#10 心惹かれるひと
「華炎……いえ、村雨焔君。『これから』の大事な話をしましょう?」
「これから……ですか?」
意味ありげに微笑む十六夜さんと、その斜め後方に控えるセレンさん。セレンさんの方は僕を睨んでるような気がするけど、気のせいかな……いや気のせいじゃないよね……
僕は一旦セレンさんのことを意識から追いやり、十六夜さんとの会話に集中した。
「……セレン、今は大人しくしてなさい……」
「申し訳ありません」
十六夜さんが小声でこっそりセレンさんを嗜める。しかし、セレンさんはあっさりと流してしまう。微妙に嫌われてるんだな僕……ちょっと悲しい。
一つ咳払いを挟み、仕切り直す十六夜さん。
「あなたはこの後、行くアテはあるの?」
その言葉に、僕は俯くことしかできなかった。何も言い返すことはできない。事実、僕には身を寄せられる場所はないのだ。
僕は村雨家の親戚を知らない。正確には一人だけ叔父を知っているけれど、その人とはもうしばらく会っていない。住所だって知らないし、公衆電話で連絡しようにも携帯番号も分からなかった。
昨日だってアテが無かったから街をずっとぶらぶら歩きまわっていたし、それは十六夜さんも知っている。明日どこに泊まるのかさえ、僕にはホテルやネカフェ以外には挙げられないんだ。
「いいえ……ありません」
絞り出すようにして言ったその答えに、十六夜さんは「やっぱり」と呟く。
「昨日にも聞いたことだけれど、親類にも頼れないのよね?」
「はい。その通りです」
「妹さんは?」
「まさか! 僕は妹の電話番号を知らないんです」
「それは……」
十六夜さんが気まずそうに目を伏せる。家族の触れてはいけないところに触れた、と感じたのだろう。確かに僕の家の事情は複雑だけど、そんな詮索されて困るようなものは抱えていない。だからちょっとだけ十六夜さんをフォローしてあげた。
「いいんですよ別に気にしなくても。普通の家なんですから、十六夜さんが考えるほど仲が悪いとかじゃないんですよ?」
「……あの村雨家が普通の家ですか……」
セレンさんがぼそりと何かを呟いた。よく聞き取ることはできなかったけど、なんとなく呆れられたような気がした。
「そう。それならいいんだけど……」
十六夜さんも思うところがあったのか何度も首を傾げていたが、すぐに何でもないように話を戻した。
「あなたは明日の生活もままならない。持っているお金だってそう多くはないのでしょう?」
「情けない話ですけどね……」
そう言われては頷くしかなかった。バイトをしようにも、今の僕の身分は宙ぶらりんなのだから、雇ってくれるところがそうそうあるとは思えない。ああ、言われてみて気付いたけど、本当にどうしよう……
そんな頭を抱える僕を見て、十六夜さんはフッと笑ってみせる。
「……? あの、どうしたんですか?」
その笑みは僕を嘲っているというよりか……これからおこることを楽しみにしている……いや、獲物がかかったことを喜ぶ狩人の笑みだ。危機感を感じた僕は直ちに脳をフル回転させ、これから十六夜さんが言わんとすることを先読みしようと必死に思考する。
「私は豊葛家の第五令嬢……しかも、他の兄姉よりも莫大な資産を持っているわ」
「それはつまり……」
この会話の手法には覚えがある。僕の置かれてる状況を改めて説明し、あたかも自分がそれを解決できる案があるというのを装う……。ああ。実に昨日見た手口と一緒だ。
「この屋敷で、メイドとして働かない?」
十六夜さんは昨日の夜と同じように、悪魔のような囁きで僕を勧誘してきた。案の定この人は僕のことを諦めてなんかいなかったんだ。
まったく、僕みたいな野郎の何がいいんだか……
……ああ! セレンさんの眉がつり上がってる!
「……まぁ、無理にとは言わないわ」
しかし、十六夜さんは意外にも僕に無理強いをしようとしなかった。それどころか僕の意思を尊重しようとするような言動までしている。僕はそんな十六夜さんの心変わりを不審に思い、思わずじっと見つめてしまう。すると、流石にその視線は気に障ったらしく十六夜さんが半目になって見つめ返してきた。
「……何か、言いたいことでも?」
「ナンデモナイデス……」
そーっと視線を横にずらした。セレンさんの射るような視線は気にしない気にしない。
「コホンッ。それで、あなたの返事はどう?」
十六夜さんは咳払いをして、僕に応えを求める。確かに昨日のようにギラついた目はしていないけど、それでも僕を強く求める意志を感じた。
「……僕は……」
僕はどうするか迷って、言葉に詰まってしまう。
……実のことを言うと、絶対に嫌という訳じゃないんだ。そりゃあ女装は嫌だし、何で僕がメイドをしなくちゃならないんだとも思う。でも、理性的に考えるのなら決して悪くない話でもあるんだ。
寝泊まりする場所は保証され、必要最低限の食事も与えられる。仕事の内容に見合うだけの給金は頂ける上に、財の豊かさ故に安定。昨今の社畜社員の労働環境のことを考えれば、これは破格とも言っていい。使用人としても、この待遇は他に類を見ないはずだ。
けど、それでも僕は迷ってる。迷う必要なんかない。心の中で、もう一人の僕が囁く。つべこべ言わずに頷けと脅迫してくる。しかし反対に、更なる僕が絶対にやめろと声を荒げている。これ以上の女装は耐えられない、と。
「……僕は……」
「どうかしら?」
「ごめんなさい。今ここでは決めかねます。考える時間を下さい」
「ダメ。今ここで決めて。それ以外は認めないわ」
「うっ……」
僕は選択を突きつけられる。十六夜さんに付き従うか否か。僕は……僕はどうすれば……
――――『焔ちゃんは何かと一途なところがあるからねぇ。もしも惹かれた人ができたなら、その人の隣にいられるように努力するんだよ。きっとその人は、素晴らしい人のはずだから』――――
「あ――――」
不意に、僕はお母さんの声を思い出した。かつて幼い頃に、僕の内面を見透かすように言っていた、あの言葉を。
――――『お母さんの言う通りだ。お前は誰かに尽くすのが一番向いている。それはいいことなんだ、焔。お前に着いていきたい人ができたなら、その人に着いていけ』――――
これはお父さんの声。お母さんの言ったことが分からなくて、お父さんに意味を教えてもらおうとしたときに言われ言葉だ。
「…………」
十六夜さんを見た。濡れ羽色の髪と同じくらい真っ黒な、十六夜さんの目を。目を通して十六夜さんの全てを。
「……十六夜さんは、僕を必要としているんですか?」
「え?」
「十六夜さんが必要としているのは、本当に僕なんですか? 容姿だけが目当てなら、僕じゃなくてもいいですよね」
「……そうね。容姿だけが目的なら、あなたじゃなくてもいい」
「……それでも、あなたは僕を求めますか?」
そうだ。見た目だけなら僕じゃなくて、普通に女の子でもスカウトすればいいんだ。でも、十六夜さんはそれをしなかった。『男の娘だから』なんて今更理由にならない。そんな理由で僕を必要とするのなら、僕は十六夜さんのお誘いを断る。
でも、もしも十六夜さんが僕にそれ以外の物を見出して、その上で僕を必要としてくれると言うのなら……
「……私は全てのメイドにあることを求めるの」
十六夜さんは目を瞑り、そんなことを言った。
「一つ。有象無象とは違う、美しい容姿を持つこと」
……やっぱり見た目なのか。申し訳ないけど、それじゃあこの話は断らないと……
「二つ。その中のメイドであっても、唯一無二の能力を持っていること」
――――どう断ろうかという思考に割かれていた僕の意識が、十六夜さんの言葉で現実に引き戻される。
「唯一無二の能力……?」
「清掃技術。調理技能。接客スキル。家事の腕。他専門的なノウハウ。更にはプロのそれの戦闘能力……つまり、そんじょそこらのメイドじゃ到底真似できない、【スペシャリスト】でなくてはならないわ」
一拍置いて、十六夜は強く僕の目を見つめ返した。
「――――私は、あなたもその内の一人と考えているの」
その瞬間、僕は息が詰まりそうなほどの錯覚を覚えた。それはそう。昨日の夜に感じた、あの身を引き裂かれるほどのプレッシャーと、どこか強く惹かれてしまいそうな感覚だ。
「……十六夜さんは、僕になんの力があるとお考えに?」
そう尋ねずにはいられなかった。僕に何ができて、何に長けているのか、この人が見抜いているのかと。
「決まっているじゃない……全部よ」
「…………っ!」
一瞬の間もなく十六夜さんは答えてみせる。躊躇なく、はっきりと。あまつさえ、僕がスペシャリストの中でも尚【スペシャル】であると。僕は我知らず乾いていく口内を唾液で濡らしていた。
「あなたの手を見れば分かるわ。セレンは見逃してしまったみたいだけれど、あなたの手はセレンと同等か……或いはそれ以上の腕かあることを口ほどに語っているの」
「……!」
そのことを指摘され、僕は思わずさっと手を体の陰に隠してしまう。そのことが余計に十六夜さんの言葉の説得力を助長してしまうように思えた。……なるほど。何年も前から続けていることは、確かに何よりもこの手が証明していたんだ。
「……しかしお嬢様。私はそれだけが証拠と言われても首を縦に振ることはできません」
沈黙を貫いていたセレンさんが、苦言を呈するように口を開いた。
それは僕を認めないと言っているというよりか、僕を認めるために何かが足りないと諭すかのようだった。ただ十六夜さんだって、セレンさんにそんなことを言われなくたって分かっていたらしい。
十六夜さんは小さく首肯してセレンさんの言い分を認め、『だからこそ』一つの提案を口にする。
「じゃあセレン。こうすることにしましょう」
「もう一度メイド試験をしなさい。焔君の本当の実力を確かめるために」
「……分かりました。そこまで仰るのであれば、もう一度チャンスの場を与えます。いいですね? 村雨焔さん」
「…………」
僕は十六夜さんの瞳を覗き込んだ。どこまでもその色は真っ黒で、僕の赤色の瞳を見つめていた。
光りも、想いも、僕さえも吸い込んでしまいそうなほどに真っ黒な色。
――――もし惹かれた人ができたなら――――
――――お前は誰かに尽くすのが一番向いている――――
お母さん。お父さん。
惹かれた人が…………尽くしたいと思う人が、できました。
「……分かりました。僕が持てる全てで、僕の価値を証明します」
僕はもう手を抜いたりはしない。本当に、僕の全てをもって十六夜さんに証明してみせる。
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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
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僕が最初に家事を習ったのは保育園にいた頃のことだった記憶がある。
そのときは本当に簡単な、お洗濯ものの干し方とかを習っていたんだ。他にも服の綺麗で素早い畳み方、綺麗な整頓の仕方とか、基礎的なことをずっととことんやっていた。それらをマスターしたのは、大体二年後くらいだったかな。
それからというもの、僕は段々と複雑で難しい家事を習っていき、小学校の低学年あたりにお料理を学んでいった。和食、洋食、中華、フレンチにその他の有名な民族・郷土料理。幼少の頃からの積み重ねで、今ではプロのそれと遜色ないという評価を受けたことだってある。
加えて言うなら、それと同じくらい昔から家事全般の教育を僕は受けてきた。掃除・洗濯・整理・整頓。果てには接待・御酌。専門的な知識や技能を必要とする特別なものの手入れ。絵画などの修繕修復。各種美術品の取り扱い。枚挙に暇がない。
どうしてこんなものを教えられたのかは甚だ疑問だったけど、僕は心の中で家庭教師の先生へ大いに感謝していた。お陰で、十六夜さんの言葉を証明することができるのだから。
ありがとう秋穂さん! 羽黒目家の家を見つけたらお菓子を持ってきお礼に参ります!
さて、そんな感謝もそこそこに最後の準備をしなくちゃ。
「…………」
緊張することはない。
確かにこんな形で本番を迎えるだなんて思ってもみなかったけど、これでさえ本当の意味で本番ではないんだ。僕がすることは、十六夜さんとセレンさんただ二人の前で練習通りに事を運ぶだけ。今更失敗なんてあるわけない。失敗するもんか。
そう、大丈夫。
僕なら大丈夫だ。
そう考えて、胸に手を当ててみる。
――――どく、どく――――
……だけれど、まだ僕の情けない心臓は早鐘を打っている。口では強がってみたけど案外体は正直なものらしい。仕方ないから、僕は笑って誤魔化そうと自分の姿を今一度見てみることにした。
あ、丁度いいところに姿鏡が。よし、あれを使おうっと。
僕は鏡の前に立ってその中を覗いてみた。
「……あはは! もうどうしようもないくらい似合ってる」
その中にいたのは、この屋敷専用のメイド服を着こんだ赤髪の女装少年だった。
「ああ! 可笑しいの。自分でも思っちゃうくらい女装が板についてるよ」
今一度僕の姿を見て、僕はクスクスと笑ってしまった。このくらい似合ってるなら平気だ。今の僕は、どこの誰がどのように見たって見習いのメイドだ。
昨日袖を通したやつはビリビリになっちゃったからこれは別のやつだけど、なぜだか長年着なれた服みたいにしっくりくる。これを着るのは初めてだというのに。
「…………」
もう一度胸に手を当ててみた。
「……うん。大丈夫だよ、華炎」
今の僕……ううん。私の名前を口にして、私自身を安心させるように言霊を放った。
私は村時雨華炎。これから、十六夜さんのメイドとなるべく己の実力を証明してみせる人間です。
そう。わたしこそ、世界で最も優秀なメイド。完全無欠のパーフェクトメイドです。
……行きましょう。私の価値を見せつけてやります。
そんな思いを胸に、私は試験会場へと足を向けたのでした。
「――――気合、那由多パーセントです!」
今回の話でついに焔君が本気で女装する決意を固めました。
これも全部両親のお陰です。二人の教えが無かったらこのまま女装せずおしまい、ということもあり得ました。しかし逆に言えば、息子に超えちゃいけない一線を超えさせたのは両親のせいだったということになる……?
決意が固すぎて、台詞以外のところもですます調になってしまいました。これはとある女装男の娘ADVのオマージュです。
たたろーさん「正直に言って地の文もですます口調で書くの辛い」