッドの脇に立ってこちらの顔を覗き込んでいた。
「ん…………華炎……?」
「はい。村時雨華炎です」
やや寝ぼけ気味な声で問うと、華炎は柔らかく微笑んで肯定する。
私はようやくそこで現実に帰ってきたのだと認識することができた。
部屋の柱時計を見れば朝六時半ば。
彼は毎日の職務に従って私を起こしに来たのだろう。
私は少しずつ正常を取り戻していく心拍数の音を聞きながら、側にいる華炎にポツリと語った。
「……嫌な夢を見たわ」
「ええ、とてもお辛そうでした」
華炎は励ますことも、同情することもなくただ相槌を打つだけだ。
その顔に慈しみを浮かべて、真剣に私の話に耳を傾けている。
「……手を、握ってくれていたの?」
私の手を、華炎の暖かい手が握っていることに気が付いた。
そのことを尋ねれば、彼はちょっとだけ申し訳なさそうにした。
「少しでもその恐怖が和らげることがてきたら、と思って……ご迷惑でしたか?」
「いいえ……気にしなくていいわ」
そうか、華炎が手を握ってくれたいたんだ。
だから私はあの温もりに……
私はベッドから上体を起こして、華炎に退室するように指示を出した。
「ありがとう、もう下がっていいわ。あなたは朝食の用意をして」
「かしこまりました。お嬢様もお早めに食堂へお越しくださいね」
「ええ、分かったわ」
「では、失礼します」
一礼をして、華炎はそのまま寝室を出て行った。
誰も居なくなった部屋で私はさっきまで見ていた悪夢のことを思い返す。
かつて受けていた兄姉たちからの暴力。そこから救い出してくれた華炎の言葉。
「……ありがとう、焔くん……」
救われたような気持ちを抱いて、私はベッドから出たのだった。
当然の話ではございますが、これで十六夜の好感度が爆上げとかそういうものはありません。多少上がっているにしても、かなり少な目です。
好感度上昇量が微量なのにも理由はありますが、それは十六夜のエピソードの時にでも。
それではまた次回に。