国歌と予知夢
軽蔑の念が高まったことで、決意は固まった。抵抗感がまったくないといえば嘘になるが、事態が事態だから、娘のワガママに一時的に寛容になってくれると信じるしかない。朝七時十分前。今の時間、二人は夫婦揃って朝食をとっているはずだ。
ダイニングに二人はいなかった。キッチンにもリビングにもいない。つい先程までいた気配もない。リビングの掛け時計が表示する時刻は午前七時前と、時計が狂っていたり、沙理が現在時刻を勘違いしていたりしたわけでもない。
ダイニングテーブルに紙切れが置いてある。
『豆腐(一丁)を買ってきてください。ただし、豆腐の専門店で。
千代』
脳内で「君が代」が流れ出した。眠気を誘うような間延びした音楽。空を切り裂くようにシャープな「ニュー・ヨーク」が、もったいぶるような「にゅ・う・よ・う・く」に変じるこの国の国歌にふさわしい冗漫さ。
沙理は千代という母親の名前を見るたびに、脳内で「君が代」が再生される。
自分の頭の中で流れる「君が代」を聴いているさなか、沙理の脳味噌はチーズのように熔解し、視界が薄く霞む。気力が急速に減退し、なにをするのも億劫になる。その状態は「君が代」が演奏されているあいだ続き、終わるとともに夢から醒めたように解消される。外部から強い刺激を加えられ、「君が代」が中絶した場合には、その瞬間をもって症状は彼方へと消し飛ぶ。日本国国歌は短いようで長いため、学校にいるときなど周囲に人がいる状況では、打ち切りになる場合がほとんどだ。
面倒だな、とは思うが、困るほどではない。千代の二字を見る機会自体あまりないし、吐き気や眩暈といった肉体的に不愉快な症状が伴うわけではないからだ。うわっ、また来たよ。目が霞んで、頭がぼーっとしているのに動いたら危ないし、恥をかくのも嫌だから、しばらくのあいだじっとしていよう。それでおしまい。
なんらかの作業をしているさなかにその症状に襲われた場合、特段の事情がないかぎり手・足・口を止めている。そのような方針を定めたのには、明確な理由がある。
沙理は同じ内容の予知夢のようなものをくり返し見る。夢には時間の流れというものがあるが、予知夢もどきは始まったと思った次の瞬間には上映は終了している。それでいて、何分かに及ぶ秩序ある映像を視聴したかのような感覚が残る。
小雨が降る中、中学生か高校生の制服を着た中学生か高校生の沙理が、スマホを見ながら自転車を低速で走らせている。前のカゴには鞄が入れてあり、ファスナーが半分開いている。自転車を漕ぎながら、スマホを鞄に戻そうとした瞬間、ハンドル操作を誤る。咄嗟に体勢を立て直そうと試みるが、雨に濡れた路面にタイヤがスリップする。あえなく自転車から投げ出され、尾骶骨を強打し、気を失って視界が真っ暗になる。
以上が予知夢の概要だ。
沙理の母親には、本人いわく「スマホなんていう便利なものがなかった時代の名残」で、メッセージの最後に差出人の名前を記名する癖がある。そのときに使用する名称は「お母さん」がもっとも多いが、「サリちゃんを産んだ女」とか「千代ママ」だとか、親子同士だからこその戯れの一環として、ユーモラスな署名を使用することがしばしばあった。
沙理が自転車事故に遭ったさいの署名は、「水沼千代」。「わざわざ苗字まで書く必要ある?」というツッコミを欲しているかのような、フルネーム表記だった。
「水沼千代」の四字を見たとき、沙理は人通りのない住宅地の細道を自転車で走っていた。小康状態だった雨がまた強まり出していた。スマホが濡れてしまわないように、届いたばかりのメッセージをさっさと読んでさっさとしまおうとした矢先の悲劇だった。彼女は一分ほど前、横断歩道の信号待ちをしているさいに新規メッセージの着信を報せる音を聴き取り、鞄からスマホを取り出したばかりだった。
沙理は自転車を漕ぎながらテキストは打てないが、読むだけならできる。ながらスマホの危険性は承知していたし、読んでいるさなかに冷や汗をかく場面も実際に何回かあった。それでも、自動車・人・自転車の通行量が少ない道限定で、この信号からあの信号までといった独自の制限を設けて、スマホの画面を見ることがあった。「千代」の呪縛による症状は、まさにそのさなかに発生した。
学校指定の鞄は車体前部のカゴに入っている。自転車を走らせながらでもスマホをスムーズに出し入れできるように、ファスナーは半分ほど開いている。深刻ではないが厄介な症状に見舞われているさなかで、「君が代」はまだ途切れそうにない。まず自転車を停め、それからスマホを鞄にしまうのが定石だ。
しかし、そのときは雨が降っていた。もたもたすればするほどスマホに雨が当たる時間は長くなる。なるべく早く鞄にしまい終えたい。
多少雨がかかった程度では故障しないことも、自転車を停めてから鞄にしまった場合でも、作業を完了するまでに要する時間には数秒の差しか生じないことも、ちゃんと理解していた。それでも沙理は、自転車を走らせながら鞄にスマホをしまうことに固執した。
客観的に指摘するならば、怠惰。誰もが持ち合わせている怠惰な心が、症状に対する危機感を凌駕したのだ。
それが命取りになった。スマホを持っていないほうの手がハンドル操作を誤り、タイヤが大きく右方向に進路を変えた。
「あっ!」と心の中で叫んだときには、雨に濡れた路面にタイヤが滑り、自転車は大きくかたむいていた。右手でしかハンドルに掴まっていない体はいとも容易く投げ出され、背中から地面に叩きつけられた。尾骶骨に痛烈な痛みを覚え、視界が真っ暗になる。
予知夢はそこで終わりを迎える。




