退屈からの解放
僕は産まれてから10年分の記憶が存在しない。記憶を持ち始めたのは、その後からだ。子供時代の記憶を憶えていない人は大勢いるが、それでも断片的に残っているもの。記憶とは、そう簡単に消えるものではない。
でも一つだけ、【もう一度君に会う】という言葉が僕に宿っている。いつの言葉か、言葉の主は誰なのか、未だそれらは謎のまま。
そんな謎を宿しながら、僕は15になった。故郷の村を離れ、今は朝ヶ丘という町に移り、その町の高校に通っている。土日と祝日を除いた日は毎日学校へ行き、授業を受け、夕方に家へ帰る毎日。面白みの無い毎日に、僕は退屈を感じていた。
退屈なのは、家の中でも同じだ。家は小さな一軒家で、元々そこを所有していた村の人が僕に預けてくれた物。そこで僕は独り暮らしをしている。家に残されていた小説は堅苦しいし、音楽も古臭くて聴いてられない。だからいつも、壁の隅に座っている。壁に寄りかかって座っていると、隣に誰かがいると錯覚しやすいから。
そんな毎日を過ごしていたある日、一つの変化が起きた。その変化は、いつものように授業を受けていた時の事だった。
「ぅぅ……ぅぅ……!」
隣の席から、小さな呻き声が聞こえた。見ると、隣の席の宮本達也が、大量の汗を流しながら苦しんでいた。初めは単なる体調不良と考えたが、背筋を走る悪寒に、宮本達也の中に【良くない者】が入っている事に気付いた。
「……先生。隣の人を保健室に運んできます」
「んぁ? ああ、頼んだぞ~」
席を立ち、宮本達也を肩に担いで教室から出ていく。廊下を歩き、保健室を通り過ぎて階段を上り、屋上へと向かう。
「……おい……保健室……通り過ぎ、なかったか……?」
「黙ってろ」
「ぅぅ、助け……て……」
階段を上り切って屋上に辿り着くと、幸いな事に屋上には誰もいなかった。担いでいた宮本達也を下ろし、邪魔が入ってこれないように屋上の扉に鍵を掛ける。
「なんで……屋上なんかに……!」
「室内だと面倒な事になる。外なら風に乗っていくからな」
「なに、言ってるんだ……?」
「いくつか質問する。いつから体調が悪くなった?」
「……3日前くらいに、軽くダルさがあって……急に、今……」
「そうか。心当たりは?」
「……幽霊屋敷」
思った通りの回答だ。呆れて言葉が出ないよ。幽霊屋敷と呼ぶからには、そこにいる事くらい知っていただろうに、何の対策もしていなかったようだな。
宮本達也の背中に手を置き、憑りついている存在を手の平に引き寄せる。背中の感触とは別の感触を手の平で感じ取ると、勢いよく手を引いて憑りついていた存在を外に出す。一瞬だけ見えた宮本達也に憑りついていた存在の正体は、人間であった。
「……あれ? 楽になった!? ア、アッハハハ! やった! 元に戻ったー!」
憑りついていた存在がいなくなった事で正常を取り戻した宮本達也は、自由に動かせる自分の体に感動し、声を上げながら走り回った。
「な、なぁ! どうやったんだよ今の!? お前、幽霊を祓えるのか!?」
「ああ」
「マジかよ! すげぇ、本物の祓い士だ! なぁなぁ、祓い士ってのは、どうやってなるんだ!? 他にも祓い士の仲間がいるのか!?」
凄い奴だ……祓われた後は疲労感が凄いはずなのだがな。とんだマシンガン野郎だ。
「少し落ち着いてくれ。完全に祓った訳じゃない。僕が今やったのは、お前の中から外に出しただけだ。その証拠に……」
目で見て分かってもらう為に、宮本達也の体から出ている黒い線を露わにする。
「見えているか?」
「あ、ああ……なんか、黒い線が俺の中から」
「それは今さっきまで憑りついていた存在との繋がりだ。好きな人同士が、赤い糸で結ばれてるようなもんだ」
「別に俺は好きでも何でもないが……待てよ? じゃあ!」
「そうだ。繋がったままでいると、いずれまた憑りつかれる。繋がりを断ち切るには、繋がっているどちらかを消す必要がある」
「どっちか……俺?」
「んなわけあるか。それじゃ助け損だ。その幽霊屋敷に、僕を案内しろ。今すぐにだ」
「え、でもまだ授業が……」
「は?」
「あ、いえ! 喜んでご案内させていただきます!」
そうして、僕と宮本達也は裏口から学校の外へ抜け出し、幽霊屋敷へと向かった。宮本達也の話によれば、幽霊屋敷は2階建ての一軒家で、2階の部屋で家主が首吊り自殺をしたとか。それ以来、その家では人影や物音がするとネットで噂になっていたらしい。
幽霊屋敷についての話を聞いている内に、僕達は幽霊屋敷へと辿り着いた。廃墟になって長い時間が経っているようで、庭の雑草は伸びっぱなし、壁やガラスは滅茶苦茶だ。何より、家全体から感じる嫌な感じが、この家を幽霊屋敷たらしめていた。
「どうだ? 何か感じるか?」
「お前はどうだ?」
「俺に聞いても……いや待て……声が、聞こえる……!」
「入るぞ。僕の傍から離れるなよ」
「お、おう……!」
幽霊屋敷の入り口を開け、中に足を踏み入れると、家の中は酷く荒れ果てていた。床には物が散らばり、まるで争い事が起きた後のようだった。玄関から床に上がると、小柄な僕の体でも軋む音が鳴り響いた。
「かなり老朽化しているな。気を付けて歩け、所々に穴がある」
「あー、分かってる……この穴、俺が開けちまったから」
「全部か?」
「夜に行ったもんで、暗くて足元がな」
「……憑りつかれて当然だ」
「悪かったよ……それで? どうやって幽霊を祓う?」
「まずはこの家で本当に自殺したのかを確認する。それから自殺するに至ったキッカケ。自殺者の名前も必要だな」
「それなら、2階の部屋に揃ってあったよ。ここは散らかってるが、2階の部屋だけは綺麗なままなんだ」
「手間が省けたな。それじゃあ、行くぞ」
崩れないよう慎重に階段を上り、2階へと上がる。2階には部屋が二つあり、宮本達也は左の方へ指を指した。
左の部屋の扉を開けると、宮本達也の言った通り、この部屋だけは綺麗な状態だった。キチンと整頓された本棚、整えられたベッド、服の修繕に使っていたと思われる机。
全てが綺麗に整えられていた中だからこそ、ある一つだけが異彩を放っていた。それは、ベランダに出る大きな窓に垂れ下がったロープ。ロープの先端には輪っかが作られており、少し擦り減っている所を見るに、これで首を吊ったのだろう。
次に、僕は机を見た。机の上にはミシンが置かれており、ミシンには修繕途中の服が残されている。その服の胸元を見ると、寺田香苗とマジックペンで名前が書かれてあった。
机の引き出しを開けると、中には写真がビッシリと敷き詰められていた。どの写真も、幼い少年を写した写真であった。
「俺の予想じゃ、息子に先立たれて失意の中、そのミシンで息子さんの服を縫い直している時に、遂に耐え切れなくなって……自殺した」
「……なるほど」
「自殺したのは女性らしい。つまり、その子の母親……腹を痛めて産んだ子が死ぬのは、母親にはキツい話だ……」
「そうだな……だが仮に、ここで自殺した女性が母親じゃなかったとしたら?」
「何?」
僕が気になった所は二つある。一つは、引き出しの中を敷き詰めている写真には、少年だけを写した写真しかない。
二つ目は、ここに来るまでに写真立てが置かれていなかった事だ。ここまで写真を集めている母親なら、家のそこら中に飾っていてもおかしくはない。にも関わらず、額縁はおろか、子供の物と思われる物が何処にも無い。荒らした連中が持っていた可能性もあるが、大抵持っていくとしたら金品だろう。
「……ここの家主の名前は?」
「名前は分からない。女性としか」
「ここに全て揃っていると言ったろ?」
「あると思ったんだ! ここは自殺した女性の部屋だし、名前が分かる物くらい!」
「隣の部屋を見たか?」
「……いや、まだ見ていない」
「はぁ……分かった。じゃあ僕は隣を調べてくる。お前はここを調べてくれ」
「え!? 俺を一人にするのか!?」
「安心しろ、何かあればすぐに駆け付ける。じゃあ頼んだ」
「待っ―――」
助けを乞う宮本達也を置いて、僕は部屋から出た。中から必死に扉を開けようとする宮本達也の叫び声が聞こえるが、僕が扉に術を仕掛けたので開ける事は出来ない。
「さて、本腰を入れよう。隣の部屋に行く前に、まずはこの家を調べ尽くす」
深呼吸をしながら、手の平同士をこすり合わせる。正直言って、僕は今の状況を楽しんでいる。これまで同じ事の繰り返しで退屈してた所に、何だか複雑な事情のある厄介事を解決出来るんだ。どれだけ村から遠く離れても、どれだけ普通の人と同じ暮らしをしても、僕は普通の人にはなれない。
僕は、怪異を祓う【祓い士】なんだ。