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植物博士モチオののんびり遺跡フィールドワーク ~歌姫カリーナと二人の木の精霊に囲まれて、伝説の果実を育てることになりました~  作者: ゆうぎり
第6話:離れの湯屋と、ハーブの香りの贈り物

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香りの再発見

 湯屋での幻想的な夜が明け、新しい朝が観察小屋を訪れました。


 霧が晴れた後の朝陽は、以前のような乳白色のヴェールを通した柔らかな光ではありません。


 それは、より鋭く、より純粋な――

「光の矢」となって窓から差し込みます。


 床に並べられた乾燥中の薬草。

 古びた家具。


 その陰影を、くっきりと、残酷なほど鮮やかに描き出していました。


 空気の粒子が一つひとつ見えるのではないかと思えるほど、世界の解像度は一段と高まっています。


「……あれ? モチオ、ちょっと来て!」


 キッチンからカリーナちゃんの声が聞こえました。


 弾んでいるけれど、少し困惑を含んだ声です。


「何だか変なのよ、これ!」


 モチオくんは一節いっせつの間をおいて顔を上げました。


 彼はちょうど、昨夜の湯屋で観測された「熱伝導率の特異変容」と、星瞬草が水分子へ与える影響について、観察日誌を数ページ埋め終えたところでした。


 ハーブを整理する木製の棚の前で、カリーナちゃんが首を傾げています。


 棚の上には、昨夜の湯屋で使いきれずに残った乾燥ハーブの束が並んでいました。

 清潔な麻布の上に、いくつか丁寧に置かれています。


「これを見てちょうだい」


 カリーナちゃんが言いました。


「昨日までは、ただの枯れた草の匂いだったはずなのに……」


 束をそっと持ち上げます。


「今朝になって、なんだか『生き返った』みたいに香っているのよ」


 少し驚いた顔。


「一ドロップの水もやっていないし、特別なこともしていないのに。不思議だわ」


 モチオくんは、彼女が指差したシルバーセージの束に鼻を近づけました。


 そして――驚きました。


 確かに。


 いつもなら「ツン」と鼻を刺すだけの、乾いた匂いだったはずのハーブが。


 今朝はまるで、摘みたての瞬間の瑞々しい生命力を閉じ込めたような、深く澄み渡った芳香を放っていたのです。


 さらに、モチオくんの観察眼は別の変化にも気づきました。


 プリズム眼鏡を通さずとも、葉脈の微細な隙間に淡い黄金色の燐光が宿っています。


 それは星瞬草の瞬きと、一グレインの狂いもなく同調していました。


「……信じられないな」


 モチオくんが呟きます。


「外部から一グレインの魔力も加えていない。人工的な処理もない」


 少し考え込みます。


「……アイベリーちゃん。これは森の精霊たちが、夜の間にいたずらでもしたのかな?」


 その時。


 棚の陰から、羽音も立てずにアイベリーちゃんが姿を現しました。


 彼女は白い指先でセージの葉をなぞります。


 そして優しく微笑みました。


「いいえ、モチオ」


「これは精霊の仕業ではないわ」


 静かな声。


「星瞬草の『共鳴』よ」


 葉を見つめながら続けます。


「昨夜、湯屋という小さな空間で、この子たちは一緒に光を浴びたでしょう?」


「星瞬草は、そのとき周囲にある命の『一番良いところ』を引き出そうとしたの」


 アイベリーちゃんは窓の光を見ました。


「光は、ただ闇を照らすだけではないわ」


「その存在の奥に眠る本質を、優しく呼び覚ますこともあるのよ」


 モチオくんは眼鏡を押し上げました。


「性質を引き出す……か」


 少し考え込みます。


「理屈で説明するには、まだ語彙が足りない。でも――」


 再び香りを吸い込みました。


「この香りは紛れもない事実だ」


 彼は香りの立ち上り方を観察します。


 一パルスの狂いもなく。


 星瞬草の近くに置かれた乾燥ハーブたちは、その微細な光の振動を受け取ることで眠っていた精油成分を再び活性化させているようでした。


 まるで、擬似的な生命活動が再開されたかのように。


 その時でした。


「ねえ、モチオ」


 カリーナちゃんが言いました。


「これ、誰かに分けてあげられたら素敵だと思わない?」


 彼女の瞳が朝露のように輝いています。


「この香りを嗅ぐだけで、一日の疲れが『ふわっ』て消えていくもの」


 窓の外を指さしました。


「霧が晴れて、遠くの街まで見えるようになったでしょう?」


 遠くの地平。


「その街の人たちにも、この森と星瞬草の『光の贈り物』を届けられたら……」


 小さく笑います。


「きっと、みんな驚くし、喜ぶわ」


「贈り物……か」


 モチオくんはその言葉をゆっくりと口の中で転がしました。


 これまで彼の研究は、

 未知を解明し、真理を日誌に刻むための孤独な営みでした。


 けれど今。


 星瞬草がこの小屋に馴染み、

 その光が暮らしを彩り始めた今。


 その喜びを自分たちだけの秘密にするのは、どこか不自然な気がしたのです。


 心のどこかに、一ドロップの澱みが残るような。


(森の中で完結するはずだったぼくの日常が……)


 モチオくんは静かに思いました。


(一節ごとに、外の世界へ広がろうとしている)


 窓の外を見ます。


 遠くの街。


(星瞬草が霧を晴らし、遠くの景色を見せた理由は……)


 小さく息を吐きました。


(もしかすると、こういうことなのかもしれないな)


 その瞬間。


 モチオくんの心に、初めて芽生えたものがありました。


 外の世界への――


 恐れではない、穏やかな好奇心。


「街!? 街に持っていくの!?」


 カリンベリーちゃんが飛び上がりました。


「やったー! あたしも行くー!」


 くるくる飛び回ります。


「お菓子あるかな!? あるよね!?」


 軽やかな羽音が、朝の透明な空気を震わせました。


 その音は、一パルスごとに力強く、

 どこまでも遠くへ響いていくのでした。

調査ログ:補足事項


【物理の理】


一ドロップ:ハーブの葉脈から染み出し、光を宿して黄金色に輝く、極小の精油の雫。


一グレイン:乾燥ハーブの表面に付着した、光を帯びた細かな魔力の結晶の重み。あるいは、カリーナちゃんの心に浮かんだ「善意」という名の微かな質量。


一ストライド:キッチンから棚までの距離。そのわずかな距離で、世界のあり方が変わるほどの発見がなされた。


【刻・振動の理】


一パルス:星瞬草の光が放つ、目に見えないほど高速で精密なリズムの刻み。これが植物の成分を活性化させている。


一節いっせつ:モチオくんがハーブの香りを深く吸い込み、その価値が自分たち以外にも必要であることを確信するまでの、歴史的な思索の時間。


香弦こうげん:活性化したハーブが放つ芳香が、空気の振動となって鼻腔をくすぐる際の清らかな響き。

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