不満
「食べ物のことでとやかく言うのは浅ましいと頭ではわかっているんですけど、つい苛立っちゃうんですよね、お母さんが作ってくれる料理に対して。苛立ちっていうか、少しさびしい気持ちっていうか、もどかしさっていうか。そのどれでもないような、どれも含まれているような。とにかく、マイナスの感情ですね。家族と食事をするたびに、心の中がそんな感じになるんですよ。献立とか、料理に使われている食材とか作りかたとか、そういう細かいこともそうだし、わたし、不登校で半引きこもりなんですけど、だから毎日気分が沈んでいて、日々を明るく楽しく、みたいな心境からは程遠くて、一人になりたい、そっとしてほしいと常々思っているんですけど、食事はちゃんとダイニングテーブルに着いて、家族が揃っているときは家族全員で、みたいな決まりがわたしの家にはあって、それがむかつくんですよね。学校へ行って帰ってきたら、やっぱりおなかが空くじゃないですか。だからお菓子をちょっと食べるんですけど、そういうときは部屋で食べるんですよ。音楽を聴きながらとか、小説やマンガを読みながらとか。心と体をリラックスさせたいから、好きなことをしながら食べるわけですけど、部屋でお菓子を食べることについてはなにも言ってこないんですよね。お咎めなしなんです。食事はダイニングでとる決まりなんだから間食をとるときもそれを守りなさいとか、音楽を聴いたり本を読んだりしながら食べるのは行儀が悪いとか、そんなことは全然言ってこなくて。そのくせ、三回の食事を自分の部屋で食べようとすると、烈火のごとく怒るんです。三食も間食も同じ食事なのに、処遇に差をつけるっていう。そのちぐはぐさっていうか、方針が不徹底なところが、よくわからないっていうか。昭和脳だな、むかつくなって。わたしの両親、不登校というものに対する理解はそれなりにあるんですよ。怠けているだけだとか、そういう馬鹿のお手本みたいなセリフは言わないし。気をつかってくれているんだなってわかるし、気のつかいかたもおおむね正しいかな、とは思うんですよ。だからこそ、食事のこととか、もちろん他にもあるんですけど、気に食わないところが実質以上に不愉快に感じられるっていうか。わたしのためを思って気をつかってくれているのは凄くよくわかるから、面と向かって文句を言ったことはないんですけど、でもそれは、『不登校になったあんたのためを思って気をつかってやっているのに、それに文句をつけるなら学校へ行け』みたいなことを言われるんじゃないかっていう懸念、怖さみたいなものがあるから、言わないんじゃなくて言えないだけじゃないか、という気がするんです。そう思うと、自分のことが情けなくなって、朝食がトーストとコーヒーだけなのは味気なくて嫌だとか、そういう細かいことにケチをつけている――それはまあ、心の中での話なんですけど、そういうちっぽけな自分に対する嫌悪感が湧いてきて、悪いのはわたしなんだ、死んだらすべてが解決する、みたいな極端な想念に囚われることもあるんですけど、やっぱり死にたくなんてないし、悪いのはそもそもわたしを不登校に陥らせたなにかでしょ、という思いは心の底にあって。だからそのなにか、不登校の根本的な原因に対する猛烈な憤り、憤怒ですよね、憤怒の念が湧いて、凄く攻撃的な気持ちになるんですけど、でも、そのなにかをどうにもできないからわたしは現在進行形で不登校をやっているわけだし、そもそもそのなにかの正体が、情けない話なんですけど、わたしの中でも曖昧で不明確なところがあって。だから、憤りをぶつける先がちょっとわからなくて、ぶつけようがなくて。そういう状況に置かれたときに人間がとるべき道って、自暴自棄になって発狂するか、現実逃避するかのどちらかだと思うんですけど、わたしの場合は後者でした。そのツールの一つがYouTubeで、音楽もよく聴いていたんですけど、いろいろな動画に手を伸ばすうちに、琴線に触れたのがサバイバル動画だったんです。日中は四十度夜間は氷点下みたいな気候の砂漠で一か月間生き抜くとか、毒ヘビや毒グモがいっぱいいる蒸し暑いジャングルで道具なしで生活をするとか、そういうやつです。なにに惹かれたって、創意工夫と知識で困難を乗り越えるのがシンプルに凄いし、感動するからというのもあるんですけど、サバイバル生活をする人って、たいてい一人なんですよね。いざとなったときに外部と連絡がとれる機械みたいなのを持たされて絶海の孤島に置き去りにされて、サバイバルの模様は自撮りをするものとか、撮影スタッフが同行するけど、緊急時以外は接触してはいけないルールが定められたものとか、細かい条件の違いは当然あるんですけど、たった一人で過酷な環境に挑むんですよ。その一人というところにわたしは惹かれたんだと思うんです。ようするに、一人きりになりたかった。三度の食事を自室でとりたい願望も、そこから派生したものですよね、明らかに。不登校になった理由だって、もしかしたらそれかもしれない。サバイバル動画に見るたびに、そっちに行きたいなっていう思いが疼くんです。人の顔色を気にしなくていい、相手の顔色を窺いながら、TPOを考慮して最適の言葉を選ばなくてもいい、自由な世界に。わたし、昔から人付き合いは苦手だったから。人といっしょにいる状況に置かれると息苦しくて、逃げたくて。でも、どこに逃げ込めばいいかがわからなくて、それがまた息苦しさを高めて、それでもこの世界で生きていくしかなくて、適時現実逃避をしながら、この歳までなんとか生きてきたんですけど、サバイバル動画を見た瞬間、『これだ!』って思ったんです。洞窟を探検していて、行く手からもれる光を見た、あの感動、あの興奮、それと同じじゃないですかね。マンガや小説じゃなくて、そここそがわたしの逃げ込む場所なんじゃないかと思ったんです。強烈に憧れました。惹かれました。あなたが夢に出てきたのも、ようするにそういうことなんだと思います。……でも、あるときふと気がついちゃったんです。過酷な環境でのサバイバル生活も、しょせんはファンタジーの範疇なんだって。わたしが見た動画というのは、海外で放送されたドキュメンタリー番組なんですけど、何十日間生き抜いたのは挑戦者の実力でも、挑戦者がサバイバル生活に挑むお膳立てをしたのは他の人間なわけですよね。そこがなにか違うなっていうか……。サバイバル生活を送る環境を自力で整えなさいと言われても、わたしにはその方法がわからないし、そもそもサバイバルに関する技術もないし。入り江で素潜りをして、自製の銛で魚を獲るシーンがあったんですけど、石を鋭くさせる方法がわからないし、川や湖のどんなところを探せば魚が多くいるかも知らないし、そもそも泳げない。それがわたしなんです。一人で生きていきたい。でも、生きていけない。じゃあ、どうすればいいの? どこへ行けばいいの? それがわからなくて、でも、現実逃避ばかりしていては破滅するというのは本能的に理解していて、でも他に方法がないから現状維持のまま有限の人生を無意味に浪費している。それが今のわたしなんです」




