♯19 円月
頭に靄がかかっていたかの如く朧気だった、格闘術の記憶を、つい今しがた、確りと思い出した。
護身術だなんてとんでもなかった。
何かの勘違いだったのか、記憶のすり替えか、ともかく全てを思い出した以上、僕に敗北は無い。ハズだった。
だというのに、今僕は膝を地面に付いている。
油断していたのかも知れないし、一撃殴っただけで鎧がひしゃげた事に、余程驚いたのかも知れない。
頭の中に響く文目さんの声を聞きながら、溢れ出る血もそのままに、冷静に分析していた。
不意に体の中が熱くなり、意識がハッキリとする。
『あぁ、死ぬのかな』
なんて思った瞬間、頭の中に何かの意志を感じた。
「‥‥断赤刀刃」
ゴウと炎が音を立てて、蛇の様に、左腕に巻き付いた。
■■■
目の前で血に沈もうとする青い獣人の左腕を、真っ赤な炎が包む。
何者かの攻撃かと思ったが、どうやら魔法の炎ではないようで、魔力は感じられない。
バルは剣を構え直し、獣人を見据える。
今の一瞬は、本当に驚くべきモノだった。
[決死の一撃]は、発動者の防御力を一時的に下げて、下がった分を倍増した数値を攻撃力にそのまま上乗せする。
その上、相手の治癒力を奪い、魔法の効果を打ち消す疑似的な魔法防御を施す剣技である。
発動条件は、発動者の残り体力が1/4以下になるダメージを受ける事であるが、相手が隔絶した体力を持つ等の特殊条件を除けば、ほぼ間違いなく、一矢を報いる事の出来るスキルだ。
冒険者を初めて数年、本来なら、取得にもっと時間のかかる物のハズだが、獣人の強さは、今までに戦った、どんな存在よりも強かった。
『いや、恐らく、アルゼノや師匠と同じ位置の強さだ』
王国の剣聖と、冒険者ギルド唯一の拳聖に匹敵する強さであると評価しする。
皮肉にも、相手の強さが、バルの強さを、さらなる高みへ押し上げたのだった。
警戒を続けるバルは、獣人の左腕を包む炎が小さくなっていくのを、剣を構えたまま、見つめ続けた。
■■■
三代 重蔵は、地球で生活していた際、式神を使役していた。
勿論、漫画やアニメのような、特殊な魔物を使役する能力は無い。
目に見える妖を操る事は出来ないが、ちょっとした徐霊、浄霊が出来る程度には、いわゆる霊能力が有った。
そして、重蔵の式神は、七種、十四体。
その内、実家の蔵近くで拾った刀の鍔の欠片から生まれたのが、円月という刀剣の式神で、ちょっとした心霊スポットなら、何の障害も無く踏破出来るだけの力を持つ。
その円月が、生に縋る重蔵の意志に、反応した。
物理的な干渉力を持ってこの世界に顕現したのは、伝説に語り継がれる勇者の剣をすら、全てにおいて凌駕する、反則的な能力を有した暴力だった。
■■■
「‥‥円月」
僕がその名を呼んだ時、左腕を包んでいた真赤な炎は姿を消し
代わりに、柄に、そのまま拳を守る形で大きな半円に近い刃が生えた、特殊な形の刀剣が、姿を現した。
『え、なにそれこわい』
文目さんにドン引きされながら、体を起こす。
『‥‥‥、意志の疎通は出来ないですが、僕が地球で助けて貰っていた、式神ですね。円月と言います』
多分、MPが訳の分からない文字化けを起こしていたのも、地球から直接何かしらの力を吸い取る事が出来る事を、示していたのだろう。
文目さんが魔法の維持を僕の魔力で何とかしていたと聞いた時、なんとなく疑問を感じていた。
結界を使っても、文目さんが魔法を使っても、僕に直接的な被害は無かったし、疲労を感じる事も無かった為だ。
多分、目の前の剣士は、もうあのパッ○ンフラワー(闇)を発動するだけの魔力は残っていない。
朝が近づくにつれて力が弱くなった、と文目さんが感じたのも、残存魔力量に起因していたのだろう。
なんとなく、疲労しているのが見て取れる。
■■■
意味が分からない。
目の前の獣人が、脇腹を押えながら立ち上がる。
右手で押さえられた脇腹の傷からは、既に血は流れておらず、左手に握っている、見た事も無い武装は
何かしらの魔力を有している。
バルの魔法剣は、鋭利さを追求する魔法を有している。
太い木材なら簡単に両断し、岩や鉄にすら、大きく傷をつける事が出来る、魔法の剣。
相手が立ち上がると同時に、その剣を上段から降り降ろす。
今までの攻防で、大振りの攻撃は、その尽くを受け流された。
決定打となったのは、バルが無意識に発動した[決死の一撃]のみ。
それまでは、どう打ち込んでも、彼の剣が獣人に傷を負わせることは無かった。
どんな魔法を使ったのかは分からないが、文字通り必死の斬撃を受けて尚立ち上がった獣人は、余りにも危険であり、この場で討伐すべきだろう。
出来れば、最後に投降を促すべきだろうか、そんな迷いとともに振り降ろされた魔法剣は
柄だけを残して、消えたのだった。