第壱話 銀色の三日月
僕はこの仕事には向いてないと
いつも思っていた。
上司に呼ばれ、
僕はその部屋のドアをノックし
「―失礼、します・・・」
そっと顔だけ出す。
上司は僕の顔を見ると
テーブルを顎で差し、
そのまま黙って背中を向けた。
僕は恐々と部屋に入る。
そこには報告書が山積みになっていた。
よく見ると僕が書いたものだった。
「何かミスでも・・・?」
そう呟くと
上司は振り返り
「・・・13時間45分23秒」
そう呟いた。
僕が任務を遂行するまでの
タイムロスの累積時間だった。
思わず俯く。
「急かしてるわけではないんだが」
「あまり時間を延ばすのも・・・」
「相手にとっていいものではないだろう」
「はぃ・・・」
そう返事をするしかなかった。
「上層部からも苦情が絶えない」
「今度からはしっかりやれ」
そう言うと上司はまた背中を向ける。
「―失礼しました」
そう言って僕は頭を下げ
部屋を後にした。
―オマエにはまだ躊躇いがある。
そう同僚に言われたことを思い出した。
魂を切り裂き、
それを奪い、
連れていくのに
何故皆、躊躇いがないのだろう。
それが任務だから・・・
そう言われてしまえば
元も子もないのだけど。
そんな僕にも仕事は来る。
僕は上司に渡された資料に目を通す。
名前 桂木 初音 5歳
先天性の心臓病を持ち、
生まれてから
病院を出たことがほとんどない。
執行日
5月11日午前1時23分
担当 0017
0017とは僕のコトだ。
ここでは名前はなく、数字で呼ばれる。
「5歳で・・・」
きっともっともっと、
友達と遊んだり、
両親と話をしたいだろう。
外に出て思いっきり
走り回ってみたかっただろう。
そう思うと胸が痛かった。
―そして、その日はやってきてしまった・・・
僕は翼を広げて、彼女の元へ向かった。
右手には凛と輝く大鎌。
この鎌で・・・
彼女の魂を引き裂きにいく。
彼女の病室の窓辺に降り立つ。
シュー、シューという機械音だけが響いていた。
僕は彼女の傍へ近づく。
たくさんの機械とチューブで繋がれた彼女。
もう自分で動くこともないだろう。
最期に自由な一時をあげよう。
「今、楽にしてあげるね・・・」
そう呟き、彼女の額に手を当てる。
やがて、その愛らしい瞳が
ゆっくりと開いた。
「・・・だぁれ?」そう聞かれ、
何も言えずに黙っていると
「あ、天使さん?」とニッコリと笑う。
「・・・ちょっと違うかな?」そう答えると
「違わないよ、天使さんでしょ?」
「ママが良いコにしてたら」
「天使さんが来てくれるって言ってたもん」
「そうなんだ」僕はそう答えるしかなかった。
彼女は起き上がり、
確認するかのように
ピョンピョンと飛び跳ねると
「もうどこも痛くない!」と目を輝かせる。
動けるのが嬉しいのか、
病室の中を走り回りだす。
「あなた、やっぱり天使さんじゃない!」
「あたしのこと治してくれたのね!ありがとう!」
僕を見てニッコリ微笑んだ。
僕は複雑な気持ちで彼女を見る。
その足がピタッと止まる。
「あれぇ?あたしがもう一人いる」
もう一人の・・・
いや、現実の自分に気付いた。
不思議そうに見つめる。
「そこに寝ているのは・・・」
「本当の君だよ」
そう言うとまた不思議そうな顔をして
「ほんとうのあたし?」と聞き返す。
小さな彼女に言っても理解できないだろう。
魂が身体から離れ、蜘蛛の糸のような
細い絆でしか繋がっていない。
その蜘蛛の糸を
最期に引きちぎるのが・・・僕の任務。
「どうなってるの?」
彼女の疑問に僕は言葉を選ぶ。
そして寝ている彼女を指差し、
「君のあの身体はもう自分では動けないだろう?」
そう聞くとしかめっ面をして頷いた。
「おもちゃとか壊れると動かないよね?」
「身体も同じなんだ。だから・・・」
「だから新しい身体と交換するんだよ」
「そのために身体から君の中身を出したんだ」
そう言うと
彼女は自分の掌を見つめ
「ふーん、天使さんって凄いのねぇ」と感心する。
そして僕を見上げると
「交換すれば元気になれる?」と無邪気に聞いてくる。
「うん・・・・」
僕はそう答えるしかなかった。
交換。こっちの世界では「転生」のこと。
実際彼女がいつ転生するかなんて僕には判らない。
しかも人間に転生するとは限らない。
幼い子相手だと思って
いい加減なことを言ってしまった・・・と後悔した。
寝ている彼女と繋がっている機械から
慌ただしく警告音が響いた。
やがてバタバタと人が病室に入ってくる。
僕の傍にいた彼女は無邪気に白衣を着た男性に
「あ、先生だ!こんばんわ!」と近寄っていくが、
先生は険しい顔のままだった。
「どうしたの・・・?」先生の顔を覗き込む。
少し遅れて一人の女性が飛び込んできた。
どこかで休んでいたのか、
その顔は憔悴しきっていた。
「ママ!!」
彼女がそう叫んで微笑む。
でもその姿を見つけることもなく、
「はっちゃん・・・・!」
「初音!!!」とベットに駆け寄る。
「ママよ、判る?」
必死に寝ている彼女の手を握り、声をかける。
「ママ!あたしはここよ!」
必死に母親に訴えるが
その声は届かない。
僕は彼女の背中をそっと抱いた。
「天使さん、ママが・・・!」
振り返ったその目に
涙がいっぱい溢れている。
僕も必死に堪え、
黙って抱きしめてやることしか出来なかった。
警告音は更に響き渡り、
ペースが速くなってきている。
―そろそろ身体の最期がきているようだ。
「ママが泣いてる」
止める僕の手を払い、
彼女がゆっくり母親の傍へ行く。
泣いてすがる母親の髪をそっと撫でると
「ママ、もう泣かないで・・・」と呟き、
大粒の涙を落とした。
まだ幼いのに、
母親の心配をしている。
僕は胸がまた痛くなった。
そんな彼女を・・・
ここで引き裂けというのは
あまりにも残酷すぎる。
僕は彼女に
「おいで」と手招きする。
彼女は僕の傍に戻ってきた。
そしてその頬を涙を拭ってやる。
「君の願い、叶えてあげる」
僕は掌に受け止めた彼女の涙を宙に投げる。
フワフワとシャボン玉のように
高く舞い上がり、
ポンと弾け、眩しい光が差した。
母親はその眩しさに掌をかざし、
天井を見上げる。
母親以外の人間は
静止画像のように動かなくなった。
僕はそっと彼女の背中を押し、
「ママと話が出来るよ」と言うと
僕を振り返り、
「ほんとう?!」と笑う。
僕も笑って頷いた。
彼女は母親に駆け寄り、
「ママ!」と声をかける。
母親は呆然とした顔で彼女を見る。
「は・・・っちゃ・・ん?」
「ママ!」
彼女は母親の胸の中へ飛び込む。
「はっちゃん・・・!」
母親も彼女をぎゅっと抱きしめた。
彼女はさっきのように
母親の髪を撫で、
「ママ、もう泣かないで」と呟く。
母親は首を横に何度も何度も振った。
僕に気付いたのか、母親と目が合う。
「あなたは・・・まさか・・・」
僕は母親から目を逸らさずに
「お嬢さんを迎えにきました」
そう言った瞬間に母親の目から怒りが見えた。
「この子は絶対に渡さないわ!!」
「死神になんか絶対に!!」
そう叫ぶのと同時に涙が溢れていた。
「ママ、このお兄ちゃんは死神じゃないよ」
そう言われ、母親は彼女を見る。
「天使さんだよ。ね?」僕を見て笑う。
「天使さんねぇ」
「あたしの壊れた身体を交換してくれるんだって」
「そしたら元気になれるんだって」
そう続ける彼女を母親はさらに抱きしめる。
「嫌よ・・・絶対に嫌!!」母親はまた叫ぶ。
そう、僕は天使なんかじゃない。
貴女の愛しい者を奪っていく、死神―。
本当は奪いたくなんかない。
いつまでも寄り添っていて欲しい。
でも―。
哀しい運命が、
誰をも超えられない運命が
すぐそこで手招きしている。
その手招きをしてるのは・・・僕。
「―ではここままで良いと言うのですね?」
「死神」の僕がそう告げた。
母親はハッと顔を上げる。
「でもこのままでは・・・」
「さらに彼女は苦しみます」
「動くこともなく、話すこともなく」
「ただ・・・そこに横たわり・・・」
「その身体はやがて衰弱してゆき」
「見る影さえなくなる」
「僕が仮にここで何もせず去ったとしても」
僕は深呼吸をする。
「―違う死神がその魂を断ちにきます」
「貴女が悲願しても」
「奪ってゆくでしょう・・・」
自分の冷静さに内心驚いている。
やっぱり僕は「死神」なのだ。
「もう・・・」
「変えられない・・・のね」
母親は彼女を抱きしめたまま呟く。
「はい、残念ながら・・・」
僕は掌をきつく握る。
氷のように冷たい。
沈黙が重くのしかかった。
黙って抱きしめる母親に彼女は
「ママ、約束する」
「元気になってママの所へ帰ってくるから」
「ママと少し会えなくなるのは寂しいけど」
「ちゃんと帰ってくるから!」
そう言って母親を見る。
「は・・・っちゃ・・・」
言葉に詰まる母親の顔を覗き込んで
ベットの自分を指差し、
「だってあのままじゃ」
「ママとお話できない」と言った。
「いいのよ・・・」
「ママはお話しなんか出来なくっても・・・」
「あたしが嫌なの!」と叫ぶ。
その言葉で母親は黙り込み、
その場に泣き崩れた。
「―そろそろ行こう」
僕がそう言うと彼女は頷き
母親をギュッと抱きしめる。
「ママ、いってきます」
彼女は満面の笑みで母親に言う。
「はっちゃん・・・・」
涙声で名前を呼び、
「・・・いってらっしゃい」
「気をつけるのよ」と必死に笑顔を作った。
「はーい!」
彼女は母親に手を振って
僕の傍に来る。
僕は右手の大鎌を掲げる。
「―貴女の魂を今、解放します」
そう言うと
彼女は目を細めて
「キレイ・・・」
「まるで銀色の三日月さまみたいね」と言った。
5月11日午前1時28分。
銀色の三日月は
彼女の魂を静かに引き裂いた。
機械の警告音が単音になった。
鼓膜を裂くような音。
やりきれなくなり、僕は顔を逸らした。
宙を見つめたままだった母親が
「・・・いってしまったのね」と呟いた。
「はい・・・」
僕はそう答えるしかなかった。
母親は僕を見ると
「これで良かったのかしら・・・?」と聞く。
「ええ」
「貴女はちゃんと笑顔で送り出しましたから」
そう言うと苦笑いで僕を見て
「・・・あんなの」と俯く。
「笑顔で送り出してくれたから」
「彼女は約束が果たせそうですよ」そう言うと
母親はハッと顔をあげ、
「ぇ・・・」と小さく呟く。
「元気になって貴女の元へ戻るといった約束ですよ」
そう告げた途端に母親は
彼女の名前を叫び、
その場に泣き崩れた。
何度も、何度も呼ぶ。
もう二度と返事が来ないのを知りながら―。
「では、僕もそろそろ失礼します―」
そう言うと母親は顔をあげる。
そして一言。
「貴方は・・・天使なの?」そう尋ねる。
「いいえ」
「僕は・・・・」
「貴女のいうとおり、死神です」
「魂をこの大鎌で引き裂く・・・・」
「死神です」そう答えると
フッと笑い、
「死神でも泣くのね・・・」と呟く。
何時の間に、僕の瞳からは涙が溢れていた。
僕は顔を逸らし
「では―」一言告げると
大鎌の杖でトンと床を突いた。
全ての時間が再び流れ始めた―
許して欲しい。
貴女から愛しい者を奪っていく僕を。
この世に生を受けたときから決まっていた
哀しい運命を―。
任務遂行報告をするために
僕は上司の部屋にいた。
上司は僕の報告書を黙って見つめている。
今回は5分も過ぎてしまっていた。
きっと何か言われるに違いない。
僕はぐっと肩に力を込めたまま待っていた。
やがて上司の溜息が聞こえ、
バサッと書類を放る音がする。
「今回は5分か・・・」やっぱり言われた。
「申し訳ありません・・・」そう言って頭を下げる。
上司は僕を見ると
「まぁ・・・今回は幼い魂だったしな」
「よく説得できたな」と僕が思っていた返答とは
違うのが返って来てビックリした。
「説得も・・・何も・・・」と呟くと
「まぁそこがお前の良いところでもある」と笑う。
「ハァ・・・」褒められてるんだろうか・・・?
よく判らない。
上司は窓辺に立ち、僕に振り返ると
「そう言えば、あの魂」
「転生が決まったらしいぞ」と言う。
もしかして、あの子・・・?
あまりの早さにビックリする。
「最期の対話とお見送りが効いたらしいな」
そう言って笑った。
「―そうですか」僕も思わず笑みが出る。
僕が奪った魂が、
また何処かで誕生する。
あの母親のところだと良いのだけど・・・
いや、心配はないだろう。
きっとあの子は無邪気にこう言っている。
「絶対ママのトコじゃなきゃイヤ!!」って―。
―第壱話 降幕―