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18.
遠慮のない、元気のいいノックが部屋に響く。
浅い眠りについていた胡桃は、その音で目が覚めた。
ぼんやりとする意識のなかで、自分の不甲斐なさを悔いながら、いつの間にか寝てしまったことを思い出す。
(誰やろう…?結構遅い時間やけど…)
夜の訪問者に恐怖しつつも、この部屋にかかっている入室制限を思い出しドアノブに手をかける。
小さく扉を開けて顔を覗かせると、見慣れた少年が立っていた。
「あ、起きとった?良かった」
「ん…今起きた・・・」
「あ、起こしてもうたんや・・・ごめん」
「ええよ」
短いやり取りのあと、胡桃は雷牙を部屋に招き入れる。
どんどん頼もしくなる彼は、胡桃にとって眩しい存在であり、同時に置いて行かれる恐怖を感じる相手だった。
ミナミの片隅で泣く胡桃に、唯一声をかけてくれた彼がいなくなるのは、最大の恐怖だ。
「胡桃、今日すぐ部屋もどってしまうんやもん。」
「・・・ちょっと疲れててん」
「今日のパーティー練習、ハードやったもんな」
「うん・・・」
「・・・どうしたん?」
胡桃は、その金色の瞳にすべて見透かされてような感覚に陥る。
いつもなら、それは胡桃の役目だった。
雷牙が負傷したり、思い悩むときに彼女が気が付き、声をかける立場だった。
胡桃は思わず、体が固くなり、返答に困ってしまう。
「・・・」
「なんかあったんちゃうん?」
「・・・うち、足手まといなんちゃうかなって思って」
「なんで?」
遠慮勝ちな雷牙の問いかけに、胡桃は躊躇しつつ口を開く。
「うち、あの〈魔狂狼〉が怖くて、今日なんもできんかってん・・・」
「なんや、そんなことか」
「そんなことって・・・」
「大丈夫やって。胡桃の役目は戦うことちゃうから」
「え?」
勝手に胡桃の部屋にある物書き机に腰を下ろした雷牙は、椅子に座るよう胡桃を促す。
その顔は安心しきっていた。
2人でミナミの街の隅に身を寄せ、隠れるように生活していた時には見なかった表情だった。
見知らぬその表情に、胡桃はほんの少し寂しさを感じる。
(やっぱり、自分で頑張らんでいいから、安心してるんやろうな・・・)
「おれもやねんけどな。おれらは、戦わんでもいいねん」
「でも・・・アキバに行くのには戦わなあかんよ?」
「それは、コンコンさんや丹波さんらに任しとったらいいやん。
おれらは、振り落とされんようにしがみついとけばいいねん」
彼は床に届かない足を、ふらふらと揺らしながら笑みを浮かべた。
あんなに激しく、〈魔狂狼〉を殴っていたのに、その滑らかな手には傷一つない。
〈冒険者〉の体の副産物に、胡桃は目を留めていた。
「おれらは、無事にアキバにまで行くんが、戦いやと思う。
辛いし、怖いし、遠いけど、それを乗り越えるんが、おれらの戦いやで」
「・・・うん」
「それに・・・」
少し口ごもると、雷牙の視線が左に流れる。
その口はとんがり、どことなく恥ずかしそうに眉尻が下がった。
「それに〈魔狂狼〉は、おれも怖かったわ・・・。あんなん反則やろ。」
「え?でも…攻撃してたんじゃ・・・?」
「足震えて動けへんかっただけやん!そしたら、殴るしかないやん!」
落着きなく指をもみ始めた雷牙に、胡桃は笑ってしまった。
この年上の少年は、出会ったころと変わらない優しさを持っている。
その優しさは2人だけだったときは、胡桃を守るために周りに向けられる強さだった。
信頼して、頼れる者を得た今は、胡桃に向けられる心遣いや、言葉に変わっていた。
「ふふっ・・・あはは」
「えー!笑うんかいな!そこ!」
「だってー・・・ふふふ」
「胡桃やって、腰抜かしてたやんか!」
「でもでも、足動かんくって、殴るしかないって・・・そんな考え浮かばんもん!」
「合気道部なめんなー!そんなもんやで!」
意味不明な受け答えに、胡桃は安心感を募らせる。
やっと、彼ら2人は安心できる、よりどころを得ることができた。
自分たちだけで頑張る必要のないことに、ひどく安らいだのだった。
「ふふふ・・・。うちな、あの日雷牙くんに声かけてもらって、本当に良かったわ」
「な、なんやねん?急に?」
「それに2人で、コンコンさんたちに付いて行くって決めて、良かった」
「・・・そうやな」
「ありがとう。雷牙くん」
「・・・おう」
雷牙は気のない返事をしながら、前髪を片手でぐしゃぐしゃとかき乱す。
顔はよく見えないけれど、耳がほんのり色づいていた。
目すら合わせてくれない彼に、胡桃は微笑む。
(雷牙くんが、こんなに信じてるんやもん。うちも、コンコンさんをもっと信じていいやんな?)
少し軽くなった心に、胡桃はそうつぶやいた。




