第伍話 黒猫ジオン 前編
その黒猫に出逢ったのは
まだ寒さが残る3月のこと。
その子は小さな箱の中で
兄弟たちとうずくまっていた。
何となく気になり、
僕は降りる。
「こんにちわ」そう言って
箱を覗き込んで
僕は絶句した。
―この小さな黒猫以外は
皆天使になっていたからだ。
それでも暖かさを求め、
身を寄せているその姿を見て
僕は切なくなった。
母猫は・・・?
辺りを見回すが姿はない。
この寒さじゃ…。
この子もこのままでは
そう長くはないだろう。
そっと抱き上げると
黒猫は弱々しく目を開けた。
「可哀想に・・・」
そう言うと
「…おなかすいた」
黒猫はまた目を閉じた。
それから数年後。
その黒猫は
3人家族の家に引き取られた。
と、いうより僕が
この子を家族にしてくれそうな
家の前に置いたのだけど・・・
黒猫は「ジオン」と名前を付けてもらい、
平和な日々を過ごしていた。
僕は時々ジオンに逢いに行く。
「やぁ」仕事を終えた僕は
ジオンの家に降り立った。
ジリジリと夏の陽射しが照りつく
縁側の木陰で
そのしなやかな身体を伸ばしている。
僕には感じないのだけど
寒がりの猫も
こんなになるくらいだもの、
相当暑いのだろうな・・・
ふと笑いがこみ上げた。
僕に気付くと、少し首を上げ、
「…よぉ泣き虫の死神」と言うと
また目を閉じる。
―随分と嫌味を
言えるようになったんだな・・・
そう思いながら
「今日は泣いてないよ!」と言うと
「強がりは止しな」
「泣いた後が見えたぜ」
そう言われ、僕は言葉を失くす。
ジオンには何でもお見通しだった。
ジオンは起き上がると、
ひょいっと僕の肩に乗る。
そして僕の頬にすり寄って
「仕事、お疲れさん」
そう言ってくれた。
「ん、ありがとう」
僕はジオンの頬を撫でた。
「ねぇ、ジオン」
「君の夢って何?」
そう聞くと
ジオンは少し考えてから
「そうだなぁ」
「紫苑と話をするコトかな」
そう言って僕の肩から降りる。
紫苑とは、
ジオンが一緒に住んでる
女の子のことだ。
ジオンは紫苑が大好きで、
いつも彼女のことばかり
話していた。
「でも人間と猫は話せねーもんなぁ!」
そう言って笑う。
「あのさぁ」そう言われ、
僕はジオンを見る。
「お前は死ぬ時に」
「一つ願いを叶えてくれるんだよなぁ?」
冗談っぽく、
でも真剣な眼差しで僕を見る。
「な、何言ってんのさ?」
そう言うと
「叶えてくれるのかって聞いてんだよ」
そう言って僕を睨む。
「う、うん…。」そう言うと
「そっか、んじゃそん時に」
「紫苑と話が出来るようにお願いするか!」
そう言うとジオンは丸くなった。
ある日、ジオンと僕が
庭先の木蓮の上で
話をしている時に
紫苑が帰ってきた。
彼女を見るのは久し振りだった。
ジオンがこの家に来た時は
まだ小学生だった彼女が
今では高校生になっていた。
「お、紫苑が帰ってきたな」
そう言ってジオンが木から降りる。
僕も後を追った。
「あの子があの紫苑…ちゃん?」
そう聞くとこっちを見て
「手ぇ出すなよ」
「引っ掻いてやるからな」と睨む。
「なッ、何で僕が!」
カァっとなりそう怒鳴る。
「僕は人じゃないから」
「彼女には見えないし…」
そう言うと
「誰かいるの?」
彼女がこっちに来た。
僕と目が合う。
その目は少し警戒していたが、
ジオンが僕の隣にいるのに
気づくとその警戒を解き、
僕に少し微笑みかける。
―え・・・?
混乱していると
「ジオンのお友達?」と言ってきた。
僕とジオンは互いを見合わせる。
まさか―
「あなたがいつもジオンと遊んでくれてるの?」
「ありがとう」そう言って
僕にお辞儀をしてきた。
僕も反射的にお辞儀をする。
僕のことが見えるんだ。
「この暑いのに黒いマントなんて」
「インドの結婚してる女の人みたいね」
そう言って彼女はクスクスと笑う。
「おい、どういうことだよッ?!」
ジオンが僕に言う。
「わ、判らない。僕も知らないよ…」
そう言うしかなかった。
僕は上司の部屋へ向かった。
今後のリストを見せてもらうためだ。
「一度も見たことがなかったのに」
「どういう風の吹き回しだ?」
そうからかいながらも、リストを見せてくれた。
藤原紫苑
9月12日午前8:26
通学途中で交通事故
彼女に僕が見えるのは当然だった。
その時期が迫っていた。
でも任務執行するのは
僕ではなかった。
複雑な気持ちだった。
このことをジオンに話したら…
彼はきっと激怒するだろう。
でも僕にもどうすることも出来ない。
ジオンは待ちかねたように
僕を見つけると飛んできた。
「おい、どうだったんだよ?」
逢っていきなり聞いてくる。
「う、ん…」そう濁わせていると
「やっぱり紫苑は近いうちに死ぬんだな?!」
「そうなんだろ?!」と怒鳴る。
僕が黙っていると
「いつだ?」
「いつどこで?!」と更に怒鳴る。
「それはジオンにも教えられない」
そう言うと
「あぁ!そうかよッ!」
「だったらいいよ!もう来るな!!」
「てめーと知り合ったばっかりに」
「一番聞きたくねーこと聞いちまったよ!!」
そう怒鳴ってジオンは
何処かへ行ってしまった。
「ごめん…」
僕はそう言うしかなかった。
そしてついに
その日がやってきてしまった。
僕は上司にお願いして、
任務をさせてもらうことにした。
最期の時、ジオンと
話をさせてやるために。
これくらいしか僕には出来ないから…
紫苑がいつものように家を出る。
少し遅れたのか、
彼女は早歩きになって
しきりに時計を気にしている。
僕は彼女に
気付かれないように後を追った。
小さな影が、
彼女に気付かれないように
後をつけてるのが見える。
―ジオンだ。
彼はあれから彼女を守るように
後を追っていたのを
僕は知っていた。
僕はジオンの前に降り立った。
「お前が…やるのか」
そう言うとジオンは僕を睨む。
「ジオン」
「運命は…変えられないんだよ」
そう言うと
「だからって」
「はいそうですかって言ってられるかってんだよッ!」
そう怒鳴ると
僕の横をすり抜けて
紫苑を追った。
「ジオン!」
僕も急いでその後を追った。
彼女の足は更に早くなってる。
時計を見る間隔も多くなってきた。
電車に乗り遅れるのを
気にしてるのだろうか。
遠くで車の音がした。
その時がきたようだ。
彼女はこの車に跳ねられ―。
僕が彼女の前に
降り立とうとした、その時に
ジオンが彼女の前に飛び出してきた。
え―?
僕は一瞬、困惑した。
車の急ブレーキの音が
朝の穏やかな時間を切り裂く。
そして…
花びらが舞うように散った。
散ったのは彼女ではなく、
ジオンだった。
座り込む彼女の前に
ジオンが横たわっていた。
―こうなることは判っていたはずだった。
僕が彼を押さえつけてでも
止めるべきだったのだ。
僕は自分の愚かさを呪った。
彼女はじっとジオンを見つめ、
微かに泣き震えながら
「ジ、オン…?」と呟く。
僕はその前に降り立った。
「ジオン・・・」
「無理やりにでも」
「止めておくべきだったね」
「ごめん・・・」
そう呟き、俯く。
だがその返事はなく、
力なく僕を見ると
「―最期の願い」
「聞いてくれるんだろ…?」
そう聞いてくる。
僕は涙で霞む目を
擦りながら頷いた。
そして、大鎌を振りかざした。
「紫苑、泣くな」
ジオンがそう言うと
紫苑は顔を上げた。
「ジオン?」
そう言って彼女は
ジオンを抱く。
「お前のこと」
「守れて良かったよ」
「な、何言ってんのよぉ!!」
「しっかりして!」
そう紫苑が叫ぶと
「もう守ってやれねーけど…」
「ごめんな」
ジオンはそう呟いた。
「ジオン」
「そんなこと言わないで…」
紫苑は泣きながら
ジオンを抱きしめる。
「オレはお前と逢えて」
「幸せだったよ」
「ありがとな」
ジオンはゆっくり呟いた。
「おい…」
ジオンが僕を呼ぶ。
「そろそろ時間なんだろ?」
「その大鎌を振り下ろせよ」
そう言うと紫苑は
「イヤよ!」
「ジオンが死んでしまうなんて…」
「絶対にイヤよ!!」
そう言って
僕に振り返り、睨んだ。
「あなた、死神だったのね?!」
「何よ、あんなに親し気に話してたくせに!」
「そうやって簡単に命を奪って」
「何が楽しいのよッ?!」
そう叫ぶ彼女に
「紫苑」とジオンが言う。
「こいつも色々大変なんだよ」
「判ってやれよ…」
「それに」
「楽しかったら」
「あんなに哀しそうな顔をする訳ないだろ?」
そう言われ、彼女は僕を見た。
僕は顔を逸らした。
「ご、めん…」
僕にはそれしか言えなかった。
「紫苑」
「またな」
そう言って
ジオンは目を閉じた。
「ジオン」
「あたしも幸せだったよ」
「ありがとう…」
紫苑はジオンを強く抱きしめた。
また僕は、引き裂いてしまう。
愛しい者から奪ってしまうのだ―。
刹那が涙になって溢れ出た。
「―貴方の魂を今、解放します」
僕は大鎌を振りかざし、
そして引き裂いた―。
「ジオン!!」
彼女の叫び声が耳に痛かった―。
―第伍話 前編 降幕―