1章-11
「ありがとね、くるみ」
「もういいって」
その後、汚れちまった制服を二人がかりで洗い、帰路についたのは空が薄暗くなった頃だった。ちなみに萌香は俺の制服を着ている。俺は萌香の体操服。事案ではない。
「親にいじめのことバレたくたいんだろ?制服なんていくらでも貸すって」
「いや、それもなんだけど…」
萌香は俺に向き直って、優しく微笑んだ。
「助けてくれて、ありがとう」
「……ドーイタシマシテ」
改めて言われると照れる。自分としては、ただ怒りを発散しただけな訳だし。
「身を挺して守ってくれたのもそうだし。動画とか、色々大変だったでしょ」
「いや、まぁその辺は俺じゃねぇし」
「え?」
「保健室の地縛霊がノリ気だったんだよ」
「どういうこと?」
「庶民は色々溜まってるってコト」
「…そっか」
当然訳がわかっていない萌香は、これ以上聞くことを諦めたらしい。
「本当にありがとう」
「だからもういいって」
「…また助けられちゃったな」
「”また”?」
聞き返してから気づく。この『また』っていうのは、多分元の主人公との思い出だ。
「覚えてない?昔もいじめから助けてくれたでしょ。小学、三年生だったかなぁ…」
「…あーうん、そうだったそうだった」
「あの時も泣いてる私の前に颯爽と現れてさ」
「あーそうだった思い出したわー」
適当に話を合わせる。明らかにカタコトな俺だが、呑気に昔を思い出している萌香は気づかない。
(やっぱ"くるみ"っつーのは、その時から主人公体質だったんだな)
愛され主人公のくるみを思い出す。パッケージの真ん中を飾る少女は、可愛い上に勇敢だった。
「…くるみって変わったよね」
「ん?」
萌香は、何か吹っ切れたような顔をしていた。
「暴力的になったよね。あとなんか雑にもなった」
「お、おう」
「不器用にもなったし、誰にでも優しくなくなった」
「…ハイ」
「うん。あとね…」
いきなりの攻撃にちょっとショックを受ける。この感覚は妹に色々棘を刺された頃に似ていた。
「正しくない」
「…あ?」
悪口か判断しかねるそれを、思わず聞き返す。萌香は少し寂しそうな目で言葉を続けた。
「くるみさ、私がいじめられてるの初めて見た時、」
「おう」
「私を庇うの、止めてくれたよね」
「…あぁ」
萌香に名前を呼ばれた時だ。怒る拳を抑え込んで、必死で耐えた記憶がある。
「昔のくるみならね、絶対聞いてくれなった。だっていじめを止めるのは、正しいことだから」
「まぁ、正しいな」
「私の意思なんてどうでもよかったんだよね、多分」
「……」
小さな声で呟いたそれは、とても切ないもので、俺は聞こえないふりをした。
「まぁ色々含めてさ。完璧な女の子だったくるみが、現実味のある人間になった!」
「口も悪くなったしな」
「ふふっ」
今日のくるみはよく笑う。しかも外面の綺麗なヤツじゃなくて、ちょっと年相応の幼いヤツ。久しぶりにゲーム画面を思い出した。
――立ち絵の笑顔より、なんか気ィ許してねェか?
「私、今のくるみの方が好きだよ」
そういうことらしい。
「……ん?もしかして、それで一緒に帰ってくれてたンか?」
「うん。今のくるみとなら、仲良くなれるかなって」
「悪ィことしたな、喧嘩なんて」
「あ」
一つ俺の疑問が解消されたところで、萌香が何かに気づいた。
「くるみ、見て」
萌香の指が示したのは先ほどまで歩いていた繁華街。俺たちは今、大きな横断歩道を挟んで向かいの住宅街にいる。
「今度は喧嘩せず帰れたな」
「うん、そうだね」
「偉くね?俺」
「いや、当たり前だからね」
――笑い合うその姿が、傍から見れば"ただの幼馴染"なんかじゃ無いことに、二人の少女は気づいていなかった。