#11 第二次メイド試験
さあさあさあ! 第一章タイトルを今度こそ回収でございます。
女装へのケツイを固めた華炎ちゃんですが、何やら一人称まで変わっている様子。華炎ちゃんはちゃんと焔くんに戻れるのか……
たたろーさん「ですます一人称難しい……難しくない?」
「村時雨華炎です。入ってもよろしいでしょうか?」
「どうぞ。開いております」
「……失礼します」
入室の許可をもらった私は古めかしい木製の扉を開け、屋敷のとある一室に足を踏み入れました。味わったのは二度目の感覚。以前体験したものと何ら変わりはありません。つい昨日のままです。そう思うと、私の胸に感慨深い思いがふつふつと湧いてきます。
……帰ってきました。ええ、村時雨華炎は再びここへ戻って参りました。昨日は私の無能っぷりを装うために。そして今日は私の有用性を突きつけるために。村時雨華炎はここに舞い戻ったのです。
「……十六夜さん。セレンさん」
ここは昨日、私が最初の試験を受けたときに訪れた屋敷の一室。つまり『試験会場』。あのとき十六夜さんはおらず、セレさんンと複数のメイドさんがいらっしゃいましたが、今は試験官たるセレンさんと挑戦者の私、そして見届け人の十六夜さんだけです。この場にいるのは私を除いて二人だけなのです。たった二人。されども二人。
この屋敷のツートップの視線に曝されたその瞬間、私は身がすくむ思いをしました。それは躊躇ない視線だったのです。プライバシーなんて一欠片もない。手で触れてこそいませんが、性的でない意味でいやらしい視線を向けていました。
身だしなみのチェックなんてものではありません。服を透視し、肌の内側を見通して、五臓六腑の隅々へ、そして私の心という内側の内側までの全てを『視て』いらっしゃいました。
……しかしそんな視線を前にしても、私はむしろ高揚感を覚えていました。今まで培ってきた技術や経験、それらの全てを余すことなくぶつける機会を得たのです。溢れんばかりの高揚感は表に出ずとも、私の体をこれ以上ない程に昂らせていきます。
ですから、いつの間にか意識が『私』から『僕』へと切り換わってしまいました。
――――ああ、見るがいい。私の……僕の全てを! もっとだ。もっと。全然足りない。
そんな程度で僕の全てを視るには到底足りない! どうした。僕を確かめるんだろう? 僕はここにいる。あなたたちの視線を恐れはしない。視て。もっと視て。僕の価値を確めてくれ。
「……こう言うのもなんですが……」
ふと、セレンさんが目を伏せて、ため息と共に感嘆の声を漏らす。
「……ほんのちょっと見ない間に、随分と堂々とするようになりましたね。いえ、皮肉ではありません。……ご立派だと、思いました」
その口調はとても僕に向けられたものとは思えないほど丁寧で、どこか敬意の念すら混じっているような気がした。僕はそれがなんとなく嬉しくて、はやる心をなだめながら深く腰を折った。
「……ありがとうございます、セレンさん」
「男子三日会わざれば、とは言いますが……」と、セレンさんは続けて独り言を呟く。そんなにこの数時間で変わったものだろうか。僕は意思を固めて覚悟し、この服に袖を通しただけだ。
……端から見れば変わったというだろうか。僕が気が付けていないだけで。
「華炎」
十六夜さんに『私』の名前を呼ばれたその瞬間、『僕』の意識は完全に『私』へと変換された。焔という少年から、ただ一人の方に尽くしたいと願う華炎へと。
視線をセレンさんからその隣へと移し、気難しそうに眉を寄せる十六夜さんを見つめます。……怒っていらっしゃる?
そうして険しい顔の十六夜さんとしばらくの間視線を交わしていましたが、不意に呆れたように溜め息を吐き出し、十六夜さんはその表情を苦笑いのそれへと変えました。
「ごめんなさい。あなたの性別を本気で疑ってしまったわ」
「は……?」
「仕草から歩き方まで完全に女性のそれだったのよ。何も知らなければ、私でもあなたを女性だと信じて疑わないくらいに」
「……喜べばいいのでしょうか、それとも落胆すればいいのでしょうか……」
喜べません……男性としては素直に喜べることではありませんね、うん。……でも、今の私もこうして一人称に『私』を使うくらいだからなぁ。結構手遅れだったりします……?
いえ、これは成りきるためなのです! そう、私が完全無欠のメイドになるためには、まず自分が女性だと思うことから始めなくては! パーフェクトメイドはイコールでパーフェクトレディなのです。はい。そうに違いありません!
「狼狽えてる狼狽えてる」
ハッ!
いけません。このようなことで心を乱してしまったらだめです。もっと落ち着かなければ。深呼吸です。深呼吸をするのです。ほら、落ち着いて息を吸わなきゃ。
………………
「……落ち着いたかしら?」
「は、はい。もう大丈夫です」
「ならいいけど……」
大丈夫と言い張る私に疑るような目を向ける十六夜さんでしたが、なんとか誤魔化せました。と、そこへセレンさんが十六夜さんへ話しかけます
「お嬢様、私は準備を始めますので、説明をお願い致します」
「分かったわ。始めなさい」
その指示に従い、セレンさんは私たちから離れてメイド試験の準備を始めました。黙々と着実に仕事こなしていくお姿は、なるほど流石メイド長です。
――――私はあの方と同等かそれ以上までに力を示さねばならないのですね。
そう考えると自然と身が引き締まる思いでした。ええ、やりますとも。成し遂げてみせますとも。
「では説明しましょう。一度しか言わないわよ」
私は背筋を正して十六夜さんの言葉を待ちます。
「大筋の内容は一緒よ。あらゆる分野におけるメイド業の適性を測るものだけれど、今回はそれに加えて一定の合格ラインを設けるわ」
「合格ライン……ですか?」
「基本的にこの屋敷のメイド試験には明確な合格基準は存在しない。試験官がある分野に一つでも非凡な才能や適性を見抜いたら、その時点で合格になるの。今はともかく、育てていけば必ず【スペシャリスト】になるという考えね。逆説的に言えば、この試験は【スペシャリスト】の卵を『仕分ける』作業と言えるわ」
……それはつまり、この試験では優秀な球根を選ぶのが目的で、採用した後に手塩をかけて育て上げることにより、最終的に優れた花を咲かさせるということなのでしょうか。
確かに即戦力を求めるよりかは現実的です。そんな人材がいるならとうに他の勤め先へお勤めされていることでしょう。人材育成は企業にとっても基本中の基本です。そこは同じということですか
でも、今回は明確な合格ラインが存在する。それも生半可では許されないレベルのもので。
通常なら求められるものは将来性と可能性。しかし私に求められるものは、今すぐにでも使い物になるかどうか。
十六夜さんの言葉を借りるのでしたら、これは『球根』を仕分ける試験ではなく、『花』を剪定する試験なのでしょう。そう。さながら庭師が優れない花を切り落としてしまう選別の如く。
……なんだ。別に心配する程でもありません。
「華炎。私が求めるものは分かるわね?」
「世界中の誰よりも優秀であることの証明です」
一瞬の間もおかずに即答しました。その答えに十六夜さんは満足そうに頷き、私にこう言います。
「そう、村時雨華炎。あなたは優秀……いいえ、あなたは最優よ。だからその証を見せて」
「はい。私は完璧です」
「他には何も要らない。何も求めない。あなたは全てを持っているもの」
「はい」
嬉しいと思いました。十六夜さんがそう言ってくれるだけで、体の奥深くから力が湧いてくるようです。自分が本当に完璧であるような錯覚を覚えます。そんな感覚を十六夜さんは与えてくれます。
その声のなんと心地よい響きか。甘美な言葉が耳を伝って脳に直接届くかのようです。十六夜さんの言葉一つで私はどこまでも行けるような気がします。脳髄を蕩けかす声に、全身が麻痺するほど痺れました。
ああ、私はなんて素晴らしい人と巡り合わせたのでしょうか。心の深淵から思えます。私はこの人に尽くしたい。この人こそ私が真に尽くしたい人なのだと!
「――――私は完璧です」
もう一度、自分に言い聞かせるように告げました。
「準備ができました。村時雨華炎、始めましょう」
短時間で全ての準備を終えたセレンさんが私を呼びます。十六夜さんは僕の方を見て無言で行くように促しました。私は首肯してから十六夜さんに一礼をし、セレンさんの許へ行くのでした。
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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
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「……恐ろしいわ」
「はい? どうかしましたか?」
試験を始めてから数時間が経過した頃のこと。
試験の手筈通り、優雅に手早く正確な工程でアップルパイを作っていたところ、セレンさんは誰に言うでもなく呟きました。何が恐ろしいというのでしょう。私がセレンさんに尋ねると、聞かれているとは思わなかったのか少し驚いた顔をしました。しかし、すぐに些細な動揺を消して質問に答えます。
「あなた、アップルパイを焼くのは手慣れているの?」
「いいえ? 過去に焼いたことはありますけど、片手で数えられるくらいですよ?」
「なおのこと恐ろしい……いえ、評価すべきなのかしら」
「ええと……」
工程の大半を終えれば生地をオーブンに突っ込んで、あとは焼き上がるのを待つだけ。生地が焼けていくいい香りを楽しみつつ、私は再びセレンさんに尋ねます。
「……ろくに作ったことのない料理を簡単に作れていることが、それほど奇異に見えましたか?」
「それは……」
セレンさんが言葉を濁して言い淀みました。
まぁ、仕方のないことでしょう。不思議に思ってもそれは当然です。それが正しい感性です。しかし、それは『異端』ではあっても『異常』ではありません。それだけは間違ってもらっては困ります。
だから私は言いました。
「それなら別にいいではありませんか」
「え?」
「私はそのような人間です。そのような特技があるということです。私は覚えのない料理でも簡単に作れると、ただそれだけですよ」
「……そうね……」
言葉ではそう言っても、やはりセレンさんは納得できていない様子です。その証拠に、未だ眉間に眉が寄せられていました。不信感を抱いている……とはまた違います。頭では理解していても、という方が近いかもしれません。
「……焼けるまでにもうちょっと時間はあります。次の試験に移りません?」
「え、ええ……そうね」
「ではすぐにでもやりましょうか」
唾液を飲み込みながらオーブンに背を向け、早速次の試験項目へと取り掛かります。
「次の試験は…………もう最後ですか」
集中力とは恐ろしいもので、時間の経過すらも忘れてしまったらしい。時計の短針が何よりもそのことを証明していました。本の修繕をしたり、美術品の補修をしていたことがつい数秒前のことのように思い出せます。
ここまで深く集中したことは、今までにもなかったかもしれない。自己記録更新でしょうか……?
そんな風に考えていたそのとき。
背後から殺気を感じた。
「――――ッッ!!!」
思考が一瞬だけ『僕』に戻る。
条件反射的に身を屈め、来るであろう攻撃を先読みして回避した。咄嗟のことではあったが、その直感は正しかった。
僕が回避に移ったコンマ数秒後、頭があった空間に回し蹴りが炸裂する。空を切った蹴りはその勢いのまま空回りしたが、その主は体制を崩すことなく足を引っ込めた。
「しっ!」
屈んだまま蹴りの飛んできた方向へ足払いをかける。
「甘い!」
しかし、後方へ跳躍されたことによって空振りに終わる。屈んだ体勢から元に戻り、僕はその人物を睨んだ。
「なんのつもりですか。セレンさん」
「…………」
僕に攻撃を加えたシルバーブロンドの持ち主は一言も発さない。ただその双眸だけが、僕に敵意があることを告げるのみだった。油断も隙もない、戦い方を知ってる構えだ。
まず困惑が真っ先に脳内に渦巻いた。どうして。なぜ。セレンさんのいきなりすぎる行動に理解が追い付かなくて思考が纏まらない。だが最後の試験の内容を思い出した瞬間、困惑は納得へと姿を変えたのだった。
――――最後の試験は『体術』。
つまり、実戦形式の実技試験。そのお相手こそセレンさん。
そう考えれば辻褄の合う話であった。いきなりの先制攻撃には驚かされたが、あれも試験の一環ということだろう。これ見よがしに殺気を飛ばすのは流石に不自然だと思ったら……そこまで考えが達すると、他のことに思考を回すリソースが生まれたのか、意識が『僕』から『私』へと変わった。
「……これは確かに試験だけれど、私にとっては『試験』ではないわ」
「……どういう意味ですか?」
ふと、セレンさんはそんなことを仰いました。どういうことでしょう。私にはその意味が分かりません。
セレンさんは首を傾げる私の様子を見て、続けて言いました。
「あなたはまだ、私の中で異物のままよ」
……半分本当で、半分嘘。
顔を見れば分かってしまいました。確かに私のことを完全に受け入れていないことは、セレンさんの私への態度が証明しています。けれど、同時にどこか私と丁度いい距離で接しようとしているのも、また同じ。
異物。部外者。
それ故に排斥するか。それとも受け入れるか。セレンさんはその狭間で振り子のように揺れ動き、決めあぐねていたのです。
「構えなさい村時雨華炎。異物であるあなたを、この私が見極めてあげるわ」
「武を嗜む者であれば、言葉でなく拳で語れと?」
「その通りよ」
それはまた、少年漫画のような…………
でも、言葉でどれだけ上部を飾ったとしても、きっとセレンさんは信用できないのでしょう。言葉巧みに突け込んで、邪な心で接してこようとする人だっている。だから、言葉というものは必ずしも信用できるものではないのは確かなこと。
そうやって信用できないからこそ、セレンさんは偽ることのできない『拳』を信用したのでしょうか。
「……私を認めて頂くためには、どうしてもそうするしかありませんか?」
「そうよ。これしかない」
苦虫を噛み潰したかのような顔を浮かべました。
「…………生意気と言われるかもしれませんけど、私はセレンさんを殴ることは……少しでもお世話になって、これからお世話になる人を殴ることなんて……」
――――できそうにもありません。
でも、セレンさんがその続きを口にすることを許してくれませんでした。その目は有無を言わせず、否応なく戦うことを促しているかのようで、私に拒むことを許さなかったのです。
……覚悟を決めるんだ。僕。試験である以上どのみち避けることはできないのだから、加減も恩も忘れろ。
「……承知致しました。いいですね十六夜さん?」
許諾を求めて十六夜さんに目を向けると、十六夜さんは「仕方ない」とばかりに肩をすくめます。つまり、セレンさんの望む通りにしろと。
許可を貰ったところで、私はセレンさんに向き直り、その目を真っ直ぐ射抜きました。
「不肖村時雨。全力でお相手をさせて頂きます」
「それでいいわ」
その言葉と共に構えをとるセレンさん。一分の隙もない完璧な構えです。達人。そう言っても差し支えないでしょう。セレンさんは間違いなく達人でした。
「……どうしたの? 構えないのかしら」
「いえ、構えはありません。私は護身術が関の山ですから」
嘘は言っていない。私は護身術をベースに戦うだけで、ただ護身の範疇を外れた戦い方をするだけです。
「そう……なら、私から行かせてもらうわ」
「どうぞ。加減なく」
セレンさんの足がたわんで、力がためられる。私はあくまでも自然体で、それでいて迎え撃てるように最大限集中力を総動員させます。
お互いに準備は整いました。張り詰めていく緊張感を肌で感じながら、その瞬間を待ちます。
「…………」
「…………」
肌を穿つほどまで高まる緊張感。それが最高潮にまで達したその瞬間。セレンさんの足が貯めに貯めた運動エネルギーを爆発させました。
「疾ッ――――!」
「来る――――!」
合図はありません。私たちは自然と同じタイミングで動きだし、正面からぶつかり合うのでした。
「月光院流武術皆伝、月詠セレン。行くわよ!」
「村時雨華炎。参ります!」
――――最後の戦いの火蓋が切って落とされました。
◇ ◇ ◇
さくっ。ぱりっ。
フォークを入れればサクッと小気味よい音が鳴る。焼き加減は完璧でした。文句なしのパーフェクト。自信をもって自画自賛できる出来栄え。早速切り分けたホールの一角を口に運びます。
ぱくり。
「はわぁ……我ながらよく出来ました……」
心が洗われるかのようです。美味しい食べ物は心の清涼剤とは、よく言ったものですね。それが甘いものとなれば尚更のこと。
甘酸っぱい林檎の酸味が鼻孔をくすぐって、脳に麻薬にも似た幸福物質が溢れてきます。ここでアップルパイというチョイスをしたのは、感謝すべきことでしょう。ありがとうございますセレンさん、十六夜さん。
もぐもぐもぐ。
「お……おい…………しいっ! 悔しいっ!」
しかし、私が感謝を捧げる対象であるセレンさんは、私の焼いたアップルパイを味わいつつ、悔し涙を流しておられていました。美味しさのあまりに感動……! というオチならよかったのですが、残念ながらそういうことではない様子。
一方、もう一人の感謝を捧げるお方は……
「とても美味しいわ! 高級お菓子店のものと比べても遜色ないくらいよ」
「ありがとうございます十六夜さん! 嬉しさ那由多パーセントです!」
やった! 十六夜さんに誉められた!
超一流の作ったアップルパイと同等と言っていただけるなんて、料理人冥利に尽きるというものです。
……しかし、セレンさんから発せられる空気がその喜びを相殺していました。
「悔しい……! モグモグ……けど美味しい……ッ!!」
せめて泣くか喜ぶかにしてください……しょっぱくなってしまいますから。
……結論から言ってしまえば、ぐうの音も出ないほど完璧な成果を納めることができました。文句のつけようもケチのつけようもありません。何故ならセレンさんを倒したからです。
詳しい内容は長くなるので割愛致しますが、勝負……もとい試験は私の勝利に終わりました。セレンさんを下したことにより、私は十六夜さんから見事に合格の判定をもぎ取ったのです。
そうして一通りの試験を終えて、私たちは試験で焼いたアップルパイを三人でつついていました。我ながらいい出来栄えだと思います。本当に。
そう思いつつ、サクッとフォークでアップルパイを口に運んでモグモグ。
「……素材が違うとこうも変わるものなんですかね」
正直、このアップルパイを美味しく感じるのは私の腕だけでないと思ってます。材料となる林檎やカスタードだったり、この屋敷にある設備だったり、そういった点も美味しさの要因なのかもしれないと思いました。
まぁ、美味しければ正直なんでも良いのです。作ったお料理を美味しく食べてもらえるのなら、それこそ一番なのですから。
「華炎、取ってー」
「はーい。どうぞ十六夜さん」
十六夜さんに求められ、切り分けたアップルパイをお皿に乗せます。十六夜さんは端整な顔を綻ばせつつ、とても美味しそうに食べてくれるので、私も嬉しい限りです。
……その点で言うのなら、セレンさんはちょっと複雑でした。
「美味しい……悔しい……甘しょっぱい……」
うん……その、美味しいとは思ってくれてるそうですが、反応がなんとも……
私に負けたのがそれほど悔しかったのか、試験が終わってからずっとあの調子なのです。すごく気まずい……
見てて居たたまれないというか、慰めてあげたいけど逆効果になってしまいそうというか、凄まじく居心地が悪い……
「十六夜さん……」
「ん? どうしたの?」
十六夜さんに「助けて」という意味を含めた視線を送ってみるものの、アップルパイに夢中な十六夜さんはその意味に気づくことはなく、不思議そうに首をかしげただけでした。
十六夜さんが頼りにならない……
こうなると、もう自力でセレンさんをなんとかするしかありません。鉛のように重くなる気分を振り払いつつ、私はお皿を持ってセレンさんの隣の席に移りました。バーで寂しくお酒を飲む中年のような格好をしたセレンさんに、恐る恐る声をかけます。
「あの、セレンさん?」
「なによぉ……ぐしゅっ」
ああっ、綺麗なお顔が涙とかその他水とかでぐしょぐしょに……! 美人がさんがそんな顔しちゃいけません!
とりあえずさっとティッシュを差し上げました。
ずびーっ。
口にするのも憚れる色々なものを拭き取って、セレンさんは何事もなかったかのように元の姿勢に戻ります。切り替えの早さに感心しつつ、私は話を続けました。
「一緒に食べません? みんなで食べる方が美味しいですよ?」
「ぐすん。勝者の余裕が憎らしいわ……」
「余裕というかなんというか……その、お礼みたいなものですから」
「お礼…………?」
「はい。お礼です」
セレンさんが涙目ながらにおうむ返しをする。よかった。自棄になって話の一つも聞いてくれなかったらどうしようかと思いました。
「昨日私を助けてくれたこと。私を一度は追い出しつつも、こうして十六夜さんと同じ場にいることを許してくれたこと。あと、私に試験を受けさせてくれたこと……もっと一杯あるんですよ?」
「……何よ。結局ただ慰めてるだけじゃない……」
「まあ実際慰めるために来たんですけどね」
これには苦笑するしかありませんでした。言葉を繕って飾ることはせず、真っ直ぐに伝えることにします。
「強いて言うなら……私がセレンさんと会えたこと、でしょうか」
「は?」
鳩が豆鉄砲をくらったような表情をするセレンさん。その瞳に浮かぶのは混乱、困惑、疑問、動揺。私がいきなりいい放った言葉に揺さぶられているようでした。
ふふふふ、計画通り。さぁ、次の手を打ちましょう。
「セレンさんはお綺麗で、かっこよくて、とても実直な人です」
「~~~~っ!?」
「何よりも十六夜さんのことをお考えになっていて、十六夜さんに危機が迫ったら誰よりも早く駆けつけようとしていました。家事も完璧で、セレンさんこそメイドの中のメイドです」
「あっ、あなた!」
「そんな素晴らしい人と出会えたことに、私はとても感謝しているんです。だから、そのお礼ですよ。セレンさん」
「うぅぅぅぅ~~~~!!」
セレンさんが顔中を真っ赤にさせてテーブルに突っ伏しました。その赤さたるや、林檎も斯くやというほど。う~とか、あ~とか、唸り声にも似た奇声を発する姿は、普段の姿からは想像できないメイド長の一面なのでしょう。
「……計画通り」
しかし、これも全て私の作戦でした!
見たか。村雨流処世術が奥義、誉め殺し!
効果。相手は (悶え) 死ぬ。
見事に術中に嵌まってくれましたねセレンさん。ご機嫌とりの必勝法を舐めたらいかんのですよ。そんなことを考えながら、セレンさんのお皿にアップルパイを載せました。
「はいっ。一緒に食べましょう?」
「うぅ~……」
セレンさんはそれっきり何も言わず、顔を真っ赤にしてアップルパイを黙々と食べるようになります。しかし、甘くて美味しいものを食べてるうちに、泣き顔だった表情はすっかり笑顔に変わっていったのでした。
……チョロい。チョロいよこのメイド長。
「我がメイドながら実にチョロい……」
十六夜さんがボソッと一言。そのことに気付かず、セレンさんは美味しそうにアップルパイを食べ続けました。
まぁとりあえずは一件落着、かな?
残り少なくなったアップルパイを美味しそうに頬張る二人を見やって、そんな風に思うのでした。
その後の顛末 (※九割意訳)
セレン「べ、別にまたお菓子作ったりしなくたっていいんだからね!」(口の周りにパイの残骸)
華炎「お、ええんか? ええんか? ほんまにもう作ったりせんで?」(こんな感じで煽った)
セレン「くっ……! ほんとに作ってくださいマジで! なんでもしませんけど!」(華炎にマジ頼み)
華炎「お、おう。仕方ないのう……」(セレンさんの様子にドン引きしながら了承)