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トラウマ的な  作者: 阿波野治


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20/27

アーケード商店街

 二度目に通る正門の先に続く道は、最初に通ったときとは異なっていた。民家が全体的に古び、なおかつ全体的にサイズが縮んでいる。空き地と田圃の割合を減らし、代替として民家を設置した、といった趣だ。さびれた雰囲気を漂わせながらも、民家が密度高く軒が連なっているために雑然としている。エネルギーを内に秘めているような印象があり、それが得も言われぬ迫力を醸し出している。だからといって、活気があるという言葉を使うのもしっくりこず、「独特の雰囲気」という空っぽな形容でお茶を濁すしかない、そんな町並みだ。

 保坂さんをお姫さまだっこして通ったときと同じく、人の姿は見当たらず、気配も感じられない。レディースのスニーカーの靴底がアスファルトを踏み締める音だけが聞こえている。物陰から猛獣が飛び出してきそうな不穏さだが、恐怖に発展する類の不穏さではない。民家の戸を突き破って黒豹が現れたとしても、サーカスの猛獣がするようにどこか滑稽な芸をしてみせ、もらった拍手に満足してその場に寝そべるのではないか、という気がする。

 やがて視界が開けた。アーケード商店街の出入口だ。

 アーケードは骨組みを除いてクリアな素材で作られているので、射し込んだ陽光が通路や店先を照らし、明るく開放的な雰囲気を演出するのに多大なる貢献を果たしている。沙理が暮らす町で一番大きな鉄道駅に隣接するアーケード街と少し似ている。ただし、こちらのアーケード街の道幅はあちらよりも三倍は広く、目を凝らしてももう一方の果てが見通せない。

 違うのは行き交う人々の数もそうだ。シャッター通りという言葉を連想してしまう者もいるだろうさびれ具合のあちらに対して、こちらは混雑しているといっても過言ではないくらいに活気がある。映画館のポスターの前で笑みを見せながら話し合っている家族連れ、腕を絡め合って店頭に陳列された商品を吟味している若いカップル、ベンチに腰掛けてソフトクリームを賞味している白髪の老夫婦。年齢層も性別もばらばらで、リラックスした表情を見せている者が多い。誰も彼も、いかにも生きている人間という印象を受ける。活き活きしている。

 人気のなさに起因する不穏さから解放された安堵も相俟って、沙理はポジティブな気持ちでアーケードの下を歩き始めた。

 豆腐のおつかいのことは、もちろん念頭にある。立派なアーケード街を目の当たりにしたことで一時的に飛んでいたが、すぐに戻ってきた。活気に満ちた商店街を散策できる。それ自体は喜ばしいことだが、豆腐屋が店を構えていそうな雰囲気ではない。

 しばらく道なりに歩いていると、コーヒーの香りが鼻孔をくすぐった。夢の中の自分はなにも食べていない、と気がついた瞬間、お約束のように腹の虫が鳴いた。現実世界で眠りに就いている自分も空腹なのかもしれない、と思う。

 ジーンズのポケットを探ると、丸めた紙を押し込んだのとは反対側に財布が入っていた。中身は、一万三千円と小銭が少々。

 夢の世界で朝食をとるのも一興かもしれない、と思う。マーガリントーストとインスタントコーヒーよりも魅力的な食事にありつけるのだと思うと、まだありついてもいないのに心が弾んだ。食事一つで気分がいっそう前向きになるのならば、あながち寄り道とはいえまい。なにより、ここは夢の中だ。見る者の経験や理性に世界観が左右されるとはいえ、基本は混沌としていて荒唐無稽。朝食といっしょに豆腐が売られていないとも限らない。

 コーヒーの香りは次第に強まっていく。香りの出所で朝食を販売しているかは定かではないが、沙理自身はイコールで結びつけていた。奥に向かうにつれて床が傾斜していくゲームセンター、大量の不気味な人形が店頭に飾られている古書店、一台の電気自動車が展示されているだけの新車販売店。そんなちぐはぐな店が並ぶ中に、孤立したように一軒、他愛もない喫茶店が建っている予感がする。

 通路の幅が少し広くなり、中央にこぢんまりとした噴水が設置されている。噴き上がる水は淡い紅色を帯びていて、沙理の視線は固定された。対象に意識を集中した瞬間、ロウソクの火を吹き消したようにコーヒーの香りが消えた。

 噴水の底に湛えられた水に手を浸して遊ぶ、きょうだいらしき二人の幼児がいる。三人家族の父親が通行人の中年男性を呼び止め、アンティックなポラロイドカメラを手渡し、噴水を背景にしての記念撮影を要請している。複数の若い女性の声が織りなす笑い声が、高らかに、それでいて不愉快ではなく響いた。中年男性が噴水から一定の距離を置いて相対し、カメラを構えた。父親は駆け足で家族のもとまで戻ると、母親の隣にたたずみ、両親よりも一歩前に立ってはにかみ笑いをしている娘の肩に置いた。

「はい、チーズ」

 かしゃり、とシャッター音が鳴り、噴水の水が止まる。残像を残しながらも消えていくのではなく、「水を噴き上げている噴水」の画像から「水が止まっている噴水」の映像に瞬時に切り替わったかのような変化だ。中年男性は何事もなかったように父親にカメラを返却し、颯爽と去っていく。

 噴射される水の束が消失したことで、通りの反対側の景色が明瞭に見えた。ちょうど正面に、大きすぎる花屋と、無数のLEDライトが眩しい玩具屋に挟まれて、外壁も屋根も黒いこぢんまりとした建物が建っている。道幅の広さに祟られて、店の出入口上部に掲げられた看板の大文字さえ判読できないが、営業中の飲食店だと直感的に理解できた。

 三人家族が噴水の前を去っていく。彼らが描いた軌道に垂直に交わるようにして、沙理は店へ歩を進める。

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