#1 トラップ・ミーツ・ガール
始まりますよ。歪みに歪んで動かなかったのも今日でお仕舞い。ほら、真の開演はすぐそこまで。
どうして何か起こるのか分かるのか、ですか? 考えてもみてくださいな。
――――アリスと兎が出逢ったのに、何も始まらないなんて有り得ないでしょう?
いつだって、【人生を変える瞬間】って奴は突然現れる。
特撮のヒーローみたいに派手なお出ましをする癖に、怪人とか怪獣とかそういう異変みたいな“前触れ”は一切の兆しも見せない。
嫌味ったらしくニヤニヤしながら出てくるんだ。悲劇も喜劇も問わずに。
おまけにそいつは【運命】とかいうのと共謀し、見計らったかのような丁度いいタイミングで顔を出す。
人がどう思ってるのか、どんなことをしているのかも知らないで。
だから、僕はある日寮母さんに電話が来てると言われ、普通に家族から電話だと思い、何か喋るつもりで気軽に受話器を取った。
家族と普通に話し、普通に笑い、ちょっとだけ距離が離れてるけど楽しくおしゃべりをする――――そんなだと、思ってた。
けれど、受話器の向こうから告げられたのは……
「……父さんと母さんが、亡くなった?」
頭が真っ白になるぐらいの登場と同時に、敵も味方も、周囲の地形も何もかも薙ぎ払って出てきやがったんだ。
【人生の分岐点】ってやつがさ。
―――――――――――――――――――――――
トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
―――――――――――――――――――――――
落ち行く斜陽が照らす街中を、一人寂しくとぼとぼ歩いていた。
辺りに人はおらず、どこもかしこもシャッターが落ちている。
昔は賑わっていた商店街だったのだろうか。かつての喧騒は、どこからも聞こえてくることはなさそうだ。
三月の終わりに見られる梅の花も、季節外れの冷たい気団のせいで一輪も咲いていない。
人っ子一人いないこの通りは、夕暮れどきであることもあって酷く寂れて見える。
街中とは言ってが、ここら辺は賑わっていないらしい。
そんなことをぼんやり考えながら、僕は宛もなくフラフラ歩き回る。
「……どこへ行こうかな」
人がいないのをいいことにわざわざ口に出してみたが、別段どこかへ行こうという気は起きなかった。
欲しいものもないし、食べたいものもない。行きたいところも行くべき場所もない。
今の僕にあるのは、『自己を生存させる』という本能に近しい行動原理しかなかった。
「なーんかアホらしい…………」
必要もないのに歩き回ることに、一体何の意味があるのだろう。
歩き始めた理由は思い出せないが、もうこんな徘徊は飽きた。
これ以上は毒なので適当にあった用途不明のベンチに座ることにする。腰掛けたベンチで放心しつつ、僕はこれまでの経緯を思い出してみる。
まず、僕の名前は村雨焔。
首都圏内某県某所の高校に通うピッカピカの一年生。
今までは学校の付属寮に住んでいたのだが、この春から自宅から通うことを決めていた。ところが、寮を引き払った今朝に電話がかかってきて、突然信じられないことを告げられたのだ。
『━━━━あなたのお父さんとお母さんが、亡くなりました』
あまりにも衝撃的なニュースを伝えられ、春から通うはずだった家も焼け落ちたとも言われた。
両親の喪失、そして帰るべき家の焼失。両方を一篇に失くした僕は傷心する暇もなく寝泊まりすべき場所を求め、制服に身を纏ったまま格安のビジネスホテルを探そうと街に来たのだった。だったら寮に引き返せばよかったかもしれないが、電話がきたのは一切合財の家具を引き払った後のことであった。
しかし現実にはまだ寝泊まりする場所を見つけていない。というよりかは、見つける気力がないと言った方が正しいだろう。
どうやら今の僕は一種の無気力状態にあるらしく、何をするにしても『どうでもいい』と思ってしまうようになったのだ。
現に僕はビジネスホテルやカプセルホテルのある中心街から離れ、こんな寂れた街角にやってきてしまったのだから。
「……無気力症候群、っていうんだったっけ。こういうの」
今からどうするかな……どうでもいいや。
今日は何を食べようかな……どうでもいいや。
どこで寝ようかな……どうでもいいや。
これからどうやって生きていこうかな……それも、どうでもいいや。
それはどうでもいい。これもどうでもいい。
目に映るもの全てから興味が薄れていく。無気力。
大切なものを一度に失えばこんな廃人じみた有り様になるなんて、なんて人間の心は弱いのだろうか。
背もたれに体を預けながらバッグの中の手鏡を取り出してみる。その中には、もう見飽きた面を引っ提げた無気力な自分がいた。
珍しい赤髪赤目。病的に白い肌。彫りの浅い丸顔。曲線的な各種パーツ。
相変わらずおおよそ男性のそれとは限りなくかけ離れた容姿だ。
昔は女男とも言われた覚えがあるけど、今じゃ完全に女性と区別がつかなくなっている気がする。初対面の人はまず間違いなく僕を男とは思わないだろう。
そして鏡の中の自分はひどくやつれた……ともすれば、くたびれたとも言える表情を浮かべている。らしくないなと思ったけど、それほどまでに今の僕は追い詰められているのだろうか。
訃報を告げられてからずっと街の中を歩き回り、朝早くからこの時間までろくに休息をとった記憶もない。なるほど、それならこんな顔になるのも当たり前だ。
どうやらいい加減に休むべきということらしい。僕はこんな状態になるまで自分のコンディションに気付かなかったことに呆れた。
「……どうでもいいや」
取り出した手鏡を再びバッグの中に突っ込んだ。
「もうどうでもいいよ……」
ベンチに体を預けたまま、僕はうわ言のように呟く。それはひょっとすると僕の心の悲鳴だったのかもしれない。
落ちる夕日が中心街の方にあるビルに遮られた。もうすぐ日没か。
「疲れたなぁ」
そう言って僕は目を瞑った。眠くないけど、目を開けているのが億劫になったのだ。すでにそこまで「症状」は進行しているらしい。自嘲にも似た笑みを口の端にだけ顕し、それから僕は浅い微睡みに落ちていった。
「━━━━起きなさい。こんなところで寝ていたら物盗りに遭うわよ」
「ん…………」
肩を揺さぶられる振動により僕の意識は微睡みの中から浮上する。再起動を果たした脳は真っ先に瞳を開けることを指示し、若干重めの瞼がゆっくりと開かれていく。
開かれた赤い瞳に映ったのは、少し年上に見える少女の顔だった。顔から体全体へフォーカスを写し、その少女の全体を捉える。
「……それにしても赤い髪なんて珍しいわね。染めているわけでもなさそうだし」
━━━━端的に言って、美しい人だった。足の爪先から髪の毛の先端に至るまでの全てが美しい人だったのだ。
「……綺麗」
彼女の黒い髪を見て思わずそう呟いてしまった。
その呟きをしっかりと聞き届けた少女は大変気分がよさそうに顔をほころばせ、「ありがとう」とだけ言ってわざとらしく手櫛で髪を整える。
隠す気のない傲岸不遜な態度。それを嫌味たらしくさせない高貴な気品。
「……ふふっ、初めましてね。素敵な赤い髪の持ち主さん」
━━━━なんだろうこの感覚は。心臓が早鐘を打ち始めて満足に呼吸ができなくなる。
顔の辺りが熱い。赤熱しているかのようだ。この人の顔を見ているだけでおかしくなっていく。
これは一体?
僕にこの感情とそれからくる体の反応が何かは分からなかったが、目の前の少女へ特別なものを感じたことは理解した。運命……? いや、そんな陳腐な単語じゃない。もっと違う何かだ。
「あの、貴方は……」
「さぁ、誰でしょうね。知りたい?」
蠱惑的な笑みを浮かべられる。ちょっとだけどきりとしたけど、努めて平静を装いながら頷いた。
「そう、でもダメよ。今はね」
「今は?」
「次、また会ったらその時に教えてあげる。約束よ」
「やく、そく……」
「約束するわ。だから……」
少女の腕が伸ばされ、その両手の細長い指が僕の顔に当てられた。顎を持ち上げられて僕と彼女の視線が交差する。
「あなたの顔を目に焼き付けておくわ。だからあなたも、私の顔を覚えておくことね」
「ぁ…………」
━━━━そうしてどれくらいの時間見つめあっていたことだろう。
彼女は僕に笑いかけて手を離した。まだ頬には温かみが残っている気がする。僕の顔は完璧に覚えたということだろうか。
「じゃあまた会いましょう。その時にはあなたを拐いに来るわ」
どういう意味かは分からなかったけど、少女は髪をなびかせながらそう言うと僕の前から姿を消してどこかへと歩いていった。
…………とても、綺麗な人だった。
「……なんだろう、この気持ち」
クラスメイトたちや妹、かつての幼馴染にも抱いたことのない感情に僕は戸惑ってしまった。
これが何という名前なのかを考えているうちに、僕はすっかり今の時間のことを忘れていたことに気が付く。
「あー……そういえば寝床がないんだったっけ……」
さっきまでは差し込んでいた夕日も落日を迎え、空は段々と赤色から藍色へと衣を変えていた。
冷たい夜はすぐそこまで。路上でホームレスのように寝るのは御免なので、早くまともに寝られる場所を確保すべきだろう。最悪誰かの家に転がり込むのも手だ。あの人のことは置いておいて、今は自分の身のことを考えなくては。
僕は来た道を引き返すように街の中心へと足を向けるのだった。
「……また新手の刺客かしら。退いてもらえる?」
「いやいやいや。そいつはできないんだよなぁ」
「あー可愛そうにぃー。こんな別嬪殴りたかねぇんだけど」
「ま、恨むんならあのマフィア気取りのにーちゃんを恨んでくれよな! ひひひっ」
……先ほどのベンチのそばにある路地裏から、ただならぬ雰囲気の会話音を拾うまでは。
「何か、聞こえた?」
聞こえた限りでは、女性が複数名の男性に言い寄られているように感じられた。それ自体ならよくあるナンパかとも思うが、その内容を聞く限りとても穏やかなものとは思えない。もしかすると暴力沙汰だろうか。
それに、女性の声はつい先程別れたばかりの少女のものだった気がする。
「――――行かなきゃだよね」
気が付けば僕は踵を返して、不穏な空気の元である路地裏へ真っ直ぐに向かっていた。どうしてそんなことをするのかは自分でも分からない。でも、そうしなきゃいけないと思った。
「変な事じゃなきゃいいけど……」
僕は壁に張り付いて件の路地裏を覗き込んだ。
果たしてそこには下卑た笑みを浮かべる三人の男と、思った通り先程の少女がいた。路地裏は袋小路となっており、唯一の出入り口は男たちが塞いでいる。丁度男たちは僕に背を向けている格好だ。
「任せとけよ。弱いものいじめは得意なんだ」
「おいおい待てよ、俺にもやらせろって」
「この女ボコボコにしたらどうする? 拐って楽しむ? なんだっていいけど。ひひひっ」
「……つくづく低俗ね。あなたたちも、あの人も」
少女が 吐き捨てるように男たちを侮蔑した。【あの人】という三人称が誰なのかは僕には計り知れなかったが、この男たちとそいつは何かしらの関係があるらしい。
「ちったぁ抵抗してくれよな。殴り甲斐がねぇから」
「……チッ、セレンと別れたのが裏目に出たわね」
「何を言ってるのか知らねぇけどよぉ、俺を無視してんじゃねぇ!」
少女に無視されたことで男の一人が逆上し、拳を振り上げて彼女に走り寄っていく。少女は身構えただけで避けることもしない。抵抗できる手段を持っていないのだ。
脳内で少女がいとも簡単に吹き飛ぶ数秒後のビジョンが再生される。このままではその通りに殴り飛ばされてしまう。
「どうしよう、このままじゃあの人が……!」
それはだめだ。それだけは認められない。
「疾ッ……」
僕は姿勢を低くして素早く路地裏に躍り出て、後ろで笑いながら静観している二人の脇をすり抜けた。二人は僕の存在を認識したが、その頃にはとっくに殴り掛かろうとしている男の傍まで近づいている。
邪魔される前に素早く右足で男の膝裏を蹴飛ばし男の体制を崩した。
「は?」
「――――暴力はいけません」
自分でもびっくりするほど、恐ろしく底冷えするような声が出た。男が自分の体勢を認識するより前に僕は彼の意識を刈り取りにかかる。
男の顔面に爪を突き立てるように掴み、そのまま思いっ切り後頭部を地面に叩きつけた。
「うぎゃぁっ!?」
「まず一人」
強烈な衝撃で脳震盪を引き起こした男は倒された態勢のまま動かなくなった。
手早く片付けた男をカウントし、残る二人へと視線を向ける。
「あなた、さっきの……」
突然の乱入者に少女が驚きの声を上げた。さっき顔を間近で見られたおかげだろうか、と考えてみる。
僕は彼女の方を一瞥して、その後すぐに二人の男に向き直った。
「誰だお前!?」
「通りすがりの高校生です」
「舐めやがって、このクソアマァ!」
……どうやら僕を女性だと思っているらしい。
僕は男子制服を着ているのから一目で男性だと分かるはずだが、すっかり頭に血の昇っている男たちは髪や容姿で女性だと思ったようだ。激昂して冷静さを失っている彼らに対し、僕の思考はどこまでも冷静で冷淡で、それで同時に冷酷だった。
「まずはテメェからだぁぁぁ!」
片方が先行して殴り掛かろうと飛び出してくる。連携の「れ」の字もなく、後ろの男を置いてきぼりにして突っ込んできた。
二人がかりならまだ勝機はあったかもしれないのに、愚かにもこの男は感情に身を任せて先走ってしまったらしい。
そんな彼が大振りの一撃を放たんと駆け寄りながら腕を振りかぶる。
「近所迷惑です――――」
僕の網膜が見え透いた大振りの拳を捉えた。繰り出された腕を逆にぎりりと掴む。
男は完全に躱されたことで表情を驚愕に染め上げている。
そんな隙だらけの彼に僕がしたことはただ一つ。
「――――黙ってその口閉じてください」
そのまま丁寧に男の重心を前のめりにしてやり、最後に足払いをかけて男を転倒させる。
「実力の彼我を弁えてください……」
気絶した男へ向けて酷薄に言い放った。
「てんめぇ! よくも!」
一人で二人をあしらってのけた僕に向かわざるを得なくなった男は「退却」という選択肢を忘れ、無謀にもこちらへと突っ込んでくる。
そんな蛮勇はへし折ってやるとも。
「うおおらぁぁぁぁぁぁ!」
男は咆哮しながら鋭いパンチを飛ばしてきた。
さっきまでのやつらと違い、多少喧嘩慣れしている者の動きだ。けど、所詮はその程度。僕の運動能力をもってすれば回避はあくびが出るほど余裕である。
「遅いですよ」
「なんだよこのアマはぁ!?」
そして男の突き出してくる腕を弾く。バランスが崩れたところを掌底の洗礼が下される。
男がよろめいて後退。
そこへ間髪入れずにハイキックの追撃を叩き込んだ。
「はいやっ!」
「ぐぶぇ!」
硬めのローファーの爪先が下顎を直撃し、男の意識が途切れさせる。
最後の一人が呆気なく地に沈んで、少女を襲った男たちは全員沈黙した。
「ふぅ……」
僕はちょっとだけ昂った気持ちを沈めるために深く息を追い出す。十分にクールダウンしたところで振り返り、少女の方へ振り向いた。
「その、助かったわ。ありがとう」
彼女は少しだけ困ったような────予定が狂ってしまったような顔をしてお礼を述べた。僕はその表情を疑問に思いつつも、半分反射的にそのお礼を受け入れる。
「いえそんな、そちらこそお怪我がなくて何よりです」
僕はぺこりと少女に会釈し、その場を立ち去ろうと踵を返した。
「では、僕はこれで……」
「待って」
しかし、その足は少女の声によって止められる。
たったの一声だけれど、その声にはなぜか従わなくてはいけないと思わせる力があった。
「約束をしたでしょう? 次に会うときは拐いに来るって」
「……どういう意味かは分かりかねますけど、確かにしました。名前も教えあうとも」
「ええその通り。まったくもってあなたは正しいわ」
なんだろう。会話を巧みにあちこちへ歪曲させられている気がする。言葉繰りが巧いというか、度々揺さぶりをかけられているというか……本質が見えてこない。
そう、何が言いたいのかを理解できない、意図的に理解させないように話しているんだ。本音を隠蔽し、遠回りの上に遠回りを重ねて、本当のことを言っているのに「本当」が行方不明になる、そんな話術だ。
「…………」
少女に対しする感情に、少しばかりの猜疑心が混ざったことは否定しない。
「あら……ちょっと言葉遊びが過ぎたわ。ごめんなさい、あなたが私を疑うのも無理からぬことね」
「いえ、別に……」
そんな些細な感情の変化も彼女は見逃さない。人の内面を見透かすような視線を、僕に向けている。
――――瞳を透かして、視神経を伝い、脳の内側まで。そして血流に乗って心臓の奥深くに潜り込み、心を直に見つめて……そんな感じだ。
僕はそこまで考えて背筋に冷たいものが走るのを感じた。
「さて、心証がもっと悪くなる前に自己紹介をしましょうか」
「え? でもまた会ったらって……」
「私たちは一度分かれて、そして『また会った』でしょう? たとえついさっきぶりの再会だとしても、そのことは揺るぎないわ」
なんだかこじつけっぽい気がしなくもない。
いや、多分こじつけだ。
「……無理に理由を紐づけしなくてもいいんですよ?」
「建前は不要だったかしら。ならお言葉に甘えて正直に……」
少女がいたずらっぽく微笑んだ。ちょっとドキッとしたのは内緒である。
「そうね……身も蓋もなく言えば、今すぐにでも欲しくなってしまったの」
「えっと……」
「私はあなたがとても気に入ったわ。だから……」
しばらくの間を置いてから、少女はとても意地悪な笑みを浮かべてこう言った。
「あなた、私の屋敷でメイドにならないかしら?」
「……………………えええぇぇぇぇ!?」
あまりと言えばあまりにも衝撃的な提案に、僕はしばらくの間絶句することしか出来なかった。
ガリトラ一話はここまで。長ったらしい癖にへたっぴな拙文をここまでお読みいただきありがとうございました。
次回は今回の半分もありませんので、半周間後の投稿です。
お読みになって気付かれた点や、書き方の形式の上でこうした方がいいというものがございましたら、どうぞ感想などを送ってくださいませ。
では次回にて。