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トラウマ的な  作者: 阿波野治


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その人物

 沙理はその人物の動きに釘づけになっていた。大多数の人間を途方に暮れさせる障害物に平然と挑み、乗り越えようとする心身のたくましさ。常人には演出できない雄々しく洗練された挙動。像は滲んでいるが、仮にクリアだったならば、彼はきっと精悍な顔つきをしているに違いない。体はユニフォームに包まれているが、下着しか身に着けていなかったとしたら、全身は筋肉の鎧に覆われているはずだ。見ているだけで、想像するだけで、陶然としてしまう。ただでさえ冴えない顔は、恍惚たる表情を浮かべたせいで、正視しがたいほど不細工に変形しているのだろう。そう他人事のように考える。自己嫌悪。しかし、それでも眺めずにはいられない。肉体によるパフォーマンスを見守り続ける。

 そして、気がつく。わたしはマッチョな男の人が好きだ、と。

 ずっと前から自覚していたような気もするし、今日初めて気がついたような気もする。しかし沙理は、その問題よりも、乱闘の輪から離脱した人物の正体に関心があった。

 知らぬ間に下を向いていた顔を上げる。いつの間にか、その人物はネットの最上部に達していた。観客席のほうを向いて腰掛けている。手を振れば振り返してくれそうな、柔らかな表情が浮かんでいるように思える。視線の方向は、明らかに沙理だ。

 手が振られるのを待たずに、その人物は飛び降りた。手を軽く伸ばせば届く距離にあるごみ箱にごみを捨てるように、無造作に。そして、安定した着地。五メートルほどの高さがあったが、ダメージを負った様子はまったく見られない。

 その人物は両の指先で床を押すようにして腰を上げる。彼の後方では、一般人よりも高い体力と運動能力を持つ男たちが、体力と運動能力の無駄遣いを観客たちに見せつけている。その人物は沙理へと歩み寄ってくる。近づけば近づくほど像が鮮明になる。目の前で足を止めたとき、その人物はその人物本来の明瞭さを完全に取り戻している。

 間違いない。ユニコーンズのエース・菅谷健勝選手だ。

 満年齢二十九歳。右投げ右打ち。身長百八十八センチ、体重八十五キロ。ポジションは、小学三年生で野球を始めたときから一貫してピッチャー。バッティングも得意としていて、小学五年生から高校卒業まで、所属チームでは常にクリーンアップを務めた。高校三年生の夏、神奈川県地区大会の決勝、熱闘及ばず1対3で敗れ、念願の甲子園行きは叶わなかったが、試合後のインタビューでは悔しさを押し殺して淡々と質疑応答に応じた。ドラフト会議ではユニコーンズに二位で指名。後年、プロ野球専門誌に掲載された、ドラフト当時を振り返る内容のインタビュー記事では、「バッティングにも高い評価を頂いていて、野手として指名するという話もいただいていたんですけど、僕はプロではピッチャー一本で勝負したかったんですよ。だから、高校生のときはピッチングでは百二十パーセントの力を出しても、バッティングではそれなりでいいやって感じでしたね。大差で勝っているときはクソボールでも振りにいったりとか。もちろん、勝負どころでは死ぬ気で打ちに行きましたよ。基本、負けず嫌いなんで」と語っている。最速154キロのストレートに、変化球はスライダー、カーブ、フォーク、カットボール、ツーシーム。ゴールデングラブ賞とベストナインを三回ずつ受賞経験がある。憧れのプロ野球選手は、「お化けカーブ」を武器にユニコーンズの不動のエースの座に君臨した、菅谷選手の父親世代の名選手である椎野達二投手。ただし、菅谷選手自身はカーブを投げる割合は多くなく、キレのあるフォークボールを決め球にしている。一年目から先発として数試合に登板。三年目まで勝ち星に恵まれず、登板数も伸びなかったが、四年目に初勝利を挙げると、その年は十勝まで勝利数を伸ばした。その年から四年連続で二桁勝利を挙げ、故障の影響で連続二桁勝利記録が止まった年も、離脱がなければ十勝どころか最多勝ペースだった。その最多勝のタイトルは、九年目となる二十七歳の年に獲得。現在のところ獲得タイトルはそれ一つのみだが、奪三振数・防御率・勝利数・投球回数などでコンスタントにトップ5に名前が挙がる活躍を見せ、二十八歳の年には勝利数と防御率がともに二位という好成績を叩き出した。国際大会の代表には二度選出され、一度は故障を理由に辞退している。唯一の代表として臨んだ大会では、三試合にリリーフとして登板し、わずか一失点。予選ラウンドのメキシコ戦では得意のフォークボールが有効的で、二回を投げて実に五つもの三振を奪っている。オールスターには五年連続選出中で、うち二回がファン投票、残る三回が監督推薦。チームの成績低迷に伴うベテラン選手の大量の戦力外通告の煽りを受け、長いイニングを任されるケースが増加、疲労の蓄積から成績を落とすシーズンもあったが、ユニコーンズのエースナンバー18を死守し続け、今シーズン開幕戦では九回を一失点完投して面目躍如の活躍を見せた。球界を代表する先発投手としての地位を確立し、来年行われる国際大会ではチームの先発の柱として期待されている。二十七歳の年に、交際していた同い年の一般女性と結婚。娘が一人、息子が一人。愛称はスガケン。

 その菅谷健勝が、沙理の目の前にいる。彼女よりも三十センチ以上高い体を直立させて目の前にいる。

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