1章-7
私が連れて来られたのは、体育館倉庫の裏。
校舎の華やかさとは程遠く、そこはいつも薄暗くて湿気ていて、嫌な空気が漂っている。
「きゃっ!」
投げつけられたのはチョークの粉だ。
見下ろした制服はもうすっかり汚れている。
(…怪我が出るような暴力はないんだよね。女だからかな)
やけに冷静な思考に反して、状況は悲惨なものだ。
周囲には数十人の生徒達。どれも力のある家の者たちで、逆らうなんて許されない。
「結城様に選ばれちゃったからよ。可哀想に」
同情に愉悦が滲む声がした。目を向ければ私を常にいじめているクラスメイト達。
「……っ」
「あーあ、ずぶ濡れ!」
「間抜けな格好ねぇ」
今度はバケツをひっくり返される。続いて浴びせられるのはギャラリー達の冷たい笑い声。
痛む心に泣きだしてしまいそうになったけど、俯きながら唇を噛みしめて耐えた。
(きっと泣き出したら、面白がって悪化する…)
「結城様ー。どうします?コイツ」
「もう何にも言わなくなっちゃいましたよ?」
私を囲む男子たちは、無表情の結城様に目を向けた。体育館裏の壁にもたれかかって、ギャラリーと私の様子を見ていたらしい。まさに高みの見物だ。
結城様は汚れた私に一瞥を向けた。
「…勝手にしろ」
「うぇーい、水追加すっか!」
「はーい」
結城様の取り巻きなのだろう。舐めた口調は権力の強さを表している。
彼らが水を調達させに行っている時もいじめは続く。箒で怪我しない程度に殴られたり、卵を投げつけられたり。
(よく飽きないなぁ…)
比例するように思考は冷静になる。思考が薄くなっていき、目に映るのは過去の記憶だった。
(前にも、こうやって…)
小学生の頃の記憶だ。私立の制服を着た同級生は、いつも私の敵だった。
『おい、なんとか言ってみろよ!」
『弱虫~!』
『や、やめてっ』
私はいつも、涙を堪えることしかできなかった。
そしてそんな私を助けてくれたのは、
『萌香ちゃんをいじめないでっ!』
『…くるみ』
涙越しに見えるのは、いつも彼女の背中。
『萌香ちゃん、大丈夫?』
『…う、うん』
『くるみちゃんすごい!』
『さっきのかっこ良かったよ!』
『当たり前のことしただけだよ』
(くるみはいつも、勇敢で、可愛くて)
――みんなから愛されていて、みんなを愛していて、
『萌香ちゃん』
『あ、くるみ。ありが――』
『さっきの子たちも、悪くないの』
――バカみたいに正しい世界を生きてた。
『え…』
『ホントは優しい子たちなの!だから仲直りしよ?』
その言葉はただひたすらに正しかったから。
そう思えなかった自分は、多分間違っているんだろう。
『…いやだよ、』
『大丈夫!きっと仲良くできるよ』
『なんで、そんな』
『誰だってね、いいところがあるんだよ』
『何言って…』
『だから仲直りしよう!大丈夫!私もついていくから!』
『私も行くー!』
『くるみちゃん、優しいね!』
『……』
そう言ってみんなに囲まれる貴方を見て、
私に言葉だけの謝罪をしたいじめっ子たちを見て、
良かったと可愛い笑顔を浮かべる貴方を見て、
それを微笑ましく見つめる女友達と、赤く頬を染めるいじめっ子たちを見て、
――あの日世界に失望した。
そんな私に、貴方の『友達』を名乗る資格はない。
私達は、ただの幼馴染。
そうあるべきだ。
「おい止めろ。テメェら」
そうあるべきなのに、
「…く、るみ」
私を失望させたその背中に。
なんで今は、安心しちゃうんだろう。