最珍露の主
西連寺マコトと斎藤響が一階で怪異と遭遇していた頃、三階にいる黒宮アキトと宮本達也は走っていた。彼らがいる三階は、まるでルービックキューブのように構造が変化し続け、その場に立ち止まっていれば変化する構造に巻き込まれてしまう。
対処のしようが無い現象に、二人は一度二階に降りようと階段を目指して走り続けるが、構造の変化によって生じた壁が二人の行く手を阻む。
「次の分かれ道、右に行くぞ!」
黒宮アキトは二手に分かれた通路の右側を選んだ。実際、それは正しかった。二人が右側の通路に曲がる瞬間、左側と後方が壁で塞がり、右側の通路が途方もなく伸びていく。
「なぁ! この先に階段なんか無いように見えるんだが!?」
「今は無くても、いずれ姿を現す! 今は走り続けろ!」
「俺達はマラソン選手じゃねぇんだぞ! くっそぉぉぉ!!!」
二人が走り続けて10分が経過しているが、二人が感じている時間はそれよりも長く、1時間以上走らされている錯覚に陥っていた。常に全速力で走っている事と、脳に伝達される変化の現象の情報のキリの無さが原因であった。
「……っ!? そろそろ次の変化が来る!」
「なんで分かるんだ!?」
「直感だ!」
「直感って……勘じゃねぇか!?」
これまで幾度となく怪異を祓ってきた黒宮アキト。様々な怪異との戦いの中で、命の危機に瀕した時もあった。その戦いを潜り抜けてこれたのは、黒宮アキトが持つ異常に発達した直感。敵がどう動き、何をしてくるのかを見る事が出来る未来視であった。
先の展開を見る事が出来る未来視は強力だが、自分の意思で自由に発動出来る訳ではない為、黒宮アキトは自分が未来視を使える事を知らない。
「だが、アキトの勘は信頼出来る! 今まで全部正解の道ばっかだからな!」
「達也! 今の内に言っておく! 階段を降りてマコト達と合流してろ! いいな!」
「え? どういう―――」
黒宮アキトの発言を宮本達也が理解する前に、宮本達也の前を走っていた黒宮アキトが突然振り向き、壁に向かって宮本達也をぶん投げた。
宮本達也の頭部が壁に激突する寸前、変化の現象によって壁は消え、その先にある階段に宮本達也は転げ落ちていく。
目指していた階段まで辿り着けたというのに、黒宮アキトはその場に立ち止まっていた。やがてまた変化の現象が起き、黒宮アキトの左右後方に壁が生じ、前方に長い通路が出来た。
これまでと違う点は、その通路の先に扉がある事であった。変化の現象が起きる兆しも無く、黒宮アキトは通路の奥に存在する扉へと歩いていく。
「さて……鬼が出るか、蛇が出るか」
扉を開けた先は、畳が敷き詰められた広い空間であった。右側と左側に敷かれてある座布団には、布で顔を隠す人間が正座しており、列を成していた。
そんな人間達に黒宮アキトは目もくれず、空間の最奥で正座する神父のような服装の男へと歩いていく。
「……久しいですね。新しいお客様がここへいらっしゃるのは」
「土足で失礼したな。靴を脱ぐ所が見当たらなくてな」
「構いませんよ」
「僕が何者か分かるか?」
「……ふむ。祓い士、ですね」
「正解だ。お前ら全員余す事なく祓ってやる」
「ハハハ! どうやって? 今のあなたが、怪異を祓う事など出来ないでしょう?」
男の言葉に、黒宮アキトは足を止めた。冬美が繋げた黒い手錠の所為で、今の黒宮アキトは破邪の指輪を使う事が出来ない。その事を黒宮アキトは忘れていた訳では無く、西連寺マコトがここへ来るまでに、彼らを体術で弱らせようとしていた。
黒宮アキトが足を止めた理由は、男が破邪の指輪の力を使えない事を知っていた事だ。思考や心の中を見る以外で、それを知る事は不可能な事であった。
「お前、何者だ? ただの怪異ではないな?」
「これはこれは、申し遅れました。この旅館、最珍露の主。ロン・リーフェン、と申します。そして彼らは、私の同盟者達です」
「……消えた客と従業員か」
「かつては、そうでした。ですが今は同盟者です」
「何が同盟だ。無理矢理この空間に閉じ込めて、洗脳したんだろ」
「いいえ、その逆です。私は彼ら彼女らに掛かっていた洗脳を解いたのです」
そう言って、ロン・リーフェンは立ち上がった。それに併せて、黒宮アキトの顔は限界まで上へ見上げる事になった。黒宮アキトが予想していたよりも、ロン・リーフェンは大き過ぎていた。身長は2mを優に超え、体格も太く、しかしながら脂肪では無く筋肉による太さであった。
途方もない山の頂上を見上げるかのように見上げる黒宮アキトをロン・リーフェンは優し気な目で見下ろす。
「あなたのお名前をお聞きしても?」
「……黒宮アキトだ」
「ありがとうございます、黒宮様。もう一つお聞きしたいのですが、黒宮様は死を恐れておいでですか?」
「生きているなら、恐れるのは当たり前だ」
「そうでしょう、そうでしょうとも。ここにいる全員が同じ思いです。皆、いずれ来る死を恐れているのです。その恐れはやがて穢れとなり、身を蝕み、本来であればもう少し生きれたはずの命の時間が、恐ろしい程に少なくなっていくのです。私はその穢れを落とし、彼ら彼女らが生き永らえる為に助力を惜しみませんでした」
「怪異であるお前が、人を助けていたのか?」
「怪異であれど、元は人間です。私は自身の穢れを落とし、人の心を取り戻しております」
ロン・リーフェンの言葉に嘘は無く、本心から人が生き永らえる事を望んでいた。それは今までに例を見ない怪異の存在であった。
それ故に、黒宮アキトの中で迷いが生じる。今まで祓ってきた怪異は、人に危害を加えるばかりであった。元が人間だったとはいえ、人間にとって危険な存在となった怪異に同情など生まれるはずも無い。
だからこそ、黒宮アキトの目の前にいるロン・リーフェンは異端であった。人の心を取り戻し、人が長く生きる事を望むロン・リーフェン。
そんな彼を敵として見る事は間違いではないかと、黒宮アキトは迷っていた。
「黒宮様。よろしければ、お話をしませんか? あなたは不思議な方だ」
「……僕も決めかねている。お前を祓うか、そうじゃないか、と」
「では、対話と致しましょう。言葉によって分かる事は、目で見る事よりも多い」




