#28 今日はさようなら、また明日
・木暮マグノリア
華炎が所属することになった2-Aのクラスメイトの一人。天然のプラチナブロンドの髪を持つ外国の流れを汲む少女。千春峰女子学院唯一のギャルで、自称【ネオスーパーギャル】。
一般家庭の出で、両親は共に存命。しかし離婚しているため今は母方の旧姓を名乗っている。離婚する前までは【深山マグノリア】だった。
かつて焔が独り暮らしをする前、中学校の途中まで仲良く接していた幼馴染。当時はまだ父方の姓を名乗っていた上に髪を黒く染めていたので、村時雨華炎に扮した焔は彼女が幼馴染と見抜けなかった。
逆にマグノリアは初めて華炎を見たときからその正体に勘づいていた。
十六夜さん、マグノリア、それからセレンさんの三人による僕いじめが一段落したところで、嗜虐心を満たされた十六夜さんは会議のもう一つの隠された本題へ移った。
すなわち、僕の正体を知ったマグノリアへの処置を。
「では真面目な話をするとして……木暮さん、少し質問をいいかしら?」
「はい? 何ですか?」
いきなり名前を呼ばれたマグノリアは少し呆気にとられたような表情を見せたが、すぐに引き締め直して臨戦態勢を整えた。
「あなたは華炎の正体を知ってしまったけれど、それは私たちにとって好ましいものとはいえないわ」
「……まあ、女子校に男子がいたらまずいですよね」
「その通り。もしもバレてしまったら、面白くないことが起こるわ」
「それは、あたしに対する脅迫ですか?」
「さあ? どう捉えても構わないけど、そう思ってるのならそういうことじゃない?」
マグノリアがプレッシャーに気圧されて冷や汗を浮かべながらも、十六夜さんに向かって気丈に立ち向かっている。
セレンさんはともかく、十六夜さんはそんな様子を見て楽しそうにしているように見えるのは気のせいかな? ティーカップを傾ける素振りで誤魔化してるけど、口の端が歪んでるし、気のせいじゃないと思う。
「無いとは思いますけど、『不幸な事故』は嫌なので他人に言いふらしたりなんかしません」
「ええ、賢明な判断ね」
話の意図を察したマグノリアは両手を上げて『白旗』を示した。
白旗。降参や降伏の意味を持ち、これ以上抵抗したりしないことを表す際に用いられる。
要するに十六夜さんは僕の秘密が漏れないよう、遠回しに釘を刺したということなのだ。
「ということで、もし木暮さんが告げ口でもしたのなら速攻で東京湾に沈めるということで合致したわね」
「ちょっ……」
「笑えませんよ十六夜さん。ブラックジョークすぎます」
そういう一般人いじめよくないと思いま-す。ダメゼッタイ。
精一杯強がってみせたマグノリアも、さすがにこの発言には顔を青ざめさせていた。
冗談とはいえなんて酷い事を…………いや冗談、だよね……?
「冗談よ、冗談……多分ね」
……多分って何!?
十六夜さんは今度こそ包み隠さず愉悦に染め上げられた表情を露わにした。
「まぁ、それをするもしないも木暮さん次第よ」
「あたし次第?」
首を傾げるマグノリア。そんな彼女に対し、十六夜さんは選択肢のない選択を与える。
さながら大きな権力を持った上司が残業してほしいんだけど頼める? と、半ば命令するかのように。
「……あたしは何をすれば?」
自分に選択の余地がない事を知っているマグノリアは余計な勘繰りをせず、ストレートに十六夜さんからの要求を聞きだした。
「別に難しい事じゃないわよ? ただ、焔君の秘密がこれ以上他人にバレてしまわないよう、手助けをしてほしいの」
「手助け?」
「心配しなくてもいいわ。簡単なことよ」
十六夜さんはあたかも未だに選択肢が残っているかのような口ぶりで説明を続ける。
「木暮さん、確かお化粧が上手だったでしょう? その技術や知識を焔君に教えてあげてもらえないかしら?」
……なるほど、十六夜さんは取引がしたいらしい。
要約するとこうだ。
『お前は我々の秘密を知った、知ったからにはただじゃあ済ませられない。しかし、こちらの指示に従えば何もしないでやる。拒否すれば……分かってるな?』
実際にこんなことは言っていないが、そういうつもりで十六夜さんは言っているだろうし、マグノリアも同様に受け止めているだろう。
十六夜さんが相当強く出ているように見えるが、マグノリアが秘密を告げ口すればそれだけで立場は一気に瓦解するのだから、ある意味当然か。
「分かりました。どのみちあたしには拒否権なんかないんだ、喜んで引き受けさせていただきます」
半ば諦観に近い感情を抱いたマグノリアは文句の一つもなく、無抵抗に十六夜さんの提示した条件を飲んだ。
十六夜さんは満足そうに微笑んでまたティーカップを傾けた。
「素直な子は好きよ。交渉成立ね」
そしてその一言により、この会議はお開きとなるのであった。
◇ ◇ ◇
僕の情報の共有とマグノリアさんの処遇を決めた会議が終わり、息抜きのためにお茶を用意していたら、不意にマグノリアから声をかけられた。
「あのさ、焔」
お茶淹れ作業に一段落つけて振り向けば、マグノリアはなにやら神妙な面持ちでこちらを見つめていた。
その顔色が変なのはさっきの会議で気疲れしたから……という理由だけではないだろう。聞いてみるだけ話を聞いてみよう。
「どうしたのマグノリア?」
「焔はさ、なんで生徒会長のとこでメイドなんてしてるの?」
飛び出してきた言葉は僕への問いかけだった。
僕が女装をしてでもメイドになり、付き人見習いという肩書きの下に十六夜さんに仕えている理由。
中学校の頃は着ないと誓っていたレディース服――より正確にはメイド服――を身を纏い、たった一人の少女のために身を捧げている理由。
マグノリアはそのワケが知りたいらしい。
僕は右手をあごの下に添え、考える素振りをしながら答えた。
「そうだね…………一番もっともらしい理由を言うなら、『恩返し』かな」
「恩返し?」
「うん。恩返し」
実は本当の理由がもう一つあるんだけど、それは言わなくていいかな。言ったらドン引きされる気がするし。
「僕はどうしようもなく行き詰まってたときに、たまたまそこにいた十六夜さんに拾われたんだよね」
「生徒会長に?」
それから僕は本当の理由を隠しつつ、マグノリアを納得させられるように言葉を選んで説明をした。
「メイドになるよう勧誘されて、一度目は断ったんだ」
「めっちゃ女装嫌がってたしねー」
「でもその後、色々あってセレンさんにバレちゃってさ……」
「……その見た目でバレるもんなの!?」
驚くところそこなの?
いや、僕だってまさかあの場面でバレるとは思ってなかったし、『あんな事故』が無ければセレンさんも気付かなかっただろう。
セレンさんの名誉のために委細は言わないけど、お互いに嫌な事故だったよ、うん。
「で、屋敷を追い出されたらチンピラたちに誘拐されたの」
「…………んんん???」
「正直僕もどうなることかと思ったけど、十六夜さんたちが黒服着こんだメイドさんたちを連れて助けに来てくれたんだ」
「そっかー……」
「……聞いてるの?」
「いやー、なんかお腹いっぱいというかー……」
マグノリアは僕の話が進むにつれて頭を抱えるようになり、段々と反応が鈍くなっていった。
どうしたのかと顔を覗き込んでみたが、余計に疲れが目に見えて表面化しているように見える。
やっぱり会議で消耗した分がここで一気に来たのだろう。多分、まだ十六夜さんの屋敷にいるから疲れが抜けないんだろうな。
これ以上は体に毒だ。
僕は静かにティーカップを弄ぶ十六夜さんに、そろそろマグノリアを帰させてあげるように頼んだ。
「十六夜さん、ちょっとマグノリアの体調がよくないみたいです。家にお帰した方がいいかもしれません」
「え、ちょ、焔!?」
「あらそうなの? それは気付かなかったわ、ごめんなさい木暮さん。あまり屋敷に留めておくのも無粋というものね」
十六夜さんは折角招いた客人兼同志兼玩具を帰してしまうことを残念そうにしていたが、引き留めずに送り帰す意見を認めてくれた。
そのやり取りを聞いていたセレンさんが、客人対応マニュアルに沿って私に指示を出した。
「焔、お嬢様の方は私がやっておくから、あなたはその子をできるところまでお見送りしなさい」
「はーい。この紅茶お願いしますね」
自分のロールも決められたことだし、早速指示の通りお見送りの準備をしよう。
ゴムバンドで束ねた髪を下ろし、意識を『僕』から『私』へ。
「ふぅー……」
自分をより一層深いところまで女性に近づくイメージで、疑似的な二重人格状態にして……
「すぅ――――では、最寄りの駅までお見送りします。行きましょうマグノリアさん」
「え? あ、うん……そだね」
椅子に座っていたマグノリアさんの手を取り、私は立ち上がるように促しました。
マグノリアさんは目の前で纏う空気と雰囲気の変わった私に困惑しているのか、反応が遅れ気味です。
確かに、目の前でよく知ってる人が猫を被ったみたいに別人になったら、そりゃあ驚きますよね。私もお嬢様がいきなり慈善活動する善人になったら戸惑う自信があります。
「(私の場合は猫を被るどころか、『猫に成りすましている』と表現する方が正確かもしれませんが)」
とはいえ、それはどうでもいいんです。
私のお仕事は、マグノリアさんを屋敷から一番近い電車の駅まで送って差し上げること。
セレンさんとお嬢様に命令された以上、私のするべきことはそれが優先です。
「さ、こちらへどうぞ」
やんわりとマグノリアさんを椅子から立たせ、そのまま手を引きながら応接室の外までエスコートしました。
「ほ、焔? 手……!」
「今の私は焔じゃなくて華炎です。バレちゃうからそっちの名前で呼ばないでくださいね」
彼女は何やら繋いだ手の方に視線をやって慌てている様子でしたが、気にしても仕方がありません。
「ではお嬢様、また後程に」
「ええ、後でね華炎」
最後にお嬢様と言葉を交わしてから、私たちは応接室を後にしました。
「だからっ、手! なんであたしの手を握ってんの!?」
――――後ろで何故か狼狽えるマグノリアさんを無視して。
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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
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屋敷から徒歩十分。
郊外らしく閑散とした道を歩いていけば、急行も止まらないこじんまりとした駅がそこにあります。
昔はここら辺も栄えてて急行が止まる大きな駅だったそうですが、人口の減少と維持費の増加から縮小され、今の侘しい姿になったのだとか。
駅前にも目を向ければどこもかしこもシャッターだらけです。今となってはかつての栄光の面影を感じさせるのみで、しわぶき一つもないほどの静寂に包まれていました。
「……盛者必衰の理、ですか」
「それって、あれでしょ? 平家物語」
「はい、中学校の国語で暗記させられたアレですね。思い出しました?」
「……うん、忘れる訳ないじゃん……」
そんな間っ昼間の街並みを見て、私は思わず『栄える者は必ず滅ぶのだ』ということを歌った、昔の軍記物語を思い出していました。
その呟きに対して、マグノリアさんは的確に出典を中ててみせます。流石ネオスーパーギャル、いい記憶力をしていました。
形あるものは須らく滅びます。
全ての生命は滅びるようデザインされています。
万物は流転し、移ろがないものなどないのです。
時の人も、競争の勝利者も、栄光を手にした権力者も、惑星の頂点に君臨した生物種も、いつかの未来には衰え、滅び、そしてその痕跡を残して朽ち果てるものなのです。
きっとここも、その理の中に消えていった場所なのでしょう。
「――――ま、だから何だって話ですね」
シリアスっぽくナレーションしてみましたが、要するに寂れたシャッター街だというだけのことです。
それ以上でもそれ以下でもありません。
私はなんの面白みもない市街から目を逸らし、どこか所在なさげにしているマグノリアさんの方を見ました。
「この駅からの帰り道は分かりますよね?」
「大丈夫、あたしの家からそんな離れたとこじゃないし、こっからは一人で帰れるよ。付き添ってくれてありがと」
マグノリアさんは決して私に目を合わせようとせず、どこか遠くを見るようにしながらお礼を言います。
なんとなく余所余所しいというか……避けられてるのでしょうか。
こういうときは、あまり触れずにそっとしておく方がいいのかもしれません。
ここで今日はお別れをしましょう。
「じゃ、あたしは帰るよ……」
「はい、お気を付けて」
その言葉を最後に、マグノリアさんは改札へと向かって行きます。
「…………」
私は背を向けて遠くなっていく金色を見つめて、無性にある一言を言いたい気分になりました。
「また明日」
するとマグノリアさんはその場で立ち止まり、こちらに振り向いて微笑みます。
「うん……また学校で」
そして彼女はプラットホームへ下る階段の向こうに消えていき、見えなくなりました。
……ええ、明日になればまた会えます。
だから今日はちょっと上手く行かなくても、明日お話すればいいんです。
今日はもう帰りましょう。まだお昼ですから仕事もありますしね。
「……またね、マグノリア」
私は踵を返し、来た道を引き返して屋敷に帰りました。