博士の苦悩とカリーナの助け舟
「一目だけでいい……! 葉脈の走り方を確認させてくれ……っ!」
モチオくんはベッドの端にしがみつきながら、切実な声を上げました。
しかしその前には、ふわりと漂う「お昼寝胞子」のカーテン。
そして槍を構えたカリンベリーの鉄壁の守りが立ちはだかっています。
「だーめ! 今はお昼寝中なの!
モチオの眼鏡が『キラッ』とするだけで、この子びっくりしちゃうんだから!」
「そんな……。一節、たった一節でいいんだ……。
あの光の糸がどう定着したか、記録に残さないと……」
博士としての使命感。
そして精霊たちの鉄壁すぎる「家族愛」。
その板挟みになり、モチオくんがガックリと膝をついた――そのときでした。
小屋の扉が「ガラリ」と開きます。
萌芽の月の爽やかな風と一緒に、一人の救世主が現れました。
「ちょっと、朝から何を騒いでるのよ。
外までカリンベリーの怒鳴り声が聞こえてたわよ?」
カリーナちゃんでした。
彼女はお盆に焼きたてのパンと、湯気の立つポットを乗せて、呆れたように眉を寄せています。
モチオくんは、助けを求めるように顔を上げました。
「カリーナちゃん……!
助けておくれ。二人が、ぼくをあの子に近づけてくれないんだ。これじゃあ調査が一行も進まないよ」
カリーナちゃんは、部屋中に張り巡らされた「ぺたぺたツタ」と、重武装した精霊たちを見比べ――
思わず「ぷっ」と吹き出しました。
「なによこれ。観察小屋じゃなくて、完全に砦じゃない」
彼女は手際よくツタの隙間を縫って歩き、モチオくんの隣に腰を下ろしました。
そして黄金色の蜂蜜をたっぷり垂らしたハーブティーを差し出します。
「はい、モチオ。まずはこれを飲んで落ち着きなさいな。
一グレインの焦りも、そのお茶で溶かしちゃって」
「……ありがとう。……ふう、甘くて美味しいや」
温かな湯気と蜂蜜の香りに、モチオくんの肩の力が「ふにゃっ」と抜けました。
カリーナちゃんは、その横顔を少しだけ優しく見つめます。
それから精霊たちの方へ向き直りました。
「ねえ、二人とも。モチオが困ってるじゃない。
少しは通してあげたら?」
「だってカリーナちゃん!
この子とっても弱々しくて、モチオが難しい顔で近づくと光が曇っちゃうんだもん!」
アイベリーも、柏の葉の兜を揺らして頷きます。
カリーナちゃんは苦笑しながら、モチオくんの肩を「ぽん」と叩きました。
「モチオ。あの子たちの気持ちも、少しは考えてあげなさいよ」
「……え?」
「精霊たちにとって、この新芽は自分たちの『妹』みたいなものなの。
昨日あんなふうに光るのを見ちゃったら、そりゃ過保護にもなるわよ」
「……妹……。そうか、ぼくは……」
モチオくんは言葉を失いました。
自分は「特級植物調査官」という肩書きに、いつの間にか縛られていたのかもしれない。
この子がどう育つか。
どんな名前なのか。
それを数字や図面で埋めることばかり考えて、
目の前の「命」が感じている不安に気づいてあげられなかった。
「博士として分析する前にさ」
カリーナちゃんが、少しだけ柔らかい声で言いました。
「まずは『家族』として向き合ってみたら?
モチオが調査対象として見てる間は、精霊たちも侵入者として警戒しちゃうんだから」
その言葉が、モチオくんの胸に「じわっ」と染み込みました。
「……そうだね。ぼくが間違っていたよ。
カリーナちゃん、気づかせてくれてありがとう」
モチオくんは最後の一ドロップまでハーブティーを飲み干し、静かに立ち上がりました。
今度は定規も日誌も持たず、ただ穏やかな微笑みを浮かべて。
カリーナちゃんはそんな背中を見送りながら、焼きたてのパンを精霊たちへ差し出しました。
「ほら二人とも。守護騎士さんたちの朝ごはん」
調査ログ:補足事項
【物理の理】
一ドロップ:ハーブティーの最後の一滴が、カップの底で「ぴちゃっ」と跳ねるくらいの小さな量。
一グレイン:カリーナちゃんの言葉で溶けていった、博士としての意地や焦りの重さ。
【刻の理】
一節:カリーナちゃんが「もー!」と溜息をついてから、モチオくんに微笑むまでの、心の天気が変わるくらいの短い時間。




