戦士の技能
その日はもう宿も取れそうにない時間だと言われたのでナルディオの屋敷で泊まることになった。
客人用の簡素な部屋に案内されたが正直なところ気乗りはしなかった。
屋敷に泊まるとどうしても思い出してしまう。
ああ、忘れてしまえるのなら忘れたい。
だけどそれを口にしたら自分で自分を怒りで殺してしまいそうになるだろう。
あの日から、あの時からか、あの事件からハイルの心はぐちゃぐちゃなのだ。
例え、元気に見せていたとしても。
ハイルは何か気を紛らわしたくて本棚にあった書物を一冊適当に抜き出した。
タイトルは「欲張りな老人」予想だが教訓を踏まえた読み物だと思った。
うさぎとかめや北風と太陽などに近いものだろう。
表紙のタイトルは読めるが分からないという奇妙な現象が起きていた。
これは今までもそうで、この世界の文字を知らないのに読めてしまうのだ。
会話もそうだろう。
この世界の文字をどう表したらいいものか、強いて言うのなら横線が目立つ、だろうか。
殆どの文字には必ず二本の線が入っているのだ。
なので俯瞰して見るとつながっているように見えて来る。
なんとなくだが楽譜にも見えなくもない。
開いて読む。
途中までだが内容を要約すると農民の老人がある日これで刈り取ると品質が上がる魔法の鎌を手に入れるという話だった。
本を閉じて下のところにしまう。
「……寝よう」
ハイルはベッドに潜り込むと丸くなって直ぐに眠ってしまった。
次の日の朝、目が覚めたので部屋を出ようとすると扉の前で執事と思われる男性が立っていたので驚いた。
「うおっびっくりした」
「おはようございます。ナルディオ様よりハイル様のお世話を仰せつかっております。なにかご要件はございますか?」
「え、ああ、えっと洗面所はどこかな?」
「こちらです」
執事に連れられて廊下を進んでいく。
少しして執事が立ち止まる。
「こちらでございます」
ハイルが入ろうとすると執事も入ろうとするので足を止める。
執事は澄ました顔でこちらを見ている。
「…」
「…」
「待ってて?」
「かしこまりました」
ハイルはそう言うと再び洗面所へと向かった。
もし何も言わなかったら彼は付いて来たのだろうか、そう思うと背中がゾクリと震えた。
彼からは危険な感じがするのだ。
用を足してハイルが手を洗い口の中を軽く水で濯いでいるとふと目の前の鏡に映る自分を見てごくりと口の中の水を飲み込んでしまった。
聞く所によると朝一の口の中は排泄物以上の汚さを誇っているとか、なんてことは今は重要じゃない。
ハイルは鏡に顔を近づけて凝視した。
自分の顎周りを。
「ひ、髭が、生えている…」
中身は中学生である。
まだそれ程多く生えているわけではないが軽くショックな出来事だった。
触れてみるとチクチクとした髭が確かな感触で生えている事がわかった。
「あ、あの~」
「なんでしょう?」
扉を開けて顔を廊下に出す。
そこには扉の脇で待機していた執事が振り向いた。
「髭剃りってあります?」
「こちらに」
なんて準備が良いのか、執事は懐から折りたたみ式の片刃の髭剃りを取り出してハイルに手渡す。
そして小袋も手渡された。
中には白い粉が入っていた。
「髭剃り用の粉です。水で溶かして泡立ててください」
「ありがとう!」
そう言って直ぐに洗面所に戻る。
水で溶かして泡立てて顎周りに塗る。
その後顔に剃刀を当てて動きが止まる。
どうやるんだ?
このままやって切ってしまったらどうしようと思う。
心臓もドキドキとして緊張しているのがわかる。
しかしこのままというわけにもいかない。
ええい、ままよとゆっくりと、だが確実にスライドさせていく。
髭と一緒に泡も綺麗に落ちてつるりとした肌が現れる。
それにホッとしてハイルは揚々と髭を剃っていった。
洗面所から出ると綺麗にした剃刀と小袋を執事にお礼と共に返した。
と、手紙を片手に持って慌てた様子でこちらに走ってくるナルディオが見えた。
嫌な予感と共に待っていると息を切らしながら声を出す。
「ま、まずい、クランクの死刑が、決まってしまった!」
「なっ…証拠か何か見つかってしまったんですか!?」
「いや、手紙にはなんとも、だが軍は裏切りにかなり厳しい…疑いだけでも結構しかねんのが現実だ」
「そんな…」
「だからハイル君、申し訳ないんだが直ぐに向かってもらえないか、リオードは君なら可能だと手紙には書いてあった。頼む、私の友人なんだ!!」
ハイルの両肩を掴んでこちらを真っ直ぐに見据えるとナルディオは深々と頭を下げた。
「頼む!」
これは頼まれたことだ、勿論ハイルの答えはイエスだろう。
しかしそれは強硬手段に出るという事だ、人を斬ることになるかもしれない。
ああ、こんな事になるなんて、血を見るのが怖い。
だけど…このままじゃダメなんだ。わかっている。前を向くんだ。
頑張れ俺!頑張れ俺!頑張れ俺!頑張れ俺!!
「…わかりました。貴方の友人を俺に助けさせてください!!」
「あ、ああ、ありがとう!」
ハイルはステータス画面から装備を変更して白い騎士甲冑へと姿を変えた。
腰には騎士剣+10というゲームではありふれた剣があった。
この世界では普段使っていた剣では強すぎるためインベントリに残っていたこの一番弱い剣にしたのだ。
「君は騎士だったのか…しかしどこかで見た気がするな…?」
「そうですか?ともかく今は急ぎます」
「ああ、これが行き先を記した地図だ。昨日のうちに書いておいて良かった。良いか、この屋敷を出たら左に真っ直ぐ行くと門がある。今は緊急事態だから突っ切るんだ。私が後で事情を説明しておく」
「わかりました」
「頼む」
ハイルは短く頷くと窓を開けて縁を蹴った。
その速さたるや否や、直ぐに見えなくなった。
その姿にナルディオは息を飲んだ。
「なんという…」
「凄いですね。彼は」
「ああ、全くだ」
―――
ハイルが寝静まっていた夜のことだ。
王都メンタークにて件の殺人鬼が再び姿を現していた。
月も隠れる夜で未だその姿を目撃したものは居らず昼間の捜索でも犯人は見つかっていなかった。
だが、その日は違った。
王国の騎士団も夜間警備に力を入れて兵士二人騎士二人魔術師一人という五人一組で巡回をしていた。
「ぐわぁぁぁぁぁぁ!?」
男性の悲鳴を聞いて近くを巡回していた騎士達が声の方へと走っていく。
住居区域の片隅にある広場までたどり着くと人の気配がしたので立ち止まる。
兵士が持っている松明だけでは姿が分からないので魔術師が即座にライトを発動する。
辺りが照らし出されてその姿を浮き彫りにした。
「ッ!」
「黒い…騎士…?」
魔術師がその姿を見てそう呟いた。
漆黒の甲冑と兜に身を包み、その右手にはそこだけ光が届かない暗がりの様な剣。
そしてその足元で血だまりを作って倒れている男。
「貴様が報告にあった人斬りか!」
騎士の一人が叫ぶと今気が付いたかのように黒騎士がゆっくりと叫んだ騎士の方向を向いた。
「…」
「捕まえるぞ!」
「ああ!」
騎士二人が左右から挟むように突撃する。
それを見て黒騎士は特に何かするわけでもなくただ棒立ちのままだった。
そのはずだった。
兵士達は見た。
突撃した騎士の二人が黒騎士に2メートル程の距離に近づいた時、腰からスライドするように上半身が崩れ落ちた様子を。
「へ?」
そんな間抜けな声が騎士から漏れると同時に上半身が地面に落ちたと同時に体が真っ二つに割れたのだ。
兵士は信じられなかった。
黒騎士は剣を振った素振りすら見せていない。
だが現に二人の騎士はぶつ切りにされた魚みたいにされている。
だからとても怖くて仕方なかった。
得体の知れない敵が怖くなった。もしかしたらあれは人間ではないのかもしれない。
たまにしか見ない小物の魔物なんかではなく、もう数年以上姿を見せなくなった本物の魔物なのでは?
と考えてしまう。そこまで考えてしまえばもう目の前の黒騎士が物語に出てくる魔人に見えて仕方が無かった。
黒騎士が次の標的だと言わんばかりにこちらに一歩足を踏み出した。
それが合図だった。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
兵士の叫びが合図となって後の二人が背中を見せる。
魔術師は少しでも早く逃げようとライトを消してヘイストを唱えようとする。
「加速、走破」
黒騎士がそう呟いた。
それは熟練の兵士が会得できる戦士職の技能だった。
当然その効果がなんなのか兵士は知っている。
自分たちのリーダーが使うことがあるからだ。
ライトが消える直前、追いかけて来ないか気にして後ろを見ていた兵士は黒騎士が掻き消えたのを見た。
それが始めの合図、それが終了の合図。
その場に新たに三つの血だまりが増えたのだった。
―――
ハイルは飛び出したと同時に戦士職系統で獲得できる一日3回まで使えるスキルを発動していく。
「能力向上、能力超向上、直感回避、、加速、疾風加速、流水加速、走破、疾風走破、流水走破」
ここまで重ねがけすればもう誰にも追いつけまい。
ハイルはドラッグマシーン顔負けのスピードで瞬く間に壁を飛び越えて目的地まで突き進んだ。




