停滞ドーイ
「ぼく、お腹がすいたんです。」「お店は決めてあるんですよ」と、 連れて行かれた先は、沖縄料理の店だった。
店の四隅に通され、お店全体がなんとなく見渡せるテーブル席だった。程良く混んだ店内は、少し離れたところに団体さんが自由気ままに盛り上がっていた。
泣きじゃくった後だもん、食欲なんか…ある、かも。
「ぼく、お酒飲みながら、それでも食べる人だから適当に頼んじゃうね?」
熊沢さんが一通りテキパキと注文を済ませていく。
「らふてぃと天ぷら盛り合わせと…あ!グルクンの唐揚げ!! それと豆腐蓉」と、口角がキュとあがったままの顔がふと、こちらを見る。
「なんか、食べたいの…ある?」
「いやあの。」
「じゃあ、適当に摘まんでね??」
熊沢さんは、にこっと笑うと メニューを閉じて、お店の人に「以上です」と伝えた。
とことん飲みたいって気分、でもないけど…しんみり飲みたい気分ではもっとないんだけどなあ…
ふとそこから壁を逃げるように見たときだった。
「お?三線じゃん?」
熊沢さんが、同じ方をみて嬉しそうに笑う。さんしん? あ、あの三味線みたいな楽器??…あれ、さんしん、っていうの??
「俺、この音が好きでね。」
熊沢さんはすくっと立つと、柱に掛けられた三線を 臆さず手に取った。「ご自由に」と添えてはあるけど…いいの??
そのまま迷わず席まで持って帰ってくると、そのまま構えて座った。そしてすぐに、ちゃん、ちゃんちゃ… 指で軽く弾いてる。
ふうん… そういえば。見たことあるかも。
そう思った時だった。
おもむろに、
「とぅしん~どぉい~さんてぇまん~」
熊沢さんが歌い出した。
「おっ、まだ出来る」
え? えっ?
驚く私をよそに、いきなり本格的に弾き始めた。
「とぅしん~どぉい~さんてぇまん~」
ちょっ、ちょっとっ! 目立つ!目立つってば!みんな見てるよ!!
「いっさんは~えぇならぁんしや~」
突然の歌声に、店内はいきなり静まり返った。もちろん、店員さんたちも、ほかのお客さんたちも一斉にこちらを見てる。
「ゆいなやなぁわかさぁ~」
何を歌っているのか、まったくだったけど、みんな熊沢さんに釘付けだ。
「まあぁちぬぅらさ、しらはぬぅたぁんんめぇ~」
決して小さくはない歌声。でも。誰もがもっと大きな声で歌って欲しいと聴き入っていた。
だって、上手いんだもん…巧すぎるんだもん。私みたいな素人でも分かるよ…歌い慣れてる。
コブシ?シャクリ?…詳しい演歌用語は知らないけど、民謡のセミプロみたい。
「あいやせんするぅゆいやな いやぁ あさあさあさあさあさあさあさ」
ほんの短い一曲だったけど、店の角からは拍手があがって、お店の人がすぐに来た。
「お客さん、巧いね」
それでも熊沢さんは、自慢気の様子もなく、いつも通りのニコニコした顔のまま答えた。
「ぼく、唐船どーいだけは、弾けるんですよ」
…だけは。って。あの歌い方は…だけって感じじゃないけど…
「生まれは?沖縄?」
「僕は、長野です。残念ながら生粋のヤマトンチュですよ」
話していると、また一人、奥から女の人が出てきた
「喉、乾いたでしょ?ビール飲む?」
ビールと一緒に出てきたのは、また三線。お店のご主人の奥さんかな、人の良さそうな顔で お店の人と寄り添っていた。
「あんちゃん、唐船どーいなら弾けるって」
ご主人が すかさず奥さんに話すけど、
「ぼく、2~3番くらいしか知らないですよ?」
熊沢さんは照れくさそうに髪を掻いた。
「あんなん、歌詞があってないようなもんさ。ご当地ソングみたいなもんなんだから。」
また歌ってよ、とお店の人が促した。
熊沢さんは「覚えてるかな…」ゆっくりと歌い出す。ほどなくして、あまり大きくない店内に、歌声が広がっていった。
わたし、このときは何故か、止めるとか、恥ずかしいとか…思いつかなかった。
熊沢さんの三線の音が、声が、目が優しかったから。
そして店内は元から静かだった。誰しもがきっと熊澤さんが歌い出すのを待っていた。
太くて柔らかい朗々と響く優しい歌声は、不思議と懐かしさもあって。安っぽい言い方だけど、癒される。
沖縄の民謡なのかな…これ
短い曲が何度も歌詞を変えて繰り返されるから、次第に耳になじんでくる。子守歌のような始まりが次第に力を帯びて、不思議な応援歌…そうお祭りの活気帯びた力強さが増してきて。
やだもう。
なんの活気なのよ、なんでみんな…こんなに元気なのよ。
いつの間にか、厨房から、別な男の人が出てきて指笛が始まる。すると注文を取っていたはずの女の人が、踊り出した。
店の角に陣取っていた団体のオジサンたちもまた、つられて踊り始めて…店内はいつの間にか民謡酒場になっている。
あぁここ…沖縄出身の人たちが集まるお店なんだ…
普通の…ご飯食べる場所だと思ってたのに、南国の陽気な熱気が いまや溢れかえっている。
自由に笑い、流れる音楽のままに手のひらをヒラヒラと舞わせて 思うままに心を任せてるたくさんの姿。
不思議と煩いとは思わなかった。
かといって、自分だけ不幸で浮いてるような気もしなかった。
今のあたしは…
今のあたしは、ただ、今だけ、ちょっと、元気が足りないだけ。ちょっとだけ、笑い方を忘れちゃっただけ…
人生には、いろんな楽しいこともあれば、悲しいときもある。たまたま、わたしに この数日、悲しいことが続いただけ。人生の中で苦労する分野が通りかかっていくだけ。
大丈夫。今みたいにずっと続かない。
歌って踊って、笑って少しだけ今を忘れる方法が、この目の前で始まってるのに メソメソしてる場合じゃない…!!
わたしも踊ろう。笑って舞おう。失恋がなんだ、自分不信がなんだ。
こんな所で 暗く漂ってるなんて、勿体ないじゃないの!!!
「まいったな、これ引くに引けなくなっちゃったぞ? おい」
熊沢さんが困ったようにでも嬉しそうに笑った。
「続けて下さい!」
わたしは敢えて促す。
「歌詞が分かんないんです、ぼく。」困った顔にお店の人が笑って「あたしもやろうか」踊るのをやめて、三線を引き始めた。
それからしばらく続いた ゲリラライブ(お店の人が笑いながらそう言ってた)は、大歓声の中で幕を閉じた。
「あんちゃん、オリオンビール弾けるか?」「スーリ東は?」
二曲目を店内のあちこちから求められた熊澤さんは、お店の人のお願いもあって、当たり障りなく有名な沖縄のヒット曲を数曲歌って、今度こそ三線を返した。
「…上手ですね」
ちょっと目立って恥ずかしかったけど、本当に上手だった。そして、盛り上げ上手だった。
「ご親戚に、沖縄の方がいるんですか?」
「ちょっと、ぷらぷらしていたことがあって。」
旅行期間中だけで、あんなに弾きこなせないよね…?どれぐらいの期間いたんだろう?
熊沢さんは、わたしがじーっと見つめるのも気にしないで、ムシャムシャと食べていた。それは、お店の人が「普段、お客さんには出さないんだけど…内緒よ?」出してくれたお皿。
「もずくの天ぷらだ。これ、上手な人が作ると美味しいんだよねー」
イヒヒ、とお茶目に笑って「貰っちゃったね」というと、お行儀よく「このまま頂きます」と手を合わせてかぶりつき始めた。
まるで二次会とは思えない食欲…熊沢さん…なんだか、謎が多い人。
そしてわたしは、数時間前までトイレで泣きはらしてたのに、すっかり違う気分になっちゃってる。
もし、あのまま…、お店に三線がなかったら。熊沢さんは、何を話すつもりだったんだろう…でも、三味線(じゃなくて三線だっけ?)をふらっと弾き始めたときは… 結局は自然体だった。
不思議な人。あんまり動じない人。それが熊沢さん。この人…どんな過去があるんだろう。
あれから熊沢さんは、好きに飲んで食べて、沖縄の話を少ししてくれたりして。和やかに穏やかに時間をやり過ごしてくれた。わたしは、気がまぎれたどころか、笑って踊ってとかさせてくれたから、すっかり元気になれて、逆に申し訳ないくらいだった。
駅までの帰り道、手ぬぐいはクリーニングして返す事を伝えたら
「あぁ別にいいのに。家で適当に洗って風に晒せば乾くから」
笑って 手を差し出された。
「クリーニングなんて出したら、逆に恥ずかしい思いしちゃうよ? それにぼく、手ぬぐいは洗いざらしで使ってこそ、味が出て育っていくものだと思うんで。」
そうやって、最後まで人に気を遣わせない人なのね。
「熊沢さんて、本当に『幸せのクマ』なんですね」
熊沢さんが、ふと立ち止まった。
「そうですよ?ボクは、幸せのクマなんです。みんなが幸せになって欲しいなぁ〜って思うんです。」
笑って、そして…あれ? 改札、通らないの?立ち止まったままの熊沢さんを見ると
「ボク、実は 自転車なんです。交通費いただいてるけど、実は 自転車で通ってて。」
え?? わたしは、言葉につまって熊沢さんをみた。
「ナイショにしてくれると嬉しいんですけど、ダメですか?」
熊沢さんは、エヘヘと下をむいた。
「いきなり作業着の毎日からスーツの毎日になったんで、ちょっとピンチだったんです。」
もう。まったく…もう。
かなわないな、この人の自然体には。
「色々あるんですよね?申請外の通勤経路だと。早めに定期を買うんで、」
あんなことがあった後で、そんな顔されたら咎められないじゃない…だから。
「ダメですよ、今日は乗って帰っちゃ。飲酒運転になっちゃう」
わたしは笑った。
「大丈夫です。押して帰りますから」
「ホントに?乗って帰らない?」
「酔い覚まししたいんです。今日は夜風が気持ちがいいし。」
まぁ…そういうんだったら… 子供じゃないし
「じゃあ 気を付けて。」
「はい、おやすみなさい。おつかれさまでした」
熊沢さんがペコリと一礼した。わたしは手を振って、慌てて 熊沢さんの方が年上だったのを思い出して一礼して改札を抜けた。そして、それっきり、お互い家の方向に向かっていった…
スタスタと熊沢さんが歩きだした背中を視線の端で見送って…とっても、とっても不思議な人だと思い直す。
まだ、数時間前に泣いてくすぶった心は本調子じゃないけど… すっかり心の中は晴れ模様へと真っ黒な雲をかき乱してくれた人。
不思議な心の残り方をしていった年下の後輩に、この時はまだその程度の気持ちしか無かった。
それが…大きな出会いのほんの小さなエピソードになるとも知らずに。
作中の沖縄の歌は「唐船ドーイ」というお祝いやお祭りで歌われる曲です。
黒田、今回 youtubeなどで耳で聞き取れた音をそのまま打ち込んでいますが もし、「実際は違うよ」とわかる方がいらしたら 修正致しますのでご連絡いただけるとありがたいです。