1章-9
合図となったのは、結城が大きく一歩踏み出した瞬間だ。
真正面から突っ込んでくる結城を避けることはしない。後ろには萌香がいるのだ。
「結城様ー!!」
歓声とともに、結城は拳を出した。狙うのはおそらく顔面。
俺はその拳を手のひらで受け流し、軌道をずらす。軸がブレッブレの拳を避けるなんて、俺にとっては容易い話だ。
「えぇ!?」
「そんなっ!」
結局その攻撃が俺の顔面に届くことは無かった。俺は掴んだ拳を引っ張り、その腕を掴む。ついでに胸倉も掴んだ。
「ぐっ…!」
そしてそのまま身体を捻った。目に映るのは例のレンズだ。
「重ッ!」
掴んでいた腕と胸倉を引く。そして身体を折り、男を前に引っ張れば、背負い投げの完成である。
「結城様っ!」
「なんてことなの…!」
悲壮感に満ちたギャラリーの声を無視し、受け身の取れなかった男に追い打ちをかける。
仰向けの男を馬乗りにしてやった。結城は必死で抵抗するが、身体の弱点を突かれているコイツにできることはない。肩とかデコとか、弱い力でも抑えられる箇所はたくさんある。
「や、やめっ!」
抑えてなかった両手で結城は俺の顔を狙いやがる。この身体の腕力でそれを受け止めるのは難しいから、拳を爪で引っ掻いてやった。地味に痛いやつ。
「なんでっ!結城様が!」
「このアマっ、よくも!!!」
(さて、どこを殴ろうか…)
一旦冷静になって考える。
――一応攻略キャラ張ってるイケメンだしな…。気ィ遣った方がいいかぁ?
いやでもめんどくさいな。
「くるみっ!」
呑気に考えていたら、焦った萌香の声がした。咄嗟に意識を尖らせる。
どうやら、背後から何かが走ってきているようだ。
「よくも結城様を!」
振り向けば、戦闘不能になっていたはずの側近一号。
その手にある角材らしきものは、もう俺の目の前に迫っていた。
「あ、っぶな!」
「くるみっ!」
まぁ当然避けた。たかだかお坊ちゃんのフルスイングなんて、喧嘩慣れしてる中学生と同じレベルだ。
だが結城は危なかった。咄嗟に引っ張っていなかったら、コイツは攻撃の餌食となっていただろう。
「テメェな。武器の扱い方には気をつけろや」
そう言って角材の端を掴む。単純に引っ張るのではなく、押し込んでからこちらへ引くと、男は簡単に手を離した。予想外の動きに手が緩んでくれたらしい。
「俺が避けなきゃ、ご主人に当たってたぞ」
「ちがっ!ぼ、僕はっ!」
一号は結城の顔を見て青ざめて、逃げるように去っていった。勇敢に見えた手下は、やはり薄情者だったらしい。
「人望ねェな、お坊ちゃん」
俺の言葉にまたもや顔を歪める。やっぱり自覚があるらしい。
男の髪を掴んでこちらへ向ける。悲痛に満ちたその顔はそれでも嫌になるほど整っていた。
(やっぱ、えげつないイケメンだなァ…)
間近にある美術作品を楽しんでいたら、その顔は決意のあるものに変わっていく。どうやら覚悟を決めたらしい。
「…やれ」
「じゃ、遠慮なく」
そう言って手を放す。俺を見上げる男の頭上に足を持って行った。
そして薄汚れたローファーで思いっきり蹴り落とす。ギャラリーの制止する声は無視だ。
綺麗に決まった踵落としは、俺様イケメンを気絶させることに成功したのだった。