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オオカミ少女

 視界の奥から、一人の女子生徒が沙理のほうへと歩いてくる。

 その女子生徒はオオカミの被り物を被っている。被り物の造形は大きくリアル寄りだ。背筋を真っ直ぐに伸ばして歩く姿がそう思わせるのか、表情が読み取れないにもかかわらず、いかにも生真面目で誠実そうな印象を受ける。スカートはかなり短いのに、下品だとか淫らといった感じがまったくしない。床に落ちたメモ帳を認めれば、持ち主が沙理だと瞬時に察知し、拾って手渡してくれそうだ。さらには手を差し伸べ、立ち上がる手助けまでしてくれるに違いない。そう瞬時に確信できるような生真面目さ、誠実さ。学級委員長的、とでも表現すればいいだろうか。オオカミは自身が空腹だったり、敵がテリトリーに侵入したりするからこそ牙を剥くのであって、平素は弱者に対して紳士的に振る舞う生き物なのかもしれない。そんなことを思う。

 生真面目であるがゆえに、中は見ないだろう。持ち主の手がかりがない状況ならばともかく、沙理がいかにもたった今転んだばかりですよ、というふうに仰向けに這いつくばっている状況では。

 それにもかかわらず、オオカミ少女にメモ帳の中身を見られるのではないかと危惧した。拾う相手が、学校の中で被り物を被るような人間だからではない。どうせなら美形の男子生徒に拾ってもらいたいからでもない。

 水色の表紙、ペンギンのイラストが描かれたあのメモ帳は、本来学校には存在しないものだ。それを沙理以外の人間に触られてしまえば、なにかが根本的かつ不可逆的に狂ってしまうような、そんな気がしてならないのだ。

 沙理は横移動しかできない制約から解き放たれたカニのように素早く真っ直ぐに這い進み、メモ帳を掴んだ。三歩ほど遅れて、沙理をまじまじと見つめながらオオカミ少女が通りすぎていく。彼女から醸し出されている生真面目さと誠実さを考えれば、ひと声かけてくるかとも思ったが、助けはいっさい不要だと判断したらしい。

 やれやれ、助かった。

 0・八倍速で起立し、埃を払う。床に密着したのは体の前側のはずなのに、なぜかスカートの裾を払っていた。

 視線を感じる。後方からだ。つまり、教室の中。男子たちがパンツを見ていたのかもしれない。きっとそうだ。

 わたしのパンツなんて、わざわざ見なくてもいいでしょ。エロ本かエロ動画で見てよ。無修正のやつを探して。

「……無修正」

 印旛彩華に投げかけられた指摘を思い出す。

 そして、教室でかけられた言葉も。

 さらには、ここが夢の世界だということも。

 男の裸を見たことがないうんぬんは、夢の中で印旛さんが口走ったセリフだ。あれは明確に、わたしに対する悪口だった。彼女は悪口を言うキャラとして、わたしが見る夢に出現した。つまり、わたしは、印旛さんをそういう人間だと認識している。

 読書ばかりしているという指摘は、印旛さん的に侮辱なのか、単なる指摘なのか。印旛さんじゃないから知る由もないけど、わたしは前者だと解釈した。印旛さんは嫌なやつだ、嫌なことを言うやつだ。そう認識したからこそ、印旛さんは嫌なやつとして夢の中に登場した。

 認めなきゃ。

 認めたくないけど、認めなきゃ。

 わたしは印旛さんからからかわれたんだって。

 そして、今後、印旛さんやその取り巻きの女子たちからイジメの標的にされて、学校生活が辛いものになるかもしれないことも。

 居ても立ってもいられなくなり、メモ帳を開いた。癖がついているので、ぱっと開けたら最新のページがさっと開く。ボールペンを挟んでおく癖があってよかった。二重の意味で、癖、バンザイ。誰が開発したかも正式名称もわからないけど、ボールペンの引っかける部分を発明した人、バンザイ。紙の上にペンを走らせる。

『不登校の原因

 3.印旛彩華』

 メモ帳に記入しているわたしの後ろ姿は、男子たちにはショックを受けて泣いているように見えたに違いない。でもたぶん、彼らは誰一人としてわたしには声をかけない。たとえここが夢の世界ではなかったとしても。それどころか、喜んでいるかもしれない。無言でにやにや顔を見合わせたりなんかして。

 あなたたち、弱者が弱さをさらけ出すのがそんなに好き? 馬鹿じゃないの。強者が思いがけない弱さを垣間見せたら、滑稽なくらいに慌てるくせに。強者が強さを見せつけると、声を奪われたみたいに黙るくせに。

 別にあなたたちの軟弱さを非難してるわけじゃないよ。だって、人間ってたぶん、もともとそんなものだから。

 勝手にすればいいと思うよ。わたしも勝手にするから。

 メモ帳とペンを胸ポケットにおさめ、教室から遠ざかる。オオカミ少女が去っていった方角ではなくて、いつも帰っている階段を使って、階下へ。

「……帰る」

 そう、帰る。夢の中でまで苦しい思いはしたくないし、しなければならない理由もない。だから帰るのだ。

 現実世界の過去が、ほとんどそっくりそのまま夢という形で再放送されることがまれにある。なぜかはわからないが、それはたいていは悪夢だ。

 でも、それ怖くて悲しくて惨めな思いを無力にくり返すためではなくて、力強く克服するためなのでは?

 きっとそうだ。そう思いたい。そう思うことにしよう。

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