願い岩
「俺のこの右腕を切ってくれんか?」
そいつは、私を見るなりそう言った。
見たこともない奴だった。年齢は分からない。若そうにも年老いているようにも見えた。
「どうして私がお前の腕を切らねばならんのだ」
私は問うた。
「自分のものながら、この右腕、どうにも邪魔でしょうがねぇ。でも俺はここから動けんし、刀も持っちゃおらん。仕方がない、と諦めておったところにあんたが通り掛かった。あんたは腰に刀を提げておる。こりゃちょうどいい、と思って頼んでおるんだ」
言われて、その男の右腕に目を遣ると、それは肘から先が横にそびえる大きな岩に吸い込まれるように消えていた。つまり、岩と一体になっているのだ。なるほどこれでは確かにここから動くことはできない。
「これは一体どうしたことだ?」
私は再び問う。
この問いに、男は少しだけ躊躇してから答えた。
「俺はむかぁし、たくさん人を殺した。たくさん、たくさん……。そんなある時、願い岩の話を耳にしたんだ。その岩に願をかけると一つだけそれを叶えてくれる、とな。俺はその岩を必死に探し、そして見つけた。俺の願いは『不老不死』だった。ところが、少し遅れて願い岩を見つけた奴らがおってな、そいつらは俺が殺した奴らの遺族で、俺が二度と理由もなく人を斬ることができんようにしてくれと願った。そして俺はこの様だ」
ゆっくりと、男は語った。
「一つ聞くが、お前の腕と繋がっているその大きな岩が願い岩か?」
「ああ。そうだ」
男の答えを聞いて、私は再び岩を見上げる。確かに威厳のある岩だ。
「うむ。しかし、腕を切ってやったらお前はまた人を殺すのではないか?」
男は首を横に振った。
「もう、そんな気はない。長い間ここにおって目が覚めた。俺はただ自由になって普通に暮らしたいだけだ。頼む。あんたの刀で腕を切ってくれ」
その言葉に嘘偽りはないようだった。
この男がどれほど前からこうしているのかは知らないが、その間に人を殺したことを後悔したのだろうということが伝わってきた。私は、こいつを自由にしてやっても大丈夫だと確信した。
「よし分かった。切ってやるから腕を伸ばせ」
「すまねぇな」
私は岩にくっついている男の腕を一思いに刀で切った。予想に反して血はほとんど出ず、あっさりと切ることができた。
だが、男は岩から離れたと同時に私に飛び掛かってきたのだ。
「なにをする!?」
私は抵抗したが、油断していたせいもあって、片腕の男に刀を奪われてしまった。男はその刀を私に突き付ける。
「なんのつもりだ?」
「助けてくれたあんたには悪いが、俺がここにいたことは誰にも知られたくねぇんだ。昔、人殺しだったこともな」
「私は誰にも言わん」
「もしかしたら、ということもある。俺は新しく生まれ変わって生きるんだ。俺の過去を知ってる奴がいちゃいけねぇ」
言うなり、男は私に斬り付ける。ずっとここで動けずにいたとは思えないほど素早い動きだった。私は胸を斬られ、その場に倒れた。私に向かって男は言う。
「安心しろ。これでもう俺は二度と人を殺したりはしねぇ。あんたには悪かったと思うがな」
とどめの一突き、とばかりに私の背中に刀を突き刺すと、男は少しふらつく足取りで歩いていってしまった。
だんだん薄らいでゆく意識の中で、私は思っていた。役人になり、妻を迎えてすべてがうまくいっていたあの頃はよかった。
ところが、ちょっとした失敗で仕事を辞めさせられてからは坂道を転がり落ちるようだった。
突然、両親が莫大な借金を遺して死んだ。仕事のない私にそんなもの払えるわけがない。そのうち妻も我慢できなくなって家を出ていった。
私はこれからの人生に絶望して死のうと思ったが、情けないことに自分で死ぬ意気地もない。
そんな時、願い岩の話を聞いたのだった。
私は自分をこの世から消してくれるよう願うため、その岩を探していたのだ。
それにしてもこんなにすぐ願いが叶うとは……
さすがに、うわさに名高い岩だけの……こと……は……ある……