後編
獣人についていくと、そこはこの街で一番高いと有名な宿だった。どうやらこの獣人の宿らしい。お帰りなさいませ。と声をかけてきた受付の淫魔の青年は、後ろの私をみると
「お客様、申し訳ありませんが…」
と険のある声で、獣人への態度を急変させた。そして放たれる刺のある魔力
「安心しろ、ロサの許可なら出てる。」
獣人がひとことそう言うと、淫魔は驚いた顔になり
「失礼いたしました。」と頭をさげた。そうですか、やっと…横を通りすぎるときに聞こえた安堵のにじむその声が、なんだかとても印象的だった。
扉を開けて案内された部屋は、応接室のようなイスとテーブルのある部屋だった。
獣人は繊細な作りのイスに、不釣り合いなほど勢い良くドカリと座り
「よし、どんとこい!」
と膝をたたいた。この期におよんで尻込みしていた私はその勢いにちょっと笑ってしまった。
「ほんとに、いいの?」
近づいてもう一度問う。
「おうよ、男に二言はねえよ。幸い体だけはでかいからな、てめえみてえな小さなガキに血ぃすわれて死ぬようなこともねぇ」
ぐうとお腹から音がなる。
「だからさっさと喰いいやがれ。」
捕まれた手をぐいっと引っ張られ、バランスを崩して私は、獣人の片膝に正面から座ることになった。首筋の一番太い血管を走る、どくどくと脈打つ、その血の流れが皮膚の上から見えるみたいだ。
「痛いかもしれないよ?はじめてだから下手だし、吸いすぎてカラカラになっちゃうかもしれない…」
目はもう、そこからはなせなかった。お腹はぐーぐーきゅーきゅーうるさいくらい。
「ガキがこまけぇこと気にすんな。」
私の懸念は鼻で笑われた。そして頭を無理やり首筋によせられる。
「ぐだぐだ言わずに、とっとと喰って腹一杯になりやがれ。」
私は覚悟を決めて、すっかり吸う気満々に尖っていた牙を、その獣人の首筋にブツリと突き立てた。
ビクリと獣人の体がはねる。
「うっ…うぐっ…」
何かに耐えるようなくぐもる声、ギリリっと音がなるほど、固く椅子を掴んだ手に浮かぶ血管。
それを横目でみながら大丈夫?と問いかけることは出来なかった。
あつくて、濃厚でクセの無い美味しい血が口一杯に広がる。
美味しい、美味しい、美味しい!!
この血より美味しい血なんて他に無い。
ごくごくと喉を通る度に体に戦慄が走る。
一気に血を吸いすぎて息が苦しい。
口を外して「ふはぁっ!」と空気を胸一杯吸い込む。はあはあと息を整える。
いつもは飲んでも飲んでも足りないのに、獣人の血はちょっとしか飲んでないのに、もうお腹は一杯だ。少し残念、もっと飲みたかったのに。けれど、お腹がほかほかと暖かくて、とても幸せな気分。
「ん?もういいのか?遠慮なく吸え、木ねずみ6匹と角ウサギ5匹分くらいの覚悟はできてるぞ?」
なんだろう?その妙に現実的な数字は。不思議に思いながら、牙が抜けた穴から垂れる血をぺろりとなめとる。
「甘い。なんでだろ?さっきは甘くなかったのに。」
凄く甘くて濃厚で、でも全然、くどくなくて…幸せになる味。食後に最適!そんな味。
「おう、どんどん飲め、腹一杯飲め。」
ほれほれ、と急かす声にふふふっと笑いが溢れる。もうお腹は一杯だ。一杯すぎて苦しすぎて動けないくらい。
「もう、お腹が一杯。一杯すぎて動けないよ…凄く幸せ。お腹が一杯になるってこんな気分なんだ…」
体中指先までほかほか。
あったかくって幸せで、なんだか力が入らない。
「ん?なんだ?眠いのか?腹一杯になったら眠くなるなんてほんとガキだな~腹一杯食べて良く寝て大きくなれよ。よいしょっと」
掛け声とともにふわりと体が浮かぶ眠くて眠くてしょうがない。
「ねえ、なまえ…」
「ん?俺はグレイだ、グレイ・リカントロープ。おやすみマニー俺の番…」
そう聞いた言葉が最後に私は深い眠りに捕らわれた。私の名前、何で知ってるんだろう?
目が覚める。
そこは暖かく甘くて美味しい幸せのにおいのする優しい獣人の腕の中だった。。
いつもより体が軽い。まだ窓の外は暗い。けれど目はぱっちりと覚めている。頭の先から爪先まで隅々まで魔力が行き渡り、縮こまっていたものが伸びていく。そんな感覚。
敷布に髪の毛が肩から滑り落ちる。長い艶やかな黒髪。パサパサだったあの髪の毛とは全然違う。指も小さな子どものそれではなく大人のもの。
もそもそと動く私に気づいたのか、頭の上で寝ぼけた声が聞こえた。
「もう少し寝てろ…」
と私を腕の中に抱き込み…
「うん!?」と驚いたように見下ろしてきた。
「おはようグレン」
「うおっ!?うえっ!?マニー!?」
言葉もなく驚くその人の首に、するりと腕を回す。
そのいいにおいにうっとりとわらう。
「また、お腹すいたら食べてもいい?」
私にお腹いっぱいの幸せを教えてくれた人は赤くなった顔で目を泳がせて
「お、おうよ、好きなときに喰え。」と言ってくれた。
「名前ね、マディラだよ。マディラってよんで?グレン。」
マニーも嫌いじゃないけど、グレンにはマディラとよんでほしい。そう言って、まだ驚いているグレンの唇にキスを落とした。
私が獣人だと思っていたグレンは、魔人の狼男だった。
金色の三つ首竜が出てからら王都より派遣された軍の一団に居て、竜の棲みかの山の麓にある砦で幾度となく迫る竜から街を護ってきたらしい。
「まだ会えてなくても番の気配はずっと街にあったからな、絶対に竜に負けるわけにはいかなかったんだよ。」
実は何度か街に番を見に来ていたらしい。
「でもな、全然見つけられなかったんだよ。」
どうやらお腹を空かせすぎた私の体は、番へのアピールより生存に力をかけすぎていたらしい。
「そうこうしてるうちに100年ほど過ぎてたんだが…先日やっと3つ首竜が倒されて、砦の撤収が決まってな。いやー焦ったな。番を見つけずに王都にもどるわけにもいかんし、治療もそこそこにこの街へ来て街中を探しても、それらしき奴はいない。しかたなしにとりあえずギルドに寄ったら…ぴょんぴょん跳ねてるちいせぇこどもがいるだろ?吸血鬼だってのにウサギの匂いしかしねぇでも旨そうな匂いはするし…こいつは、番の近くにいるんだろうなって思ってな、次の日森に居るのを影から見てたんだ。ただな~腹を鳴らしながら木ねずみくわえて石を拾うお前が不憫でな…見てて悲しくなったぞ!?で、そわそわしてたら投げただろ?思わず考えるより先に体が動いてな~パクっといっちまったわけよ。」
「えっ!?あの犬はグレイだったの!?」
「おうよ、で、お前から貰った肉を食べたら判ったんだよな、お前が番だって。唾液、ついてたからかな?」
それでわかったの!?しかも唾液!?
「また、投げられた肉が美味くてな!いい感じに肉の水分と血が抜けてて噛みごたえもいいし。で、おもわず何個もせびっちまった。悪かったな。」
ニカッと笑うその顔はあの綺麗な犬いや、狼か…にはあまり似ていなかった。
「でな、腹がへってるならと山頂までひとっ走りして火とかげ捕まえてきたんだが、お礼がわりに猛烈撫でられてただろ?あれはヤバかった、番の手の気持ちよさはヤバイな。それまで耐えてたのに耳を噛まれた瞬間おもわず達っちまってよ~気持ちいいやら恥ずかしいやら情けないやらで…流石に凹んだな。」
私がほっこりしてたあの時、そんなことになってたのか…ちょっと聞きたくなかった。
「で、街にもどったらお前に声かけようとしたらえっらい怖ぇえ吸血鬼のねーちゃんに声かけられたんだよ、どういうつもりかってな。お前は番待ちの吸血鬼だから手をだすなって。」
「え?!」
それは、どういうこと!?私は街の吸血鬼に嫌われてたんだよね?
驚く私の頭をグレンが撫でる。優しい暖かな掌。
「吸血鬼や淫魔は何百年も同じやつと過ごすから情が深いんだと、だから街の吸血鬼や淫魔達はお前が番に会ったときに悩まなくていいように、番だけを選べるように離れてたんだとよ。もし、獣人が番だったときのために…吸血鬼の薔薇の館には近づけさせないようにしてたんだよ。裏では野良吸血鬼に手を出す奴等を潰しながらな。あの受付の淫魔も同じだよ。…お前、愛されてんだな。」
聞きながらぼろぼろ泣き出した私の頭をグレンがなおも撫でる。
「番も見つかったんだからもう良いだろ、街を出る前に話してこいよ」
ぽんぽんと背中を叩かれた。
優しい狼はやっぱり優しかった。
そして。私は王都に向かう。
街を出る前に街中の吸血鬼と淫魔におめでとうと言われ、号泣された。今も思い出すだけで胸が一杯になる。
「ねえ、グレン、あそこに木ねずみがいる!」指差した樹の上にはよく肥えた木ねずみ。
「ん?もう腹はすいてねぇんだろ?」
不思議そうな顔で私を見るグレンの腕にするりと手を絡める。
「だって、グレンあのお肉すきなんでしょ?」
にっこり笑うとグレンは「おう、そうだな」と言いながら照れて染まった顔を隠すように横をむいた。
太陽に曝された健康的な首筋には、昨晩私がつけた牙の痕がうっすら見える。
私にお腹いっぱい食べる幸せを教えてくれた人。
でも私はいつも腹八分目にしておく。
残りの2割は美味しいお肉を愛しい狼に作っ
てあげるために。