第弐話 女神の子守唄
夢を見た。
「お願い、もう少しだけ・・・」
彼女はそう言って悲願する。
その傍らには彼女の母親が眠っていた。
―もう目覚めることのない母。
それでも家族は奇跡を信じ、
いつも寄り添っていた。
だが、家族の願いは虚しく潰えてしまい、
僕が来てしまった。
その魂を引き裂きに―。
彼女は母親を見つめ
「母には何もしてあげてないの」
「だから・・・」
涙で言葉に詰まりながらも
彼女はそう言う。
―私はもう、十分よ・・・。
母親はそう言うが、
その言葉はもう彼女には届かない。
僕は首を横に振る。
「残念ですが・・・」
「その願いを聞くことはできません」
僕は大鎌を掲げる。
「―もう、解放してあげてください」
「これ以上は・・・残酷すぎます」
僕がそう告げると
彼女はその場に泣き崩れた。
―慈悲をくださるのね。ありがとう・・・
母親の声が心に響く。
「ありがとう」なんて言わないで欲しい。
僕は、貴女の最愛の家族から
貴女を奪ってしまうのだから。
涙で目の前が霞んだ。
「―魂を今、解放します」
僕は静かにその魂を引き裂いた―。
僕はそこで目が覚める。
頬には涙が伝っていた。
―また夢で泣いてしまった。
つくづく、弱い自分が嫌になる。
ベットの脇にある大鎌を見つめる。
それは月明かりに照らされ、
青白い光を放っていた。
この大鎌で幾千の魂を引き裂いてきた。
僕はそのたびに哀しい運命の許しを乞う。
僕はベットから起き上がり、窓を開ける。
今日は満月だった。
微かに優しい音色が聴こえる。
―あぁ、今夜は月の女神がハープを奏でているのか。
僕は翼を広げ、窓から外へ出た。
漆黒のローブの裾と
青みがかった黒髪に星を従え、
月の女神は雲の隅に座り、
ハープを奏でている。
僕に気づいたのか、
でもこちらには顔を向けずに
「今宵はどうしたのだ?」と聞く。
僕は頭を下げ、
「夢を見て・・・目を覚ましてしまいました」と言う。
「泣きながら目を覚ましたのか」
僕を見ていないのに判るようだ。
僕は思わず俯く。
僕は女神から少し離れた所に座る。
しばらく黙って女神の奏でるハープに
耳を澄ませた。
「あの任務は
僕には向いていないといつも思うのです」
そう呟くと
「何故そう思う?」と問う。
僕はしばらく黙り、
「躊躇うことなく、魂を切り裂くことなど・・・
僕には出来ません」と応えた。
女神の奏でる音楽が途絶えた。
僕は顔を上げる。
女神は僕を見つめていた。
そして、静かに立ち上がり、
僕の傍に来た。
僕はまた俯き、
「それが僕の仕事だというのは
十分判っているのです」
「でも・・・その絆を断ち切ってしまう自分が
嫌になってしまうのです」
「時に・・・逃げ出したくなってしまうのです」
堰を切ったように言葉を連ねた。
女神は黙って僕の言葉に耳を傾けていたが、
その手を伸ばし、
僕の髪をそっと撫でると
「お前は心優しい子なのだな」と微笑む。
「い、いえ・・・」
「僕は優しくなんかありません」
「許しを乞いながらも、涙を流しながらも」
「最期には・・・引き裂くのですから」
「僕はただの偽善者です」
そう応えながら、僕は涙を零した。
女神は僕の髪を撫で続け、
「優しさ故に自分を追い込んでしまうのだろうな」と
優しく諭す。
そして僕の目を見ると
「私はお前を偽善者だとは思わない」
「見てみろ」そう言って彼方を指差す。
―そこには魂たちがキラキラと
星のように輝いている。
「お前が引き裂いてきたという魂たちだ」
「あんなに強い光を放つ魂はお前にしか連れて来れない」
「お前にしか出来ないのだよ」
光を持つ魂は転生が早いと聞いたことがある。
転生。つまりは生まれ変わるということ。
自分の運命を受け入れ、清い心にならないと
すぐに生まれ変わることは出来ないという。
「僕にしか・・・?」そう問うと
女神は頷く。
「その優しい心が魂を清めているのだよ」
そう言った。
僕は今までずっと、その優柔不断ゆえに
他の誰よりも罪深い者と思っていた。
でも女神はそれを否定してくれる。
「もっと自信を持て」
「私はお前を信じている」
女神はまた僕の髪を撫で、そっと離れる。
そしてまたハープを奏で始めた。
「今宵はもう戻りなさい」
「お前が眠りに就くまで、ハープを奏でてやろう」
「ゆっくりおやすみ」
しなやかなその指がハープの弦を揺らす。
「―おやすみなさい」僕は頭を下げ
翼を広げた。
部屋に辿り着いた時も
女神のハープは曲を奏でていた。
―この曲は・・・
幼い頃に女神がよく聞かせてくれた
懐かしい子守唄だった。
―母さん、ありがとう。
僕は目を閉じた。