月夜に踊る
あれからどのくらい経っただろうか。初めて体験する完敗に、僕の心は打ちのめされていた。今まであらゆる怪異と戦い、時には死にかけた事もあったが、最後は必ず勝った。どんなに強い怪異であっても、最後には自分が勝つと信じて疑っていなかった。
だが、思い知らされた。家の名が無い祓い士と家の名がある祓い士の実力差と同じように、怪異も上には上がいる。異形……面と向かい、正面からぶつかって実感したよ。僕はまだ、力不足だと。
術が使えなかった状態だったとはいえ、あの場には他にも武器があり、いくらでも攻める手立ては考えつく。それに今の僕が術を使えば、意識を失ってしまうデメリットがある。確実に祓える可能性が無い時に術を使う事は得策ではない。だから例えあの時、術が使えたとしても、僕は使わなかっただろう。
だからこその完敗だ。あの時の僕の判断と動きは何一つとして間違っていない。効果が無かったとはいえ、心臓部分に剣を突き刺せた。問題は、相手が異形というイレギュラーな存在な事ぐらいだ。
「……冬美、か」
橋の下で流れている川に反射する月を見下ろしながら、右手首に残り続けている黒い手錠を眺める。見た目以上に頑丈で、叩きつけても傷一つ付かなかった。非常に硬い素材から作られた手錠だが、重さは全く感じられない。まるで何も無いみたいに。
冬美は、この手錠が僕と繋がる縁だと言う。もしそれが本当なら、これから先の何処かで、また唐突に現れる。もちろん怖さもあるが、冬美との再会を楽しみにしている自分もいる。
何故、楽しみだと思っているのだろう? 手も足も出ない相手と戦う事を望む、ある種の破滅願望でもあるのだろうか? それとも……。
「……綺麗、だったから……なのか?」
自問自答をしても、答えが見つからない。こんな風になるのは初めてだ。誰かの事を真剣に考えるだなんて。
そんな事を思いながら、右手首に掛けられた手錠を眺めていると、視界の端から白く細い左手が僕の右手に触れてきた。その左手の手首には、僕のと同じ手錠が掛けられている。目で辿っていくと、僕を見つめている冬美の顔に行き着いた。
『何を悩んでいるの?』
「……お前の事だ」
『あら、嬉しい』
僕は冬美の手を振り払い、パンチを放った。しかし、僕が何処を狙い、左手でパンチをしてくる事を読んでいた冬美に避けられ、呆気なく両手を握られてしまった。蹴りを警戒してか、冬美は体を密着してくる。眼前に見える冬美は不適な笑みを浮かべると、僕の体を振り回し始めた。
手すりや地面に背中を打ちつけられる事を予想し、来る痛みに耐える準備をしていたが、冬美は僕の体を振り回すだけだった。
『久しぶりだね。こんな風に月の下で踊るのは』
「僕は踊った事が無い」
『初めて踊った時と同じ言葉! 私の事を思い出したの?』
「……」
『そっか……そんな簡単に思い出さないか……』
「……お前が知る僕は、どんな奴だった」
『暴力的で残忍。大食いな癖に食わず嫌いが多い。誰も信じない癖に寂しがり屋』
「信じたくないな。もしそうだとしたら、死にたくなるよ」
『でも良い所もあった。時折見せる優しさ……恥ずかしがって、認めなかったけどね』
「僕は優しくないから、嘘だな」
『ほら、やっぱり認めない!』
不思議だ。彼女の言葉の数々が、まるでパズルのピースを嵌めていくように、僕の中で何かが築かれていく。記憶、というよりも、存在。黒宮アキトという人物。
まだ半信半疑だが、冬美が言っている事は必ずしも嘘では無い気がする。
『ねぇ、アキト。今は楽しい?』
「……分からない。達也と響と知り合って、会話や娯楽で交流を深める事が出来ているけど……まだ、怪異を祓う事の方が楽しいと思ってしまう」
『そう……アキトはどうしたいの?』
「どうしたいって?」
『このまま普通の人間として暮らしたいか。あるいは、怪異を祓う祓い士でいたいか』
「……両方は、無理だよね?」
『無理、というより……このままだと、どちらも選べずに死ぬわ』
「死ぬ……死ぬって、どういう……」
『あなたの体が限界を迎えようとしているの。いえ、限界なら既に迎えている。今のあなたは、気力だけで体を動かしている。次に術を使う時、それがどれ程微弱な術であったとしても、あなたの気力は尽き、意識を失ったまま、二度と目を覚まさなくなる』
「どうすれば、生き永らえる事が出来る?」
『残念だけど、そんな方法は無いわ。ある一つを除いて、ね』
「それは?」
『私を見つけて。祓い士の村、神薙家の地下に幽閉された私を』
神薙家。御三家の中で一番歴史が長く、それ故に家の名の力がある。実際に姿や力を見た事は無い為、今の当主や神薙家がどれだけの祓い士を抱えているかは分からない。
つまり、情報が全く無いのが現状だ。それなのに、神薙家の地下に幽閉された冬美を捜し出す事など、不可能だ。
『無理だって思ってるでしょ?』
まるで僕の心を読み取ったかのように、冬美は僕の顎を上げ、優し気な眼差しで僕を見つめる。
『大丈夫。前までのあなたなら無理だったけど、今のあなたなら。私との縁を結び直せたあなたなら、私を見つけられる』
「でも、今の僕が出来るだろうか? 術も使えないのに……」
『アキト、あなたが相手をするのは怪異ではなく、祓い士よ? 祓い士は奇妙な術を使うけれど、潰せば死ぬし、刺せば死ぬ。今のあなたでも、殺せるわ』
「……」
『西連寺家の娘を利用しなさい。あの娘と結婚を決め、村で式を挙げれば、他の家の当主が参列する。神薙家も現れるわ。そうなれば、神薙家で騒ぎを起こしても、すぐには対応出来ない』
「……」
『また会いましょう、アキト。今度は、実体を持つ私と、本当の意味で再会を』
そう言い残し、冬美は姿を消した。手の平に、さっきまで握られていた冬美の温もりが残っていたが、その温もりはすぐに消えた。心が痛んだ。冬美の温もりを失いたくないと強く想った。
だから、僕は決めた。失う事の多さに目を奪われず、手に入れたい一つの事ばかりに目を奪われて。
「冬美を……捜さないと……」




