在日日本人
先輩のブン投げは、今に始まった事じゃなくて。
先輩って、興味が湧いた仕事は率先するんだけど、気乗りしないとすぐ…わたしに投げる。
何で…わたし、物流部の人に謝り電話してるんだろう…
まあ… 総務課のシステムが誤作動したんだから総務課から誰か謝るのが…筋では…あるんだけど…
最近、自覚はあるの。
総務課内で…わたしって好きに使われてるんじゃないかって。
でも、自分は下っ端だし、仕事だってまだまだ教えて貰ってない範囲が沢山ある。だから、今は…我慢しようって思ってた。
思ってたんだけど… はあ。
考え事の耳元では、電話の受話器。そう、物流センターを呼び出す音が聞こえてる。
はあ。
大林さんって、どんな人だろ。自分で有給計算出来るんだから、細かい人なんだろうな。怖い人じゃないと…いいんだけど。
考えているうちに物流センターが電話に出てくれた。
「物流センター 高橋が取りました。」
聞こえたのは、穏やかな男の人の声。
「本社総務の増田と申します。」
さて、ここからが本番だよね。
「大林さん、お手すきでしょうか?」
緊張するわたしをさておき、電話の向こうでは笑い声が聞こえてきて「おーい、お嬢!データ固めたのかあ?」「いまやりまーす」話し声が響いて入ってきた。
物流センターって活気あるんだなあ… あ、また誰か笑ってる…総務課とは大違い
「少々お待ち下さい。えーっと」
電話の相手は、保留ボタンを押すことなく、誰かに話し掛けた。
「リン兄、リン兄…あれ、リン兄って、さっきまで居なかったっけ?」
すると、電話の向こうから「あ、やっぱ掛かってきた?」と、女の人の声が聞こえたような気がして。
「少々お待ちください」
電話の相手が、不意に会話から外れた。そして、新たに電話口に出たのは。
「はい、番昌です。」
えっ、番昌チーフ?これ、大林さん宛なんだけど…あの、どっちかっていうか…出来たら関わりたくなかったんですけど…
えー うそー
一番とばっちりの展開だあ…
でも、黙ってても怒られると思って、しぶしぶ話を聞りだした。
「あの、大林さんからお問い合わせ頂いた件なのですが…」
「あー、話、聞いてるよ~ リン兄…大林さん、今 業者のトコで打ち合わせに行ってててね。話、聞いておくよ?」
突き抜けて明るい声がした。
「やっぱ違ってた?」
グサッ。
悪気はないんだろうけど、大いなる先手が飛んできた。
…忘れてたわけじゃないけど…
この人、あの柏木チーフの奥さんになる人だけに… 単刀直入過ぎる…
言うなれば…明るい柏木チーフって事なのかなあ…
笑って人を刺せる人なのだろか、今の結構直球だった。
「ごめんねー
リン兄…大林さんに聞かれた時、アタシが答えられれば良かったんだけどさ~」
それは、別に…いいんですけど… 有給管理は…あの、総務課の仕事ですから…
「増田さん、とばっちり喰った感じでしょー??どーせ、松井さんからブン投げられて電話くれてるんでしょ?」
だからって
さ、さ…さらりと、返事に困る実名を盛り込まないで下さい、番昌さん。まあ…名前が合ってるだけに…ますます言えないんですけど。
「で、あのですね」
まぁあの、結論から言うと。
「違ってたんでしょ?何時で、幾つズレたの?」
はい、そうです。また先手飛んできた。
「6月で1日です。」
「うん、リン兄の計算と合ってるなー。次の給与明細から訂正してくれるんでしょ?」
ほっ、と思うまもなくまた先手。
「は、はい!それは勿論。」
スパスパと会話が続いていく。あー、わたし この人も苦手かも。アタマの回転が早すぎるし…『待ってください』って言えない雰囲気あるんだもん。
不意に、番昌チーフが 電話口向こうの誰かに「総務の増田さんと話してる。そっちを折り返しにして。」と話しかけた。
相変わらず…忙しい人なんだ… キツくも、アタマの回転フルパワーにも…なるよね。 わたしみたいな…おっとり事務職とは違うんだろうし…
「あ、ごめんごめん。」
会話に戻ってきた番昌さんがいう。
「クマ吉、元気?
総務課っつうか、本社って在日日本人、多いじゃない?色んな人が居るから、ちょっと気にはなっててね。」
「在日日本人?」
な、なんですか?それ。それって、ただの日本人ですよね?それに、クマ吉って…熊澤さんの事で…いいのかな?
「そ♪ 在日日本人。日本人もどき、で通じる?」
番昌チーフは、弾むように笑って、そして話を続けた。
「だってさー、日本人みたいな顔して日本語通じないんだもん。そこは諦めて付き合った方が上手くと思って。」
いや、少なくとも総務課は全員日本国籍の生粋日本人ですけど…
「ば、番昌さん…」
あの、総務課…何かご迷惑お掛けしましたでしょうか?
「なあにい?」
カラッとした言い方。…聞いたら教えてくれるかな?ああ、やっぱ聞けません。
挙動不審気味なわたしがやっと言えたのは。
「クマ吉って、熊澤さんのことですか?」
会話を反らすことだけだった。
「そうよ? ああゴメンゴメン。私たち、クマ吉って呼んでいてね。」
「熊澤さんって、ぶ、物流センターの方だったんですか?」
誰かの紹介での中途入社って聞いてたけど…番昌チーフの紹介なんだ。あれ、でも 物流センターでそのまま社員にならなくて…何で総務課??
「ああ、本人 自分で言ってなかったんかー。じゃあ、あんま言わない方が面白いな」
面白い??言わない方が、面白い??
「言えないんじゃなくて、面白い?んですか?」
「まあまあ、黙って見てなさいって。クマ吉は、凄いから。クマ吉さえ居てくれれば、何でも上手く回る。まあ、得体の知れない日本人もどきとも、なんだかんだで折り合い付けてくれるんじゃん?」
…付けてくれる、って。
でも…分かる気がする。あの独特な話術。お局様の意見を覆したこともあったっけ。
それに… 嫌な事思い出した…トイレで大泣きしたときも…ちょっとか、かなりか、動揺の揺れ幅が定まらないまま、心が暗くなった。
いけない。
今は、仕事中…はあ。ふう。さて。
「確かに、熊澤さんがいると 全てが丸く収まってる、気がします」
「でっしょー??ウチの物流センターで働いてた時も、『弥勒クマ吉菩薩』ってあだ名付いていたわ」
ここまで言ったとき、番昌さんのケータイが鳴った。
「おっと、掛かってきた。」
じゃあそろそろ、この電話、切ってくれるかな…
「ま、『在日日本人』は、冗談だけど、連絡、ありがとね。総務課も、嫌な奴ばっかりで大変だと思うし、たまにはクマ吉と遊びにおいで。」
え?あの、サクサクッと返事に困る爆弾落として電話切ろうとしないで頂けます??番昌さぁん!
返事もそこそこに、気が付いたら電話は切れていた。
「はあ、怒涛。」
受話器を切ってため息を吐いた。ふと後ろから声が聞こえた。
「何の電話だったの?長かったわね、総務課から掛けた電話じゃないわよね?」
…お局様だった。
…電話代のこと、言いたいのかな。
私用電話だとか思われたのかな…
一難去ってまた一難。 はあ…
「物流センターから、有給の計算についての問い合わせでした。」
「そう、物流センターか、ら、の、電話なのね。」
お局様、一人先に優雅にランチへいかれたから、先輩がキレてたのも知らないんだろうな。いいや、この際、嘘吐いちゃって。
「総務課の計算と物流センター側の計算も合っているので、解決です。」
「ならいいわ。」
お局様は、それだけ言うと 歯磨きセットを片手に、またフロアから出て行った。
はあ、疲れた。
無責任な探りだなあ。聞くだけ聞いて、さっさと居なくなっちゃう。
しかも、ランチ…終えられましたよね?だけど、お局様曰く、「わたしの歯磨きは、身だしなみの一環。タバコも吸わないのだから、実勤務時間に支障はないはず」だって。なんか、前言ってた。
番昌さんの言うとおりだ。…ホント…日本語の通じない日本人。
いやいや、これも人生修行。
この先の会社員生活、これで挫けたら…きっと続かない。
世の中には、日本人もどきもいる。色んな人がいる。
決めたんだ、こんな自分がイヤだから、頑張るんだって。
と、いつも自分に言い聞かせてたけど…実は、そろそろ自分を隠しきれないことにも、この頃は気がつき始めてきた。
融通が利かないお局様
ズルい先輩
助けてくれない上司
なんか。もう。番昌さんの「在日日本人」で、心の枷が壊れた気がした。
わたし、もう、少し諦めてもいいよね?期待通りの従順な後輩を目指さなくても…いいよね
番昌さんが言ってた「やな奴ばっかり」に頷いてもいいよね
先輩たちが帰ってきて「お昼、行ってもいいよ」と話し掛けられるまでわたしは…心、悶々と悩んでた。