#2 修正の日
今回は話の切りがよくつきませんでしたので、大分短めです。
「あなた、私の屋敷でメイドにならないかしら」
「……………………えええぇぇぇ!?」
「あなたが欲しいわ。ええ、それはもう喉から手が出るほど。世界中のどこを探したとしても、あなたのような人がみつかることはないでしょうね」
メイド? メイドというとあれだろうか。日本語で言う家政婦、お手伝いさん。富豪が一人二人くらい雇うあの? 僕がそれになるだって?
……なんの冗談だ。僕は男なのに、メイドというのはおかしい。あれか。女じゃなければ女装すればいいじゃないというカオス理論か? 男であるこの僕へメイド服に袖を通せと。
色々と言いたくなって口を開いた瞬間、少女は先んじて言葉を発して僕を遮った。僕にその先を言わせないために。
「そうそう。拒否権はないわ」
「お、横暴だぁ……」
僕の意思は無視ですか、そうですか。人権なんて無かった。
そういえば古来から使用人とは主人と対等な人格を認められなかったんだよなぁ、と心の中で諦観にも似た思いを抱きながらそんな雑学を思い出した。無意識下で作動した、苦痛を紛らわそうとする機能だったのだろうか。本当に気休め程度にしかならなかったけど。
「……交渉。そう、交渉です! 労働者と使用者の間で締結する労働契約というものがありまして――――」
「あら、そんなものがあると思うの?」
「世の中には労使対等という言葉があってですね――――?」
「甘いわね。そんなものは理想論よ」
「労基も真っ青だぁ……」
少女は身も蓋も無く言い放った。国が法律で定めた原則を、こともあろうに理想論だと切って捨てたのだ。僕の苦し紛れの抗議など、彼女の前では何の役にも立たない。
「私は個人的に気に入った女の子は全てメイドにするって決めてるのよ」
「じゃあ僕は男なのでメイドにはなりませんね。はい、QED」
「安心しなさい。あなたの性別は『男の娘』であって、決して男ではないわ」
一体どこにどう安心する要素があるというのか。どうやら道理を蹴飛ばしてでも彼女は僕をメイドにしたいらしい。
「……よし逃げよう。逃げましょう」
そうなると僕の決断は非常に早かった。僕は全速力でこの場から逃げるために、踵を返して少女に背を向けることを選んだ。脳内で逃走のイメージを固め、僕は実際に行動に移そうとして――――
「〈待ちなさい〉」
「ッッッ!?」
逃げ出すどころか、背を向けることすらできなかった。まるで金縛りにあったかのように体が動かなくなり、一連の動作ができなくなったからだ。
「な、何が……!?」
金縛り中でも口は動くらしい。僕はいきなり動かなくなった手足をどうにか動かそうとして、とにかく身体中の至るところに力を入れてみた。しかしそれが功を奏することはなく、体はちっとも言うことを聞いてくれやしない。クスクス、と声がした。首が動かないので目だけをそちらに向かせると、少女が実に面白そうに笑っていた。
「逃げようとするものだから、つい」
「催眠、術……!?」
……この金縛りは、彼女が元凶? 状況的にはそれが一番考えられるけど、どうにも信じられなかった。金縛りを人為的に引き起こしていることが信じられなかったのだ。混乱する僕をよそに少女は言葉を続ける。
「ちょっと予定がずれてしまったけれど、このまま連行するのもありかしら」
「れ、連行……?」
「拉致、とも言うわね」
背筋にぞわぞわと悪寒が走った。僕でも分かる。これは、すごくまずい……。だって、少女の浮かべる笑顔が、獲物を見つめる獣のようなギラついた笑みに変わっていたのだから。
「ぼっ、ぼぼぼ僕をどうするつもりですか!?」
「どうするって? 決まっているわ、あなたを私のお人形さんにするの」
「ひぇっ……」
ダイレクトに身の危険を感じた。どうにかして不可視の拘束から逃れようと必死の思いで暴れたが、それでも金縛りにかかった手足は動いてくれない。身体中から嫌な汗が出てくる。
「何も怖がることはないわ」
かつかつかつ。
少女が足音をたてながら近づいてくる。その言葉とは裏腹に、明らかに恐怖を刻み付けようとしているのだ。身動ぎの一つもできない僕の目の前で止まり、顔を覗き込むようにして僕の目を見た。
「さぁ、〈お眠りなさい〉。目を覚ます頃には何もかも終わっているから」
眠気が少女の言葉と同時にやってくきた。抗いがたい本能的な欲求が眠りの縁へと僕を誘う。けど、僕はそれに従ってはいけない気がして逆らった。
「や、やだ……! 眠くなんかない……! 眠っちゃダメ……!」
だ、だめだ。この眠気はだめだ!
瞼は落ちない、けれども意識は薄らぐ。それで僕はこれが普通の眠りではないことに気がついた。体と精神を休める通常の睡眠ではなく、僕の意識だけを眠らせる何か特別な――――あるいは異常なものだ。絶対に従ってはならない。寝てしまえば取り返しがつかなくなる。そんな気がしてならない。
「随分強情ね……なら、重ねるだけよ。〈眠りなさい。あなたの意識だけ眠りなさい〉」
「うぁ……寝ちゃだめ……なのに……」
更に眠らせようとする何かの力が強くなった。既に言葉は途切れ途切れになりつつある。
「やめ、て……」
「いいのよ、それでいいの。ゆっくりお休みなさい」
沈む、沈む。意識だけが眠りの海へと沈んでいく。ヒュプノスの誘いは、確実に僕を捉えていた。
「〈眠りなさい。〉〈そのまま落ちていきなさい〉」
声が遠のいた。
意識が靄に包まれる。
体は覚醒したまま意識だけが微睡む変な感覚を感じながら、僕は少女の命じるまま眠りに落ちていく。
「ふふ、いい子ね」
「…………」
意識だけが眠りについた少年の体を少女が抱き留める。生気の抜けた光ない光彩を見て、彼女は無事に焔の意識だけを消失させたことを確信した。彼女はとても満足げに悦の顔を浮かばせる。それはもう、欲しくて欲しくてたまらなかった玩具を手に入れた子供のそれだ。
「こんな天然ものの男の娘なんて一生に一度見ることのできる……いいえ、地球に二人としていない貴重な子よ。それをみすみす逃すなんて、この私がするわけがないじゃない……」
そう言いながら、少女は自分の鞄の中身をゴソゴソと探り始めた。だらしのないにやけた笑みを浮かべて。ともすれば完全に不審者のようだが、こんなシャッター街のしかも路地裏など誰も通るはずがない。おかげで少女は人目を憚ることなくお目当てのものを探し当てることができたのだった。
しかし、結局彼女が取り出したものはただの携帯であった。何の変哲もない、タッチパネル式の一般向け携帯だ。少女は手慣れた手つきでパネルの上に指を走らせ、それから上部を耳元に宛がう。どうやらどこかへと電話をかけるつもりらしい。
「さて、セレンは今頃どうしている頃かしら……」
彼女がぽつりと言葉を漏らし、それからワンコール。直後、携帯のスピーカーから電話先の者の声が聞こえてきた。
『はい、月詠です。今どちらをほっつき歩いておいでに?』
電話の向こうからは聞き慣れた、それも随分とお怒りの様子の従者の声がする。ワンコールで出るあたりは本当によく訓練されているとおもいつつも。いきなりの「ご挨拶」に少女は苦笑してしまう。
「悪いわねセレン。たまにはあなたを連れて行かずに街へ繰り出そうと思ってつい」
悪びれもせずに少女が答える。口では悪いと言いつつも、その本心では微塵も思っていないだろう。なにせ反省らしい反省の色がちっとも見えないのだから。彼女は今にも説教を垂れ流しそうな従者にそれ以上の発言を許さず、あくまでもスマートに命令を下した。
「ちょっといい拾い物をしたから、迎えに来てくれるかしら? できれば四十分後に」
『は……四十分後ですか?』
「ええ。お願いね」
少女がやたらと『拾い物』の部分を強調する。電話越しの従者はそれがどういった種類の『拾い物』なのかを察し、溜息を吐きながらも主人の命令を承った。
『……言いたいことは山ほどありますが、それは後に回すと致しましょう。では、四十分後にそちらに着くよう屋敷を発ちます』
「そう、じゃあ連絡は以上よ。とても可愛い娘だから楽しみにしてなさい」
『お嬢様のような趣味はございません』
セレンと呼ばれた従者が突き放すように告げて電話は途切れた。少女は相変わらず満足げな笑みを浮かべたまま、携帯を鞄の中にしまう。その隣で意識を奪われた焔がゆらゆらと揺れている。反射だけで動いているためか、バランスをとるのが難しいらしい。
「さて……この下手人たちが起き出したら面倒だから、移動しましょう?」
今にも倒れそうな焔の手を引いて少女は語りかける。意識が眠っているので当然返答はないが、それでも少女は楽しそうに焔を連れて裏路地を抜けていった。本当に、本当に心から楽しそうに笑いながら。
隣にいる少年をどう自分好みに作り変えてやろうかと思い馳せて。
◇ ◇ ◇
斯くして運命は動き出した。
止められていた歯車は正常に動きだし、外されていた部品はついに組み込まれる。
汝、恐れることなかれ。変革を与えられたのではない。正しく在るべき姿に修正されるだけだ。
――――赤い髪の少年はまだ、己の血に流れる本当の運命を知らない。