十二月の街を歩く
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十二月の街は慌しい。毎日バスに乗って通勤しながら、そう思っていた。社最寄りのバス停で降りてから、歩いていく。ゆっくりする間はなかった。常に時間に追われているからだ。
社のフロアに入っていくと、先に部下たちが来ていたので、
「おはよう」
と挨拶する。
「おはようございます、主任。午前八時半には来てくださいよ。今、もう午前九時前なんで」
部下の一人で副主任の大畔がそう言って、すぐに自分のデスクへ戻る。もう仕事をしているようだった。始業時刻は午前九時なので、それまでに来ればいいのだけれど、そうもいかないようだ。デスクに座り、パソコンを立ち上げる。そしてメールボックスに届いているメールに目を通し、必要な分には返信するため、キーを叩き始めた。
まだ朝の気付けの一杯が効いてなかったので眠たい。デスクから立ち上がり、フロア隅のコーヒーメーカーへと行ってコーヒーを一杯淹れる。飲んでから、やっと目が覚めた。朝は苦手なのである。普段から夜型で午前零時過ぎとか一時前まで起きていた。夜間、頭脳が活発に働く。
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それにしても刺激がない。大畔はしっかり働いてくれているけれど、他の社員たちは体たらくだ。主任席から見ていて、そう思っていた。確かにずっと仕事は続くのだけれど、単調さが疲れを誘発するのだ。そんなことを感じ取っていた。
実家や親戚縁者とは全部縁を切っていたのである。高校を卒業してから、大学への進学を機に故郷を出た。別にいいと思っている。実家にはアル中の父がいたのだけれど、酒の飲み過ぎで肝臓ガンになり、地元の大学病院に入院していた。一度も見舞いに行ったことはない。見舞いどころか、もう二度と顔を見たくなかった。
父が散々暴行したせいで、母はトイレで首を吊って自殺したのである。許せないと思っていた。妹がいるのだけれど、どうやら父の味方のようで、世話はそっちがしている。だけど、もう直に父も死ぬだろう。何せ進行性の肝臓ガンだからだ。実家のことはもう記憶から薄れようとしていた。父が死んでも通夜や葬儀などには行かないつもりである。それだけ徹底して憎み切っているのだった。
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恋人の陽斗とはずっと同棲している。年下の彼氏で一緒に暮らしていた。家にいる時は常に顔を合わせている。もう七年ほど一つ屋根の下に住み、交際していた。
「オヤジさん、ガンなんだろ?見舞い行かなくていいの?」
「ええ。あんな人間、父親だとは思ってないから。別に人間としても見てないし」
「そこまで憎むんだ?」
「うん。だって、別にお酒しか飲まないし、あたしもあの人間が早く消えてくれれば、それに越したことはないわ」
「相当ひどいんだな……」
彼がそう言って、その後、
「まあ、俺たちは円満に続いてるからいいよな。別に抵抗ないし」
と言葉を重ねる。
「ええ。あなたはあたしの恋人なんだから。あたしの方が年上だけどね」
ちょうど一日の仕事が終わり、同棲しているマンションのリビングで過ごしていた。お互いアルコールフリーの缶ビールを一缶ずつ飲みながら、だ。人間だから疲れる。社では残業するのだし、陽斗もアルバイト先から戻って混浴したら、眠りそうになってしまう。あたしの方から性行為に誘うのだった。彼も疲れていても、あたしを抱いてくれる。優しく、だ。
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社で目立った刺激がなかったにしても別にいい。三十代でワンフロアの主任だったのだけれど、たとえ刺激がない職場にいても、自宅に戻れば十分満たされる。陽斗はあたしのパートナーだ。別に抵抗はなかった。彼は昼間肉体労働に出ていて、あたしとは職種が別である。
「梨香」
「何?」
「今夜も熱くなると思うけど、いい?」
「ええ」
その夜もベッドの上で会話しながら、腕同士を絡め合わせ、ゆっくりと交わった。愛撫を繰り返し、お互い感じながら性交する。思っていた。陽斗が性的に強いのを。実際、抱かれる方のあたしも存分に快感を得られるのだった。
行為が終わり、ベッドサイドのテーブルに置いていたペットボトルを手に取る。そしてキャップを捻り開け、口を付けた。中には冷たい水が入っている。冬場は返って喉が渇くのだ。空気が乾燥しているからである。水分補給は欠かせなかった。
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「陽斗」
「どうした?」
「あなた、昼間はどんな仕事してるの?」
「ドカタだよ。完全に肉体労働。頭なんか全然使わないで出来る仕事だよ」
「そう?恥ずかしいんだけど、今まで知らなかった。……でも、あたしとはまるで逆ね。あたしはスーツ着て、オフィスでパソコンのキー叩くんだし」
「返って疲れない?」
「まあ、そうね。座りっぱなしで坐骨神経痛とか椎間板ヘルニアがひどいし」
「梨香も適度に休みなよ。特に夜はね」
「ええ」
端的にそう返し、もう一度ペットボトルを手にして口を付けた。喉奥を潤せれば、それに越したことはない。ペットボトルが手放せなくなっていた。年中である。
そしてベッドの上で揃って眠った。すぐに寝入る。朝は案外早く来るのだ。思っている以上に。またキッチンへと入っていき、コーヒーを二人分淹れる。陽斗が飲む方には蓋をして、冷めないようにしていた。心遣いはあるのだ。同棲しているパートナーに対して、である。
スーツに着替えていると、彼が寝癖を付けたまま、起きてきた。
「おはよう」
「……おはよう」
挨拶しても、寝ぼけたような返事が返ってきたのだけれど、陽斗も朝から夕方まで現場に行き、ドカタをしているのだ。きっと疲れているだろう。一言「じゃあ行ってくるわね」と言って先に部屋を出、歩き出す。
十二月の街を闊歩し始めた。最寄りのバス停まで、だ。慌てずに時間に余裕を持って歩き続ける。別に街など、十一月だろうが十二月だろうが、そう変わった様子はなかった。少なくともあたしの目から見れば、である。前月よりも多少慌しさが増したというだけで……。
(了)