まつり当日
PM12:00
とうとう硝子祭りが始まった。琴峯は開催式に出席の後、琴峯は護符売り、有力者の方々へ挨拶回りで忙しそうだ。俺は先ほどの開催式の琴峯の開催演説を聞いた後、西村の出店へ向かっていた。
硝子祭りは小宮市の中で最も盛大なイベントの一つだ。特に見ものは石山工房vs晶玉屋vs西峯工房の値下げ工房戦。そして古宮高校と西山高校の熾烈な売り上げ競争だ。この熾烈な二つの合戦場を中心に、ものすごい人でごった返している。おかげで開催式が行われた二ノ鳥居から西村の出店へ行くのは一苦労だった。
石山工房は上品な作風で有名、琴峯が一番気に入っているガラス店だ。幾つもの風鈴が棚引く中、一つの風鈴が輝いていた。
PM12:23
「よ、西村」
片手をあげ、陽気に挨拶する俺を
「修也……遅かったな」
西村が睨みつける
「悪いわるい、ちょっと琴峯の様子を見に行っててさ」
そう言うと、西村は少し笑った。
「そんで、結論は出たのか?」
俺は店番の椅子に座ると、こくりと頷いた。
「そうか……お前がどんな結論を見出したのか俺は聞かないが、後悔だけはすんなよ」
俺は大丈夫と返事した。ラムネ屋には2体の風鈴が涼しげに鳴っていた。
PM3:42
夏は暑い。猛暑が続き、水不足が懸念される今夏、太陽は相変わらず今日も俺たちを照らし、1本200円のラムネは飛ぶように売れていった。だがそんな忙しい時間も過ぎ、客足もようやく落ち着きを取り戻した頃、1人の女性がよろよろと近づいてきた。よく見ると琴峯だ。
「修君、西君、お疲れ様。どう? 売れ具合は?」
「琴峯……ラムネが空を飛ぶってこのことだな」
西村が意味不明なことを言っている。
「琴峯、あと少し早く来てくれたら助かったんだが……」
俺は少し皮肉を込めて呟いた。琴峯は唇を尖らす。
「修君、私だって大変だったのよ。まず神主さんに会って最終打ち合わせで開催の演説出資者への挨拶回りに出店の訪問……(中略)……に顔を出してようやくラムネ屋に到着なのよ。私、頑張ったのよ」
琴峯の愚痴で肉体的疲労に加え、精神的にも疲れた俺は西村に視線を送り、氷水からラムネを一本、献上する。琴峯はラムネをゴクゴク飲んで
「ふー、おいしいわ」
と一息ついている。西村はそんな琴峯の姿を横目に言った。
「そんじゃ琴峯、店番頼む。俺、休憩してくる。」
俺は抗議した。
「何で俺は休憩できないんだ?」
「お前が店番に来るの、遅刻したからだ。それに夜は、俺1人で店番だしな」
そう笑みを浮かべながら西村は言い、そそくさと人混みへ消えていく。琴峯は飲み終わったラムネを空き瓶箱に入れた後、そろりと白く透き通る細腕を氷水へ突っ込んだ。俺が注意しようとすると、琴峯は優雅な微笑みで口に指を当て、〝静かに〟とジェスチャーした。
PM4:02
「琴峯、それ以上はまずいんじゃないか?」
俺の抗議はむなしく、琴峯はガブガブとラムネを飲み続ける。ようやく5本目で落ち着いたのか、瓶に半分ほどラムネを残し、店番の空き椅子に置いた。だがこの飲みっぷり、やけ酒の形相を呈している。
「ねぇ修君、修君は西村君と仲がいいよね」
浴衣姿の琴峯が聞いた。そう、今の琴峯は巫女装束ではなかった。今の琴峯は、金箔縁のガラス簪がアクセントを与えた艶やかな黒髪をたなびかせ、藍色を基調とした浴衣にほんのり香る香水で身を包んでいた。
「ああ、西村は中学からの親友だが?」
琴峯はうなずく。
「つまり修君は西村君の事をよく知っている。それは逆に西村君は修君のことをよく知っているとも言えるわよね」
琴峯はそう言うと大きな瞳を近づけ、俺の心を見透かすように言った。
「それはそうだが……。どうしたんだ、急に」
「いや……何でもないけど、ただ……修君が引っ越した後、西村君とはどうなってしまうのかな……と思って」
琴峯は言う。
「西村とは多分、俺が引っ越した後も友達だと思う。今は昔と違って、外国との距離も近くなったし。メールならいつでも連絡できるし……。それに、ただ単に一緒に遊んだり、同じ学校に通ったりすることだけが友達だとは思わないし」
「そう……そうよね。いや、ごめんね。なんだか少し、気になって……」
琴峯はそのまま言葉を切り、残った残り半分のラムネを一気に飲み干した。
PM5:48
「修君、大丈夫?」
心配する琴峯はケロリと平然だったが、俺はラムネ酔いがひどく、大変だった。結局、俺と琴峯は2000円相当のラムネを飲み干し、処理に困った大量の空き瓶を祭り会場から遠く離れたゴミ箱に運んだ。
日も段々陰り始め、俺たちは肝試しの準備を始めていた。
「修君、手伝って」
そう言って琴峯と俺は肝試し開店の看板を運ぶ。
「修君、受付の準備。名簿出し、お願いね」
蝋燭を灯す琴峯。蝋燭の紅い炎に照らされ、きらめく瞳を俺に向けて言う。俺は頬を染め、そそくさと折りたたみ机を組み立て始めた。
PM7:11
「キャー」
二人の浴衣女性カップルは叫びながら、廃寺から飛び出す。
「はい次の方、どうぞー」
今度は可愛らしい小学生のカップル。琴峰に二枚の十円を渡し、二人寄り添うように廃寺に入る。
「初恋カップルかな。初々しい……」
琴峰はとろけそうな瞳で言う。
「あのもちっとした肌、煌めく瞳。私にもあったはずなんだけどなー……」
「いや琴峰だって……」
俺がそう言うと、琴峰は口元を緩め、微笑んだ。
「私が……?」
「いや、なんでもない」
「そう……」
琴峰は静かに視線を落とした。
「キャー」
小学生カップルが手を繋ぎ、入口から飛び出す。
「はい。次の方。どうぞー」
琴峰は二枚の十円を受け取り、それをブリキ箱に仕舞う。
「修君。私、少し寂しいんだ。修君が留学するって言ってから、なんか、こう、遠くなってしまったというか、何というか……。来年からは私一人で肝試しやらないといけないと思うと、心細いし」
「メールするよ。実を言えば、俺だって寂しい……というか、怖い気持ちもある。だから……」
そう俺が言うと、琴峰は小さく頷いた。
PM9:48
「ありがとう。修君」
祭りが終わり、静かになった境内。俺と琴峰は机と椅子を畳み、地面に置いた。
「それじゃ、俺はもう帰るよ」
「あ……うん。今日はありがとう。修君……頑張ってね。待ってるから」
「ありがとう。じゃっ」
鞄を背負った俺は、鳥居をくぐる。琴峰は気付いただろうか、琴峰の鞄の横に小さな桐箱、中に小さな紙切れが入っていることを。
交差点の、信号を待つ。今日まで続いた日常。自らそれを断った自分。琴峰は待つと言ってくれた。なら自分は、胸を張って琴峰に会えるよう、新天地で頑張るしかない。思った以上の強い寂寥感に驚きながら、俺は歩みを進めた。