―――少年少女、絶望
―――プラ・ブロードウェイ・某ビル内部
「で、どないして大阪に?」
俺たちは戸松に連れられて、プラ・ブロードウェイの一角にあるビルの階段を上っていた。
だいぶ古びてはいるが、しかし手入れが行き届いているようで、破損や汚れは比較的少ないように見えた。ガラス窓から差し込む白い光が、宙に舞う埃を銀色に照らし出している。
俺は、答えに言い淀んだ。他の三人も口を噤む。
その様子を見て、戸松がまた口を開いた。
「大丈夫や、ここには俺らしかおらん。俺以外聞いとらんよ」
俺はその言葉を聞いて、少し考えるように俯く。
その時、意を決したようにかすみが口を開いた。
「スペースシャトルを作ってるんです、私たち!」
俺は驚いたように後ろを振り返った。すると、真剣そうな顔をしたかすみがそこに居た。かすみの手を見てみると、固く握られた拳が震えていた。
俺はそれを見て、戸松の方へと力強く向き直り、続けて口を開いた。
「そうなんです、俺たちは宇宙との交信を試みて、スペースシャトルを作ってるんです。でも、問題があって……。それで、電気系統に詳しい人を探しに、大阪の日本橋に向かおうと……!」
「……無駄や、帰れ」
「え……?」
戸松が冷たく言葉を吐いた。
その言葉に、俺たちは思わず疑問符を吐く。
そんな俺たちを一瞥した戸松は、その後また前を向き階段を上っていった。
少しの沈黙後、戸松がまた口を開いた。
「……大阪はな、もうないんや。月面の奴らに潰されたんや」
どこか悲しみを感じさせるような声色だった。その中に、憎しみのようなものも感じた。
戸松はその時、階段の終わりにあった扉を開けた。
刹那、光と風が俺たちの元へと舞い込む。俺たちは思わず目を細めた。
戸松は一人で坦々と扉の向こうへと歩みを進める。
俺たちは目を細めながら、そんな戸松の後に付いていった。
そこは、ビルの屋上だった。
風が少し強く吹いている。日の光がいつもより眩しく感じた。
「……ほれ」
その時、戸松が小さく呟いた。俺たちは不思議そうに眉を顰める。
徐々に目が光になれてきた。ゆっくりと目を開けていく。
「ほれ、これが今の大阪や」
その時、戸松が俺たちの方を振り返って笑った。
悲しそうな笑顔だった。同時に何処か、怒りの籠もった笑顔でもあった。
段々と慣れてきた目で、俺たちはその景色を見る。
すると視界いっぱいに広がっていたのは、一面の茶色。
一面の更地だった。
「なに……これ……」
かすみが引き寄せられるように更地の方へと近づき、錆びた手すりに手を置いた。
麻美と万華もかすみの後に続き、半開きの口を閉じることも忘れたまま、呆然とその景色を見る。
俺はその場に立ち尽くして、その更地を見ていた。
大阪は、巨大なクレーターと化していた。賑わっていたのはこのプラ・ブロードウェイ当たりまでで、ここよりも数キロ先からはビルが砕かれ、次第に巨大なクレーターが広がっている。そのクレーターに、破壊されたビルなどの破片が埋まっていた。旧時代に日本で一番高かったビルも、大阪城も、通天閣も、何も無い。そこはビルの破片が所々に埋まっている、一面の茶色い更地だった。
「月面の奴らがな、潰したんや。二度と俺らが宇宙に行けんように、潰したんや」
その時、戸松がそのクレーターの方を振り返った。風が戸松の髪を靡かせる。
真顔になった戸松が、そのクレーターを何処か悲しそうに見つめた。
「ひどい……」
かすみが思わず言葉を吐いた。その言葉を聞いて、「ほないにな」と戸松が悲しそうに笑った。
「俺の家はな」
戸松がクレーターの方へと歩いて行き、錆びた手すりに寄りかかった。
クレーターをじっと見つめる。その目は、何処か遠い昔を見ているようだった。
三人が戸松の顔を見る。俺は未だ、その場から動けずに居た。
「俺の家はな、代々工場をやってたんや。人類が月に住み始めて、地球が荒廃して。それでもずっと、細々とやってたんや。そしたらな、俺がちっちゃい頃。あんまり覚えてへんけどな。そのくらいちっちゃい頃や。一枚の紙切れが工場に届いたらしいわ。『おめでとうございます、あなた方は月面の技術者になる権利を得ました』とかなんとか。それを読んで、じっちゃんと父さんは月面に行った。けどな、その数ヶ月後また紙切れが届いたんや。今度は『死亡しました。ご冥福を申し上げます』やと」
クレーターを眺めながら、戸松は淡々と語った。手すりに置かれた手が強く握られ、震えているのが見える。錆びた手すりから、パラパラと古びたペンキの欠片が落ちた。
「虐殺や。もとい人体実験やな。調べてみたら、同じような人が仰山殺されたらしいわ。抗議の意を込めてシャトルを月にぶち込んだろうと思たら、大阪がこのざまや」
戸松はそう言うと、立ち尽くす俺の方へと振り返った。そして憎そうに、苦しそうに顔を歪めると、俺のことをじっと見つめた。
「この残骸の何処にあんたらの希望がある?どうせ、月に希望でも抱いてシャトルなんて馬鹿げたもん考えとるんやろ。やめとき、そんなもん。月に希望なんてあらへん。あるのは、どうしようもない、この荒廃した絶望的な現状だけや」
戸松の表情は、苦しそうに歪んでいた。そこには、悲しみも憎しみも、怒りも籠もっているように見える。戸松の強い視線がまっすぐに俺を捕らえていた。
戸松の背後には更地と化した大阪が広がっている。風が少し強く吹いて、クレーターの方へと吹き抜けていった。
「ほんま、やめとき」
戸松が、俺の目をまっすぐ見ながら再び口を開いた。
俺は、その黒い瞳をじっと見つめた後、俯いて逡巡する。
その時、俺は拳を強く握った。
「……分かりました」
「さとる……!」
刹那、かすみが驚いたように俺を見た。しかし、俺はかすみに視線を移すことなく、俯いたまま話を続けた。
「……戸松さんの言いたいことは分かりました。確かに、この惨状は、ひどい。……こう、胸に込み上がってくるものもある。月面人の残虐さも、戸松さんの苦しさも」
しかしその時、俺は顔を上げ、戸松のことをしっかりと見つめた。もう一度堅く拳を握ると、また口を開いた。
「……でもっ、俺たちは……。……俺たちは!どうしてもスペースシャトルを打ち上げたいんです、どうしても!だって地球人を見捨てていない人もいるから!その人たちに、どうしてもシャトルを届けたい!!」
刹那、戸松の表情が驚いたように変化したのが見えた。しかし、すぐにまた苦しそうな表情へと戻り、戸松は俯く。
「そないなこと言っても、無理やねん……」
「え……?」
戸松が小さく呟いた気がした。風が吹いて、うまくは聞き取れなかった。聞き直したが、戸松は答えない。代わりに、俯き気味に俺のこと一瞥しながら、他の質問を投げかけてきた。
「……なんやねんそれ、見捨ててないやつ?だれやそいつ。そんなやつがどこにおんねん、アホか」
「戸松さんも知ってるでしょう、あの物資のことです」
あぁ、と戸松が鼻で笑った。あのスペースデブリのことな。と。
その後、少し間を開けて戸松が口を開いた。
「……あんなもん、触ったこともないわ。月面人の落としたもんなんか、汚らわしくて触れるか、アホらしい。あんなもんに触って汚れるんだったら、俺は死んだ方がましや思うで」
戸松はそう言うと、俯いたまま鼻で笑った。するとその後、くつくつと戸松が笑い出す。その馬鹿にしたような笑い声は次第に大きくなっていき、そのまままた戸松が話し出した。
「あないなもん触ったら死ぬんちゃうんか?きたないわほんま、ありえへんで。月から物資やて?俺らを虐殺しおったやつらと同じ月面人が地球を哀れんで物資を落としとるゆーんか。くくく、ありえへんわ、反吐がでるわほんま。どうせ月面人がおもしろおかしく、スペースデブリにぶつかって死ねーとでも思って落としてるやろ?あんなもん。くくははっ、頭おかしいわ。あんたらもそんなもん触ってたから頭おかしくなったんちゃうか?大丈夫か?医者にでも行った方がええんちゃうかぁ?まあこの時代にそんなもんおらんけどな。はははは、頭お花畑になってしもーて、かわいそうやなぁ、あんたら、くくくっ」
戸松は笑いながら話を続ける。笑いながら、俺たちのことをおかしそうに一瞥していた。かすみが麻美と万華のことを抱きしめて、戸松のことを少し怒ったように見つめた。戸松は、おかしそうに笑いながら話を続ける。
「やっぱり触らんで正解やったわ、あんなもん。俺はあんたらみたいにおかしくならずに済んだで。よかったわあ、ほんま、頭おかしくなったらもうしまいやで。こんな世界で生きてくには、だいじなもんやからなぁ。くくく、あんたら大丈夫か、生きていけるんか。あぁ、大丈夫やろうな、できもしないスペースシャトルなんかつくってるんやもんな、京都でな、くくくく。それともなんや、京都の人はみんなこんななんか、みんなこんなんやからおかしいとは思わへんのか。いいところやなぁ、京都は、みんな頭お花畑なんかぁ、さぞかし愉快な場所何やろうなぁ、京都は」
「さとる!!」
その時、俺は戸松の胸ぐらを掴んでいた。かすみに名前を叫ばれて、自分が今何をしていたのかを知った。無意識の行動だった。息が荒い、心臓の鼓動も、自分で感じられるほど早くなっていたのが分かる。俺は、戸松を睨んでいた。
戸松はくつくつと笑っていた。まるで壊れかけたねじ巻き人形のようだった。その時、戸松がくつくつと笑ったまま俺のことをじっと睨んだ。俺も睨むようにその目を見つめる。
その時、戸松が突然真顔になった。そこに浮かんでいたのは、空虚な絶望だった。
「……帰れ」
戸松が真顔の中に絶望を浮かべながら呟いた。しっかりと俺の目を捕らえているその戸松の目の中には、しかし何も浮かんでいないように見えた。
「……帰れ、ここにあるのは絶望だけや」
そう言われて、俺はゆっくりと戸松を離すと、背を向けその場から去った。俺の名を呼びながら、麻美と万華をつれたかすみが俺の後を追いかけてくる。屋上の閉まりかけたドアの隙間から、立ち尽くす戸松の姿が見えた。