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トラウマ的な  作者: 阿波野治


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グラウンドの騒乱

 選手たちがくり広げる非正規の戦いを、沙理は座席に腰を落としたまま呆然と眺める。外野席からグラウンドは遠かったが、ひいきチームの選手が現在どのような顔をしているのかが手に取るようにわかった。周囲の観客も、暴れ回る選手たちの影響を受けて興奮するのではなく、呆気に取られたように事態の推移を見守っている。選手よりも理性的に振る舞わなければならないはずのコーチまでもが、相手チームのコーチや選手に暴言を吐き、殴りかかっている。乱闘が終息に向かう気配はない。最後の審判の日が訪れても殴り合っていそうだ。

 沙理が球場でプロ野球の観戦するのはこれが初めてだ。昨日までは、ひいきチームの試合はもっぱらインターネット中継で観戦してきた。球場で観戦したい気持ちはあったが、彼女が住むT市にはプロ野球の試合が可能な球場はないし、両親はユニコーンズの本拠地がある関西まで行くのに気乗りではない。

「一人で行きたいのなら、行ってもかまわないよ。検討してみたらどうだ」

 そう言われたが、一人で県外へ行くだけの勇気を沙理は持ち合わせていない。チケットの購入から始まって、交通機関の乗り継ぎ、緊急事態が起きたさいの対応まで、不安材料ばかりだ。

 それでも現地観戦を諦めきれず、中学三年生の夏休みにとうとう決意した。笑ってしまうほど早い時期から、入念に、綿密に、計画のための下調べを始めた。チケット発売情報や鉄道時刻表などの客観的な情報から、口コミサイトや匿名掲示板の意見などの主観的な情報まで、野球の試合観戦にまつわる情報ならば手当たり次第にインプットした。情報の過多や信憑性の欠如に振り回されながらも、不安感は着実に解消されていった。

 そして迎えた八月一日。

 待合所で高速バスの到着を待つ沙理は、三者面談に親抜きで臨まなければならなくなったときのように緊張していた。道中は魂の高揚はまったくなく、胸中を占めるのは不安・不安・不安。机上と現実の差異にまごつくことも何度もあった。

 予定どおりの時刻に試合が行われる球場にたどり着いた。ひとたび球場内に足を踏み入れてからは、実年齢よりも幼い無邪気な少女へと一時的に退行した。試合が始まるまでは、独特の賑やかな静けさとでもいう雰囲気が快かったし、始まってからは、息もつかない試合展開に幸福に呑まれた。沙理の席からグラウンドは遠かったが、悪くない視力と、周囲のファンの熱気のおかげで、お釣りがくるくらいに盛り上がれた。近くにファールボールが飛んできたときは悲鳴を上げてしまったが、イニングが進むにつれて、あらゆる恐怖に適応していった。試合展開も、ひいきチームの本日の先発であるスガケンこと菅谷投手が、ヒットを許しながらも要所を締める粘り強いピッチングを続けていて、毎イニング点が入るような乱打戦や、ヒットやフォアボールさえもなかなか出ない投手戦よりも見応えがある。

 試合も終盤に差しかかった七回に騒動が勃発した。

 疲れからか、菅谷選手が突如コントロールを乱し、相手の四番バッターの頭に当たりそうな暴投を投じてしまったのだ。四番バッターはこれに激高。マウンドの菅谷投手へと憤然と詰め寄ったため、両軍ベンチから選手とコーチがいっせいに飛び出した。結果、現在沙理の視界で展開しているような展開になった。

 沙理は野球の試合を観に来たのであって、乱闘を見に来たのではない。鍛え上げられた肉体を、暴力的な手段に悪用するのを眺めても面白くない。むしろ不快感が先行する。

 そうはいっても、周りの観客たちがそうであるように、彼女には止める力はない。したがって、醜い争いが自然におさまるのを待つ以外に道がない。

 乱闘が終息する気配は一向にない。いつ訪れるかわからないその瞬間まで、憧れのプロ野球選手たちの醜態を見守らなければならないのだと思うと、沙理は絶望的な気持ちになる。

 野球というスポーツには制限時間というものがない。誰かがなにか行動を起こさないと、永遠にこの時間から抜け出せないかもしれない。わたしも、みんなも。

 こんなものを見るために、わたしはたくさんの苦労をしてこの球場まで来たの? そうじゃない。絶対にそうじゃないよ。

 でも、わたしにはどうにもできない。

 わたしは無力だ。無力だから、誰かに頼ることしかできない。

 誰か、助けて。

 沙理は視界の端に、揉み合う二チームの選手・コーチで構成された塊から、今まさに離脱した人影を捉えた。注意を惹きつけられた。青いユニフォームだから、ユニコーンズの選手だ。彼女がいる観客席のほうへ向かって大股で歩いてくる。誰もその選手を制止しようとしないどころか、見向きもしない。

 その選手に注目しないのは、沙理を除く観客たちも同じだ。ただ彼女だけが、その選手の歩みを目で追っている。

 正体を確かめたくて目を凝らした瞬間、その選手の像が滲んだようにぼやけた。乱闘を目の当たりにしたショックのあまり、遅まきながら涙があふれたのと疑ったが、その他の映像は明瞭なままだ。

 選手が観客席のフェンスまで到達した。打球が客に直撃するのを防ぐために高く張り巡らされたネット、それを上り始めた。肉体的な若さと技術を併せ持ったロッククライマーのような、力強い縦方向への移動。よじ登っているというよりも、体を上へ上へと運んでいると形容したくなる。

 大乱闘がくり広げられているとはいえ、試合中に選手が観客席のネットを登る。明らかに異常な光景だが、観客は誰一人として騒ぎ立てない。グラウンドの騒ぎに気をとられているから、ということではない。よじ登っているその人に視線を向けることはあっても、すぐに興味なさそうに視線を逸らすのだ。

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