暴力
沙理を席に案内したのとも、水を運んできたのとも別人の、三十歳くらいの性別不詳の店員が、揚げ油の匂いとともに彼女のテーブルまで来た。注文の品を手早くテーブルに並べ、来たときのように足音を立てずに去る。キツネ色の衣に囲われた白色の肉を見た瞬間、空腹感はピークに達した。もっとも巨大なひと切れを箸でつまみ、ソース皿になみなみとたたえたソースをつけ、大口でかぶりつく。肉は柔らかくジューシー、衣は香ばしくさくさくとしていて、とびきり美味しい。最初のひと切れは、さながら飢えた獣のようにあっという間に胃の腑へと送り込み、ふた切れ目からはキャベツや白米ごと口に放り込む。
沙理が夢中になって食事をしているあいだも、狼たちはひとり言なのか否か判然としない会話を継続している。
「誰しも生存本能には抗えない。極限状況での営みを常態にしているあいつだからこそ、その意思は強いだろう」
「必ず罠にかかる、必ず罠にかかる。まるでシナリオに明記されたストーリーをなぞるかのごとく」
「血が騒ぐなぁ。腕が鳴るなぁ。こればっかりは機械に任せるわけにはいかないからねぇ」
「そろそろかしらね?」
「いずれ訪れるのだから、ゆるりと待つがよい。急いては事を仕損じる。慌てる乞食は貰いが少ない」
「さて、食事もすんだし、包丁を研ぎましょうかね」
やがて沙理は食べ終える。多少量が多めだったが、空腹と味のおかげで最後まで美味しく食べられた。会計をすませ、店の外へ。
既視感を覚える映像が噴水の前にあった。正体を見極めるべく目を凝らして、「あっ」と声をもらす。軍人の男性が跪き、噴き上がる紅がかった水をじっと見つめているのだ。
名前を呼ぼうとして、なんと呼べばいいのかがわからないことに気がつく。「軍人さん」では他人行儀すぎる。彼に初めて会った時点で名前を尋ねておくべきだった。
人通りが多い中で呼びかけても聞こえないと判断し、彼へと歩を進める。標準的な歩行速度はすぐに早足に変わった。
心がそわそわする。人通りの多いアーケード商店街に、軍人の男性。とてつもなく違和感がある。なにかが起こりそうな気がしてならない。そのなにかの内容が見当もつかないから、恐ろしくてならない。
出し抜けに噴水の水がやんだ。沙理は思わず足を止める。軍人の体が心持ち前傾し、両手の指先が湛えられた水に触れた。
刹那、けたたましいサイレンの音が鳴り響き始めた。沙理は肩を縮め、軍人は咄嗟に手を引っ込めた。
勢いよくドアが開かれる音がした。振り向いた沙理は、つい先程まで自らが食事をしていたトンカツ屋から、大勢の人々があふれ出すのを見た。全員オオカミのマスクを被っている。手にはナイフや鈍器が握りしめられている。オオカミたちはイナゴのようにひと塊になり、彼女の脇を猛然と通り過ぎていく。
「どけっ!」
ダークグレーのスーツを着た小太りのオオカミに突き飛ばされた。凶器を握るのとは反対の手を使う最低限の配慮は見せたが、その力は無防備な少女に対して行使するものとしては強く、あえなく尻もちをつかされてしまう。
無表情で棒立ちしている軍人をオオカミたちが取り囲んだ。ざっと数えただけでも二十人以上はいる。リーダー格らしい、青味がかった銀色の体毛、銀色のビキニを着た女性が一歩前に進み出た。さらには、右手に握りしめた日本刀のきっさきを軍人に突きつけ、
「法治国家に身を置く以上は法に従え。秩序を守ろうとしないお前には、我々が天罰を下す。覚悟っ!」
怒号がサイレンの音を掻き消し、オオカミたちはいっせいに軍人に襲いかかった。取り囲む獣人間たちの体と体の隙間から、彼が身構えたのが見えたのを最後に、姿が隠れた。怒号、怒号、怒号。
止めに入る? 丸腰で? 狂気と凶器を所持した、二十人を超える人間と? 無理だ。助けに入っても殺されるだけだ。
傍観した場合、どうなる? わたしの命は確実に助かるだろうけど、軍人さんは殺されてしまう。いくら体力に自信があっても、格闘技の心得があるのだとしても、武器を持った二十人相手に勝つなんて、無理だ。
嫌だ。殺されるのも、殺されるのを黙って見ているのも。
誰か! 助けて!
心の中で叫んだとたん、サイレンがやんだ。狼たちの動きが申し合わせたように停止し、周囲を見回す。
噴水の噴出口から、パスタマシンによって生まれ出るスパゲティの赤ちゃんのように人が生えてきた。いずれも男性、たくましい体つきをしていて、明るい青色を基調とした服装に身を包んでいる。沙理がひいきにしているプロ野球チーム・ユニコーンズのホーム用のユニフォームだ。
「みんな、行けっ! 地球よりも重い一点ものの命、なんとしてでも死守するんだ!」
雄々しく響いたその声は、紛れもなく、ユニコーンズのエースの菅谷健勝選手のものだ。それに応じて発せられた「おうっ!」という声は、ぴたりと重なったことで野太く、腹に響くものとなった。迎え撃つ態勢に入ろうとしていたオオカミたちが、一瞬怯んだらしい様子を見せた。選手たちはユニフォームの下から木製バットを取り出し、叫び声を上げながら敵たちに突撃する。オオカミたちがそれに応戦し、凄まじい乱闘が始まった。




