現代娯楽がない異世界なんて無理です!〜元オタク令嬢、魔法と錬金術でロマンス映像を発明したら元婚約者が手のひらを返しました〜
「異世界転生なんて最悪なんですよ、ほんとに」
王立エヴァンズ学園の自習室。昼休みの静寂に、私の声が響いた。窓から差し込む春の光。ページをめくる音。羽ペンの擦れる音。
そのすべてをぶち破る勢いで、私――ネリア・アシュフォードは机を叩いた。
「インターネットがない!」
びくり、と数人が肩を震わせる。
「スマホもない!」
向かいの席の男子がペンを落とした。
「パソコンもない!動画もない!電子書籍もない!推しの供給がない!」
そこで、斜め前の席からわざとらしい咳払いが聞こえた。
「……ゴホン」
丸眼鏡をかけた、神経質そうな男子生徒だ。確か歴史科の成績上位者だったはずだが、名前は知らない。
「ここは自習室だ」
「わかっています!」
私は勢いよく立ち上がった。
「だからこそ叫んでいるのです! 調べものをするのに検索窓がない世界の理不尽さを!」
「け、検索……?」
「わからない単語を一瞬で調べられない絶望を!」
数人がひそひそと「またアシュフォード嬢か」と囁く。いいのだ。慣れている。なにせ私は前世、オタク社会人だったのだから。
平日は会社、夜はアニメ、休日はイベント、隙間時間はソシャゲ。推しの誕生日は有給。尊い展開で情緒崩壊。
それが今はどうだ。
魔法はある。錬金術もある。騎士団もある。だが。
「ログインボーナスがない!」
ばん、と机を叩いた瞬間、羽ペンがインク壺に落ちて悲鳴が上がった。
「ネリア」
低く冷たい声がした。振り向けば、整った顔立ちの青年が立っている。
アンドリュー・ベネット。私の婚約者だ。完璧な立ち姿。非の打ち所のない微笑。だが目が笑っていない。
「淑女が自習室で何を騒いでいる」
「文明批評です」
「叫ぶ必要が?」
「魂が叫んでいるので」
自分でも何を言っているのかわからないが勢いは大事だ。アンドリューは小さくため息をついた。
「ネリア。空想に耽るのは結構だが、現実を見るべきだ。君は将来――」
「推しのいない人生で結婚生活を送れと?」
ぴたり、と空気が止まった。
「……推しとは何だ」
「人生を輝かせる存在です」
「意味がわからない」
「私もこの世界が意味わかりません!」
自習室の空気が冷える。突然始まった婚約者同士の言い争いに巻き込まれた周囲の皆さん、すみません。
そんなことを思っていたとき。
「……その“推し”とやらは、存在しないのか?」
静かな声が割って入った。窓際の席。長めの黒髪に眼鏡の青年が本から顔を上げていた。知的な雰囲気で、落ち着いた声音だった。
「この世界には、ないですね」
「ならば、作ればいい」
さらりと言った。自習室がしんとする。
「作る……?」
「娯楽がないなら作る。物語がないなら紡ぐ。魔法も錬金術もあるんだ、何とかなるだろう。自習室で叫ぶだけでは解決にならない」
彼は静かに本を閉じた。
「俺はオリバー・リッツ。錬金術専攻だ」
私の脳内で雷が落ちた。
――作る?供給を?自分で?
つまりそれは、自家発電コンテンツということでは?
公式がないなら、自分が公式になるということでは?
「やりましょう」
私は即答した。アンドリューが目を見開く。
「ネリア、何を――」
「ロマンスを作ります」
「……は?」
「胸がきゅんとするやつを!」
私は高らかに宣言した。
◇
その日の放課後の空き教室。黒板の前に立つ私と、魔法陣を描くオリバー。
「テーマは?」
「身分違いの恋!」
「王道だな」
「王道こそ至高!」
私は勢いよくチョークを走らせる。騎士。令嬢。禁断。雨の中の告白。
オリバーは小さくうなづきながら、錬金術式を組み上げていく。
「絵を魔力投影する。簡易的な動作も可能だ」
「擬似アニメですね!」
「あにめ?……まあ、それに近いんだろう。たぶん」
オリバーがイメージを込めた石(錬金術で作成した魔法石)を中央に置き、魔法陣が光る。空中に、ふわりと映像が浮かび上がった。
銀髪の令嬢。金髪の騎士。見つめ合う二人。
――おお。動いた。
「いけますよオリバー!供給です!」
だが次の瞬間。騎士の顔がぐにゃりと歪んだ。
「……あれ?」
なぜか目が三つになった。その次で顎が倍になった。
「待って待って待って作画崩壊!」
「魔力の揺らぎだ」
令嬢の髪が突然紫になり、騎士の肌が緑になった。
「色味どうしました!?」
「感情の彩度が暴走した」
オリバーが式を調整する。
騎士が高速で何かを叫び、令嬢が秒で赤面し、即抱擁。
「告白が早口すぎる!」
今度は騎士の筋肉が無駄に増量した。
「急な筋トレ!」
「力強さを演出した」
「ロマンスに上腕二頭筋はいりません!」
私が机を叩いた瞬間、魔法陣が一瞬強く光った。魔法陣がバチ、と音を立てて一瞬だけ暗転する。
「爆発する!?」
「しない。制御下だ」
煙が晴れる。映像は消えている。
しかし、教室の後方に、いつの間にか数人の生徒が集まっていた。
「今の、何?」
「恋の物語らしい」
「もう一回やらないのか?」
「今の筋肉、好きかも」
「あれ何の魔法?」
ざわ、と空気が揺らぐ。皆が初めて見たアニメに興奮しているのが伝わってきた。
――手応えがある。私の胸が高鳴った。
「ネリア」
低い声がして振り向くと、アンドリューが立っている。その表情は非常に厳しかった。
「淑女が教室で何をしている」
「文化創造です」
「……理解できない」
「ですよね」
はっきり言う。彼の眉間に皺が寄る。
「この学園は統治を担う者を育てる場だ。幻想に溺れる者を育てる場ではない」
その瞬間。
「俺は面白いと思った」
隣で聞いていたオリバーが静かに言った。
「少なくとも、誰も傷つけていない。むしろ楽しませている」
私を見る視線は穏やかだった。
「続ける価値はある」
胸の奥が、じわりと温かくなる。
この世界には推しはいない。でも、推される物語なら作れるかもしれない。
私は煙の残る教室で拳を握った。
「私はロマンスを量産します」
こうして、異世界初の胸きゅん革命が、学園の片隅で静かに始まったのだった。
◇
1週間後。放課後の空き教室は、夕陽に染まっていた。
黒板には「身分違いの恋」と大きく書かれ、その横に私の走り書きの設定がぎっしりと並んでいる。前回よりもしっかりと、設定を煮詰めてきた。その内容をがっつりとオリバーに共有する。
「王道は裏切らないんです」
「裏切らないのは理論のほうだ」
オリバーは淡々と錬金陣を描き続ける。私は机の上に身を乗り出した。
「今回はいけますよ。魔力量も抑えめ。感情の起伏に合わせて光量を変えるんですよね?」
「ああ。感情波を視覚化する。……理屈上は」
「理屈上って言いました?」
「理屈は裏切らないが、実装は裏切る」
嫌な予感しかしない。だが、やるしかない。
魔法陣が淡く光り、空中に、ふわりと映像が浮かび上がった。
夕暮れ。令嬢が窓辺に立っている。そこへ騎士が現れた。
「……きれい」
思わず息が漏れた。
前回より安定している。輪郭が崩れていない。目は二つ。顎も正常。騎士がゆっくりと手を伸ばす。
<君を――>
次の瞬間、騎士の腕が不自然に伸びた。
にゅっと。
「伸びた!」
「魔力の補正が過剰だ」
腕が三倍の長さになり、令嬢を教室の端から端まで一瞬で抱き寄せる。
「遠距離恋愛どころか長距離輸送!」
修正、とオリバーが式に触れる。腕は戻った。よし。
だが今度は――騎士の首が、くるりと三百六十度回転した。
「ホラーに寄せないでください!」
「視線固定の演算が暴走した」
首が正面に戻る。よし。
令嬢が潤んだ瞳で騎士を見上げる。その瞳が。
キラキラキラキラキラキラ……。
「発光してる!」
「感情値が振り切れている」
「初恋でそんなにMAXいきません!」
令嬢の目がついに発光体と化し、騎士が逆光で闇堕ちしたシルエットになる。私は何を見せられてるんだ。
修正。今度は光量は安定した。しかし。
騎士の髪が突然レインボーに変わる。
「情緒が虹色!」
「感情の混線だ」
「混線で七色は出ません!」
次の瞬間、騎士の口がぱくぱくと高速で動いている。
「今なんて言ったんですか!?」
「音声同期がずれている」
騎士は何かを告白しているらしいが、声が三拍遅れで響く。
<……好きだ>
令嬢、真顔。
「告白が届く前に冷めてる!」
「タイミングがずれた」
修正。今度は動きが極端にゆっくりになった。
騎士が口を開くまで十秒。
令嬢が瞬きするまで十五秒。
「間が重い!」
「溜めを意識した」
「歌舞伎じゃないんです!」
「かぶき?」
騎士がようやく一歩踏み出す。すると、足が床にめり込んだ。
「世界観が崩壊!」
「接地の計算ミスだ」
修正。床は直った。だが今度は背景の夕焼けが高速で流れ始めた。
夕焼けが夜になり、朝になり、また夕焼けになる。
「世界が進みすぎてる!」
「時間経過の倍率を誤った」
修正。背景は安定。
騎士が令嬢の手を取る。…その手が、半透明になる。
「存在が薄い!」
「魔力出力不足だ」
修正。しっかりと身体が透けていない。しかし、なぜか令嬢がアフロヘアのお相撲さんになっていた。
「突然のフォルムチェンジ!」
私は思わず机を叩いた。
その振動に反応したのか、魔法陣が一瞬強く明滅する。
ぱちり、と小さな火花。ふわ、と小さな煙と共に、映像がふっと消える。私は椅子にへなへなと座り込んだ。
「ロマンスって難しいですね……」
「安定させるのが難しいな」
彼は黒板を見上げる。
「物語の構造は悪くない。問題は表現だ」
「表現?」
「魔力を映像に変換する際、感情の数値化が雑だ」
「数値化……」
私は顔を上げた。
「感情をパラメータ化するってことですか?」
「そうだ。喜び、羞恥、葛藤、決意。それぞれに振れ幅がある」
彼は淡々と説明する。
「今はそれを一括で“高揚”として処理している。だから目が光る」
「光らせたくて光らせてるわけじゃないんですね」
「副作用だ。ほかの部分も検討が必要だが、まずは感情から調整しよう」
なるほど。ロマンスは勢いだけでは作れない。尊さには理論がいる。
私は立ち上がり、黒板に向かった。
「じゃあ整理しましょう。感情曲線を作るんです」
「感情曲線?」
「物語には波が必要なんですよ。ずっと最大出力じゃ観客が疲れます」
チョークを走らせる。
出会い――小。
すれ違い――中。
告白前――最大。
告白後――緩和。
「この波に合わせて魔力を調整するんです」
オリバーは少しだけ目を細めた。
「筋は通っている」
「でしょう?」
「理論を組み直せば、安定する可能性はある」
私はにやりと笑った。
「つまり、研究ですね」
「そうなるな。共同研究だ」
夕陽が彼の眼鏡に反射する。
うまくはいかなかった。騎士の腕は伸びたし、令嬢は発光したし、告白は時差で届いた。
だけど、完全な失敗ではない。
だって、前よりは一歩進んでいたのだ。
「ネリア」
「はい?」
「ロマンスにこだわる理由は?」
私は少しだけ考えてから、ゆっくりと口を開いた。
「こだわっているというより……最初にやるなら、これだと思ったんです」
「最初?」
「私、冒険譚も好きですし、推理ものも好きですし、群像劇も大好物です」
指折り数える。
「剣と魔法の大戦も、宮廷陰謀も、伏線回収も最高です」
「ずいぶん幅広いな」
「オタクですから」
胸を張る。
「でも、ロマンスは――」
一拍、間を置く。
「感情が一番わかりやすく揺れるんです」
「わかりやすい?」
黒板の感情曲線を指でなぞる。
「それに、身分も立場も越えて、誰でも共感できるでしょう?」
少しだけ笑う。
「だから最初はロマンス。成功したら、次は冒険大作です」
「順番の問題か」
「はい。最終目標は全ジャンル制覇です」
オリバーはしばらく黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「理屈としては妥当だ」
「でしょう?」
「ならば、その爆発を制御する術を探そう」
「はい」
私は大きく頷く。
推しはいない。供給もない。ならば作るしかない。だが作るには、理論がいる。
感情を、魔力を、物語を。
「まずは基礎理論の再構築だ」
「はい、先生」
「先生ではない」
「共同研究者ですね」
私たちは顔を見合わせ、同時に小さく笑った。
ロマンスはまだ未完成。作画も崩れる。魔力も暴れる。
けれど、研究は始まった。
◇
王立エヴァンズ学園文化祭。
中庭には屋台が並び、演劇科の舞台からは歓声が上がり、錬金術科の展示室では小規模な爆発音が断続的に響いている。
その一角。黒い布で覆われた巨大な装置の前に、私たちは立っていた。
「……ついに、ここまで来ましたね」
「ああ」
隣で静かに答えるのはオリバー。布の向こうにあるのは、私たちの完成品。
魔法式投影機構――通称ロマンス・シアター。
錬金術による魔力安定炉を中核に、感情波制御式、立体投影魔法陣、音声同期結晶を組み込んだ、完全ハイブリッド上映装置。
……ここに至るまで、色々あった。本当に、色々あった。
◆
まず、アンドリューとの婚約は、思いのほかあっさり終わった。
「学園中で奇怪な映像を流していると聞いた」
ある日、彼は静かに告げた。
「私は理解できない。将来の伯爵夫人が、そのような大衆娯楽に関わるなど」
「理解できないのはお互い様ですね」
私は驚くほど穏やかだった。
「私は作りたいんです。物語を。心を動かすものを」
「それは淑女の役割ではない」
「なら、淑女やめます」
沈黙。彼は長く息を吐いた。
「……婚約は白紙に戻そう」
「はい」
あまりにもあっさりと終わったそれは、悲しくなかったと言えば嘘になる。だが、それ以上に、私にはやりたいことがあった。
アンドリューは私を理解できない、と昔から言っていた。理解できない私を何とか理解しようと努力してくれていたことも知っている。私も、アンドリューに歩み寄ろうと努力したこともあった。
それでも、私は譲れない部分を曲げることは出来ず、完全には歩み寄れなかった。
この別れは必然だったのかもしれない。
◆
そして、問題は素材だった。映像を安定させるためには《高純度魔力結晶》が必要だと判明したのだ。
「王都近郊では採れない」
オリバーは地図を広げた。
「北方の旧魔王領域にしか存在しない」
「……旧?」
「今は封印状態だが、残滓は残っている」
その結果、私たちは冒険に出た。
なぜか学園の課外活動扱いになった。
なぜか教員が同行を拒否した。
なぜか途中で大型魔獣に追われた。
「なんでロマンス作るのに命懸けなんですか!?」
「高純度素材は危険地帯に多い」
崖から落ちかけ、氷の洞窟で滑り、魔獣の咆哮で鼓膜が震え、ついには魔王残滓と遭遇した。
黒い霧の中心から響く低音。
『何者だ……』
「ロマンスを作る者です!」
私は叫んだ。オリバーが一瞬こちらを見た。
「真面目に」
「真面目です!」
結果、なぜか戦った。感情波増幅式を応用し、魔王残滓の怒りを逆流させるという理論で押し切った。正直、死ぬかと思った。なぜ勝てたのか、今でもわからない。
少なくとも、崩れ落ちる洞窟の中、オリバーに腕を掴まれなければ落ちていた。
「手を離すな!」
「離しません!」
あのときの心臓の鼓動は、今でも忘れられない。
◆
結晶を持ち帰り、何度も失敗し、何度も煙を上げ。感情曲線の理論を再構築し、魔力安定炉を設計し、音声遅延を解消し。
そうして、やっとのことで、錬金術と魔法を融合させた。
「これで、いけるはずだ」
完成した装置を前に、私たちは夜明けまで無言で座り込んだ。
あのとき、ようやく、ロマンスは理論から現実になったのだ。
◆
「まもなく開始時刻です!」
後輩の声に、ハッと現実に戻ってきた。文化祭のざわめきが耳に入ってくる。
気づけば、装置の前には黒山の人だかりができていた。
「聞いた?あの装置の件」
「ロマンス映像ってやつ、ついに完成したらしい」
「婚約者と別れてまで作ったものらしいぞ」
ひそひそと囁きが広がる。その視線の先。少し離れた場所に、アンドリューの姿があった。
周囲でひそひそと噂が飛び交う中、私は小さく深呼吸をする。
「始めましょうか」
私は布に手をかけた。オリバーが魔力安定炉を起動させる。
低く唸る音。淡く広がる光。
布が落ち、中庭に、静寂が降りる。
そして――空中に、物語が浮かび上がった。
その物語は、窓辺の令嬢と騎士の出会いから始まる。
恋に揺れる令嬢と彼女を真摯に愛する騎士。2人の時間が、物語が、徐々に動いていく。
今度は腕は伸びない。瞳も光らない。
告白の間も、完璧だ。
<君を、愛している>
その一言に、観客席のどこかで、小さな息が漏れた。
――成功だ。思わず拳を握りしめる。
◇
上映が終わった瞬間。中庭は、静寂に包まれた。
ほんの一拍。それから――拍手が爆発した。一斉に歓声が上がる。
「続きは!?」
「騎士の視点もやってほしい!」
女子生徒たちが目を潤ませ、男子生徒が「騎士の剣技が見事だったな」と語り合い、教師陣まで神妙な顔で頷いている。
私はその光景を、少しぼんやりと見ていた。
前世で、何度も味わった感覚。尊い最終回のあと、画面の前で拍手した夜。
イベント会場で、隣の知らない誰かと感想を叫び合った日。
あのときの熱が、今は――こちら側にある。
「ネリア様!」
「第二作はいつですか!?」
「円盤はないです!」
「えんばん?」
反射的に叫んでから、はっとする。この世界にディスクはない。だからこそ、上映しなければ物語が見れないのだ。
「成功だな」
隣でオリバーが静かに言う。いつも通り落ち着いた声。だが、その眼鏡の奥はわずかに柔らいでいた。
「……成功、ですね」
「腕は伸びなかった」
「そこ重要でした!?」
「重要だ」
真顔だ。私は思わず笑ってしまう。
「次はさらに安定させましょう。あと三割、演出を盛れます」
「魔力消費が増える」
「じゃあ効率を上げましょう」
「簡単に言うな」
でも、口調はどこか楽しげだった。
「ネリア」
急に、聞き慣れた声が割り込んだ。
振り向けば、アンドリューが人垣を抜けて歩いてくる。穏やかな笑み。完璧な姿勢。そして――どこか柔らかい目。
「見事だった」
静かな賞賛。私は一瞬、言葉に詰まる。
「……ありがとうございます」
「君の才能を、私は見誤っていたようだ」
周囲がざわつく。元婚約者。破談。噂はすでに広まっている。
「この装置、王都でも通用するだろう。いや、むしろ王都でこそ真価を発揮する」
彼は一歩近づいた。
「伯爵家が後ろ盾になれば、正式な公演会を開ける」
ああ。そう来るのか。
「もう一度、正式に話し合わないか。私たちは――」
「やめておきます」
言葉は驚くほどすんなり出た。アンドリューの眉がわずかに動く。
「ネリア?」
「後ろ盾があれば楽になるのはわかります。ゆくゆくは王都での上映を目指すかもしれません。でも」
私は装置を振り返った。
「これは、私とオリバーの研究成果です」
一瞬、空気が変わる。アンドリューの視線がオリバーに向く。
「錬金術科の彼か」
「共同研究者です。私は、感情を押し殺すと、今回のような作品を作ることはできません」
「押し殺させるつもりはない。ただ――」
「“上流向けに洗練すべき”って言いますよね?」
彼の口が閉じる。図星だ。
「ロマンスは、誰のものでもいいんです。貴族でも平民でも。胸がきゅんとするなら、それでいい」
静かな沈黙。そしてアンドリューは、ゆっくりと息を吐いた。
「……変わったな、ネリア」
「いいえ。ずっとこうでした」
「――たしかに、君らしい」
彼は小さく笑い、軽く会釈をすると、そのまま人混みに消えた。その後ろ姿を引き止めることはしない。
胸は不思議なほど軽い。
「すっきりしたか」
オリバーが言う。
「ええ。思ったより」
「後悔は?」
「ないですね」
少しの沈黙。
周囲ではまだ興奮が続いている。私はちらりとオリバーを見た。
「……あのとき、洞窟で手を掴んでくれましたよね」
「落ちそうだったからな」
「合理的理由だけですか?」
眼鏡の奥の瞳がわずかに揺れた。
「……それ以外に何がある」
「さあ?」
私はにやりと笑う。
「研究が止まると困る、とか?」
「それもある」
「“それも”?」
今度は彼が視線を逸らした。耳が少しだけ赤い。
勝った。
「次回作、どうします?」
話題を変えると、彼はすぐに真顔に戻る。
「騎士視点は需要が高そうだ」
「悲恋ルートもいけますよ?」
「感情曲線が荒れる」
「制御しましょう」
「お前は本当に爆発させたがるな」
「爆発は制御下です」
私たちは、自然に並んで歩き出す。
「ネリア」
「はい?」
「次は、もっと大きな装置を作って、大勢の前でやろう。文字が読めない下町の人たちの前とか」
静かな宣言。私の心臓が、どくんと鳴る。
「……大冒険、再び?」
「素材が足りないならな」
「死の淵はもう勘弁ですよ?」
「保証はできない」
思わず笑いがこぼれる。異世界転生は最悪だと思っていた。
でも今は違う。推しはいない。
けれど、一緒に物語を作る相手がいる。
「オリバー」
「なんだ」
「次はもっと、胸が苦しくなるやつ作りましょう」
「制御できる範囲でな」
「努力します」
夕暮れの校舎を背に、私たちは歩く。距離は、ほんの一歩だけ近い。
◇
文化祭の熱気がようやく引いた頃。私たちは学園図書館の奥、いつもの窓際の席にいた。
机の上にはロマンス・シアターの改良案と、次回作のプロット案、それからなぜか大量の羊皮紙。
「……で?」
オリバーが顔を上げる。私は人差し指を立てた。
「次の目標です」
「下町公演か?」
「それもありますが、もっと根本的な話です」
私は机に身を乗り出した。
「この世界にも物語はありますよね?」
「ああ。叙事詩、恋愛小説、騎士譚。大量にある」
「つまり原作があるんです」
オリバーがわずかに目を細めた。
「……まさか」
「作者に連絡を取りましょう!」
ばん、と机を叩く。
「正式に映像化の許可をもらうんです!原作者監修!脚本協力!夢の共同制作!」
「待て」
即座に止められた。オリバーはこめかみを押さえている。
「規模が大きすぎる」
「でも、作者さんが自分の物語が映像になるのを見たら、きっと嬉しいですよ。供給が増えるんですよ?」
彼は少し考え込む。
「……理論上、可能だ。契約書を整備すれば」
「やりましょう」
即答である。
「それから」
私は羊皮紙を一枚掲げた。
「円盤を作ります」
「……えんばん」
「上映に来られない人にも届けたいんです。魔法式記録媒体。再生装置とセット販売」
「販売まで視野に入れているのか」
「供給は広く、深く、継続的に」
オリバーは腕を組む。
「魔力を長期保存できる媒体が必要だな」
「作れますよね?」
「難易度は高い」
「やりがいがありますね」
彼は小さく息を吐いた。
「お前は本当に止まらないな」
「推しがいない分、推進力に変換しています」
胸を張って、私は最後の一枚を取り出した。
「最終目標」
「まだあるのか」
「インターネットがほしいです」
沈黙。窓の外で鳥が鳴いた。
「……説明しろ」
「世界中どこにいても物語が見られる仕組みです。遠隔魔力通信網。個人端末。検索機能。感想共有機能」
「待て待て待て」
「推しを語れる空間が必要なんです!」
思わず立ち上がる。
「今は上映が終わったら解散でしょう!?余韻を語れないんですよ!考察を書けないんですよ!?」
「落ち着け」
オリバーは静かに言う。
「魔力通信網自体は理論上存在する。王都の一部で研究されている」
「本当ですか!?」
「ただし軍事用途が主だ」
「娯楽に転用しましょう」
「簡単に言うな」
でも、その声はもう半分笑っていた。
「ネリア」
「はい?」
「最終目標はなんだ?」
私は少しだけ考える。異世界転生なんて最悪だと思っていた。供給もない、推しもいない世界。
――だからこそ。
「物語が、当たり前に届く世界まで」
静かに答える。
「誰かが、どこかで、当たり前のように、胸をきゅんとさせられる世界」
オリバーはしばらく黙っていた。それから、小さく頷く。
「なら、やることは多いな」
彼はわずかに笑った。
「まずは次回作だ」
「はい」
私たちは羊皮紙を広げる。
騎士視点編。
悲恋ルート。
原作者公認企画。
記録媒体開発。
魔力通信網構想。
やることは山積みだ。でも、不思議と不安はない。
「オリバー」
「なんだ」
「いつか、この世界中の誰かが、夜中にこっそりロマンスを観て、情緒崩壊する日が来ますよ」
「……それは平和なのか?」
「たぶん」
私は笑う。
ロマンス革命は、学園を越え、王都を越え、いずれきっと、世界へ。
ロマンス革命は、まだ始まったばかりだ。




