神様の言う通り、ただし主神は除く
まだほんの小さな子供が、壮年の男性に連れられ神殿を訪れた。そこは、国の中央とは異なりこのあたりの特性に似合いの神を祀っている。
子供は物珍しそうに、中央に座している神像を見上げた。
猛禽類の頭部と、たくましい人間男性の体を持つそれは、幾柱もある神の中でも戦に特化した男神だ。
国境沿いを見守るように陣取るこの城塞都市では、中央とは異なり小競り合いを含めれば荒事は日常茶飯事である。国の守りとして兵の鍛練の度合い強く、個々としても武を尊ぶ傾向が高い。その風土から当然戦神は最も尊敬され愛される神として祀られる。
その中で最も歴史があり、最も格の高い神殿に連れてきてもらった子供は、見よう見まねで跪き、祈りを捧げる。
傍らで高位の神官が微笑ましいものを見るように、見守っていた。
ふいに、子供である少女に声が降りかかった。
慌てて、それでも周囲に気がつかれないように、彼女は薄く目を開け視線だけを左右に走らせる。
周囲のまるで反応のないさまを確認して、再び目をつむる。
再び、声が降りかかる。
それは、まるで天の上から落ちてくるように彼女の頭に響き渡った。
しっかりと、その声と内容を把握した少女は、深く頭を下げ心の中で感謝の言葉を捧げた。
その時には、まるで意味がわからなかったけれど。
日光を遮るために吊るされた、落ち着いた色合いのカーテンを掴む。
ひどく生々しい夢を見た自分は、それは現実ではない、と、確認するかのように汗で貼り付いた前髪を軽くよける。
起きるには随分と早いのだろう。周囲からは鳥の鳴き声すら聞こえてこない。
早鐘のように鳴る心臓を右手で押さえる。
私はリディアーヌ、リディアーヌ・デュフォー。デュフォー家の跡取り。
そんな当たり前のことを声に出さずに繰り返し、叫びだしそうになる気持ちを落ち着かせる。
ともすると、分厚いカーテンを引き開け、窓の外へと身を投げ出したくなるほどの衝動を感じた。恐怖に追いたてられるかのように。
夢の中で、少しだけ成長した自分はどういうわけか、見知らぬ婚約者に殺されていた。
しかもありもしない家の罪を擦り付けられ、成す術もなく両親すらも彼らの手によって処刑されていく。
ありえない。
この国で、この家に生まれて、そんな扱いを受ける云われはない。だが、理性的に考えられるそれとは裏腹に、夢ではなく現実となってしまうのではないか、という思いが過る。
昔、祖父に連れられて祈った戦神に授けられた神託。
それがここにきて大きな意味を帯びてきた。
気まぐれに、従兄から送られてきた戦神の小さな神像を寝所に祀った途端に見た夢。あの時の神託同様、夢には意味があると考えなくてはいけない。
深呼吸をして、これから自分がしなくてはいけないことを考える。
上手く、説明できる自信はない。
夢で見た、も、告げられた、も、どちらもとても信じられない出来事だからだ。
纏まらない思考を一旦落ち着かせるため、水差しの水を飲もうと振り返る。そこには、言葉にはできないほど人形じみた美しさをもった人のような何か、が、怒りの表情を隠そうともせず佇んでいた。
「あれも、余計なことしてくれたわね。だいたいあんたも真に受けてるんじゃないわよ」
その美しいものは、けれどもひどく口が悪かった。
「だいたい、あんながさつな男の思い通りになるなんて恥ずかしいもいいところ。私が、私が!主神!主神なの、えらいの、一番えらいの!」
両手をそれぞれ握りしめながら、ヒステリックに喚いてるそれを見て、どこが心が落ち着いてしまった。
先ほどまであった、焦燥感は消え去り、その非現実的な物体をまじまじと観察する。
「あんたがあれこれ邪魔して、王子とあれがくっつかないと理想の子が生まれないじゃない」
「理想の、子?」
「そうよ、それがどうしたの?」
初めて口を挟めば、それはふんぞり返った態度で答える。
「理想の、ですか」
「そうよ、私好みのめちゃくちゃいい顔の男ができるはずなんだから!絶対絶対、できるったらできる」
この国で王子と言えば一人きりだ。もちろん王太子であり、そろそろ婚約者が決まるだろう、と噂されているクリスチアン殿下以外には存在しない。そして、夢で見た自分の婚約者は、おそらく彼だったのだろうと推測をする。
「あんたなんかさー、所詮踏み台なんだから、大人しく従ってればいいんだっつーの」
幼い頃の戦神からの神託、王太子の婚約者になるべからず、の理由がそんな下らないことに起因するのかと思えば愕然とする。
あの時は意味がわからず、それでもおそらく神様の言うことだからと心には留め置いていた。
それが、と。
その美しいがまるでわがままな子供のようなそれに視線を向ける。
「だから!ちゃんと王子の婚約者になってあいつらがくっつく踏み台になっときなさいね、わかった?」
聞き分けのない子どもを諭すように、さらにふんぞり返りながら言い放つ。踏み台だと堂々と宣言されて、はいそうですか、と答える人間がどれほどいるのだろう。
だが、何を言っても耳に入らなさそうなそれに曖昧に言葉を濁す。
「わかった?あんた言うこと聞かなかったら神罰下すからね!」
全て言いつけた、といった風情でリディアーヌを見下ろすそれの顏にはひどく深いヒビが入っていた。左の額からまっすぐに降りたそれは、石や陶器に入るそれと似ていて、なんの血の跡も見せずに、深く黒い。
ぴしり、という音がして、さらにそれが追加される。
先の痕よりも中央寄りに、左の眼球をまたがって黒く深いヒビが入る。
「や、ちょっと、なに?関わりすぎ?降りたから?いい?わかったわね、うまくやりなさいよ!」
やるわけないでしょう?
そんな言葉は奥の奥へ引っ込ませ、突如消えたそれがいた空間を見つめていた。
あの正体不明の物体は、この国が信仰する女神にひどく似ていた。
そして、この国中の女神像に見たものと同じ傷跡が突如出現した、という噂をあとから知ることとなった。
精神的に疲労した体を寝台へと沈め、思ったよりも早く眠りの中に沈みこんでいった。
自称神、との邂逅は、肉体にも負担をもたらせていたのかもしれない。
真っ暗な世界に、ゆるやかに明かりが灯っていく。
ゆっくりと意識が覚醒していくのがわかる。
ぼんやりとした視線が焦点を結び、声がした方へと顔をむける。
「おはよう」
声をかければ、彼女は控えめに微笑みながら、身支度を整えてくれる。
丁寧に髪がとかされるている自分の顔を鏡で眺める。
夢とは違い、少し幼いその顔は、もちろん見慣れた自分のものだ。けれども、ひどく生々しい夢は、あまりにも現実味を帯びていた。精神的に少し疲労感が残っている。
もちろんそれは、自称神との遭遇のせいでもあるのだけれど。
左右からそれぞれ少量の髪を掬いとり、それぞれ三つ編みにして頭の後ろでお気に入りのリボンでくくられる。手際のよいさまに、鏡越しに笑顔を向ける。
「今日は皆様お揃いですよ」
「そう……」
全く感情のわかない返事をする。
この家は主である男とその妻、そしてその二人の娘であるリディアーヌしかいない。父である男は小心者で流されやすく、そしてひどく王家に従順な男だ。
歴史が長くその立場がやたらと高い家は、そんな小物でも存続できるようだ。
冷静に分析をしながら、昨夜からのあれこれを考える。
あれは、王子と婚約をしろと宣った。あげく、その上で踏み台にされろ、と。
全部を信じているわけではないけれど、あれは事実ではないか、と感じている。
あまり家にはおらず頼りにならない父親と、その父親とは最低限の付き合いだけで女主人としての役割はしっかりとこなす母親。
すがる相手はもちろん、母親一択だ。
「さあ、お嬢様、食堂へ参りましょうか」
どう切り出そうか、と、どう口にしてもあまりに突拍子もない出来事に途方にくれる。
食器の音一つしない室内で、黙々と食事が進められる。母を目にしたときには、少し感情が揺れた。
あまり接触はないけれども、心の底で母を嫌ってはいないことを自覚する。
そろり、とカトラリーを置いた父に話しかけられた。
「今日はお茶会だからな、大丈夫だとは思うがしっかりやりなさい」
食べる手を止める。
心臓の音が早まり、なのに体温が急激に下がっていくような気がした。
「お茶会?」
覚えのない予定に首をかしげると、父は嫌そうな表情を浮かべた。
「婚約者を決めるためのお茶会だ、忘れたとは言わせないぞ」
そう言えば、そんなことを聞かされた覚えがある。神託から極力避けたかった気持ちが先走り、記憶を放り投げていたらしい。
「私はこの家の跡取りですが」
この家にはリディアーヌしか子どもがいない。これ以上母親は産む気はなさそうだし、正直母親の実家は無視するには強すぎる力をもっている。
跡取りである自分を王家に差し出して、母方の血が一滴も入らない相手を跡取りに据えることを快く思うはずはない。
母へ目を向ければ、笑顔を浮かべて頷いていた。
それはそうだろ、なんのために辺境とは言え、この国最大の城塞都市の娘を、家格は高いが政治的力があまりない家と娶あわせたと思っているのか。
「弟の子に継がせる、これは決定したことだ」
「お断りします」
「おまえが決めることじゃない」
「そうですか」
そう告げたあと、食事用のナイフでためらいなく自分の頬を切りつけた。
あちこちから悲鳴があがる。
母は立ち上がりこちらへと駆け寄る。
父は呆然とした顔で固まったままだ。
「これで傷物ですから、王家になど嫁げませんね」
鋭利な刃物ではないから、ひょっとすると傷跡が残るかもしれない。
まあ、それはそれで死ぬよりはいいのでは?という感想しか浮かんでこない。それでも、咄嗟とはいえ、「今まで」の自分なら決してしないようなことをさらりとやってのけてしまった。
自分でもどうして咄嗟にこんなことをしでかしたのかがわからず、心の中は大いに慌てている。
「あなた、何を」
「お母様、私お祖父様のところに行きたいです」
慌てているなりに、それでもすがる方向はそこだけだと、何かが囁いている。はじめて戦神様に祈りを捧げ、神託を授かったとき。従兄弟たちから送られた神像を飾ったときに見た夢。それらが全て、あの土地に、あの場に自分を救う何かがあるのだと示唆しているように思えた。
私の拙い言葉に、すぐさま何らかの意図に気がついた母は、父のことなど省みずに医者の手配と祖父の家への連絡を指示する。
驚いたままの形で固まってしまった父は、器用にもそのままの姿勢で顔色をひどく悪くしている。
子供が、家長にこんな形で反抗するだなんて思いもよらない、と思っているのだろう。
それはもちろん、私自身だって、こんなことができるだなんて思ってもいなかったけれど。おとなしくて、親の言うことをよく聞く、いわゆる良い子供の私はどこかに消え去ってしまった。
家を伯父に継がせ、のんびり隠居生活を楽しんでいる祖父は、私ををあちこち連れ回しながらも余暇を楽しんでいた。一時期気力を失っていたらしい祖父の回復に、こちらの家は大喜びしている、らしい。
結局あれから父とは、一言も口を聞かないまま母の実家であるこの国境に接する領地へとやってくることになった。おろおろしながら娘の回りをうろうろして、声をかけようとしては視線が合えばそらし、そして引き返していく。そんな繰り返しにうんざりしたころ、母親が晴れやかな顔をして、素早く自分を確保してこの都市へと送り届けることになった。
母親も一緒に。
社交界のあれこれや、家内のあれこれをすべて投げ捨て、怪我をした娘の療養、の名目でちゃっかりと彼女もここの暮らしを堪能していた。王都にいるときよりも、よほどいきいきとしながら、精力的に活動をしている。
元から仲のよかった伯父の妻と軽やかに社交をこなしていく。二人してあちこちの催しものに参加しては立場を確立している、ようだ。
自分の方はと言うと、幼い頃連れて来られた神殿へと、再び祖父に連れられて詣でている。王都にあるあの女神の神殿とはまるで異なり、質実剛健を地でいく戦神の神殿は、太い石柱が建物の周囲をぐるりと取り囲み、そこを通りすぎれば装飾のあまりない石造りの大きな長方形の建築物が現れる。いつでも開かれた巨人が出入りするかのような大きな入り口を潜れば、奥の中央には神様を象った神像が座している。
足元まで進み、祖父と同じく跪く。
心の中で感謝の言葉を紡いだ。
神託がなければ、言われた通り茶会へ参加していただろう。
王家に思うところがあるわけではない。
家格的に釣り合う少女はあまりいなかった記憶から、うっすらと自分が対象になるのかもしれない、とは感じていた。
それを、嫌だと考えたこともない。
こういう家に生まれたのならば、それはある程度覚悟しているものだから。
母を見ればすぐ理解できる。
彼女は、この城塞都市で育ち、行く行くは武骨な強い男と結婚することが夢だったらしい。
祖父を見ても母の兄弟たちやさらにその子供たちを見ても、どう考えても分厚い胸板と丸太のような腕をもつ男たちばかりだ。生まれてからずっと力こそ正義、の環境にさらされれば、まあそういう嗜好になるのも無理はない。
その点、父親はどこまでも都会の貴族らしい貴族、の典型的な優男だ。色白で、線が細く、カトラリーより重いものなどもったことがない、とでも言いそうな。
母の好みなわけがない。
それでも、どういう意図なのかはわからないが、王家が嘴を突っ込んで成立した婚姻だからと、文句ひとつ言わないできちんと夫人の仕事をこなしている。
だから、きっと、参加して指名されたのならば、それを断ることはしない。
そして、父は喜んで私を差し出すだろう、と予想がつく。
あの夜、喚き散らしていた自称女神を思い出して、内心で悪態をつく。
「ずいぶんと、王都の教会とは趣が異なるのですね」
祈り終え、祖父と言葉を交わす。
あちらはふんだんに装飾を施され、教会から見える庭もきれいに整えられ、季節の花が彩っている。
「ここのは戦いの神様じゃからな。こんなところじゃ愛だの平和だの言ったところで誰も祈りゃあせんよ」
「それは、そうでしょうね」
ひどくしっくりときた。
確かに、あれは安定していて平和だからこそ祈ることができる神だろう。ここのように常に小競り合いが起き、緊張感をはらんだような土地では、即物的に願いが叶いそうな神に祈るのはあたりまえのことなのかもしれない。
「伯父様たちの無事を祈りました」
今、伯父様と母の弟である叔父様が一個小隊を率いながら国境沿いを視察している最中だ。ここ数年は大きな戦いはないのだけれども。
「かわいいリディに祈られれば、神様も聞かざるをえんじゃろうなぁ」
そう言いながら、頭を撫でる。
ふいに、頭の中に響く。
ーーそのまま、ここに留まるように。
あの日聞こえたそのままの落ち着いた男性の声が、再び告げる。
選択を間違えていないのだと深く安堵した。
「しかし、神様はずいぶんとたくましいのですね」
「そりゃあ、戦の神様じゃからな。この土地の男たちは皆この体に憧れて、女たちはそんな体を持つ男に惚れるんじゃ」
本当に、王都とはまるで価値観が違うようだ。
都会では、父のようなタイプの方がはるかにもてはやされている。返す返すも母はよく耐えていると思う。
やけにしっかりとした体型の神官たちが、頭を下げながら通りすぎていく。ここではただの神官でさえ、王都に行けば兵士だと認識されるほどの肉体を持っている。確かに、これではあちらでは信仰されないのも無理はない。
あれから、暇をみては教会へと祈りに行くことにした。そして、そこの神官の男性ジェレルと言葉を交わすようになる。
彼はひどく整った容姿で、恐らくどこかの貴族家の子どもだったのだろう、所作がどこか洗練されている。その印象を覆すぐらい鍛えられた肉体が、正体をわからなくさせているけど。
祈れば祈るほど、どこかもやもやとした気持ちが薄くなっていく。
婚約者にならなくては。
誰の?
王子の。
どうして?
それが決められた運命だから。
なぜ?
断片的に衝動的な何かが過ぎる。
自分は、王都へ帰って父の言うままに王子の婚約者にならなくてはいけない。
そんなわからない衝動。
すっかりなくなったそれは、どうしてそう思っていたのかもわからないぐらい遠い昔の記憶のようになっていった。
こちらへ来て一年、頻繁に寄越される父の手紙で揺り返しては消え、再び生まれては沈んでいく。
伯父一家はそれを読んでは簡単にそれを破り捨て、火にくべてしまう。薪の代わりにもなりはせん、と言っては祖父が一番憤っている。
この土地は、あまり王家を好意的に見てはいない。
いや、いっそのこと嫌いなのかもしれない。
国境を守り、魔獣や隣国から国民を守り、結局のところ王都を守り続けている自分達を、彼らはずいぶんと軽んじている、のだと思っているのかもしれない。
自分にとっても、ここは住んでいた場所からは遠く、恩恵を受けていたにも関わらずこちらに来るまではそれほど重要視していなかった。母の実家だから、もちろん親しみは覚えていたけれど。
王家が取り持ち、この領地一族の血筋を王都の貴族へと混ぜるための婚姻で、その一人娘が跡を継がずに王家へ嫁ぐ。それは、私が思っていた以上に、唾棄すべき出来事であり、いっそのこと敵対行為ともとれる行為である、ということを実感した。
そもそも、自分達の大事なお嬢様をさらっておいて、お嬢様の大事な一人娘が跡取りにならないだなんて、と。祖父も伯父も叔父も、すべてが静かに怒りを抱えていた。
傷物は嫁げません、と定型文を送り続けた結果、父は諦めたわけではないが一応婚約者は決まったようだ。
うちよりもは劣るけれども、それでも十分に資格をもったお嬢さんだ、と思う。
ただ、不意に沸き起こる何かの「記憶」がこれから起こる悲劇を予知しているようで落ち着かない。
ただ夢をみただけだ。
あの日、あの時の。
現実ではない、けれども夢だと断じるにはひどく現実味を帯びたそれ。
女神、が介入しているのかもしれない。
あのままあちらにいれば、揺さぶられる何かによって婚約者に納まっていたのかもしれない。
それほど、自分の思考は誘導されていた。
それが本当に起こることならば、それは婚約者に決まった彼女に降り注ぐ、はずだ。
「おじいさま、こちらの神様を国中に広めるにはどうしたらいいのでしょうか」
うつうつと考えていたとき、一つのきっかけのようなものを思い付いた。
この土地でも気持ちは軽くなったけれども、ここの神様に祈るようになってから晴れやかになったのだと。
「あーーー、それはなぁ、うーん」
やはり、祖父でも難しいと考えるようだ。
この国があれに洗脳されているのだとしたら、逆に別の信仰を押し付ければいいのでは、と考えたのだけど。
けれども、よく考えなくとも、ここの神は特殊だ。
王都で戦の神だ武神だと主張したところで、それに祈るのは一部の武官たちだけだろう。
彼らにしても、大きな戦争からは遠ざかり、ずいぶんとなまくらになっていると聞く。
「では、少しだけ細身にして、少しだけ武骨さを減らして、少しだけ柔らかにしたらいいのでは?」
神様だけあって、確かにきれいな顔はしているのだ、猛禽類だけれども。
そして、首から下がとても筋肉質だけど。
あと、剣を掲げて獰猛な表情をしているのが、少し、いや大分王都受けしないと思う。
それでも、ジェレミのような綺麗な神官とともに説教でもすればよい。
王都の有り様を好ましく思っていない伯父一家は、この提案に乗り気になって賛同した。
そして、第一段としてジェレミと王都好みに構築された戦の神の像が伯父一家の王都邸の敷地内に設置された。
思い付きで教会を王都に建立してから一年がたつ。
私は、そろそろ王都へ戻って跡継ぎ教育を始めなければいけない。
こちらでも跡取りの従兄とともに教育は受けてみたけれど、こちらとあちらではその役割がずいぶんと異なる。一足早く王都へと戻った母は、ずいぶんとスッキリとした顔をして父方の従弟があの家を継ぐことを阻止すべく釘をさしている。
そして、父を無理矢理戦神のところへとお参りさせてみれば、徐々にうっすらと王家への執着が薄れていったそうだ。
やはり、あれはあれの洗脳によるところが大きかったのだと、はっきりと結果がでた。
そして、副次的に王都の中にも変化があるようだ。
ジェレミはあの綺麗な顔で、そして頼りになりそうな体格で、そして甘い声で王都のお嬢さんたちを虜にしているらしい。最初は戦神なんて、と訝しんだ人々は、恋愛も商売も競争だ、戦だ!という乱暴なまとめで、今では戦勝祈願的なものが、一か八かの勝負を決めるときのお守り的な立ち位置にすんなりと納まったようだ。
そして、いくら作り直しても顔に深いヒビが入ったままの女神像は、何か不吉なものにでも思えたのか、徐々にその勢力が衰えていった。
まあ、何があっても信仰を曲げない、という強きものはそう多くはなかった、ということだ。
二年ぶりに王都へ帰ってみれば、父がすっかりと変わっていた。
健康的な顔色で、あちこち筋肉質になった父に笑顔で出迎えられた。
こんなことは今まで一度もなかった。
彼にとっては政略結婚で娶った妻と、その子供。
政略の道具としかみていなかったはずだ。
しかし、それも、父の資質から言えばおかしかったのだ。父方の一族は皆そろってのんびりとして穏やかな気質だ。それでよく今まで生き抜いてこられたと思うほどに。
それが、政略結婚で妻を娶り、そして政略の道具としての私を得てからの父は、およそ家風とはほど遠い有り様をしていた。その変貌ぶりに、父は自分の実家ともあまり仲がよくなかった。
いつのまにか変化した、いや、もとに戻った父は、祖父母との関係も改善され、なんだか朗らかに笑っている。
まさか、一回り体が大きくなるとは思っていなかったけれど。
右頬にうっすらと残った傷跡を撫でて顔をしかめる。
自分勝手にやったことだけれども、そうさせたことを後悔しているのだろう。けれども、その事には触れずに、明るく家の中へとエスコートしてくれた。
ひどく距離が縮まった両親と相対し、久しぶりに王都の茶菓子を口にする。
こればかりは、さすがに城塞都市よりもは一歩も二歩もこちらの方が品質がよい。
「あのとき、無理に婚約させなくてよかったよ」
突然父がそんなことを口にする。
すっかり諦めた、ということはわかってはいたが、どこか吹っ切れたように言葉を紡ぐ。
「ほんと、あの選択がなかったら今ごろどうなっていたか」
母もそれに追随する。
王都の情報をほとんどもっていない自分は、素直に疑問の思いを顔に浮かべる。
せっせと戦神を広めようと画策はしたが、こちらの情報はその距離によって得ることが難しかったのだ。
「あのば、いや、王子は自称聖女とやらと遊び回っていてな」
「聖女?」
聞きなれない言葉に、首をかしげる。
建国以来、そのような性質の女性は現れたことがないはず、と習った歴史を思い浮かべる。
「こちらの女神さまの、ですか?」
「ああ、あの落ち目のな!」
あれほど信じていたはずの王家の主神を否定する。
自称女神が現れたとき、その顔にはヒビが生じていた。
そしてそれは、一瞬にして当時の教会の女神像にも現れた、そうだ。
それは修復しても決して治らず、きれいにした次の日にはまたヒビが浮かび上がっていたという話もあった。
今ではもうそういうものだとして女神教会に置かれている。
「癒しの力を使えるだとか、なんだとか触れ回ってる小娘のことを、聖女だなんだって言ってもてはやしているらしい、あのばかが」
とうとう隠そうともしない罵倒語が飛び出してきた。
確かに、それが本当なら特別な何か、だとは思う。
けれどもそもそも聖女というのは最も信心深い信者であるべきだろう、もしくは神の代行者。
たかが特別な力が使える、というだけで聖女だなんていう大それた称号を与えるだなんてどうかしている。
「教会は?お認めになったのですが?」
「いや?そもそも今の教会はそれほどの力はない」
戦神のあれこれがなくても、原因不明で顔にヒビが入ったままの神様には少々祈りにくいだろう。徐々に減らしていった信者をどうにか引き留めるだけで精一杯、らしい。
「では、王家は?」
「王妃さまが乗り気らしい」
「ああ」
三人に沈黙が落ちる。
そういえば、王家の中でも彼女はどちらかというとお花畑の中にいる存在だったと思い出す。
そもそも、王様と王妃様は珍しく恋愛結婚だ。家格としてはそれほどおかしなことはないけれども、あまり旨味のない結婚は二人の熱心な説得によって成立したのは有名な話だ。
当時は華やかな大恋愛物語としてあちこちで噂になっていた、と聞いたことがある。
そんな夢見がちな彼女ならば、確かにそんなことを言いそうな気がした。
けれども、王子の婚約者とその背景が黙っていない気もする。
夢の中の自分、いや、あのまま大人しく婚約していたこの一家ならあまり事態を深刻視せずに、深みにはまっていっただろう。
思えば、母の実家を頼りにすれば、解決したはずだ。それすらせず、唯々諾々と王家の言うことを聞いて、最後には裏切られる。どう考えても尋常ではない。
あれが、何か力を加えていたのだろう。
現状把握の会話を終え、とりとめのない会話が続いていく。
こんな日がくるだなんて、あの時は想像してもいなかった。
あの、夢の日。
王妃様が主催した舞踏会。
有力な貴族家が軒並み招待され、家格の順に会場へとすべりこんでいく。
私は母方の従弟にエスコートされ、会場へと足を踏み入れた。
どこかそわそわとして、逃げ出したくなる衝動にもかられる。
緊張した右腕を従弟がそろそろと指先で握り、笑顔を向ける。それに少しだけ安堵して、なんとか笑顔を保つ。
王族が入場し、皆一斉に頭を下げる。
王太子の横には、当然婚約者が寄り添っている。
まっすぐと、それを見上げる。
見たことがあるようで、見たことがない風景が広がる。
開始の合図が陛下から告げられ、躍りをするために中央へ行く人々や、飲み物を受け取り歓談する姿が見受けられる。
父方の従姉妹たちと一緒に談笑しながら、ちらりと王家の人々の様子を窺う。
王太子たちから距離をとり、それでも何があるかはわかるほどの位置で。
正直、彼女には押し付けてしまったようで申し訳なさを感じている。かといって、荒唐無稽な話をもって忠告できるはずもない。家の繋がりもなく、そもそもなにも信憑性がない話をしたところで、ないはずの裏を探られて面倒なことにしかならないだろう。
だから、さりげなく彼女の周囲の周囲から、戦神を勧めてみた。
恋愛も戦いだ、だから恋愛成就だ、などという強引にもほどがある売り込みだったけれど、割りと好評だったらしい。
彼女自身も友人に連れられて幾度か教会に参詣したことがある、とはジェレルに聞いている。
だからというわけではないけれど、彼女はきっと夢の中のリディアーヌよりも盲目的ではないだろうと楽観視してもいた。
「皆、聞いてほしい!」
王子が突然声を張り上げた。
ぴしり、と体が強ばる。
あの日、あの時、あの夢の中で。
自分は。
従弟の袖を強く握りしめる。
一瞬にして極度に緊張してしまった上に、その間をひどく長く感じていた。
だが、次の言葉を発する前に、王子は素早く現れた何かに羽交い締めにされ、口さえ塞がれて退出していった。
婚約者の彼女は、「殿下は気分が優れませんの」、と、なに食わぬ顔をして言いはなった。
ものすごい顔をして彼女を睨みつける王妃様は、持っている扇をへし折りそうな圧をかけている。
だが、彼女はそれを歯牙にもかけず、陛下を躍りへと誘っていた。
別に、義理の父になる予定の人物と踊るのはおかしなことではない。彼女の婚約者、陛下の息子がいなければ確かに。
表情を取り繕いもせずぎりぎりと二人を睨み付け、とうとう扇をばきりと折り、王妃も体調不良を理由に退出していった。
終わった、の?
心の中で問いかける。
あれほど恐れていて、まんまとはまってしまった罠を、彼女は意図も簡単に飛び越えてみせた。
どちらかというと物理的なやりとりで。
見渡してみれば、夢の中で王子と一緒にいた少女はいなかった。
聖女だとあちこち吹聴していたのを咎められた、というのは耳にしたが、ここにまでたどりつかなかったようだ。
そもそも、彼女は立場的にこの場所には立っていられないはずだ。おそらく王妃様あたりがあれこれ手を回したのだろうけれども、婚約者の彼女の方が上手だった、のかもしれない。
ようやく、あの時からのあれこれに、区切りをつけることができた。
その夜、うすらぼんやりとわめきちらす、白い何かが出た。
それはたぶん、おそらくあれだろう。
けど、言葉を交わすこともなく深い眠りに落ちていった。
顔だけは一級品な王子と、賢いと評判の令嬢が婚姻し、そのままこの国の王太子夫婦となった。口を開きかけた王子の右腕をさりげなく王子妃が触れれば、ぴたりと口を閉じ輝くばかりの笑顔を浮かべる。
そんなある意味仲の良い二人が長くこの国を治めていくこととなる。
そんな国の一画に、かつて流行った神とは異なる神を祀る神殿がある。頭部は鋭い眼光を湛えた猛禽類からなり、首から下は大層均整のとれた筋肉を纏った戦神である。その神殿には常に顔が美しく、王都の男とは一線を画した肉体美を持つ男女の使徒が祈りを捧げていた。常に信者たちが押し掛け、賑やかにその神は栄えていった。
引き換え、かつてこの国一番の隆盛を誇った美しき女神を中心とした信仰は、徐々にその影響力を低下させていった。
その、神像の顔には深く刻まれた二つのヒビが、消えることはなかったという。




