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トラウマ的な  作者: 阿波野治


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ジャングル

 湿度が高い。訪日経験のある欧米人に「日本の嫌いなところはどこか?」と質問すると、夏場の高湿度を挙げる者が多いという話を聞いたことがあるが、現在地は日本のそれよりも酷い。

 ジャングルの只中に沙理は突っ立っている。林立する木々は全体的に幹が太く、葉は巨大だ。地面に積もる湿り気を帯びた落ち葉の隙間からは、極彩色のムカデや、人間の腕ほどの胴回りのヘビが今にも這い出てきそうだ。遠くから聞こえる甲高い鳥の鳴き声は怪鳥じみている。

 木が焼ける音と臭いがする。焚火だ。木材と葉で作られたおにぎり型のシェルターの目の前に、それはある。赤々と燃える炎の中に、何本かの細い木の枝が突き立てられていて、中央に歪な塊が付属している。悪性の腫瘍かなにかにも見える形状のそれは、どす黒く変色し、薪が燃える匂いとは別の匂いを周囲に撒き散らしている。

 炎を前に胡坐をかき、その塊を眺めていた男性が、不意に顔を上げた。筋骨隆々。一糸まとわぬ姿。精悍な顔つきに人のよさそうな微笑を浮かべ、沙理を手招く。

 これは、夢だ。

 自分に言い聞かせるようにそう思いながら、その人へと歩を進める。生理的に苦手とする細長い体の生き物を踏みつけてしまわないように、足下を注視しながらの歩行となる。恐怖は申し訳程度しかなく、義務感から気をつけているような実感が伴った。

 オレンジがかった炎は男性の頭頂よりも高く触手を伸ばし、虚空をくすぐっている。男性の対面ではなく、隣に腰を下ろす。地面に直に座るのは躊躇われたが、男性も条件は同じだ。

 横顔をまじまじと眺めて、赤い砂漠で出会った軍人だと気がつく。それを境に、沙理は彼の股間を意識せざるを得なくなった。

 異性の股間。いまだかつて見たことがない部位。

 砂漠で見たとき、軍人のそれはぼやけて見えた。しかし、実際は確固たるものが備わっているはずだ。

 ここは夢の中。現実で体験した事象でなければ、夢の中で正確に再現されない。……本当にそうなのだろうか? わたしはジャングル中に身を置いたことも、原始的な焚火を前にしたこともない。ぼやけていない、ありのままの股間を直視する方法はないだろうか?

「熱いから気をつけて」

 軍人は炎の中に手を突っ込み、木の枝のうちの一本を掴んで沙理に差し出した。四秒ほど躊躇って、受け取る。投げ出さざるを得ないような熱さではないが、顔を小さくしかめずにはいられない程度には熱い。間近で嗅いだことで、歪な塊の正体が肉だと判明した。少し焦げたような臭いがするが、不快感はない。眼差しで問いかけると、

「ヘビの肉だよ。さっき俺も一本食べたけど、ほどよく焼けていて最高の味だった。下処理はきちんとしてあるし、生焼けの部分はないよ。平和な文明社会で暮らしている君でも食べやすいと思う。遠慮なくどうぞ」

 サソリの頭をもぎ、尾をちぎりとった一連の行為が彷彿と甦る。現在火にかけられている肉が同一個体のものだとすれば、ヘビは大蛇とまではいかないが、相当な大きさだったと推察される。ナイフすら所持しているようではないのに、彼はどう仕留め、どう捌いたのだろう。頭を素手でもぎとるのは難しそうな気がする。皮を剥いだり内臓を摘出したりするのも一筋縄ではいかないだろう。軍隊で鍛えられる中で、サバイバル技術を学んできたのだろうが、一連の作業の具体的な映像は沙理には想像もつかない。だからこそ、肉を焼いている場面から夢が始まっているのだろうか。

 軍人は自分も一本とり、肉に豪快にかぶりついた。口角から透明な肉汁をしたたらせながら咀嚼し、口元を手の甲で拭って沙理に笑いかける。その笑顔に背中を押されて、恐る恐る肉塊を口元に近づける。歯と唇が同時に触れ、熱を感じた。食いちぎり、咀嚼する。肉質は柔らかく、味は鶏のもも肉に似ている。塩気はないが、噛めば噛むほど旨味が口腔に広がっていき、なかなか美味だ。口の中を空にしてから微笑み返すと、軍人は笑顔を縦に振り、残りの肉を食べ始めた。

 沙理は二口目にはとりかからない。まずいと感じたわけでも、美味しいとはいえヘビの肉を大量に摂取するのに抵抗があるわけでもない。控えめに一口かじられた串刺しの肉塊をただぼんやりと見つめる。軍人に対して、なにか言わなければならないことがある気がするのだ。

 ただ、そのなにかの正体がわからない。

 確かなのは、言わなければならないことがある、ということ。そして、軍人個人に対してなにか物申したいことがあるのではなく、自らの胸に秘めた悩みを打ち明けたいのだということ。

 夢の中で夢の人間にお悩み相談。それってようするに、自問自答ってこと? 自己満足の自慰行為、か。なにやってるんだろう、わたし。

 ため息混じりにそう思う一方、抱え込んでいるものを吐き出したい、吐き出して楽になりたい、という思いも確固としてある。

「どうしたの、浮かない顔をして」

 軍人は食べ終えた枝を炎の中に無造作に投げ入れ、足下に生えていた雑草に指の油をなすりつけながら問うた。

 瞬間、あたかも天からの啓示を受けたかのように、なにが言いたいのかを明瞭に悟った。

「ヘビの肉をいただいたから、食事繋がり、ということで話すんですけど」

 口火を切るタイミングが我ながら唐突だと思ったが、軍人はなにもかも承知しているというふうに小さく首を縦に振った。

 今、沙理たちがいるのは夢の世界だ。わざわざ口に出さなくても訴えを理解してくれるのでは、とも思ったが、彼女は唇と舌を動かす道を選んだ。ひとえに、自分の口で話したかったから。

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