―――医務室、その白い部屋に
―――デュランダル艦内・医務室
白い部屋に、消毒液やワセリンの独特な匂いが、静かに滞留していた。音のないその空間にはどこか緊張感を感じさせるものがある。戸棚に並ぶ薬品瓶のラベルだけが唯一色を見せ、静かにその部屋を見下ろしていた。
その部屋の一角に、まるでベールのような白い布に包まれた区間があった。その中には一つのベッドが置かれており、少し乱れた真っ白な寝具の中に、1人の男が眠っている。
その傍らに、静かな空間と同化するように俺は腰掛け、じっと男の様子を眺めていた。
その時、ベッドに横たわる男が少し身じろぐ。
刹那、その男―――エイジは静かに瞼を開き、その瞳を露わにしていった。
「……ここは……」
「医務室だ」
どこかぼんやりとした様子のエイジに、俺は答える。
すると、傍らにいる俺に気づいたエイジが、こちらに驚いた表情を向けた。
「スバル……、お前なんでここに……、いや、なんで、俺はここに……?」
「覚えてないのか?」
俺がエイジを見て眉を顰めると、エイジは目を見開き、そして考え込むように額に皺を寄せた。
そして、こめかみを押さえる。
「あぁ……。はっきりとはしねぇけど、なんとなく、なんとなく思い出した。何をしたかは覚えてねぇけど、迷惑かけたみてぇだな、すまねぇ……」
「……もう、大丈夫なのか?」
心配そうに声をかけると、エイジは少し悲しそうな表情を見せた。白い天井を眺めた後に、エイジは目を伏せる。
「大丈夫だ……と言って見せたら、俺はお前を裏切ったことになるだろうな。……大丈夫じゃねぇよ。気持ちの整理も付きはしねぇ……きっと一生な」
エイジはまたじっと天井を見つめる。天井は何処までも白く、煌々と白色灯の光が蔓延っていた。
エイジはそれをじっと見続けていた。刹那、また口を開く。しかし今度は、まっすぐな目をしていた。
「……憎いんだ。俺はずっと、復讐のために生きてきたんだ。今もそうだ。俺は復讐のために生きてる。今も忘れねぇ、あの日の記憶。……でもな」
そう言うと、エイジが俺の方へと向き直った。でもな、とまた繰り返して、俺の顔をまっすぐ見る。
「俺は、お前のため……いや、このデュランダルのためにも生きてる。だから、迷惑をかけるのは、本望じゃねぇんだ。だから、その……」
そう言うと、エイジは俯き、少し言いにくそうに口を噤んだ。
そしてその後、俺の顔をまっすぐ見て、しかし少し恥ずかしそうに目を反らし口を開く。
「……少しずつ、俺の昔話を聞いてくれねぇか。お前には、話そうと思ってたんだ。話さなきゃいけねぇって。その方が、きっと俺のためにも、お前のためにもいいだろうと……」
その話を聞いて、俺は目を丸くした。そしてその後、堪えきれずに俺は笑い出す。
エイジはそれを見て、慌てたように怒鳴った。
「な、なんだよ!!悪ぃかよ!!」
それを見て、俺は笑いながら口を開く。
「いや、嬉しいぞ?話してくれ、その方がお前のためにもなるだろう。1人で抱え込むのはよくないからな、また暴走を引き起こすことになる」
しかし笑いは収まらず、俺は笑い続ける。するとエイジが不機嫌そうに怒りながら布団に少し潜り、「クレハとイバラには言うなよ!!」と怒鳴った。
それを聞いて俺も、「大丈夫だ、安心しろ」と返す。
俺は息を吐いて、笑いを収めた。それを、エイジが不満そうな顔で睨んでいる。
俺はそれを見て、またクスリと微笑んだ。エイジが「死ね!」と睨む。俺は「すまん」と謝った。
俺は笑いを抑えてまた口を開く。それを、エイジが睨んでいた。
「実はな、心配だったんだ。ずっとお前のことが。お前が思い詰めていたことは知っていた。けど、それに対して俺は何もできなかった。そしたら、お前があんなことになってしまって。負い目を少し感じたよ」
俺がそう話し始めると、睨むことをやめたエイジがそろりと布団から顔を出した。
それを見て、俺は話を続ける。
「だから、お前が話してくれるなら。それで少し、お前が楽になれるなら。俺は嬉しい。お前はこのデュランダルの一員だ。その前に、俺の親友だ。お前の味方だ。そうだろう?頼ってくれ」
そう尋ねると、エイジがはっとしたように俺を見て、その後、静かに頷いた。
「あぁ、そうだった、な……」
エイジは放心したようにぽかんとしながら考え込んでいた。
しかしその時、何かに思い当たったらしいエイジが突然くくくっと笑い出した。
そしてくしゃっと笑って、俺のことを見る。
「そうだった。俺にはお前がいたんだ」
俺はそれを見て、微笑みながら頷いた。
「そうだ、俺がいる。クレハもイバラもいる。お前はひとりじゃないんだ」
「だよな、みんないるんだ」
エイジが明るく少年のように笑う。それを見て、俺も微笑みながら頷いた。
「でだな」
「おう、なんかあったか?」
エイジの様子がだいぶ平常を取り戻してきたのを見て、俺は話題を変える。
エイジもいつもの調子で尋ねてきた。
俺はそれを見て、口を開く。
「お前が寝ている間、半壊した敵のPGに乗る少年が助けを求めてきたから、救出した」
「おお、そうなのか!……って、はぁ!?」
その時エイジが叫びながらベッドから飛び起きた。突然起き上がったために頭痛が起きたようで頭を押さえる。
苦しそうに頭を押さえながら、エイジが再び尋ねてきた。
「スバル、それどういうことなんだ、大丈夫なのかよ、いや、大丈夫じゃねぇよ」
「半壊したPGの中で捕虜にしてくれと懇願してきたんだ。俺たちに個人的な興味があってこの討伐に参加したが、上官のせいでPGが半壊し身動きが取れなくなっていたらしい。生きたかった、それ以外に捕虜に名乗り出た理由はないと。とりあえず今は、捕虜ではなくあくまで救出として監視中だ」
その時、頭痛が緩和したらしいエイジが、頭から手を離して怪訝そうに眉を顰めた。
「それ、ほんとに大丈夫か……?敵のスパイだったらどうするんだよ……」
「手はとりあえず打ってある。やつはもう月側に戻れはしないだろう」
「でもなぁ……」
エイジは訝しそうに口を開く。しかし俺の顔を見て口を噤み、その後諦めたように溜息を吐いた。
「お前が大丈夫だって言うんなら大丈夫なんだもんな、信じますぜ、艦長」
「あぁ、信じてくれ」
俺が自信を持ってそう言うと、エイジがふっと微笑んだ。
俺はそれを見て、ほんの少し微笑む。
「起きられそうなら、その救出した少年に会いに行ってくれ。イバラに聞けば連れていってくれるだろう。……もしかしたら、不機嫌かもしれないが」
それを聞いて、エイジが「不機嫌なのは困ったな」と笑う。俺はそれを見て、立ち上がった。
「とりあえず、行けそうになったら行ってくれ、頼んだぞ」
「あぁ、もう少ししたら行ってくるわ。……ありがとうな、スバル」
「あぁ」
俺は返事をすると、白いベールの端からその場を後にした。
後ろでは、エイジが微笑んでいた。
白い部屋を歩くと、充満している消毒液やワセリンの匂いが渦を巻いて乱れた。
通り過ぎると、その匂いはまた、静寂に包まれた白い部屋にじっと滞留するのだった。