水面に映る青空
行方不明の姉を捜すシノを連れて迷いの森を進む黒宮アキト。人の気配がしない森の中には、不自然な通り道が自然と存在している。その通り道から外れれば、この迷いの森に住む邪奇醜に遭遇してしまう。戦う力を持たないシノが傍にいる事もあり、明らかに何かへと誘っている通り道を黒宮アキトは進んでいく。
しかし、どれだけ歩いて誘う何かへは辿り着かず、シノの足取りがおぼつかなくなってきた。一時休息を取ろうと黒宮アキトが思った矢先、二人が進む道から外れた場所で水が弾ける音が聴こえてきた。都合が良すぎる水の音に、黒宮アキトは不信感を覚えるが、疲れ果てているシノには水が必要であった。
黒宮アキトはシノを脇に抱え、通り道から外れていく。生い茂る草木を進んでいくと、広い湖へと出た。青く輝く湖は汚れを知らず、雲一つ無い青空が水面に映っている。
「ここで少し休憩しよう。あまり遠くには―――って、おい!」
シノは黒宮アキトの脇から抜け出し、我先にと湖に駆け出した。今まで見た事も無い綺麗な水にシノは目を奪われ、ゆっくりと湖の水を両手にすくっていく。指の隙間から抜けていく水の冷たさに笑みを溢すと、残り少ない水を口の中に放り込んだ。ほんの僅かに口に含んだ湖の水は、普段シノが飲んでいるような泥の味はせず、水面に映る青空のように透き通っていた。
シノは渇きを潤す為に、今度は大量に口に放り込もうとするが、すぐに指の隙間から抜けてしまい、結局口に含めるのは僅かであった。
そんなシノを見かねて、黒宮アキトはお手本を見せようと、シノの隣に座り込んだ。
「下手くそだな。そんなんじゃ、いつまで経っても喉が乾いたままだ。行儀なんか気にしなくていいんだよ。こんな風に!」
黒宮アキトは勢いよく湖に顔を突っ込んだ。その状態の黒宮アキトを驚愕の表情で見ていたシノは、いつまで経っても顔を上げない黒宮アキトの事が段々心配になってくる。無事を確かめようと手を伸ばした瞬間、黒宮アキトはまるで魚が飛び跳ねたかのような勢いで頭を上げた。驚きのあまり、シノは後ろにひっくり返ってしまう。
シノがぶつけた後頭部をさすりながら顔を上げると、顔だけびしょ濡れになった黒宮アキトが、その状態には似合わない真面目な表情を浮かべていた。
「生きる為なら他人なんか気にすんな。誰に何を言われようと、生きる為に必死になれ。他人を気にする時なんか、生きる事に余裕が持てた後でいい」
黒宮アキトの赤い瞳がシノだけを見ている。その瞳には、初めて遭遇した時に帯びていた狂気は無く、ただひたすらに優しかった。
シノはもう一度湖の水面を覗き、思いっきり顔を湖に沈めた。水を飲もうとするが、口を開けた瞬間に溜めていた息が湖の中に放出されてしまい、息苦しくなってすぐに顔を上げてしまう。
顔がびしょ濡れになり、水が鼻に入って痛いはずのシノであったが、不思議と笑ってしまった。湖の冷たさと、水を飲む事すらままならず、結果的に顔をびしょ濡れにしただけの自分が馬鹿らしかった。そんな自分の馬鹿らしさに、呆れを通り越して面白くなってしまう。
「飲めなかったろ? 水を飲むだけなら、水面に口をつけるだけでいいもんな」
シノと同じ事をしていたはずの黒宮アキトは、シノを見てニヤニヤと笑っていた。
「悪ふざけはここまでにしとくか。ゆっくり飲んどけ。もう顔突っ込むなよ?」
シノは黒宮アキトの言葉に頷くと、湖を覗き込むようにして水を飲んでいく。黒宮アキトはシノが湖の水に夢中になっているのを確認すると、森の茂みに潜む邪奇醜を退治しにシノから離れていった。
濡れた髪を後ろに流しながら茂みへと近付くと、人の形をしたバッタの姿の邪奇醜が黒宮アキトへと飛び掛かってきた。高い瞬発力から繰り出される邪奇醜の蹴りは素早く、黒宮アキトが防ぐ前に左腕の付け根に当たってしまう。体が浮き上がってしまう程の蹴りの威力は凄まじく、黒宮アキトの左腕の感覚が無くなり、糸が切れたように力を失っていた。
(速いな。体の動きだけじゃなく、足がバネみたいに勢いよく伸びてきた。頭に入れば即死技だな)
黒宮アキトは感覚が無くなった左腕を無理矢理体に押し戻した。手を動かして完全に感覚が治った事を確認すると、待ち構えているだけの邪奇醜をほくそ笑みながら近付いていく。邪奇醜は素早く一歩飛び跳ね、あっという間に黒宮アキトとの距離を縮めて拳を放った。
瞬きの間に行われた動作であったが、既に一度邪奇醜の素早さを体験した黒宮アキトにとって、対応出来ない動きではない。黒宮アキトは頭部に向けて放たれた邪奇醜の拳を避けると、邪奇醜の顔面を張り倒した。張り手によって邪奇醜の顔は潰れ、黒い血が溢れ出てくる。黒宮アキトは痙攣する邪奇醜を見下ろすと、振り上げた足を邪奇醜の潰れた顔面に向けて振り下ろした。
邪奇醜を退治した黒宮アキトがシノのもとへと戻ると、シノは手の平に乗せていたペンダントを眺めていた。その様子を黒宮アキトに見られている事に気付いたシノは、急いでペンダントを隠そうとするが、黒宮アキトは鼻で笑った。
「別に隠さなくていいぞ。オレだって外の世界の物を持ち歩いてるし。まぁ、どっかに落としたままだけどな」
黒宮アキトがそう言うと、シノは隠そうと思っていたペンダントを再び手の平に乗せて眺め始めた。
「……そのペンダントにある写真の女は? お前が捜してる女か?」
シノはペンダントから目を離さずに頷いた。写真にはシノとシノの姉が写っており、椅子の上でシノは姉に抱きかかえられていた。




