2章-3
「今日も来るンか…」
「あはは」
教室で弁当を広げながら、思わずため息を零した。向かいに座る萌香は苦笑いだ。少し懐かしい表情である。
「もう一週間になるね」
「マジか…」
俺はこの一週間を思い出した。キャラ変した結城突撃の歴史である。
『差し入れですッス!』
「じゃあ黒毛和牛差し入れしてきたのも、一週間前になるンか…」
「あーうん。大変だったね」
『今日は海鮮系ですッス!』
「まぐろ丸々一匹持ってきたのは?」
「五日前かな。解体ショー凄かったね」
『これ!上納金ですッス!』
「饅頭入った重箱の下に百万隠してたのは…」
「昨日の話だね。くるみ饅頭気に入ってたよね」
思わず頭を抱える。そして深いため息が出た。
「今日はなんだッ!」
「甘いものだったらいいね」
「萌香、ちょっと楽しんでねェ?」
心なしか楽しそうな萌香を恨めしく見つめる。図星をつかれたらしい萌香は少し気まずげに笑った。
「なんかちょっと、結城様可愛く見えちゃって」
「…お前すっげーな」
いじめられておいて、大した根性だ。だが確かにあの口調の人間を怖がる方が馬鹿らしくもある。
「結城様自体はいじめる気なかったみたいだし。そもそも結城様、私に興味ないもん」
「……でもなァ」
その笑顔が若干強がっているようにも見えるのは考え過ぎだろうか。しかしそこの真偽はどうでもいい。萌香が許したとて、という話なのだ。
(”筋”は通せよ、俺様野郎…)
慣れてきた日常を面倒くさく思いながらも決意を固め、俺は弁当を食い始めた。ちなみに俺のは一般的な二段弁当にプラスしてコンビニで買ったサラダチキンとゆで卵。
「今日もくるみ、いっぱい食べるね」
「……萌香も女子高生にしては多くねぇか?」
「そんなことないよ」
萌香のは俺の弁当の半分ぐらいの量だったが、記憶にある妹の食事よりは多い。それにお嬢様らしく重箱で豪華な見栄えをしていた。
「あー午後だりィな…」
「くるみ、いつも寝てるじゃない」
高校生らしく、ダラダラと話しながら箸を進める。
「……」
「……」
「「…ん?」」
食い始めて暫く経ってから、同時に首を傾げる。俺たちに突如襲い掛かったのは、不服なことに違和感だった。
「…遅いな、今日」
「いつもならもう来てる頃なのにね」
嬉しいはずの非日常が、なんだか腑に落ちない。俺と萌香は微妙な顔をしながら、ひたすら箸を進めた。
―――――
「今日、結局来なかったね」
ホームルームも終わって、鞄にクソ重い教科書をぶち込んでいたら、萌香に話しかけられた。十中八九、結城怜空の話だろう。
「ま、平和でいいじゃねェか」
「そうなんだけどさ」
そう言いながら萌香は少し寂しそうだった。すっかりビックリ箱と化した結城怜空を楽しんでいたらしい。強かなことだ。
「朝は来てたのにね」
「飽きたンだろ」
「うーん、それはないんじゃないかな」
突然来なくなった男が随分気になるらしい。四六時中引っ付いてきた男の存在は、存外俺たちに馴染んでいたということか。
「一応聞いてみっか」
「え?」
俺は萌香にそう言い残し、教室の前方は向かった。目指すは男子生徒の襟元。後ろから引っ張ってやれば、奴はこちらへ倒れ込んだ。
「よぉ、卵男」
「ヒッ」
俺を見て青褪めたのは、萌香をいじめていた生徒の一人。萌香に卵を投げやがったモブ坊ちゃんだった。
「テメェよォ、結城のことなんか知らね?」
「な、なにを」
「朝以降ココに来なくなった理由だよ。早退でもしたンか?」
「し、知らな…」
「イイんだぜ、お前を結城の側近みたくボコったって」
「ヒッッッ!」
借金取りに脅されている人間レベルのビビり方だ。同情したのか、少し後ろに控えている萌香は可哀想なものを見る目をしていた。それでも止めに来ないあたり、本気で結城のことが気になるのだろう。
掴んでいた襟元を引き寄せて睨みを効かせる。喧嘩慣れしていないだろう坊ちゃんには効果抜群だ。
「し、知らない!本当に!」
「あぁ?」
「僕はもう聖様に付いた!みんなもそうだ!だからあの人のことなんか知らない!」
「ヒジリサマァ?」
突然の固有名詞に首を傾げる。まだ情報が足りないと思ったのか、卵男は話を続けた。
「結城怜空はもう終わった!これからは聖様の時代だ!」
突然の堂々とした態度。まるで何かの信者みたいなその様子が気に触る。
状況は未だわかっていなかったが、コイツがムカつくという事実は変わらないから、首を軽く締めてやった。
「消えろ、ハンプティダンプティ」
「うぅっ!覚えてろよ!」
もはやギャグと言える台詞を吐いた男が去ったのを見届けて、後ろで待っていた萌香に視線を戻す。するとそこにあったのは笑顔ではなく、なにやら考え込む顔だった。
「萌香?」
「まずいかも、くるみ」
ただならぬその様子に早足で近づく。目の前まで来た俺の目を見て、萌香は小さな声で言った。
「結城様が、危ない」
――――――
――俺様の周りは、いつもそうだった。
『結城様に逆らうってのか!』
『どうなるのか思い知れ!』
俺様の、結城家の力が欲しい人間。
『何を言ってるんですか、結城様!』
『この女を見せしめにしないのですか?』
金と権力が欲しい人間たち。
『俺の家、白石家と競合関係なんですよ!』
『私もですわ!あの家は耳が早くって鬱陶しいですのよ』
『では彼女を見せしめにして、結城家の力を見せつけましょう!』
それが醜いと気づいたのは、あの女を見た瞬間だった。
瞼に写るのは、自分よりずっとガタイのいい男に蹴りを入れるその姿。車窓から見たその光景は、俺様に衝撃を与えた。
『怜空様、あのような下品なモノ見てはいけません』
『…あぁ』
『それにあの女は今年の特待生。ただの庶民です』
『……庶民』
――金も権力も無いのに。
『怜空様は絶対に関わってはいけませんよ』
『それはお母様の命令か?』
『…はい』
『俺様は一生それだな』
――強くなりたい。
結城の力じゃない。純粋に、俺自身の力で。
『俺が避けなきゃ、ご主人に当たってたぞ』
あの時、女は俺様を助けた。俺様じゃなくて結城家の力に傾倒していた取り巻きから。喧嘩をしていた、敵であるはずの俺様を。
――あの女のようになりたい。
強くて、友達に愛される、あの女のように。
なりたかったのに。
「結城様、俺たちは残念ですよ」
「あの結城家の一人息子が、こんなことになるなんて」
俺様を囲むのは、どこかで見た顔ばかりだった。恐らく取り巻きだった生徒達。その内の一人は、側近のように付き添っていた男だった。
「結城君、僕が何者かは知っているかな?」
「…生徒会長」
初めて入った生徒会室。そこで一番大きな席に座っているのだから、恐らく生徒会長だろう。俺様はその対面で一人、座り心地の悪い椅子に座らされていた。
「うちの副会長の名前は言える?」
「……聖」
「そう。君のライバル。聖家の長男だ」
当の本人はここにいない。いるのは生徒会長の後ろに控える上級生が数人。皆、『生徒会』の腕章をつけている。
「状況はわかるね?」
「…最悪だな」
「そう、ここには君の敵しかいない」
生徒会長はその顔にある眼鏡を掛け直した。そのドヤ顔が気に障る。
「聖君の命令だ」
「結城怜空くん。君をこの学園から退学させる」