下っ端だもん
総務課ってね、会社の売上を稼いでくれる他の社員さんたちをサポートするための部署だと思うの。
だから、わたしは 常に、誰かの支えでありたい。特に、相談しづらい人には…なりたくないって、思っている。
本社総務課に掛かってくる電話は、ほとんどが取次だけれど…たまに、社内からの問い合わせもある。
その…ほとんどが…厄介電なんだけど…
それは、ある日 先輩が対応していた電話。
「原因を特定してから電話してもらえます?
総務課は、どこをどう修正するか『ご指示』を頂けないと分からないんでぇ」
とある社員の有給残数が…自分の計算と合ってないんだって。
「だからー?
どこのいつの部分が違うとか言って頂かないと、マスタは修正出来ないんですよ。」
イライラと突っぱねるような言い方が続いてる。
うー、先輩、怖っ!
この先輩、いつもそうなんだよね…
きっと、電話の相手は、分からないから電話してきたんだと思うんだけど、先輩のその対応は…無いよね。
…それに… 有給の残数とか増え方とかって…専門的な話だから…労務の勉強しないと…普通は、知らないと思うんだけどな…
先輩が電話を切ってから、言い放った。
「物流センター、バカじゃないの?
有給の増え方ってさあ、従業員規則読めば載ってるじゃん。」
言い捨てた言葉に、誰からの反応はなかった。
この先輩はいつもそう。誰にでもキツイ態度を取り続けてる。だから、支社とか営業所からの電話は、先輩宛には掛かってこない。
「今の電話、物流センター?」
先輩の同期にあたる先輩がやんわりと会話に入ってきた。
「そう。大林さんっていう…ほら、中途で入社した人いるじゃん?」
「契約社員から正社員になった人だよね?」
「そう。」
話し相手が出来て、少しはトーンダウンしてきた先輩。でも、まだ語気は荒い。
「有給残数が自分の計算と合ってないんだって。
んなさぁ、こっちは給与システムでやってるんだから、合わない訳ないじゃん?
入力ミスならまだしもさ」
そして、チラッとお局様の机をみやる先輩。もう一人の先輩が苦笑いをしながら相槌を打った。
「契約社員だったころのデータが違うんじゃん?正社員になってから、物流部から一式書類来たじゃん?うちらはそれをコンバートしてるだけだし」
そう、なんだよね。本社は給与システムで処理してるから、計算は…法定通りやってるんだけど…
「物流センターなんだから、本社物流部に聞けっつうんだよ。いちいち総務に電話してくんじゃえよ。本当、物流センター、ウザイ」
わたし…前からこの先輩たち、苦手。
言葉遣いもそうだけど…
問い合わせ受けておいて、確認もしないでブウブウ文句言ってる…
しかも、お局様のせいにしたり、物流部に押し付けようとしたり。
自分が楽出来ない事に腹を立てるのが…好きじゃない。
二人は「仕事は要領だ」って笑ってるけど、その下品な笑い方が…気になって仕方なかった。
ふと先輩が呟いた。
「あ。」
モニターを睨みながら言う。
「アクセス履歴に、柏木チーフのID出てる。」
なんのアクセス履歴かわかんないけど、聞く限り…勤怠マスタなんだろうな。
「ヤラレタ。蕃昌さん、ダンナにチクったんじゃん?」
「うわ、めんどくさ〜」
…それは…
面倒くさい、ことになったかも。
誰が言い出したのか。秘書課の柏木チーフのIDは、魔の五桁と言われてる。
社内のありとあらゆる機密情報に出入りできる権限がある、特別なID。
だから、自分のデータの最終更新のIDが柏木チーフだと、その部署は、「監査か?」「何か間違えたか?」だいたいドキッとする。
今回は、その柏木チーフの奥さんの部署。しかも、有給の計算ミス疑惑。
奥さんから頼まれたら…それはもう…柏木チーフ、調べるよね… 違ってたら重役に報告入るよね。ここからお局様がまた騒ぎだしたりしたら…
先輩が、魔の五桁を見て叫んだ。
「え?ナニ、合ってるよね?」
真っ直ぐに私をみていう。
ここでわたし?ここで巻き込むんだ…
「物流部からの引継ぎデータの打ち間違いは…無いみたいです。」
コンバートは合ってる…
「ふーん、じゃあ、契約社員時代かその前のデータが違うんじゃん?」
あれ、これ…もしかして。
…ここ、違う…かも。
契約社員時代の後、正社員になってから初めての有給付与が…間違ってる、かも?
えっと、大林さんみたいなアルバイト、契約社員、正社員と段階を踏んできた人は特に、有給の基本的な計算が、細かくて。
簡単に言うと、勤続期間と週の労働日数で変わる。
「今年六月が…有給付与なんですけど…ここからが違っています」
たぶん、ここで…1日ズレてる…んだと思う… システムのバグ、かな。これ、何か不自然な処理してる。
先輩が、私が指差したモニターを見ながら気だるそうに呟いた。
「じゃ、それメールしておいて」
口の中には、棒付きのキャンディ。クチャクチャと弄ぶように舐めている。
え?まって?
わたしが、謝りメールするの?
「本人が申告してきた差異って、1日だけですか?」
そこも分からないのに…いきなり?
「それも聞いといて。」
聞いといてじゃないよね?
先輩の背中を見つめても、答えはなにも教えられないのは分かってる。どんどんと遠ざかっていく先輩を虚しい気持ちで眺めてた。
先輩がじゃれつくように、同僚の先輩に絡んだ。
「アイコ、今日、お昼何食べる?」
「何でもいいよー」
あの先輩の脳裏に、もう大林さんの有給誤差の話は消え去っている。
そしてわたしは、自分に言い聞かせるように呟いた。
しょうがないよね、下っ端だもん。
これも、人生修行、頑張る。
それに、何よりも。
わたし、総務課だもん。困ってる社員さんがいたら答える存在でいたい。
間違ってない、大丈夫。
心に浮き上がる違う気持ちを、なんとなく騙くらかしてわたしは、物流センターへ電話を掛け始めた。